Primavera

旅の日々はさして毎日が彩りに満ちているわけではない。
ヨーストのような都市はまれで、宿泊地の街や村が賑やかな場所とは限らないし、もちろん、人里に泊まることができるとも限らない。そんな旅の日々を楽しむことができるのは、美しい景色に心和む瞬間があるからに他ならない。
しかし、天使の勇者となって数年、旅を続けるうちに、美しい風景が失われつつあることに気づいていた。緑の山々は裾野から茶色く染まり、野原は枯れ草に覆われている。生きる力が失われていこうとしているようだった。
季節は春というのに、いまだ冬が居座り続けているかのようだ。
シーヴァスは勇者となって以来、通い慣れてしまった街道を歩きながら目に映る景色を見てそんなことを考えていた。いったい、自分のしている勇者という任務は、この世界を救う足しになっているのだろうか。もし、この有様が自分たちが勇者として働いているがゆえに、この程度で済んでいる、というようなものなら、本当なら世界はとうに滅んでしまっているのかもしれない。果たして、本当にこの世界は救われるのだろうか。天使の指示のもと、戦い続けているというのに、世界はゆっくりと死に向かっているようではないか。
ふとそんな想いが心をよぎって、シーヴァスは苦笑する。どうもこのところは、考えが悪い方向へ傾きがちな気がする。それがどうしてかというのは、有る程度は予想がついているのだが。ここしばらく姿を現さない天使。自分の都合がある時だけ姿を現してさっさと帰ってしまう。なんとも、薄情なことだ。いやまあ、それは、そっけない自分にも責任はあるかもしれないが。だが、世界を守る天使様にいったいどう言えというのか? 「もう少し側にいてくれ」「たまには会いにきてくれ」「私をどう思っているのか聞かせてくれ」・・・お笑い草だ。情けない。まるですがりつくようではないか。天使は天使の都合でしか現れない。シーヴァスの都合など視野にはほとんどないだろう。待つしかできないもどかしさが、気分の晴れない原因かもしれない。
天使とはまったく、薄情なものだな。
シーヴァスは苦笑すると、気分を変えるために休憩を取ることにした。
天使を勇者の都合で呼び出す方法はないこともない。天使との間の連絡を取り持ってくれる妖精に、面会を申し込めばいいのだ。しかし、常にそれに天使が応えてくれるわけでもない。いつも選択する権利は天使の側にある。しかも、天使を呼び出すというのはまるで「会いたい」と言っていると同じような気がして、そんなふうに自分の弱みを見せるのはどうも気にくわない。だから、このところ、天使の姿をみないと思っているシーヴァスではあるが、呼び出しを依頼してはいないのだ。何か・・・そう、たとえば薔薇の花束でも、シルクのローブでも、プレゼントの一つでもあればそれを送るという名目も立とうというものだが、こんな旅の空の下でしかも街から離れた平原でそれはないというものだ。
旅人の休む木陰をつくるために植えられたのであろう木の根本に腰を下ろす。夏ともなれば本来は濃緑の葉が茂るのであろうその木は、いまだ枝の先にかよわい新芽が顔をみせているくらいで、葉を繁らせる力もあまり残っていないのを感じさせた。
本当に、自分のしていることは、天使の役に立っているのだろうか。
この世界を救うことができるのだろうか。
また、同じところへと考えが巡ってしまう。シーヴァスは苦笑した。何か、約束があればいいのに、と思う。この世が救われるという印があればいいのに。自らが天使に選ばれ、祝福を受けるにふさわしい働きをしているとわかる何かがあればいいのに。自信がないわけではない。信じていないわけではない。だが、約束が欲しい。なぜ、世界は今も死に向かいつつあるのだろう。あまりに、勇者とは無力なものなのだろうか?
シーヴァスは、自分のそんな思考を頭の中から引き剥がすと、先を急ぐことにした。考えてもしかたのないことは、考えないに限る。所詮、今更抜けられない道だ。ならば、先へ進むしかない。シーヴァスは立ち上がると、傍らに置いた荷物を手にとった。そうして、そのとき、ふと荷物の陰になっていたところにあったものに目がとまった。
・・・・ああ・・
それを目にしたとき、シーヴァスの顔が自然にほころんだ。今の今まで思い沈んでいたことが、急に晴れ晴れとした気分に切り替わる。それは、ひっそりと、しかし懸命に咲く一輪のすみれの花だった。あまりに小さくてささやかな花ではあったが、凛と茎を立たせて咲く花は可憐で美しかった。
今もなお、花は咲き、懸命に生きようとしている。
その姿が美しく尊いものに思えた。これが、世界が救われるという約束に他ならないと思えた。
ふいに、シーヴァスはこの花を天使に見せたくなって、彼女を呼び出すことにした。妖精を呼び出し、用件を伝える。しばらくしたら、彼女が現れるだろう。もう一度、木の根本に腰を下ろして天使を待つ。彼女はこの花を見てなんと言うだろう? これが、インフォスが救われるという約束なのだと言ったらどう言うだろう?
だが、天使が姿を現すのは遅く、シーヴァスは待つ間に少し彼女を呼びだしたことを後悔していた。いささか子供っぽい所業だったかもしれない。花が咲いたからといって、はしゃぐなどとは。理由もなく天使を呼び出すのは大人げないと思いつつ、呼び出す理由がこれとは、やはり子供っぽくないか?
 いっそ、忙しいという理由で現れてくれないほうがいいかもしれない。
だが、そんなことを考えるシーヴァスの耳に柔らかい羽音が届いた。
「シーヴァス、どうしたんですか?」
白い翼、たおやかな乙女の姿。天使が彼に向かって降りてくる。久しぶりに見る彼女の姿は、彼が胸の内で思い描いていた姿と何一つ変わることなく、清らかで美しかった。
「ああ・・いや、たいした用事ではない、ただ、君の心構えとやらを見せてもらいたくてね。
 ちゃんと呼び出しに応じてもらえるとは光栄だな」
シーヴァスは、事もなげにそう応えた。天使は、その言葉を聞いて申し訳なさそうな顔をする。
「ああ・・すみません、このところ、同行も訪問もできませんでしたね。
 時間が合わなくて、シーヴァスにお会いしようと思ったら夜中だったりして、
 夜の訪問はシーヴァスお嫌いでしたから、遠慮していたんですよ。
 でも、シーヴァスの方から面会を申し込んでくださって良かったです。
 やっと、会えました」
にっこりと、嬉しそうに天使が微笑む。
「夜中の訪問だからと言って、追い返したりはしないだろう、用事があるなら来たまえ」
シーヴァスは心を見透かされないように、なるべく恩着せがましく聞こえるようにそう言った。
「すみません、優しいんですね、シーヴァス。ありがとうございます。」
天使がそう言って微笑む。相手が君なら夜中の訪問も我慢する。そうシーヴァスは心の中で付け加えた。
「シーヴァス、本当に用事はないんですか? 何かあったらなんでも言ってくださいね」
天使が少し心配そうな顔になってシーヴァスの瞳を見つめた。自分が現れない間に何かあったかと心配しているらしい。シーヴァスは苦笑すると、しばらく考えて、そうして地面のある一点を指さした。
「・・・あれを、君に見せたかったんだ。」
天使が言われて彼に近づき、指さす方向をのぞき込む。
「・・・まあ、すみれの花ですね・・・かわいい花・・」
天使の口から喜びを含んだ言葉が発せられる。
「木々は枯れ、大地は力を無くし、野原も枯れ草に覆われようとしている。
 だが、まだ、草木は生きることを諦めてはいない。花を咲かせ、葉を茂らせようと懸命になっている。
 その花を見たとき、インフォスはきっと救われると私は確信したんだ。
 だから、君に見せたくなってしまった。・・・子供っぽいかもしれんが」
少し照れたようにぶっきらぼうな口調になってしまったシーヴァスを振り向いて天使が微笑んだ。
「いいえ! いいえ、シーヴァス、素晴らしいです、そして、嬉しいです。
 インフォスの大地が、生きようとしている・・・。そうなんですね、ええ、私にも感じられます。
 こんなに小さな花にも、命が満ちている・・・。
 それを・・・シーヴァス、あなたが気づいて下さったなんて・・・嬉しいです。
 勇者たる資質とは、きっとこういうことなのですね。命を慈しみ、大地の声を聞く。
 シーヴァス、わかりますか? 私がどんなに嬉しいか、どんなに感激しているか」
「いや・・・そんなに喜ぶとは思わなかった・・・」
実際、シーヴァスは彼女が目を輝かせて語る姿を見て少し驚いていた。こんなに喜びを露わにしている彼女を見るのは初めてのことのような気がする。
「シーヴァス、私、このところ少し焦っていました。
 あちこちで事件は頻発しているというのに、その対応もままならず、
 世界を本当に救うことができるのか、とても不安になったりしました。
 春になったというのに、インフォスの大地はいまだ冬の大地のようで、自分の力が足りないばかりに  取り返しのつかない結果が待っているのではないかと、不安でした。
 でも、シーヴァス、今、あなたが気づかせてくれました。
 大地も、草木も、諦めていない、生きようとしていると。
 すごく、嬉しいです・・・。本当に・・・すごく、嬉しいんです」
そう言ううちに、天使の瞳がうっすらと潤んでくるのがわかった。シーヴァスは思わず、彼女の瞳から今にもこぼれそうな真珠のような水滴を指で受け止め、苦笑する。天使は少し恥ずかしそうに、俯いて目を拭った。
「泣くほど感激されるとは思いもしなかった。」
「いえ・・すみません、このところ少し落ち込んでいたので・・」
「・・・天使は、この世界の事で思い悩むことなどないかと思っていたよ。
 君が姿を現さないのも、薄情なものだと思っていた。すまなかった」
シーヴァスの言葉に、驚いたように天使が顔を上げる。その表情は彼がそんな言葉を言うのが意外だと思っていることを表していた。
「・・・人が珍しく素直にあやまっているのに、そんな顔をするとは失礼な。
 やはり、天使というのは・・・」
「ああ! あの、すみません・・!」
慌てて天使が謝るのに、面白そうにシーヴァスは笑った。
「すみません・・・でも、でもシーヴァスは何もそんなあやまるようなこと、ないんですよ?
 いつも、真面目に依頼をこなしていただいて感謝しています。
 至らない私がインフォスをこうやって守護できるのも、シーヴァスをはじめとする
 勇者のみなさんのおかげなんですから・・・」
「・・・本当に?」
「ええ、本当です。シーヴァスのこと、頼りにしているんですから」
「・・・そうか、それならいい。私も精一杯勇者の務めを果たそう」
シーヴァスはそう呟いた。聞き取れなかったらしい天使が不思議そうな顔をしてシーヴァスの顔をのぞき込む。
「あの花・・・あのすみれの花は・・」
話題を変えるようにシーヴァスがそう話す。
「まるで君のようだな。可憐で儚げだが、凛とした力と生命に溢れている。」
天使の頬が恥ずかしげに朱に染まった。
「シーヴァス・・・」
「小さな花だというのに、目を奪われずにはいられない。心惹かれずにはいられない。・・・不思議だな」
「・・・え・・と、あの、花・・の事ですよね・・・?」
真っ赤になった天使がシーヴァスに問う。シーヴァスは笑いながら
「さあ、どうかな」
と言うと彼女の頬に手を伸ばした。しかし、その手が触れるより早く天使は
「あのっ・・・あの、シーヴァス、今日はありがとうございました! では、また」
と口早にまくし立てると天空へと飛び立ってしまった。相変わらず、こういう事に関しては初な反応をする天使だ、とシーヴァスは苦笑した。だが、今回は遊びじゃない。本気だ。
シーヴァスは荷物を手に取ると先へ向かって歩き出した。
次は彼女の方から会いにくるだろう。その時、どんな顔をして会いにくるだろうか? そのとき、なんと言ってやろう? 
景色はいまだ冬のように寒々しいものに変わりはなかった。
だが、シーヴァスには、その景色が再び緑に彩られる日が来ることが信じられた。






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