雨に唄えば

梅雨のシーズンに入り、せっかくの日曜というのに、今日も天気は雨だった。
けれども、アシャンは朝からとても楽しそうだった。
王都に来るまでは、アシャンは雨が嫌いだった。
来る日も来る日も、雨が続くと外に出るのがおっくうになり、 晴れ間がとても恋しくなったものだ。
しかし、今は違う。アシャンは雨が好きになっていた。
理由は・・・と尋ねられたら、それは、あの人が好きだから、というだろう。
あの人とは、誰か。
水の聖騎士・蒼流聖騎士団長、カイン・ゴートランドのことだ。
アシャンたち聖乙女候補生を指導するアルバレアの誇る五大聖騎士団団長。
カインは、その一人で魔術を指導する教官でもあった。
アシャン以外の二人の候補生は、彼を苦手らしい。
それも、もっともな事ではあった。
彼は無口で近寄りがたい印象を持っていたし、授業も厳しかった。
アシャンも最初はそう思っていたのだが、ある日。
たまたま道具屋へ用事があったアシャンが町へ出た帰り道、 宮廷広場のあたりで雨が降り出したのだった。
『あ〜、もう少しで聖女宮だっていうのに、サイテー!』
アシャンが駆け足で帰り道を急いでいたそのとき、彼の姿をみつけた。
雨が降るなか、傘もささずじっと空を見つめて立っている姿は、 透き通るような美形と言われるだけあって絵になっていた。
しかし、アシャンがそれよりなにより驚いたのは、彼が何かを口ずさんでいたことだ。
彼が、唄を口ずさんでいる!
思わず立ち止まってしまうほどに驚いたアシャンだったが、 彼の小さな歌声は、上手とはいえないまでも、よく聞くといい声だった。
低く、よく通る声。アシャンは雨が降っているのも忘れて聞き惚れていた。
だが、誰もいないと思っていただろうカインが、アシャンに気づいた。
『なっ! おまえ、いたのか!』
顔を赤くして慌てるカインは、ふだんの授業のときの彼とは違っていた。
こんな表情をする人だったんだ、とそう思ったとき、アシャンの心に暖かいものが灯った。
『す、すみません、ちょうど通りかかって・・・あの、あの・・
 カインさま、すてきな歌声ですね』
アシャンのその言葉はカインを和ませるどころか、却って間を悪くさせただけだったが、 アシャンはすっかり、カインを恐れる気持ちなどなくなっていたのだった。
その日以来、アシャンにとってカインは近寄り難い存在などではなく、 もっと知りたいと思わせる存在になった。
そして、今日。
アシャンは自分でもしらず、あのときカインが歌っていた唄をくちずさんでいる。
あれから、カインの執務室によく通うようになって、教えてもらったのだった。
いや、むしろアシャンが無理やり教えさせたという方が正しいだろうが。
そんなアシャンの部屋のドアがノックされる。
「アシャンティさま、カインさまがお迎えにこられています」
アシャンはその言葉に、顔を輝かせて応える。
「今いくって伝えてください!」
階段を走るように駆け降りて行く。
「カインさま!」
カインは、居心地が悪そうに聖女宮の玄関でそわそわとした様子だったが、 アシャンのその声に振り向く。
カインを見て走り降りてくるアシャンにカインは少し顔を顰める。
聖乙女候補が落ち着きのない、と言いたいのだろう。
アシャンは、カインのその表情に気づいてペロッと舌をだし、ゆっくりと階段を降りた。
そんなアシャンに、カインは仕方ない、というように苦笑すると、 「今日は約束していたな。さて、どこへ行く?」
と尋ねた。
「そうですね、記念碑に行きませんか」
「・・・いいだろう。いくぞ」
アシャンはにっこり笑ってカインの後をついていく。
自然とまた、あの歌が口から漏れていた。カインは、それに気づくと
「・・・・変な奴だな」
とつぶやいた。
「え? どうかしましたか?」
その言葉を聞き付けて、アシャンがカインの隣に並ぶ。
「・・・お前、雨は嫌いだと言っていなかったか?」
妙に機嫌がよくて楽しそうなアシャンをカインは不思議に思っていたらしい。
「そうでしたっけ?」
アシャンは、悪びれもせずにそう答える。
「そうだ、確かにお前は、雨は外出も面倒になるし好きではない、と言っていたぞ」
「カイン様は、雨がお好きでしたよね」
アシャンは、逆にカインにそう尋ねる。
「ああ、まあな。水は、生命の源だ。それに、雨の日はすべてが静かだ」
「私も、雨の日が好きになったんです」
アシャンは、そう言ってカインに笑いかけた。
「・・・そうか」
カインはそんなアシャンの言葉にますます奇妙な顔をした。
アシャンは
「だって、カイン様が雨の日を好きだっておっしゃるから」
そう言って、カインの傘の下から雨の中へ飛び出した。
アシャンの言葉に頬を染めたカインだったが、空を見上げて雨の中に遊ぶアシャンに 声をかける。
「風邪をひくぞ!」
「平気です、これくらい! ね、雨の中で遊ぶって、気持ちいいですね。」
カインは仕方ないというようにため息をついて、アシャンに近づくと、強引に彼女を引き寄せ、 自分のマントの中に引き入れ、傘の下に戻す。
「カインさま・・・」
「まったく・・・お前ときたら、目が離せんな。
 それで、記念碑に行くんだな」
赤い顔をしたままで、カインがそうアシャンに告げる。
アシャンはマントの下でカインの腕にしがみつきながらこう答えた。
「・・・いいえ! ここでいいです。このままで・・・ずっと!」






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