その日、フォルクガング家の屋敷は華やかな音楽と多くの人でにぎわっていた。 若き当主、夜会の花形、貴族令嬢たちの憧れ、シーヴァス・フォルクガングの誕生会が開かれていたのである。 時には優雅なダンスを披露し、あるいは列席する貴婦人たちと談笑する本日の主役は、その実、心ここにあらず、なのだった。 日付もかわろうとするころ、やっとお開きになったパーティーから疲れた顔で自分の部屋にひきあげたシーヴァスは、あちこちから届けられたプレゼントとカードに目をやるとため息をついた。そして、中の一枚のカードを手に取り、その内容を確かめる。 何の変哲もない祝いの言葉と署名。 形式にのっとった挨拶、心のこもらない言葉。 つまらなさげに彼はそのカードを放り投げた。 カードが床に落ちたその場所に、白い素足が見えた。彼は視線を床のカードから足をたどってそこに佇む者へ移す。 「なんだ、君か。あいかわらず、突然なんだな」 白い翼を背に持った天使が、立っていた。 天使は足下に落ちたカードを拾うと、その内容を読み、シーヴァスに手渡した。 「今日は、シーヴァスのお誕生日ですね。おめでとうございます。 でも、せっかくのお祝いのカードをこんな風に床に捨てるなんて・・・ ダメですよ、シーヴァス」 シーヴァスは、その言葉を聞いて冷笑した。 「お祝いのカード? 見て見ろ、ルーチェ。 此の部屋のこの積み上げられた、プレゼント。多くよせられたカード。 どれも、形やうわっつらだけのものだ。 大貴族、フォルクガング家におもねておけば、政治的にも安心、というわけだ。 ・・・・その当主がいかに遊び好きなボンクラでも、な。 そんなものを後生大事にありがたがるつもりは私にはない」 「でも、あなたを大切に思う誰かからのものも混じっているかもしれないじゃないですか。 どうして、すべてがそうだと決めつけるのですか?」 その言葉にシーヴァスは肩を竦めてみせる。 「そんなこと、簡単な理由だ。 私が大切に思っている人物など、この中にはいないからだ」 天使は、その言葉を聞いて少し悲しそうな顔をした。そして、おもむろに、シーヴァスに近づくと、その頭をそっと胸に抱きしめた。突然のことにシーヴァスは慌てて、その体を天使から離そうとしつつも、彼女の淡く優しい花のような香りに陶酔しそうになった。そのまま、目を閉じて、彼女に抱きしめられたままでいたら、どれほど心地よいだろう? しかし、彼はするりと彼女の腕から抜け出すと、苦笑しながら言った。 「なんのつもりだ? 女性を抱きしめるならともかく、子供のように女性に抱きしめられるのは趣味ではないぞ」 しかし、天使自身も自分の行動に少し驚いていたようで、少し恥ずかしそうに頬を染めていた。 「シーヴァス、あなたは孤独な人なのですね。そう思ったら、私はあなたを大切に思っていると、伝えたくて・・・」 「孤独? 私が? 君に心配してもらうほどでもないと思うがね。 デートの相手にも困りはしないし、遊びにいく悪友にも不自由などしておらんよ」 「・・・・でも、本当に大切に思う人がいないなんて、寂しいです」 「では、君には、どれほどに大切に思う者がいるというのだ? 教えてもらいたいものだな。」 シーヴァスはやや不機嫌にそういった。 「だいたい、こんな時間に突然訪問しておきながら、話というのはそんなくだらないことなのか? こんなつまらないカードの一枚や二枚のことで、君にそうまで言われるとは心外だな。君の言いたい事はいずれ、ゆっくりとご高説承るから、いいかげん、帰ってもらえないか?」 天使は、その言葉を聞いて、黙り込み、しばし首をうなだれた。シーヴァスは、彼女がもしや、泣いてしまったかと、少し後悔したが、彼女はやがて、毅然と顔をあげると、 「すみません、シーヴァス。 遅い時間に、お疲れのあなたのじゃまをしてしまいましたね。 今日はもう、帰ります」 と言い、窓辺に近づいて白い翼を広げた。 美しい、白い翼。シーヴァスは、翼を広げた彼女の姿を見る度に「美しい」という言葉にふさわしいものなど、彼女以外にいるものだろうか、とふと考えてしまう。 それでも、平静を保って、彼は天空へ帰る彼女を見送る。 天使は、静かにふわり、と宙に舞いあがり、少し寂しげにシーヴァスにこう告げるとその姿を消した。 「シーヴァス、あなたは信じてくれないかもしれませんし、 私などが言ったところで嬉しくもないかもしれませんが、 私はあなたを、とても大切に思っていますよ。 あなたと出会えたことを、あなたがこの世に生まれてきたことを、とても嬉しく思います。 あなたが、勇者だからではなく、あなたが、あなたであるが故に 私は、あなたを、とても大切に思います」 「・・・・何をいったい・・・」 そんな天使の言葉を口では冷笑まじりにあしらってみたものの、シーヴァスにはわかっていた。彼女はウソなどいわないだろう。彼女は本当に心から、そう思っているのだろう。後悔にも似た気持ちが彼の胸を締め付け、痛める。だが、なぜ自分がそんな気持ちになるのか、それがわからずにシーヴァスは却って苛ついた表情になると、忌々しげにことの原因となったプレゼントとカードを眺めた。そして、もう深夜という時間にもかかわらず、我慢できずに、執事を呼ぶと、自分の部屋から目障りなプレゼントもカードも運び出すように言いつけた。どうせ、礼状の手配は執事たちがするのだから、シーヴァスには所詮、関係のない品々だ。 「若様、カードもすべて、ですか?」 執事がそう尋ねる。シーヴァスは、テーブルの上のカードを一瞥すると「そうだ」と言った。だが、ふと、その中の一枚が目にとまって、そのカードを手に取る。 真っ白なカードに空色の文字。 彼女と同じ、やわらかな花の香り。 天使の名を記した、流れるような文字。 「なんだ、自分もカードを送っていたからか・・・ それなら、そうと言えばいいものを」 それでも、シーヴァスには、彼女が受け取られない自分のカードのためにだけ、あんなことを言い出したわけではないことは十分承知してはいた。 「若様、そのカードは? いかがされるのですか? 一緒にお預かりしましょうか」 その執事の声にシーヴァスは我に返る。 「・・・いや、いい。このカードは私が持っている」 シーヴァスは、そういうと、大切そうにカードを机の引き出しにしまった。 執事は、一礼をして、残りのカードを手に持つと、部屋を出ていこうとした。それへシーヴァスは、ふいに声をかける。 「気が変わった。カードは一旦私がすべて目を通す。 おいておいてくれ」 主人の気まぐれには慣れている執事は、その言葉に少しだけ片眉をつりあげるようなそぶりを見せたが、もとあった位置にカードを戻した。そして、部屋を出ていく。 シーヴァスは、カードの山を眺めて少し自分の言い出した事を後悔した。が、 「天使からのカードが混じっているくらいだから 妖精からの手紙も混じっていないとはいえまい。 彼女たちときたら、天使と違って、自分のカードが読まれていないと知れば どれほどうるさく言い立てるかわかったものではないからな」 と、まるで自分に言い訳するようにそうつぶやいた。 彼は、明くる日一日をかけてカードに目を通した。 けれど、自分がそうしたことも、天使のカードは自分の手元に残してあることも、天使には告げなかった。天使は、受け取られることはない、と思いながらもシーヴァスの誕生日にはカードを変わらず送り続けた。シーヴァスは、くだらないカードなど受け取ったところで読むつもりはない、と毎年のように繰り返し言いながら、彼女のカードだけはずっと残していた。 天使が、自分の送ったカードの行く末を知ったのは、彼女が翼を捨てた後のことだった。 毎年、変わらずに記された彼女からの言葉。 あなたと出会えたことを、私はとても嬉しく思います。 あなたが、勇者だからではなく、あなたが、あなたであるが故に 私は、あなたを、とても大切に思います。 あなたが生まれた今日という日を、私は喜びをもって祝福するでしょう。 そして、彼女が天使である間に最後に届けられたカードの末尾には、彼が読むことがないと思っていたからこそ記された言葉があった。 シーヴァス、私は、誰よりもあなたを大切に思っています |