エンゲージ

その日、カインは道具屋でとあるものを買い求めていた。
ずいぶんと前から目をつけていたものの、決心がつかないままに 眺めるだけになっていたのだが、とうとう、彼は意を決したのである。
「こんな日にも実験材料をお買い求めですか?
 さすがにご熱心ですな。おや、これは・・・・?」
道具屋の主人も一瞬、不思議そうな顔をするが
そこは客の詮索をしないのが商売人の約束事だけに黙って代金を受け取ると、 実験材料と一緒に、カインに手渡す。
店を出ると、カインは安堵のため息をついた。
誰かに見られたらどうしようかと思った。
店の主人しかいなかったのは、幸いだった。
しかし、実はもうあまり時間はない。
彼女が、この街を出てしまう前に会わなくてはならない。
自然、足が速くなる。
街の人間も、彼が駆け足で町中を走り抜けて行くのを、 なかば珍しげに、なかば不安げに眺めている。
それもそうだろう。聖騎士団長が血相変えて走っていれば、 また何かあったかと不安になろうともいうものだ。
それゆえに、冷静沈着さが聖騎士団長には求められるのだ。
聖女宮にたどり着いたときには、カインはいささか息を荒げていた。
「カインさま、いかがなされました?」
聖女宮に勤める女官が、その様子に少し驚いて声をかける。
「ア、アシャンは・・・・?」
「アシャンティ様ですか? さきほど、聖女宮を出立されましたが・・・・」
しまった、間に合わなかったか!
カインは女官が話終えるのも待たずに、聖女宮を駆け出していった。
今から追えば、王都を出るまでに追いつくかもしれない。
街道へ続く道を、カインは走りだす。
休みの日でもあり、人が多く行き交う中、緋色の髪の少女を探すのは 簡単ではなかった。
自分の身動きさえ、思うにままならない。
心はあせるのに、先に進むことができない。
それでもなんとか街外れの街道の入り口までたどりついたものの アシャンの姿を見つけることはできなかった。
もしかしたら、まだ王都のどこかにいるかもしれない。
夕刻も近い、今日は宿に泊まることにしたかもしれない。
カインは、再び街に向かってきびすを返すと走りだした。
宿屋、道具屋、酒場、公園、岬、思いつくところすべてを回った。
これほどまでに、あちこちを走りまわったことなどないだろう。
それでも、アシャンを見つけることはできなかった。
やはり、もう、この街を出て行ってしまったのだろうか。
いつも、そうだ。
いつも、迷ううちに時はすぎる。
いつも、自分がやっと心を定めることには、もう時がそれを追い越している。
カインは、町角の壁にもたれて荒い息を整えながら、 拳で壁をなぐりつけた。
これまでの自分なら、ここであきらめてしまっただろう。
所詮は、自分には不似合いなことだと、心を殺すだろう。
だが、あきらめない。今回は、あきらめない。
手に入らないものは、仕方がないなどと割りきることなどできない。
アシャンが故郷へ戻ったというのなら、追いかける。
馬を飛ばせば、途中で追いつくこともできるだろう。
カインは、ふだん使わない筋肉を使い過ぎてきしむ体をひきずりつつ 騎卿宮へ戻った。
これまで、これほどに必死になって求めたものがあっただろうか。
自分の内に、これほどに激しい思いがあるとはしらなかった。
そうだ、アシャンとの出会いは、カインに、自分も知らなかった自分を教えた。
深く息をするとカインは自室へと向かう。
薄暗くなった廊下の、自分の部屋の扉の前にうずくまる人影を見たとき、 カインは、それが幻かと思った。
待ちくたびれたのか、ひざを抱えてうずくまったまま眠っているその少女は、 カインが今日一日中、捜し求めていた緋色の髪の少女だった。
「・・・・こんなところにいたとはな・・・」
探していたものが、最も身近なところにあったとは、 なんとも寓話的な話だと、カインは思い、 眠っている少女の肩に手をかける。
「アシャン・・・・」
ねむたげにしばらく目をしばたいていた少女は、カインの姿を認めると 慌てて立ち上がる。
「カインさま・・・」
「こんなところに、いるとはな」
カインは、薄く笑ってそう言う。
「わたし・・・王都を出る前に、カインさまにご挨拶しないと、って思って・・・」
「アシャン・・・・、王都を去るつもりなのか」
「聖乙女になれなかったのですもの。それに・・・・・」
「それに・・・?」
「いいえ、なんでもありません。
 ただ、私にはもう、ここに留まる理由はなくなってしまったのですもの」
「そんなことは、ない!」
カインは声を荒げて、アシャンにそう言った。
「アシャン、俺は・・・・」
「・・・カインさま、私のことを、ずっと見守っているっておっしゃいましたよね。」
聖乙女が決まった日のことだ。
まだ、自分の気持ちをどうするか決めかねていた。
「私が、故郷に帰ってしまっても、ですか?」
「アシャン・・・・?」
「私、そんなの嬉しくないです。
 遠くから見守ってもらうだけなんて、そんなのいやです。
 だから、カイン様と最後にお話ししたくて・・・」
「さ、最後にって・・・」
「だって、私が故郷に帰ってしまったら、もうお会いすることもないでしょう。
 わ、わたしは・・・わたしはカイン様のおそばにいたかったけれど
 か、カイン様はそうじゃないなら、仕方ないです」
俯いたアシャンの声が震える。
「アシャン・・・・俺はそんなつもりじゃ」
「だって・・・・」
いつもお前を見守っている、それは、そのときの自分の正直な気持ちだった。
ずっと、彼女を見守っていたいと。
しかし、故郷に帰らざるをえないアシャンには、 それは、体のいい別れの台詞としか思えなかったとしても仕方ない。
なぜなら、肝心のことは、カインは何一つ言っていなかったのだから。
胸の前で組まれているアシャンの手をそっと取ると、 道具屋で買ったものをそっと握らせた。
「カイン・・・・さま?」
「お前にだ。・・・・俺の、気持ちだ」
アシャンの指が、おずおずと包みをあける。
それは、翠の石がついた指輪だった。
アシャンが、カインを見上げる。
「お前の、瞳の色によく似た石だろう。」
「カ・・・カイン様の気持ちって・・・」
「アシャン・・・・いくら俺の魔術をもってしても、お前が遠く離れてしまっては
 お前の姿も声も身近に感じることなどできん。
 王都に・・・・いや、俺のそばに・・いてくれ」
「カインさま、そういうことは、もっと早く言ってくれないと、私、私、
 すっごく、悩んだんですからね」
アシャンはいつものようにふくれっつらをするが、その目はうるんでいた。
「すまん・・・・」
アシャンは、にっこりと笑うと、カインの首に抱き着いた。
「・・・・うれしいです。カインさま。
 私、帰りません。ずっと、カインさまのおそばにいます。」
カインは、そっと腕をアシャンの体にまわして抱き締める。
「・・・・それにしても、今日はずいぶんと遠回りをした」
「私も、今日はずいぶん、待ちました」
二人は、顔を見合わせて笑った。
遠回りの末にやっと手に入れたものの大切さをかみしめて。






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