その日、公務を務めていたシーヴァスの元に、珍しい客が訪れた。 「ひさしぶりだな、元気そうで何よりだ」 少し驚いた顔をしてシーヴァスはその友を迎えた。ヴォーラスの騎士団長を務めながら、その職を辞して辺境へと居を移したその友人、レイヴ・ヴィンセルラスが彼をたずねてきたのだった。 「珍しいな、ヨーストに何か用でもあったのか? それとも、さしものお前も田舎暮らしに嫌気がさしたか?」 シーヴァスの元を訪れたレイヴは、その言葉に苦笑した。 「そういうわけではないが・・・まあ、少し向こうも落ち着いたのでな。 久しぶりに顔を見に来たんだが・・・迷惑だったか?」 「別に」 そう言ってシーヴァスは肩を竦めた。 「第一、私ではなくてルーチェの様子を見に来たんじゃないのか?」 「確かに、そうとも言えるかもな。彼女の様子も気になったが・・」 レイヴはそう言って笑った。レイヴもまた、ルーチェの勇者として剣をとって戦った人間だった。だが、彼にとっての勇者の旅は、世界を守るためというよりも自分の過去と決着をつけるための旅だった。そういう意味では、今も自分を勇者としてくれた彼女に感謝している。 古い友人であったシーヴァスもまた、勇者として戦っていると聞いたときは彼ならそうかもしれないと思ったが、天使と恋に落ち、彼女が人間となってシーヴァスの元に止まると聞いたときは、少し驚いた。プレイボーイとして噂に聞こえたシーヴァスが、本気になる女性がいたということも驚きだったが、その相手が天使だったということもなおさら驚きだった。天使は、それが天使の所以であろうが、人間の女性とは異なり、夢の世界に生きるような存在だった。少なくともレイヴにとっては。いつもひっそりと、儚げで、現実感のない生き物だった。だが、とレイヴは思う。シーヴァスは、そんな天使だからこそ恋に落ちたのかもしれない。今でこそ、かつての面影もない毒舌家ではあるが、少年の頃のシーヴァスは感じやすい繊細なところがあった。 そして・・・今では立派なプレイボーイであるこの友人に対して失礼ではあるかもしれないとは思ったのだが、それゆえに、人と天使の恋がうまくいっているのかが心配でもあった。しかし、今日のこの様子では、いらぬ心配であったかもしれない、とレイヴは苦笑した。 「なんだ、どうかしたのか?」 机の上に広げた書類を片付けながら、シーヴァスはそんな様子のレイヴをいぶかしそうに見つめた。 「いや、なんでもない。仕事の邪魔をして悪かったな」 「おいおい、帰るつもりなんて言うのではないだろうな。 久しぶりだ、少し付き合え、ルーチェにも会うんだろう?」 「いや、明日、改めて屋敷には邪魔させてもらうつもりだが、 今日のところは突然であるし・・・」 「・・・そうか・・・だが、一杯くらいいいだろう、付き合え」 いつになく、熱心に勧めるシーヴァスに、レイヴは、まあ一杯くらいなら、と頷いた。 シーヴァスがレイヴと連れ立っていったのは、落ち着いた雰囲気の店で、シーヴァスは通い慣れている様子であった。 「仕事があまりに遅いとな、少し腹に入れないともたないからな」 シーヴァスは言い訳するようにレイヴにそう言った。 「お前がそんなに公務に熱心になるとは思いもよらなかったな。 これも、天使のおかげ、というべきか」 「からかうな。彼女のおかげで自分の進むべき道を見つけたのは何も私だけではないだろう。 お前だって、勇者として旅したおかげで例の一件にケリをつけたんじゃなかったのか」 シーヴァスは、むっとした様子でそう言った。 「そうだな。確かにそうだ。それで、彼女は元気か? 式は?」 シーヴァスはその問いに、少し口ごもると目を伏せた。 「貴族の結婚には国王の許可が必要なのはお前も知っているだろう、レイヴ」 「・・・そういうしきたりをお前が重んじるとは思ってもいなかったな。 第一、もう屋敷で一緒に暮らしているんだろう?」 「確かに一緒に暮らしてはいるが、私の屋敷は広いのでね、必ずしも彼女と寝室が同じだとは思ってもらいたくないな。 しきたりは確かに馬鹿馬鹿しいものだが、彼女が後々、そのせいでいらぬ雑音を聞かされるのであれば、私はしきたりを重んじるさ」 レイヴはそのシーヴァスの言葉にいささか驚いていた。彼は、どちらかといえば古いしきたりなど斜に構えてそ知らぬふりで無視する人間だと思っていた。それより何より、レイヴが驚いたのは、シーヴァスが今だ天使と清い仲だということであったが。 かのプレイボーイは、そんな奥手な人間ではなかったはずだが。 「・・・・何か意外だとでもいいたそうだな、レイヴ。 言っておくが、私は別に自分に自信がないわけではないぞ。 しきたりを守るのも、彼女をまだ自分のものにしていないのも」 言い訳するようにそういうシーヴァスにレイヴは笑った。 「今までのお前とは違う、ということか。それとも、彼女が今までの女性とは違うということかな」 「当たり前だ、彼女を今まで付き合っていた女性と同じに扱えるか!」 シーヴァスは、元天使をとても大切に扱っている。だが、それがレイヴには一つの心配の元でもあった。シーヴァスは、元・天使を人間の乙女と同じように愛することができるのだろうか? あの、儚げで何にも汚されることのないような存在を自らの手の内に抱くことができるのだろうか? 「言っておくがな、私のことを、彼女は拒まないという自信もあるんだ、私は。 だがな、たかがつまらん男のプライドと笑われても仕方ないが それは、彼女にとっては『シーヴァスが望むなら、私はいいですよ』 ということに他ならないんだ。私は、彼女が自ら私の腕に抱かれることを望むまでは手出しはしない、と誓っているんでね」 シーヴァスは、そう言ってから、小さい声で他の誰にも言うな、と言った。 「・・・以前・・・」 「?」 ぽつり、と語り出したレイヴにシーヴァスは不思議そうな顔をした。 「・・以前、英霊祭に彼女がついてきたことがあった。お前の話をしたよ。 今では見るかげもないが、少年の頃のお前はナイーヴだったと言ったら・・」 シーヴァスはレイヴの言葉を聞いて、持っていたグラスをたたきつけようにテーブルに置いた。 「! な、何をいらん事を彼女に吹き込んだんだ、まったく!」 慌てた様子のシーヴァスに、レイヴは笑いながら続けた。 「話は最後まできけ。 お前がナイーヴな少年だった、と言ったら、彼女は何と言ったと思う?」 「・・・どうせ、今の姿からは想像もできないとか言っていたんだろう」 不機嫌そうにシーヴァスは答える。 「・・・いや、彼女は『そうでしょうね、シーヴァスは、今もそんな所がありますものね』と言ったよ。俺はそのとき、いったい天使というのはどこを見ているのかと思ったが。 俺よりも、彼女の方が、本当のお前を見抜いていたんだろうな」 シーヴァスは、その言葉にすっかり黙り込んでしまった。この毒舌家の友人を黙らせたことなど、これが初めてと言っても過言ではないレイヴは、おもしろそうにその様子を眺める。なるほど、その本質はあの少年のころと変わっていないのかもしれない。天使は確かに人を見る目があるのだろう。 「ルーチェは、お前のことを良く理解しているよ。 その上で、お前のために、お前の望むなら、と言うのであれば、それも彼女がお前を愛している証だといえるんじゃないのか? しきたりはともかく、あまり長く中途半端な形でいるなよ」 そんなことは、俺がいうがらでもないが、とレイヴは内心苦笑して言った。だが、シーヴァスは、その言葉には珍しく素直にうなずいた。 「わかっているさ、それくらいは、な。 結婚についても、陛下に許可を願っている。まあ、来年の春には式を挙げることもできるだろう」 しかし、そこでシーヴァスは突然、厳しい顔つきになると、レイヴに向かってこう言った。 「・・・・御忠告と御助言はありがたく承っておくが、レイヴ。 明日、屋敷にくるのはいいが、ルーチェに要らぬことをふきこまないでもらおう。 そうでなければ、私も彼女にお前の少年時代の話をしてやるぞ。 お前が、今みたいにむっつりとした男ではなくて、大口あけて屈託なく笑う少年で タンバリン持って踊り走りまわるような、おどけた少年だった、と言ってやる。 彼女のことだ、お前のタンバリン演奏をぜひ、聴きたいと言うだろうよ」 本気とも冗談とも言えないシーヴァスのその言葉にレイヴはその日何度目かの笑いをこらえることはできなかった。 結局、屋敷に戻るのが遅くなってしまったシーヴァスは、まだ明かりの灯っているルーチェの部屋をノックする。レイヴが来たと言えば、彼女は喜ぶだろう。明日には屋敷にくると言えば、はしゃぐに違いない。その彼女の様子までシーヴァスには想像できた。しかし、今日に限って彼女の返事はなく、シーヴァスはそっと扉を開けた。 明かりのついたテーブルに伏して、彼女は小さな寝息をたてていた。 シーヴァスは、愛おし気にそんな彼女の寝顔の頬にそっと指で触れる。 ふと、明かりに浮かぶ彼女の頬に、うっすらと涙の跡らしきものを見つけてシーヴァスは焦る。 『ルーチェ?』 彼女の唇が、小さく自分の名前を呼ぶように動いた気がして、シーヴァスは胸が痛んだ。わかっている、彼女が人間になってからも、自分は彼女に甘えてばかりだということを。 そっと、彼女を起こさないように抱き上げると、シーヴァスは彼女を夜具へと運ぶ。 ベッドに横たえると、彼女の手はしっかりとシーヴァスの服の裾をつかんでいた。 ゆっくりとその指を離そうとしたシーヴァスは、思いのほかに強く握られたその力にいつも静かな微笑みをたたえている彼女の強い思いを垣間見てしまったようで、それ以上その手を離させることができなかった。 小さく溜息をついて彼はルーチェの横にそっと体をすべりこませる。 願わくば、彼女が動いたりしませんように。最大限の自制心をもってシーヴァスはルーチェの柔らかい身体を身近に抱きつつも腕にこもる力を押さえていた。 頭の中でまったく意味のない数字を並べてみる。 安心したようにゆっくりとした寝息をたてるルーチェにシーヴァスは少し恨みがましくこう囁いた。 「まったく、君はもう少し私にわがままを言いたまえ。 君が何もいわないと、私だって不安なんだぞ」 そうだ、大丈夫なふりをされて、今日みたいに寝顔に涙の跡を見るのはごめんだ。 「私達は、もっといろんなことを話すべきだな、ルーチェ。 君のこと、私のこと、私達の過去のこと、今のこと、未来のこと・・・」 シーヴァスはそう囁いて、目を閉じた。 もちろん、眠れそうにはなかったが。 |