初夏の日差しも爽やかなある1日、 いつものように部屋を訪れたアシャンをカインは創命の湖へ連れていった。 これまで、誰かをここにつれてきたことはないし、 どうして自分がアシャンにこの場所見せてやりたいと思ったのかも わからない。 ただ、いつも一生懸命にカインに語りかけ、カインの話を聞く彼女に、 何か特別な事をしてやりたいと思ったのかもしれない。 深い森に囲まれた湖に人の姿はなく、 湖面はいつものように静かに凪いでいた。 「ステキな所ですね! カイン様がこんな場所をご存じだなんて、 ちょっと意外です。」 「そうか?」 カインにとっては人がいない静かで落ち着くこの湖も、 アシャンにしてみればどうやら ロマンチックな雰囲気に包まれた場所ということになるらしい。 「カイン様、あっちの方へ行ってみていいですか?」 湖畔を巡ってみたいらしく、アシャンが湖の奧を指さす。 散策用に道がついているわけではないので、けっこう足下が危ないのだが、 もうアシャンは歩き出している。 危ないぞ、とカインが声をかけようとした時には早速足をすべらせていた。 「きゃっ!」 こけそうになるアシャンを抱きとめ、思いの外の柔らかさに少し驚く。 「まったく、お前ときたら・・・。無鉄砲にもほどがあるな。」 「だって・・・」 アシャンが口を尖らせて何か反論したそうにカインを見上げる。 それがおかしくて、カインは笑うと 「俺が先に立ってやるから、後をついてこい」 と言った。カインはしばしば湖畔を奧まで歩いたこともあるし、 もとより職業柄、足場のあぶないような場所であっても、 移動することは慣れている。 しかし、アシャンときてはそういう訳にもいかず、 カインが先に立って歩いてやっても、 ときどきカインに助けを求める声を出した。 「カイン様っ、そんな所、お、落ちちゃいます。手、手をっ!」 「カ、カイン様、もしかして、面白がってません? わざとそんな所通っていらっしゃいません?」 他の誰かがこんなにいちいち騒ぐのであれば、うるさく感じるだろうに、 不思議とアシャンだとそう感じない。 むしろ、ふくれたり、こわごわした顔になったり、 ちょっと舌を出して笑ってみたり、 くるくるとよく動く表情を見ているのが楽しかった。 やっと少しひらけた場所へたどり着くとアシャンは水際に立ち、 大きく息を吸い込んだ。 「あちらで見ていたのと、また全然表情が違うんですね。 神秘的に見えたのに、こちらから見るとなんだか優しく見えます。 どちらもすごくステキな眺めだけど・・・。 きっと、まだいろんな姿を持っているんでしょうね。」 きらきらと目を輝かせながら、湖を眺めているアシャンを カインはまぶしそうに見つめていた。 そのカインを振り返ってアシャンが笑いながら言う。 「ふふっ、まるでカイン様みたいですね、この湖は」 あまりに意外なセリフに、カインは言葉をなくす。 「静かで冷たそうに見えるけど、 本当は優しい顔を隠していらっしゃるんですもの。」 「そんなことを言うのはお前くらいのものだ。」 自分でも頬が熱くなっているのがわかって、 カインはなおさらぶっきらぼうにそう言った。 「そうですか? では、みんな入り口の風景しか見ないで 帰ってしまってるんですね。もったいないなあ」 「・・・・もう、帰るぞ。いいな」 照れた顔をアシャンに見られないようにカインはきびすを返すと、 来た道を戻り始める。 「あっ、カイン様ってば、待ってくださいよ。ひど〜い」 アシャンの声が背中を追ってくる。 たぶん、ふくれっつらで怒っているだろうその顔を思い浮かべ、 薄く微笑を浮かべるとカインは独り言のようにつぶやいた。 「俺がこの湖に似ているというなら、お前は風だな。 静かに凪いだ湖面に、思いもかけずさざ波を起こす・・・」 アシャンは特別なのだ、おそらく。 それは、カインにとってアシャンがかけがえのない特別な存在になるという、 ちょっとした予感だったかもしれない。 しかし、まだ、カインは自分の胸にわき上がるアシャンに対する暖かな思いを 何と名付けていいかもわからなかった。 |