君のとなりが僕の居場所−2−




覚悟していたとはいうものの、光のない世界というのは想像していた以上に心細くなるものだと思った。試合に勝ったことは覚えているけれど、その後のことは覚えていない。気がついたら、あたりは真っ暗で、目を開けても何も見えやしなかった。ああ、そうか、と思った。そのときが来たんだ、と。そして、結局、オレは何もかも失ってしまったのかな、と。
そのとき、声がした。
『祥行さん』
君がオレを呼ぶ声が。そして、オレの腕に暖かいものが触れた。君が、オレの腕を取ったんだ。そして、オレは思った。オレは、何も失わなかった、って。試合が始まる前、君に聞きたくて、怖くて聞けなかったことがある。
―オレがどうなってもオレの傍に居てくれる? オレは君に必要な存在でいられるかな?
どんな答えが帰ってくるか怖くて聞けなかった。でも、君がオレの名を呼んだその一言で、オレの考えなんて全部杞憂だったってわかった。
『私が祥行さんの目になるわ』
ためらいもなく君はそう言い切った。あの日、オレの目が見えなくなるって初めて知った日に、不安で怖いとオレの腕の中で涙をこぼしていたなんて思えないくらい強く、そう言った。オレは目が見えないから、もしかして君が涙を隠してそう言ってるんじゃないかと思って、そっと頬に触れてみたけれど、泣いていたなんてことはなかった。だから、オレにもやっとわかった。
君は、あの日からずっとオレとは違う覚悟を育ててきたんだね。だから何の迷いもなくオレの傍に居るって言ってくれたんだ。オレは過去の自分から変わりたくて、たった一度でいいから勝ちたかった。君を不安がらせても、泣かせても勝ちたいって思った。光を失う覚悟なら出来てるって思ってた。でもオレなんかよりずっと、君の方が強い覚悟をしていたんじゃないかって今は思うよ。
「ええと、5、6、7、8……と」
ずっと住んでる部屋と言っても、なかなか位置や場所なんて覚えてないものだなと、そっと確かめながら歩き回って考える。玄関、キッチン、寝室、洗面所、風呂場にトイレ。歩数を数えて、自由に歩きまわれるように身体に覚えさせる。うん、せめて君が帰ってきたときに、玄関に迎えに行けるくらいにはなりたいし、ベッドへ君を運ぶときにはやっぱり抱きあげて行きたいと思うんだよねえ、オレとしては。まあ、それはかなり難易度が高いと思うけれど。
「5、6、7…っと、いてーっ」
がつん、と膝を打って思わずつんのめる。情けないねえ…。思わずため息が漏れてしまうけれども、こんなことで落ち込んでなんかいられない。後ろ向きになることだってできやしない。君がオレのために一生懸命なのに、オレが自分で出来ることをしなくてどうするって話だし。変わりたかったオレが、本当に変わるためにこんなことで、こんなところでへこたれている場合じゃない。
「よし、もう一度。1、2、3、4……」
それにしても、見えないっていうのは思った以上に不便なもんだな。ちょっと一息つくのにソファに座って改めて考える。今のオレには、冷蔵庫を開けて飲み物を出すのもなかなかスムーズにはできない。明里ちゃんが考えて、オレにもわかりやすいように中を整理したり手で触れてわかる印を貼ってくれたりしてくれたけれど。
「はー……。いろいろ考えないといけないよなあ……」
とりあえず、店は続けられないし、仕事なんて当分できやしない。おやっさんはジムで面倒見るって言ってくれてるけど、オレが出来ることは今の段階じゃ知れてるしな。まあ、当面貯金はあるから食ってはいけるが(貯めといて良かったよ)
「……車は売るかな……」
「ダメよ、祥行さんったら」
何の気なしに呟いた言葉に、背後から返事されて、オレはものすごく驚いた。
「なっ、えっ、明里ちゃん? え、何時の間に!」
これでもオレは、見えなくなった分、音には随分と敏感になったと思っていたのに。
「え? 今ですよ?」
「明里ちゃんってば……もしかして忍者?」
「……祥行さんてば、何言ってるんですか、もう。それよりも! 車、売ったりしないでくださいね。私、乗りますから」
「ええっ?」
なんだかオレを驚かせることばかり連発している明里ちゃんに、オレは手を伸ばす。もちろん、見えてないから手を差し出すだけだけれど、彼女はその手に触れて、オレの隣に座ってくれた。彼女がオレの傍で、オレに触れていてくれると見えないことへの焦りとか苛立ちとかがすっと消える気がする。
「だから、車。私、乗りますから」
「明里ちゃんが、乗るの?」
「はい。教習所も、申し込んできました!」
って、ええ? これから免許取るのに? っていうか、なんで。
「だって、これからこそ車が必要でしょ? 祥行さんとお出かけするのにやっぱり車があると便利ですもの」
それから一呼吸置いて、明里ちゃんは続けた。
「これまでは、祥行さんにいろいろなところに連れていってもらったんだもの。今度は私が祥行さんをいろんなところに連れていくの。家の中ばかりじゃ、つまらないでしょう? でも、あの。さっきも言ったけれど、まだこれから教習所に行くのでしばらくは待ってくださいね。でも、車を使わないお出かけはできますから、今度お天気の良い日に出掛けてみましょうよ」
オレの肩に、明里ちゃんの頭の重みがかかる。その声はどこか笑いを含んでいて、彼女がただオレと出掛けることを楽しみにしているんだってことを伝えてくれる。あの日から、明里ちゃんは泣いたことがない。少なくとも、オレの前では。こういうとき、見えないことがオレにはもどかしい。オレはつい、確かめるように明里ちゃんの顔に触れる。ちゃんと笑ってるよね?そんなことが心配で。明里ちゃんは、触れるオレの指先から、オレの心配を感じ取るかのように少し首を竦めて、それから一呼吸置いて、くすぐったそうな声を上げた。
「……明里ちゃん」
オレは、君に何もしてやれない。君を幸せにしてやれるのか自信がない。でも、オレから君に別れを告げるっていう選択肢はオレは持ち合わせてなくて。このままでいいんだろうかと思いながら、でもオレは君を手放すことなんてできなくて。オレは、言葉を失ってしまう。
オレは随分情けない顔をしていたのかもしれない。明里ちゃんがオレの顔に触れてきた。
「ねえ、祥行さん。私ね、ずっと自分のこと、あまり好きじゃなかったんです。勉強も得意じゃないし、引っ込み思案で、何がしたいか、何が出来るかもわからなくて、ずっと立ち止まってたの。コージャスに行くようになったのは本当に偶然だったけど、でも、あそこに行くようになってからちょっとだけ、変わった気がしたの。それって、多分、あそこでは私はお客だから、私を楽しませるために尽くしてくれる人がいたからだと思うんだけど。でも、すごく嬉しかった。ふふ、カズマくんや彬くんってホストらしくないホストだったし、私のこと『かわいい』って言ってくれたのは、祥行さんが初めてだったかも。そんな風に言われたことなかったから、恥ずかしくて、でも嬉しくて。営業用の言葉だって言い聞かせてたけど、でもホントに嬉しくて楽しかった」
うん、あの頃の明里ちゃんは俯きがちで、いつも恥ずかしそうにしていて、自信なさげに見えた。
「オレは嘘で言ったんじゃないよ。本当に可愛いなって思ったんだ」
「うふふ、そういうことにしておきます! そう、祥行さんの『かわいい』って言葉がちょっとだけ、私に自信をくれたの。あのね、私、今の自分はちょっと好き。自分を好きになれたのは、祥行さんのおかげなの。ありがとう」
だから、今度は私が祥行さんのために何かをしたいの、そう明里ちゃんは呟いた。オレはその言葉に甘えて言葉を飲み込む。『本当に、オレでいいのかい?』そう尋ねる言葉を飲み込む。代わりにに言うんだ。
「オレの方こそ、本当に、ありがとう。……愛してるよ、明里ちゃん」
オレの居場所を作ってくれたのは、明里ちゃん、君の方だよ。君の隣がオレの居場所。だからどんなになっても、オレは君を手放せない。
触れた明里ちゃんの頬が熱くなった気がして、オレは囁く。
――真っ赤になった君の顔を見られないのは残念だな。すごく可愛いってオレ、知ってるのに

諦めないことも、君が教えてくれたから。オレの大好きな君をもう一度、この目で見られるように。この目で光を感じることを諦めないよ。




5年後って結構先の話だなあって思うんですが。
万里の目が見えるようになるまで2年半、それから更に2年半。
見えるようになるまでも大変だったろうけど、それから2年半も長いよなー。
いやでもプロポーズは良かったw そしてその後は明里が主導権持ってるっぽいのもw
なんか普通の青年っぽい万里(祥行)が結構萌えでしたの<ED後



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