大きな音をたてて、玄関の扉が開いた。
何年かぶりに戻ってきた息子は、挨拶もなしでずかずかと家に入ってくると、 そのまま二階の父親の書斎に入って行く。
居間で書物を呼んでいた母親は、その息子の後ろ姿を眺めていたが、 ため息をつくと、息子の後をおって二階へあがった。
母親が書斎の入り口にたって中を見ると、 息子は何かを探しているようだった。
本棚の中の本を出して、ページを繰っては、戻し、 また違う書物をひっぱりだしてみる。
扉を叩いて、息子の注意を引くが、一向にかまう様子もない。
だいたいが、元から他人には無関心な息子ではあった。
実験や書物など、自分が没頭しだすと、周りの事など目に入らないところもあった。
それも、まあ、7年ほど昔のことではあるが、未だにそれは変わっていないらしい。
「カ〜イ〜ン〜! お前は7年ぶりに帰ってきたと思ったら、挨拶もないのかい!」
怒りを含んだ母の声に、やっとカインは書斎の入り口を振り向く。
「ああ・・・ただいま」
それだけ言うと、また書物を捜し出す。
母は、頭を抱えた。わが息子ながら、なんと愛想のないことか。
「ほかに、言うことないのかい。母親にむかって」
カインは書物から顔を上げると、息子の言葉を待つ母に向かって言った。
「声を取り戻す薬草が載っている書物はどれだったかな。
 確か、父さんのもっている本の中にあったと思ったんだが」
母は、再び深いため息をつくと、言った。
「一番右の書棚の一番上。左の方だよ」
カインはかなり高い場所のその本を、腕を延ばして取った。
そういえば、最後にこの家で見たときは、まだ背もそんなに高くなかった。
今もあいかわらず、ひょろっとしてはいるが、あのころよりは筋肉もついたようだ。
目的の本を見つけて、さっさと部屋を出て行こうとするカインを、 母親は通せんぼをしてとめる。
頭ひとつは自分より背が高くなってしまった息子の顔を見上げた。
「急いでるんだ。通してくれないか」
「ふざけんじゃないよ、帰ってくるなり訳ありの様子で家探しされて
 はい、またおいで、って具合に見送るわけないだろ。
 何があったんだか、しゃべってから帰りな」
当惑したような様子のカインは、いつの間にか見下ろすようになってしまった母に、 やっとこう言った。
「しばらく、旅に出る。聖騎士団長職も辞してきた。
 声を取り戻さねばならないんだ」
「・・・・って、お前、しゃべれるじゃないの」
「俺じゃない・・・・」
思いのほか、つらそうな様子の息子に、何かあったと察知した母は言う。
「お前、まさか」
「遠見の水鏡を作ろうとして、失敗したんだ」
「遠見の水鏡? あれはそんな簡単にできるものじゃないって言ったはずだろう」
「・・・俺のせいだ」
吐き出すように言うカインの背中を母は、叩いた。
「あいっかわらず、クラいねえ! 少しは成長したかと思えば。
 それで、何か、父さんと母さんがしてやれることはあるのかい」
その母の言葉を聞いて、カインは意外そうな顔をした。
「なんだい、その顔は。母親が困ってる息子の心配して何か意外なのかい」
「・・・・・俺はずっと、母さんにとって自分は邪魔な存在だと思っていた」
その言葉に、今度は母が片眉をつりあげて言う。
「お前、まさかそんな風に考えて家を出たわけじゃないだろうね」
黙り込んでしまったカインに、母は言う。
「・・・・道理で、騎士団長の就任式にも親を呼ばないはずだよ。
 まったく、薄情な息子を持ったもんだわ」
「・・・・どうせ、招待状を送っても、来なかっただろう」
「そりゃまあ、仕事があるから行けるかどうかはわからなかったかもね。
 お前だってもう一人前なんだから親がいなくたって晴れの舞台は大丈夫だろ。
 でも、困ってるときくらいは何とかしてやらないと、と思うだろ。
 だいたい、いつ母さんがお前を邪魔扱いしたっていうの」
「いつも言ってただろう。
 子供がいなければ、もっと大掛かりな実験にも没頭できると。
 もう、子供はいらないと言ってたじゃないか」
その言葉を、母は、きょとんとした顔で聞いていた。
「そんな事、気にしてたのかい?」
それは、カインがまだ幼い感じやすい子供だったころだ。
母は、いつも魔術の実験に取り組んでいた。
カインを目の届く所においておくために、実験室に一緒に連れて行くこともあった。
しかし、幼いカインがいくらおとなしくしているとはいっても危険は伴う。
母が実際に自分自身の力をかけて取り組みたいと願う大掛かりな実験は、 カインと一緒では難しいものとなった。
子供のために、自分の夢をあきらめていた母はこう言った。
『子供なんて、一人いればもう十分』
「気にするなと言う方がおかしいんじゃないのか?
 自分が、負担になっていると感じた子供がおかしいとでも?」
カインは、母に向かって言った。母の言葉に悪意はない。
しかし、母とカインはいつも何かどこかがズレていた。
カインはいつも、母は自分を負担と感じていると思っていたし、 早く家を出て自分の生活をつくりたかった。
母は、内向的で他人の干渉を嫌う息子が何を考えているのかわからなかった。
母は、肩をすくめると言った。
「・・・そりゃ、悪かったわね。
 でも、お前は邪魔な子だなんて、言ったことはないはずだよ」
確かに、そうだった。
子供は一人で十分。そう言ってはいたが、 お前など生まなければ良かった、と言われたことはない。
「確かにね、お前が生まれたせいで、私は自分の実験を諦めた。
 だけど、ま、子供と一緒の実験っていうのも、なかなか体験できないものだったよ」
「・・・・俺は、ずっと、人は一人で生きていくべきだと思っていた。
 誰かの負担になるくらいなら、誰ともかかわらず、一人で生きていくべきだと」
「それが、私のせいだっていうなら、あやまるわよ。
 でもね、親になるのは初めての経験だったし・・・・私はお前以外の人間の
 親になったこともないんだからね。多少の失敗は多目に見てくれないと」
「お前だって、親になりゃわかるわよ」
「な、なにを・・・」
カインは、母のその言葉に過剰に反応して赤くなる。
その様子を見て母は、今日、息子を7年ぶりに見て以来初めて笑顔になった。
「・・・・でも、まんざら失敗ってわけでもなさそうだね。
 どうやら、お前は誰かと一緒に生きて行こうと思える人間になったみたいだもの」
カインは、頬を染めたまま、言いたいことも言えずにいた。
「・・・ま、いいわ。で、いつ、出発するの?」
「明日だ。いつ戻れるかはわからない」
「・・・そう」
母はカインを促して部屋を出ると、そのまま、彼を玄関へと送った。
「・・・カイン、お前はいつもおとなしくて、何を考えているのか
 さっぱりわからない子供だったわね。
 出ていったきり、戻ってこないし、帰ってきたと思ったら、明日から旅にでるなんて。
 でもね、お前が聖騎士になったときよりも
 聖騎士団長になったときよりも
 その職を辞して旅立つという、今のお前を私は気に入ってるよ」
母はそう言うと、自分の首にかけていた魔除けの石をカインの首にかけた。
「お前の、大切な人にかけてあげなさい。少しは旅の助けになるかもしれない」
「・・・ああ、ありがとう・・・」
こんな風に、母から言葉をかけられることも、 母と会話することも、考えられないことだった。
ただ、今は、母も最初から母だったわけではなく 一人の人間だったということがわかるだけだ。
カインは、軽く礼をすると玄関を後にした。
その背に向かって母の声が届いた。
「カイン、ちゃんと、私の娘になる子を紹介しに来なさいよ。
 私は、女の子がほしかったんだからね」
・・・・まったく、あの母親は、とカインは思いながらも、 昔のように、家を息苦しく思うことのない自分に気づいていた。
旅から帰ったら、アシャンをつれて、両親を訪ねよう。
そのころには、息子として、人間として、 もっと素直に両親と向き合うことができるようになっているかもしれない。
そうでありたい、とカインは心から思っていた。






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