微睡みの中で




「ご、ごめんなさい…ちょっとだけ、仮眠します」
それまでペンを握り締めて一心に原稿を描いていた愛理が、力なくペンを置いてそう呟いた。響は顔を上げて愛理を見つめる。
「大丈夫? オレが仕上げ進めておくから眠ればいいぜ。昨日も徹夜だったしな」
うん、と小さく頷いた後、愛理が続ける。
「30分たったら起こしてくださいね」
そのままよろよろと立ち上がって、毛布を掴み部屋の隅へ向かう愛理に、響は声をかけた。
「ベッドで眠ればいいのに」
「でも、ベッドだと心地よすぎて、寝過ごしちゃうから…」
そう言ってそのまま部屋の隅にころりと転がる。響が何か声をかけようかとする間に、愛理が寝入ってしまったのがわかった。丸まって眠る愛理の寝顔を見つめて、響は少しばかり苦笑を漏らす。締め切り前の徹夜が続いて、愛理ときたら昨日から風呂も入る暇がない。鼻の頭にはインクの汚れがついているし、詰めにはホワイトがついているし、髪の先にはスクリーントーンの欠片が張り付いている。普通の人間が見たら百年の恋も醒めるというやつかもしれない。けれど響は、そんな愛理が可愛いと思う。一生懸命に打ち込むその姿を見ていると、自分は本当に彼女には敵わないな、と思う。
漫画を描くのが楽しい。そういう気持ちを自分はずっと忘れていた。好きだったはずなのに、いつも苦痛だった。その理由を良くわかっていたのに向き合おうとしていなかった。ただ、真っ直ぐに飛び込んでくる彼女と出会うまでは。
「おっと、愛理が目が覚めるまでに、仕上げ進めておかなくちゃな」
今は何もかもが楽しくて新鮮だ。何か心から打ち込めるものを、と思って始めたカメラもどんどん面白くて夢中になる。一方で、やっぱり自分は漫画を描くことも好きなのだともわかった。自分の描きたい漫画があるというよりも、自分の描いた漫画で人が夢中になることが嬉しいとわかったから、「売れる漫画」を描くことにさほど抵抗もなくなった。偶に雑誌で描かせてもらえるようになったのは愛理の伝のおかげだ。彼女は「響さんにそれだけの実力があるからですよ。アンケートもいつも安定してるって神崎さんもおっしゃってました」と言うけれど。でもやっぱり、そんな風に自分が良い方向へ向かうことができたのは、愛理のおかげだと思ってしまう。
「なんつーかさ、君の一生懸命ってうつるみたいっていうかなあ」
真剣に何かに取り組むなんてかっこ悪いと思っていたけれど、本当にカッコ悪かったのは逃げていた自分で、一生懸命な愛理はいつだってカッコよかった、きらきらしていた。今も、それは変わらない。
「……だからかなあ、インクついてても、ホワイトついてても、やっぱ愛理は可愛いんだよなあ」
本人を目の前にそんなことを言うと、逃げ出さんばかりに真っ赤になるのでこんなときか、逃げられないように抱きしめてる間しかいえないけれども。
「さてと、愛理が眠っている間にちゃっちゃと仕上げておかないとな!」
描く早さは自信がある。自慢ではないがイベントの前はいつも新刊を仕上げるのに突貫仕事だったからだ。
「いやまったく自慢じゃねえなあ」
肩をすくめて響は原稿に向かったのだった。

■□■

「っと、そろそろ30分たつな」
集中していた響は顔をあげて時計を見やった。愛理が仮眠してからそろそろ30分が経とうとしている。すやすやと眠っている愛理の姿を見ると、もっと眠らせておいてやりたいが、これは愛理の作品だ、最後までちゃんとやり遂げなくてはならない。
響は立ち上がって、丸まって眠る愛理の傍まで近づきかがみこんだ。
「……愛理」
そっと呼びかけるが、起きる気配はまるでない。
(そうだよなあ、疲れてるよなあ…)
そっと顔を近づけ、ほお杖をついて愛理の顔を覗き込む。さて、どうやって起こそうか、と考え込んだ。
(眠り姫はキスして起こすってのが、まあベタなネタなんだろうけどよ)
ちょっとばかり、この体勢ではキスはしにくい。可愛い鼻をつまんでみようか、それとも異様に弱いわき腹でもくすぐってみるか。そんなことを考えていると、不意に眠っている愛理の顔がふわりと緩み、微笑みが浮かぶ。思わず、起きていたのかと響は身構えるが、そうではなく眠っているらしい。こんな笑顔になるなんて、どんな夢を見ているんだろうと、ちょっと夢の中の、愛理にこんな顔をさせている相手を羨ましく思ったそのとき。
「……響さん……」
愛理の唇が動いて、そう声が漏れた。
途端に響はがばっと顔を起こした。
(ちょーっとまった! それは反則だろ、愛理!)
かあっ、と顔に熱が上るのがわかる。妙に動悸も激しくなってきたようだ。あんな顔をしてオレの名前を呼ぶなんて!
これは駄目だ、このままでは自分が抑えられそうにない。響はなんとか立ち上がると、愛理の傍から離れた。

■□■

耳元で目覚まし時計のアラームが鳴って、慌てて愛理は身体を起こした。ほんの30分とはいえ、眠ったので随分とすっきりした気分だ。何かよい夢を見ていたような気もするが、そのほんのりとした幸せな気分だけが残っていた。時計を見やると、予定より10分ほど時間が過ぎていて、どうやら響が10分余計に眠らせてくれたらしいと考えた。 が、部屋の中を見やると肝心の響の姿がない。
「? 何かあったのかな?」
電話でもかかってきただろうか、と思うが、響のことだ、特に心配もいらないだろうと、ごそごそと再び愛理は机に向かう。
「うわ、響さん……こんなに仕上げてある……やっぱり早いなあ、それにきれい」
響の原稿を見るたびに、そのテクニックに感嘆するとともに、自分ももっと頑張らなくてはと思う愛理だった。響の作品を初めて見たときの衝撃は忘れられない。こんな凄いものを描く人がいるなんて、と思った。そして、こんな凄いものを描いている人が、何故こんな苦しげな表情で描いているのかとも思った。今は響が何をしても楽しそうにしていてくれるのが嬉しい。不思議に、響の作品も少し変わってきたような気までする。
愛理は気合を入れるように軽く頬を叩くと、「よしっ、あとちょっと頑張ろう!」とペンを握る。と、そこへ部屋のドアが開く音がした。
「あ、響さん……っ?」
振り向いて部屋の入り口を見やった愛理は、響の姿を見て驚いた。
「響さん?」
入ってきた響は髪がびしょぬれだったのだ。タオルでがしがしと拭きながら入ってくる。しかし、シャワーを浴びてきた様子でもない。
「あー、起きた? いや、オレもちょっと頭を冷やしてきたとこ」
何でもないように響は言って愛理の向かい側にまた腰を下ろした。
「響さんも眠いんですね? もうあと少しですし、あとは私できますから、眠ってください!」
先に自分が眠ってしまったせいだと思った愛理が慌ててそういうと、響は人差し指を立てて、横に振った。
「違う違う。むしろ眠気は一気に吹っ飛んだかな」
きょとんとした顔を見せる愛理に響が苦笑しながら言った。
「まあ、ほら、もうちょっとで原稿も終わるだろ、そしたら思い切り眠るから大丈夫ってこと」
「そうですね! あと少し、頑張ります。いつもありがとうございます、響さん」
そう言ってにっこりと愛理が笑うと、響がちょっとばかり驚いたような顔になって顔を伏せた。それにまた愛理は怪訝な顔になる。
「響さん?」
こほん、と咳払いをして響が顔をあげる。気のせいかその顔が少し赤いような気がする。
「とにかく、あと少しだし、一気に終わらせるぜ! それで愛理と一緒に気が済むまで眠る!」
「ち、ちょっと響さん、今なんだかとんでもないこと言いませんでしたか。一緒にって……一緒にってことですか」
「そうに決まってるじゃん、一緒にって言ったら一緒にってことだろ」
「そ、それはちょっと、待ってください、一緒にってそんなの…」
「だめ、オレちょっともう愛理と離れたくない感じだから」
「いや、駄目ですよ、そんなの。私、昨日もお風呂入ってないし」
「俺もだから気にしない」
「私が気にします」
「じゃー一緒に風呂入ってから寝よう」
「…………響さんっ」
「………ちぇー」
そう言いながらも手は動く。ちらりと響を上目遣いで見やりながら愛理は考える。あんな風に言ったものの、原稿が仕上がった後で、響の傍らで眠ることは随分と心地よいだろう、と。多分間違いなく…原稿を仕上げた後、そのままほっとして眠り込んで。そして目覚めるのは響の腕の中だろう。それはさぞかし至福の時間だろうと想像に難くなく、その誘惑には抗えそうもない。
「ん? どうかした?」
響が顔を上げるのに、愛理はすぐに原稿へ視線を移した。
「なんでもありません! あと少し、頑張ります!」
そう言いながら、なんだかまるで自分が響の腕の中での眠りを期待しているようで、一人顔を赤くする愛理だった。



そんなちょっぴりロマンチックに思える二人の間のあれこれではあったけれど。その後、無事に原稿を仕上げ、二人同じ布団に包まって眠る二人を見てお菓子の家の住人たちは「枕を並べて討ち死に」という言葉を思い浮かべたとか。




「星空のコミックガーデン」です。
マイナーですけど、結構、楽しみました。ミニゲームはヌルイけど
絵柄も好き嫌いあるかなーって思いますけど、
あと同人とかしてると痛いとこもあるけど(笑)
いやでもなかなか楽しいゲームでした。
もっと二次創作読みたいんだけど、マイナーなんですよねえ


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