「ルーチェ、支度はできたか？」 軽いノックの音がして、シーヴァスが入ってきた。 「はい、シーヴァス。私、おかしくないですか？」 ルーチェは、くるりとシーヴァスの前でまわってみせる。 シーヴァスは、そんなルーチェを見て、笑った。 「ああ、十分きれいだ。やっぱり君には淡い優しい色がよく似合うな。 それに、華美な装飾も必要ない。 君を見ていると、真の美しさとは、こういうものかと思い知らされるよ」 「ふふ、シーヴァスは口が上手いですからね、半分くらいに聞いておきます」 そう言いながらもルーチェはとても嬉しそうだった。 「君には、ウソは言わないさ、ルーチェ」 今日は噂の人物が現れるとあって、舞踏会は常より人が多く集まっていた。 男も女も、興味の的は、かのシーヴァス・フォルクガングを本気にせしめた 女性がいったいどんな人間か、ということである。 かつて、舞踏会では若い娘たちは、シーヴァスから声をかけられるのを待っていた。 一度たりとて彼から声をかけられたことのない娘は、 言ってみれば、女性としての魅力に欠けているか、女性として認められていないか。 いずれにしても、たとえかりそめの恋の相手にしてもらえなくとも、 彼に声をかけられることが、いわば一つの舞踏会の儀式のようなものだったのだ。 それが変わったのは、彼が退屈しのぎと言いながら各地へ魔物退治に出掛けるようになってからだった。 舞踏会に来ても、一人、窓辺にたたずむことが多かったり、 庭に出て歩くことが多くなったり。 そのころからまことしやかな噂は流れてはいたが、 だれもが、その真実を目にするのは初めてだった。 シーヴァスの到着を告げる声に、広間のざわめきが一瞬止まる。 端正な面立ちのシーヴァスは、常に舞踏会にくる女性の注目の的であったが、 今日は、その彼よりも彼にエスコートされるルーチェが主役と言ってもよかった。 当のルーチェはといえば、周囲の人間がみな自分を見ているらしいと感じて、 常ならず、緊張していた。 不安そうに、かたわらのシーヴァスを見上げると、 彼は優しく微笑んで、彼女の手を少し力をこめて握った。 それに少し、ほっとして、ルーチェは表情をやわらげると軽やかに歩きだす。 シーヴァスがいてくれる、それだけで安心できる。 「少し、踊ろうか。さあ、こちらへ」 シーヴァスがルーチェを中央へと誘い出す。 どちらかといえば、周囲の好奇心丸だしの人間たちがルーチェに話しかけるのを避けたようだった。 「シーヴァス、私、あまりダンスは得意ではないのですが、大丈夫ですか？」 「気にするな。周りのうるさい連中など。私がちゃんとリードするから、 君は私を見ていればいい」 その言葉を聞いて、ルーチェはにっこりと笑った。 「わかりました、そうしますね」 音楽が始まると、シーヴァスに合わせてルーチェは軽やかに踊った。 ところどころでステップを間違えはしたが、ルーチェには気にならなかった。 シーヴァスが気にしていなかったし、音楽にあわせて踊る、それが楽しかったのだ。 一曲を終えると、シーヴァスは 「少し、休むか？ あちらに飲み物がある」 と言ったが、ルーチェは首を横にふった。 「いいえ、シーヴァスさえよければ、もう少し、踊りませんか？」 シーヴァスは苦笑すると、ルーチェの手をとって、少しおどけたようにお辞儀をした。 「いいだろう、君の思いのままに。」 もちろん、その様子がまた、周囲の人間を驚きの渦にまきこんだのだが、 二人はまったく関係がないかのように、また音楽に合わせて踊り始めた。 シーヴァスの巧みな踊りにリードされて、ルーチェのステップはだんだんと上手くなっていった。 「ふふ、シーヴァスが上手なので、私も楽しく踊れるのですね」 「君が楽しいのなら、私はそれでいい」 「シーヴァスは、楽しくないのですか？」 シーヴァスは、その問いには答えず、ルーチェに笑いかけた。 「このところ、私も忙しくしていたからな。 君とこうやって過ごすのは悪くない」 しばらくして、シーヴァスとルーチェは、踊りの輪を離れた。 とたんに、周囲に人が集まってくる。 「フォルクガング卿、こちらの美しい方にダンスを申し込んでもいいでしょうかな」 「いや、私にぜひ」 ルーチェは、シーヴァスの顔を見上げた。 「君さえよければ、踊ってきたまえ」 そのほうが、この人だかりの中心にいるよりもましだと考えたのだろうシーヴァスがそう言う。 ルーチェはシーヴァスを振り返りながら、また踊りの輪に入っていった。 シーヴァスはそんなルーチェを見ていた。 踊りの輪に飲み込まれても、彼女の姿は彼にはよくわかった。 軽やかなステップ。しかし、相手の男が彼女を上手くリードできない。 彼女を上手く、楽しく踊らせてやれるのは、自分だけだと、そう思う。 だが、久しぶりに舞踏会を訪れたシーヴァスも、また、独りで放っておかれはしなかった。 「シーヴァスさま、御機嫌よう。久しぶりにいらしたと思ったら、 婚約者という方を連れていらっしゃるのですもの。驚きましたわ」 「ああ、これは。」 恋愛はゲームと同じ。そう考えていたシーヴァスが、かつて相手にしていた女性だ。 何の約束をしたわけでもなく、ただ、お互いの都合のいい時だけ恋しているふりをしていた。 「私と、踊っていただけますわよね？ シーヴァスさま。 それくらいの権利はまだ、私にも残っていると思いますわ。」 シーヴァスは、少なからず棘のあるその言葉に眉を顰めた。 「あの方、かわいらしい方ですわね。 でも、シ−ヴァス様のこと、どこまで御存じなのかしら。」 「少なくとも、あなたよりは私をよく知っていますよ」 シーヴァスは、言葉だけは辛辣にそう答えた。 「・・・不実な方という事も？」 その言葉に、さすがに少し不機嫌そうな表情になると、それでもシーヴァスは女性の手をとった。 「１曲、お相手いたしましょう。 それをお求めなのでしょうから」 未練の恨み言を言われるにしても、ルーチェが側にいるときでなくて良かったと、シーヴァスは思った。 彼女がシーヴァスの側を離れたのを見計らって声をかけてきたのだ。 その点だけは、この女性に感謝してもいいだろう。 シーヴァスが女性の手をひいて、踊りの中に加わる。 ルーチェが、それを見ていることには、シーヴァスは気付いてはいなかった。 |