手のひら




ふと思い出す、桜の花を指差した伊勢の手を見て、男なのに華奢な指だと思ったこと。そういえば、義経として郎党の伊勢と向き合っているときは、そんなこと気にもしなかったし、その器用な手が何をしているかなど気にしたこともなかった。
部屋の隅の荷物を手早くまとめている伊勢の手先をぼんやりと眺めながら、桜子はそんなことを考えていた。
質素な部屋には家具らしいものも殆どなく、置いてある荷物も少ない。今、伊勢がまとめているのは明日、市に持っていくものだ。その商才は知っていたけれど、今も変わらず健在らしい。山二つ向こうくらいの町で安く買い叩いて仕入れた品をこの町の市で売るのだという。買うときは『この辺りじゃ珍しくもないものだから』と随分安く買ったのだと言うので呆れると、伊勢は涼しい顔で『商売ってのはそういうもんですよ』と言ってのけた。何をするにも器用なのが伊勢らしい。
「伊勢、私も何か……」
「や、もうおしまいですよ。それより、もう夜更けですからね、寝る支度してください」
顔を上げた伊勢がにこりと笑ってそう言うので、おずおずと頷いて部屋の隅に積まれている布団に眼を遣った。……どう見ても一組だ。二組ある方が確かにおかしいのではあるが。長く離れていてやっと再会したのは良いが、桜子はほとんど身一つで旅をしていたから家財道具など何一つ持ってもいないし、伊勢にしたって旅を続けていたというので、今の家もしばらくの逗留にと空家を口八丁で安く借りたのだという。その相変わらずぶりに聞いた時には思わず笑ってしまったものの、今になってちょっと笑えない。
「…その、支度と言っても……」
何も大層な支度などない。
そうこうしている間に、伊勢はさっさと荷物をまとめ終えた腰を上げて、桜子の傍らを通り抜けた。部屋の端に積んであった布団を抱えあげてそのままばさりと広げる。土間から上がって一間しかない小さな家ではそれも当然で、少し離れた囲炉裏の傍に座っていた桜子はなんとなく身体を小さくした。
「すみませんね、布団が一組しかないんですよ。ってまあ当たり前ですけどね、俺一人でしたから。
 なんで、今日はこれで寝てくださいよ、俺はその辺で寝っ転がってますから」
「え…?」
桜子は驚いて顔を上げた。伊勢を追いかけてやってきて、想いが通じて、そして、いくらなんでも一晩中外で星を眺めているわけにもいかないと宿としている家に戻ったのだが。高揚した気分が落ち着いてしまうと、突然気恥ずかしくなってしまい、まずはこの夜をどう過ごすのか、変に意識してしまっていたのだ。特別期待をしていたわけではないが、あっさりそう言われると拍子抜けしたような残念なような、ますますしょんぼりした気分になってしまいそうだった。ところが、桜子が顔を上げると、にやにやと笑っている伊勢と眼が合った。伊勢の表情は、桜子の気持ちなどとっくに見透かしていると言うようで、かあっと頬を赤くして桜子は顔を伏せた。
「かっ、からかっているのだろう、伊勢っ」
「いえ、そんなこと、ないですよ」
恥ずかしさも相まってつい声を荒げると、意に反してそれに答える伊勢の声が優しくて、もう一度桜子は顔を上げた。さっきのからかうような表情は伊勢の顔から消えていて、ひどく真面目な顔になっていた。
「『義経様』に仕えている伊勢三郎なら、そう言っただろうな、と思いましてね」
「……今は、違うのか」
「そうですね〜……。今のあなたは『義経様』じゃ、ない。
 俺も、自分を抑える必要は、ない。…そうでしょ? 静さん……」
軽い調子を装いながらも伊勢の言葉はだんだんと熱を帯びていっているように聞こえ、桜子の頬もますます熱くなる。問いかけられても言葉が出てこない桜子に向かって、伊勢も黙って手を伸ばした。男の割りに華奢な指だとやっぱり思って、そして、でもやっぱり手のひらは大きいな、とぼんやり感じた。触れればきっと心地よいだろうと思えて、誘われるように桜子は伊勢の手を取った。触れた瞬間、温かな熱を感じて小さく声が漏れる。そんな様子に伊勢は、どこか嬉しそうな顔になってゆっくりとその手を引いて桜子を引き寄せた。
「い、伊勢……」
抗うつもりはなく、ただ恥ずかしさを誤魔化すようにそう言うと、なおさら強く抱きしめられた。気がつけば桜子自身も伊勢の着物を強く握り締めている。自分の鼓動が耳に響く。けれど同時に、とても安心している自分にも桜子は気付いていた。背に触れる伊勢の手のひらに、髪を撫でてゆく指に、ほう、と息を吐く。それに気付いたのか伊勢が喉の奥で笑ったのに気付いた。
「なっ、なんだっ」
「いえ、何も……ただ、嬉しいだけですよ」
髪を撫でていた手が伊勢の胸に埋めていた桜子の顔に触れ、それに促されるように顔を上げれば間近く伊勢の顔があった。本当に嬉しそうに、ただ何処か面映そうな表情でもあって、それが少し可笑しくて桜子もクスリ、と笑った。
「なんです? 静さん……俺の顔に何か……」
「……違う」
言いかける伊勢の唇を手を上げて指で押さえ桜子は言った。
「静ではない」
「え……?」
「もちろん、義経でもないぞ?」
不思議そうな顔の伊勢に桜子は、続けて言った。
「……桜子」
「……さくらこ?」
桜子の後に続いて繰り返す伊勢に、桜子は頷いて答えた。
「……私の、本当の、名前、なんだ。お前に、そう呼んで欲しい」
偽りではなく本当の自分を。伊勢は一瞬だけ、驚いた顔をしたけれどすぐにまた嬉しそうな顔になり、桜子の耳に顔を近づけてささやいた。
「…桜子」
ああ、ずっとこの名で呼ばれたかったとそう呼ばれて気付く。静と名乗っていた時も義経として居た時も、伊勢の前では嘘をついているようで、何処か居心地が悪かった。他の郎党たちにはそんな風に感じたこともなかったのに。嘘のない『桜子』として伊勢の前に居たかったのだと気付いて、そして、それが今叶えられたのだと思うと胸がいっぱいになった。
深い口付けに陶然とした心持になりながら、ただ伊勢にしがみつく。その手のひらが身体の上を滑り、包み込み、身体の内外から熱を灯していくのに、甘い声を零しながら、嬉しいと桜子は心の内で何度も繰り返した。
「桜子」
何度も何度も伊勢がそう呼びかけてくれる。もしかしたら、嬉しいと、言葉に出していたかもしれない。それでも良かった。


熱が去った後、桜子は自分の身体に回された伊勢の手をとり、その手のひらに自分の手を重ねてみたり指をなぞったりして遊んでいた。伊勢はといえばされるがままではあったけれど、時折、くすぐったげに笑った。
「何か珍しいですか。俺の手なんぞ、そんな面白いものでもないでしょう」
「……伊勢の手は、やはり大きいな」
桜子はその手を伊勢の手と重ねてそう言った。華奢に見える指も桜子と比べればちゃんと男のものだ。
「あんたの手だって大きかったですよ」
伊勢が桜子の髪に口付けながら甘くそう言う。
「冗談言うな。お前の手に比べてこんな小さいじゃないか」
「あんたがその手に抱えていたものは、俺なんかのものよりずっと多くて重くて大切なものだった。
 あんたの手は、俺のものなんかより、ずっと大きいですよ」
「…………あ、相変わらず、口がうまいな、伊勢は」
顔は伊勢の方を向いていなかったけれど、ちょっとばかり声が震えたので伊勢は桜子がその言葉に涙ぐんだことに気付いたかもしれなかったが、何も言わなかった。ただ、やっぱり笑いながら
「……俺だってね、本当のことを言いますよ、たまにはね」
とだけ言った。その間も桜子は伊勢の手に自分の指を絡ませてじゃれていたが、やがて愛おしげにその手を自身の手で包み込んで頬に寄せた。
「……私が、もしもお前が言うように、何か大きなものをこの手に抱えていたというなら……
 この小さな私の手で、そんなことができていたというなら、それはやっぱり
 お前や、弁慶や、継信や忠信や喜三太や……多くの人の手が、私を支えてくれていたからだ」
答える代わりに、伊勢がもう一方の手も桜子の身体に回し、背後から桜子を抱きしめるように寄り添った。
そして、その空いた方の手が桜子の手を包み込む。やっぱり大きな手の平だと桜子は思った。
「あんたが、もう二度とこの手に重い苦しみや悲しみを抱え込まずに済むように
 俺があんたを守ります。この手にかけて、きっと」
「……お前は口が上手いからな」
そう言いながら眼を閉じて、桜子はそれでもきゅっと伊勢の手を握り締めた。
「言ったでしょ、俺だって本当のことを言います、あんたには」
「……うん」
わかってる、照れ隠しだ。お前の手が私は好きだ。
桜子は伊勢の手のぬくもりに酔うように眠りに引き込まれながら、そう呟いた。それが伊勢の耳に届いたかどうかはわからなかったが、伊勢ならきっと見抜いているだろう。そんな気がした。




一つの真実EDの後で書こうかなあと考えていたのですけども
またまた「死ぬまで青春」ED後の話になってしまいましたよ。
伊勢には少しばかり憎まれ口を利いてしまいながらも
その実、甘えている桜子がかわいくて好きなのでした。


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