I'm here




「バリアス、大丈夫、しばらく眠るようなものだ。
 目が覚めたら新しいお前になっているよ。何か希望はあるかね?」
10年ぶりほどに再会した父は、かつての面影を十分に残していて、かつてと同じように私に優しく語りかけた。離れていた間のことを詳しく尋ねようとはせず、ただ
「辛い思いを随分としただろう、すまなかった」
とだけ言った。私はしかしその言葉には首を横に振った。そう、父の元から無理矢理に奪われ、解体と改造を繰り返された日々と、その後の夜の街でホストとして仕えた日々は何の感慨も湧かない、ロボットにふさわしい人生だったと言えるだろう。しかし、その後のわずか一ヶ月の日々……裕香と共に過ごしたペット探偵事務所での日々が私の人生を豊かで実りあるものにしてくれた。

「悪くない人生でしたよ、父さん」

私はそう言う。森の中の崩れかけたラボと良く似た、そしてそれよりもずっと多くの機器が並ぶ父の新しい研究施設。その中の、手術台にも似た作業台の上に横たわった状態で私は父を見上げる。このままでは長くは保たないと言われた身体。それは私の全機能が停止するということだ。しかし私はロボットだから、そのことにあまり恐怖はない。ただ、できれば裕香と共にこの先もずっと過ごしたいとは思うけれど。そうできなかったとしても、相対的には悪くはない人生だったと言える。私を『人』として受け入れてくれ、私の想いを受け止めてくれた裕香。ただ一人の愛しい少女に出会えただけで、それまでの長い暗い日々のことなど、どうでもよくなる。
「バリアス、大丈夫、お前は治る。しばらくの間、眠るようなものだ。
 目が覚めたときには全て終わっている」
父が繰り返してそういう。それでは、私は眠っている間、裕香の夢を見ているとしよう。目を閉じる前に父に向かって言った。
「父さん、手相を……生命線を長くしてもらえないだろうか」
それは他愛もない会話だったけれど。今度は裕香と同じくらい長く生きられるように。


休眠モードに入った私はそれが長い間だったのかどうかはわからない。その間ずっと夢を見ていたのか、あるいは夢を見ていたのは短い期間でそれ以外は短い死……機能停止状態となっていたのかもわからない。見ていた夢は、父が私の記憶を呼び出し整理していたせいなのかどうかもわからない。ただ、ずっと裕香の夢を見ていた。彼女のことを考えていた。
悪くない人生だったけれど、本当を言えば彼女と共にもっと生きたい。裕香、君の元へもう一度帰りたい。君の全てを覚えている。願わくばこの記憶が失われることのないように。もしもこの修理が失敗に終わり、私の機能が停止してしまうことになったとしても、最後まで君の記憶を残していられるようにと願おう。どれほどに時間が経とうとも、君のことを思いだし、君のことを考えているだけで何も気にならないのが不思議だ。

どれほどの時間が経ったのかわからないが、次に目が覚めたときには、父が私を見て微笑んでいた。
「バリアス、成功したよ。お前は新しいボディになった。後は細かいところを調整していけば大丈夫だ」
その言葉に身体が動くことを確認し、手を曲げて見つめる。
しっかりと刻まれた生命線に思わず笑いが漏れた。
「お前の望み通りだったか?」
父がそう語りかけてきて、私は頷いた。そして何度言っても足りない言葉だと想いながらもう一度言う。
「ありがとう、父さん」
私を作ってくれて。この世に産み出してくれて。裕香と会わせてくれて。生かしてくれて。愛してくれて、ありがとう。


「ルイ、行くぞ」
「待ってよ、お兄ちゃん……!」
桜ヶ丘駅は何も変わらぬ様子で、行きかう人々の姿も何もかも、あの頃の続きそのままのように見えた。見慣れた、というよりも記憶に残るままの町。そうだ、ここで何度もチラシを配ったり、ポスターを眺めたりしたものだ。……今年もボリチョイサーカスがやってきているのだな。ホワイトタイガーも大きくなったことだろう。ただ、ボリチョイサーカスの出演メンバーの中にリロイの名がないのが、時間の流れを表している。
高架の上にある駅から階段を降り、通りを歩いていくと噴水広場が見える。子どもたちが冷たい水にはしゃぎまわる声が響く。クスクスの屋台には若者たちが集まり、犬をつれた飼い主たちがお互いに交流を深めあう。ここにも様々な動物を探しにやってきたものだ。ウサギ、犬、ミニパンダ……楽しかった。そうだ、裕香、君と一緒に過ごしたこの町には楽しかったことしか思い出にない。君を立派なペット探偵へと導くことが私の役目ではあったけれど、私も十分にペット探偵という職業を楽しんでいた。君と一緒だったから楽しかったのだと、今ではきちんと理解しているけれど。噴水広場を越えて商店街へと入る。
「お兄ちゃんってば…! もう、早すぎるよう〜!」
ルイの声が聞こえるが、足を緩めることができない。思い出を辿りながらも早く、早くと気持ちが逸る。裕香と一緒に歩いた道、彼女がいた場所、彼女がきっと居るところ。少しでも早く彼女に会いたくて家路を急ぐ。……そう、家路、私の居るべき場所へ続く道。
ペットショップのケモノミチ、相変わらず繁盛しているようで安心だ。この店の店長がしっかりしていてくれるから、きっと探偵事務所の動物たちも元気でいることだろう。ここの餌は大変良いのだ。八百屋には相変わらず年を召した女性たちが集い、主人と値段交渉を楽しんでいる。そう、私もこの店を贔屓にしていたものだ。新鮮で安い良い野菜が手に入る。誰かに料理を作ることが楽しく喜ばしいことであるということも、この町で裕香と暮らす中で知ったことだ。彼女がソフトクリームを買って食べた店、2人で廻る寿司を食べた店、どの店も変わらぬ佇まいだ。商店街を抜ければもう少し。
ルイの声が聞こえなくなってしまったが、大丈夫。ルイも私と同じ優秀なロボットだ、一度行ったことのある探偵事務所までの道はきちんと記憶されているだろう。万が一の場合でも地図検索が可能なはずだ。
どんどんとその場所が近づくにつれて私の歩調は早くなる。もう走っていると言っても過言ではないだろう。いや、はっきりきっぱり走っている。そして見えてくる、ビルにかかった看板。

『二葉ペット探偵事務所』

その前でやっと足を止めて。私はロボットだから息が乱れるということもないしそんなことをする必要もないのだが、何故か一呼吸、そこで間をおいた。人で言うなら息を整えたというようなところだろう。その事務所の扉を開けるのに期待と躊躇いを感じる。彼女はここにいるだろうか? 私を覚えていてくれるだろうか? 何も変わっていなかったこの町で、彼女も私が覚えている彼女のままだろうか?

そっと事務所の扉をあけると、あの頃のまま変わらない、ソファにテーブル、事務机と書類棚が目に入る。こちらへ向かってくるチェシャと目が合い、そっと静かに、と言うように唇に人差し指を当てて、居るであろう裕香の姿を探す。ぐるりと部屋を見回すと、机の影に黄色いリボンが動いているのが見えた。ああ、彼女だ。リボンの位置から考えるに彼女は今、しゃがんでいる。その動きと部屋に微かに漂う甘い香を考え合わせるに、ジュースを零して床を清掃している途中だ。そっと近づく。寝そべったジョリーがチラリと上目遣いに私を見上げた。やはり、黙って、と仕草で伝え、私はいつもの場所から雑巾を取って黙って彼女の向かいに腰を落として床に広がったオレンジジュースをふき取った。
俯いていた彼女の視線が私の手に移り、動きが止まる。ぎこちない動きでゆっくりと顔が上げられて、ぼんやりとした瞳で彼女が私の顔を見つめる。

「ただいま、裕香」

そう私が言うと、彼女は目を何度か瞬かせてそれから深呼吸を繰り返し、自分の頬を軽く2、3度手のひらで叩いてから立ち上がった。それから目を閉じて再度深呼吸を繰り返して扉へ向かおうとする。私には彼女が考えていることがすっかりわかって、思わず苦笑せずにはいられなかった。
「裕香」
呼びかけてその腕を取る。私を見つめる裕香の瞳は、それでいて私を見てはいない。私の『幻』を見ている。
「裕香、君のことだから、どうせこれは夢だとか、幻だとか思っているのだろう?
 そうじゃない、これは現実だ。愛しい君のところへ帰ってきたんだ」
それでもあまり反応のない彼女に私はそうではない可能性も考える。一年という時はもしかして彼女の心を変えてしまったのだろうか? それでも構わない、そうなったとしても私には何にも揺らぐことのない自信がある。
「それとも君はもう私のことを忘れてしまったのか? 君の心はもう私にはないのか?
 それでもいい、それなら私が君を振り向かせてみせよう。
 なんといっても君を一番愛しているのはこの私なのだから。
 そして君は言うだろう、『バリー、私はあなたを……』」
言い終わるよりも早く、彼女が飛びついてきた。ああ、そう、もちろん、彼女は心変わりなどしていない。やっと今を現実だと認識できたというわけだ。彼女が現状認識するには時に大変時間がかかるようだ。
私という存在を確かめるように彼女が私の背中に腕を廻してきつく抱きついてくる。胸に埋めていた顔を上げて潤んだ瞳で私を見上げる。
「……バリー、本当に?」
「もちろんだとも。私はここにいる、君の傍に帰ってきた」
思い描き続けていた彼女の顔。そっと手を触れて、柔らかな髪に口づけて彼女の香りを吸い込んで。彼女に伝えるように、自分に言い聞かせるように繰り返す。
「私はここにいる、君の傍に」
そう、本当に彼女の傍に、今ここにいると確信し、彼女が自分の腕の中にいると確かめずにはいられないのは、私の方だった。ずっと彼女のことを考えていた、ずっと彼女に会いたかった、ひとときも忘れることがなかった。細かな仕草の一つでさえ鮮明に覚えていて繰り返し思い出した。今やっと、その愛しい彼女を腕にして、どうしてそれで満足できるだろう?
「ち、ちょっと、バリー? 何するの、何処にいくつもり?!」
抱き上げると彼女は驚いた声を挙げ、手足をばたつかせて暴れだす。そんな様子さえも私には微笑ましく可愛いものにしか思えないと、彼女は気付いているのだろうか? 気付いていないとしてもこれから十分に教える時間はあるだろう。
私は彼女の抗議の声も構わずに彼女を抱き上げ歩き出した。

END



「ペット探偵Y's」より、バリー×裕香です。
バリーのGOOD EDのバリー視点ですね。ゲームとちょっと変わってますが。
帰ってきたバリーが容赦なくベッドへ向かおうとするのが笑えましたが
電話がこなかったらそのまま部屋に行っちゃってたとして、ルイはどーするつもりだったんだと。
いやでも、幸せで本当に良いEDでしたよ、バリーED。



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