景 色

新しい年の新しい朝。
テーブルには真新しい白いクロスがかけられ、白磁のティーポットからは香り高い紅茶の湯気が立ち上る。花器には冬にも関わらず、雪の下に咲くという黄金色の花が活けられ、生き生きとした活気が室内には溢れていた。
数年前、この屋敷に年若い主人だけしかいなかったころは、そうではなかった。日によって愛を囁く相手が異なると評判の名うてのプレイボーイだった屋敷の主人は、新年の朝でさえ、屋敷にいたためしがなかった。その様子が変化しだしたのは、ここ1、2年のことで。屋敷にいないことは変わらなかったものの、その生活から自堕落な雰囲気が消えていったのは確かだった。辺境でモンスター退治に名を挙げていると評判になりだしたのもそのころからで。やっと騎士として、名家の嫡子として己の鍛錬に向かいだされたか、と古くから使える執事たちが胸を撫で下ろしたものだった。

その急激な心境の変化が何に起因するものであったかは、やがて周囲の者たちも知るところとなる。名うてのプレイボーイが初めて心からの愛を捧げる相手に出会ったのだ。名もない家の生まれであるその娘を家に連れてきた屋敷の主人は、以降、傍目にもそれとわかるほど、その娘を大切にしていた。貴族の社会において名家の嫡子が正妻として貧しき娘を迎えることはけして容易いものではなかったが、彼はそのためにあらゆる努力をしたし、彼の古い親友である騎士団長も力を添えてくれた。政界において若い主人の手腕が認められはじめたころ、もう、彼らの周りには二人の仲を反対するものはいなかった。それは、主人と不仲が伝えられる祖父母であっても同じことで。厳格な古い貴族の誇りを大切にする老人たちでさえも、主人の熱意と娘の人間的な魅力の前には折れざるをえなかったのだった。



そして。
その年若き主人・・・シーヴァス・フォルクガングは新年の朝を迎えて、目の前の一幅の絵のような光景に満足していた。
部屋の窓から見える景色は冬のものであったけれども、その寒々しい光景さえ、彼の目の前の温かな雰囲気を壊すものではなかった。少し伸びた髪を薄い黄色の花の髪飾りで緩くまとめ、その色に合わせた柔らかい卵色のドレスに身を包んだ彼の妻が、ティーポットからカップに紅茶を注いでいた。背後の窓から見える冬景色は、むしろ彼女の暖かさを引き立てるかのようで。もうずっと長く、彼女と共に過ごし見慣れたはずの朝の光景を、もう何度目かも忘れた新鮮な喜びと共に見つめていた。彼の視線に気づいたのか、カップに紅茶を注いでいた妻が顔をあげ、訝しげに首をかしげる。
「? シーヴァス? どうか、しましたか? 私、何かおかしなところでもあります?」
「いや、今日も君は相変わらず、美しいと思って」
いけしゃあしゃあとそう言うシーヴァスに、言われた妻はさっと頬を染めた。幾度となく繰り返した言葉にも相変わらず、少女のような反応を示すのにシーヴァスは微笑みを禁じ得ない。
その口の端にのぼった笑みに、頬を染めたままなれど妻が抗議の声をあげる。
「シーヴァス、また、からかってますね?」
その様子にくつくつ、と喉の奥で笑いながらシーヴァスが答える。
「どうしてそう思うんだい? ルーチェ。
 私が言うことが、嘘だとでも? こんなに君に夢中な私の言葉を疑うのかい?」
「・・・・知りません、もう。」
いまだに頬を桜色に染めたまま、視線をティーポットに戻して紅茶を注ぎ入れる。少しからかいが過ぎただろうか? いや、嘘を言葉に乗せたつもりはない。本当にそう思っているのだが、ただ、彼女の桜色に染まった頬や、少しばかり拗ねたような様子が可愛らしくて、つい、からかうような調子で声をかけてしまうのだ。なぜなら、彼女がこんなふうに、自分の感情に素直に喜怒哀楽を見せるようになったのは、本当に彼にとってはごくごく最近のような気がするから。出会ってから愛を確かめあうまで、いつも彼女はどこか不安そうにシーヴァスを見つめていた。伏し目がちな瞳と震えるような唇と。この恋は叶うものではないと、まるで諦めているかのように。それも仕方のないことではあったが。なぜなら、彼女はそのころ、人間ではなかったのだから。
永遠に近い命を捨て、自らの元に人として降り立った彼女は、それから人としての生活の中で、シーヴァスとの暮らしの中で変化していった。それは眠っていた彼女自身がシーヴァスによって目覚めていくかのようで、シーヴァスにとって愛しさが増すことはあっても、その逆にはなりえなかった。大人しく従順に見える彼女が本当はとても頑固だということ、いつも寂しげな笑顔しか知らなかったのに、本当は花がほころぶような笑顔も、今の表情のようにまるで10代の少女が拗ねているかのような顔も持っていること、泣き顔でさえも美しいこと。その一つ一つがシーヴァスにしてみれば、日々を彩る感動なのだが。
シーヴァスの目の前に湯気の立ち上るティーカップを置いて、彼女がやっぱり首を少し傾げて問う。
「ホントに、どうかしましたか?」
少し心配そうなその表情に、シーヴァスは安心させるかのように手を伸ばして、柔らかな手に触れる。
「絵のようだと思っていたんだよ」
「絵?」
「そう、君が、そこでそうやって紅茶を入れている光景が
 冬の景色をも変えてしまうほどに温かで幸せな一枚の絵のようだと思ったんだ」
その言葉を聞いて、しばらく考えるかのように沈黙していた彼の妻は、それからにっこりと笑った。
「いいえ、それでは幸せな絵とはいえないです。足りないものがありますもの」
謎かけのようなその言葉に、シーヴァスの方が今度は首を傾げる。
「足りないもの?」
シーヴァスの不思議そうな顔に、彼女の表情がどこか嬉しそうになる。いつもどちらかといえば彼女の方がシーヴァスに謎をかけられているので、シーヴァスのこんな表情が嬉しいのだろう。そんな彼女の気持ちが手に取るようにわかるので、シーヴァスは苦笑する。本当に、この天使ときたら。
「シーヴァスがいなくちゃ、ダメです。
 私が一人でいたって幸せじゃないですもの。シーヴァスが、そこにいてくれるから
 だから、私は幸せなんですもの。
 幸せな光景を描いた一枚の絵、にするなら、シーヴァスもいなくちゃいけません」
その言葉にシーヴァスは笑みを漏らした。
「・・・まったく、君は思いも寄らない殺し文句をさらりと言ってのけるな」
この胸のときめきを君は知っているだろうか? いつも変わらず、君の言葉に高鳴るこの胸の鼓動を。
しかし、彼の妻はそんなシーヴァスを不思議そうに見つめるばかりで。シーヴァスは触れていた手を強く掴み、彼女を引き寄せると自らの膝の上に座らせた。そうしてそっと後ろから抱きしめる。
「シーヴァス?」
大人しく彼の腕の中におさまって、それでも、どうかしたのかと問いかけてくる彼女の頬にシーヴァスはそっと口づけた。
「これなら、幸せな光景として申し分ないだろう? 私と、君と」
笑いながらそう言うと、彼女も嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、でも、来年はもっともっと幸せな絵になっていると、いいですね」
「? もっと?」
「今は、二人だけですけど、ヨーストのおじいさまやおばあさまとも一緒に暮らせて
 家族が分かり合えて、増えて。
 笑顔が連なって。きっと、もっと幸せになります」
いまだ不仲が続くヨーストの祖父母のことを思い出してシーヴァスは少しだけ眉根を寄せた。結婚の赦しはもらったものの、今もなお、シーヴァスの心には祖父母に対するわだかまりがあった。
「・・・そればかりは、君の願いといえどもかなえられるかどうかはわからないな」
声音まで堅くなってしまったシーヴァスに、しかし、彼女は相変わらず柔らかな調子の声で答える。
「いいえ、大丈夫です、きっと、いつか。」
あまりにきっぱりとしたその物言いに、シーヴァスが苦笑する。それは、天使の予言?
「ねえ、シーヴァス。いつか、きっと、時が立てば。
 赦せなくても、理解できる日か、
 理解できなくても、赦せる日か
 どちらかがくるんです。だから、大丈夫です」
静かなその言葉に、シーヴァスはそっと彼女の首筋に顔を埋めた。
「それは、君の予言?」
「・・・だって、シーヴァスもおじいさまやおばあさまと同じ立場になれば
 きっとわかるはずですもの。
 子どもを思う気持ちが、きっとわかると思いますから」
その言葉にはっとしてシーヴァスは顔をあげる。
「ルーチェ・・・! もしかして・・・」
「ちっ、違います、まだ、わからないです・・・でも、ただ・・・」
顔を真っ赤にしてそう言う彼女に、シーヴァスは抱きしめる腕にそっと力を込めた。
「ただ・・・? そうかもしれない、ということかい?」
小さく、彼の腕の中で彼女が頷く。
「・・・ルーチェ、君は私にいくつもの喜びをくれた。
 そのうえに、まだ、こんなにも沸き上がるような喜びを与えてもらえるとは思ってもいなかったな」
「いえ、シーヴァス、ですから、まだそうと決まったわけじゃなくて・・・」
 慌ててそう言う妻をシーヴァスは口付けで黙らせる。
「いいんだ。そうだな、君の言う通り。
 私もいつか、彼等の気持ちがわかるか、彼等を許すかできるのかもしれないな。
 彼等も。母がこの世に生命を授かったときに、こんな気持ちになったのだとしたら。
 そう思えば。」
嬉しそうに妻は微笑んだ。彼女こそがシーヴァスの行く先を照らす仄かな、けれども確かな灯りなのだと、そう思えた。
「シーヴァス?」
小首を傾げて、妻が黙ってしまった彼を見上げる。
安心させるかのように、その体をそっと抱き締め、シーヴァスは言った。
「君の望む、幸せな光景を毎年描いていけるように。
 私も努力していこう。」
嬉しそうに妻が微笑んだ。ずっと頑だったシーヴァスの、祖父母への歩み寄りを宣言するような言葉だったからだ。しかし、シーヴァスは、そこでいつもそれが癖の少しばかり意地悪な笑顔でにっこりと微笑んだ。
「まずは、そうだな、ルーチェ。
 家族が増えるように、私も協力してみるとしようか?」
言うが早いか彼女を抱き上げて立ち上がるシーヴァスに、抗議の声があがる。だが、そんなもの聞こえないふりでシーヴァスは笑いながらその部屋を後にした。


次の年の新年の朝。
この屋敷に描かれる幸せな光景が、どのようなものであったか。それは想像に難くないものと言えた。






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