貴婦人たちと踊るワルツは、一曲の間の駆け引きの舞台のようなものだ。 それが恋の始まりでも、恋の終わりでも。 「シーヴァスさま、あの方はどこで出会った方ですの? 今までにどこの舞踏会でも出会ったことがない方でしたわ。」 「ええ、そうでしょうね。私が旅に出ていた間に出会ったのでね。 ヘブロンの人ではありませんから」 「本当に、シーヴァスさまはひどい方ですわね。 いたずらに恋をささやいて、自分だけさっさと幕を下ろしてしまわれる」 「・・・・言い訳はしませんよ。 だが、いずれ、私かあなたかが幕を降ろすものだったはずですよ。」 「・・・ほんとうに、別れ際まで冷たい方。拒まない、でも引き留めない。 優しい言葉も思ってもいないことだからすらすら出て来る。 わかっているのに、誰もが自分だけには真実の言葉を語っていると思うのね。 あの方には、シーヴァスさまはどんな言葉をかけられるのかしら」 「・・・・」 「あの方とダンスされるシーヴァス様を見ていましたわ。 たどたどしいステップ。 どうして、軽やかなワルツを捨ててあのような稚拙なダンスを 好んで踊ろうとなさるの?」 それを聞いてシーヴァスは、わざとステップを間違ってみせた。 「失礼、しばらく舞踏会に来なかったもので、 すっかりステップを忘れてしまったようです。」 貴婦人のステップも止まる。 シーヴァスは肩をすくめると貴婦人に言った。 「このあたりで終わりにしましょう。 終わってしまった曲にあわせて踊ることなど、誰にもできはしませんから」 シーヴァスにしてみれば、それはいずれ終わるはずの関係でしかなく、 これまでにシーヴァスとかりそめの恋を囁いた貴婦人の誰も、 シーヴァスの妻となって一生をともに過ごすことを思いもしていなかっただろう。 彼女たちとて、ひとときの甘い夢を見たかったにすぎない。 だが、所詮、夢はいつか覚めるものだ。 いずれ、彼女たちはまたシーヴァスに代わる新たな舞踏会の主役を捜し出す。 彼の不実はまた、彼女たちの不実でもあった。 踊りの輪を離れたシーヴァスは、ルーチェの姿が見当たらないのに気づいた。 シーヴァスは、ルーチェの姿を求めて広間を捜し回るが、彼女の姿は見えない。 彼女はこんな場には慣れていないはずだから、一人で姿を消すとは思えない。 広間にいないのであれば、外に出たのかとシーヴァスはベランダから外に出る。 月明かりと館から漏れる明かりに、庭園がぼんやりと浮かび上がっている。 ほのかな光を反射してきらきらひかる噴水のかたわらに、彼女は腰掛けていた。 「ルーチェ・・・」 シーヴァスはベランダから階段を降りて、彼女の元へと向かう。 「あ、シーヴァス・・・ごめんなさい、探していたのですか?」 それまで何か考え込んでいたようなルーチェは、 シーヴァスの姿に気が付くとうっすらとほほ笑んで、そう言った。 その隣に腰掛けるとシーヴァスは彼女の手をとる。 「どうか、したのか? 何か、失礼な真似でもされたのか?」 「いえ、少し静かなところで休みたかっただけですから、心配しなくても大丈夫です」 「・・・そうか。 そういえば、以前も一度舞踏会の夜に、きみとこうやって噴水の傍らで話をしたな。 あのとき、まだ、君は天使だったが」 「そうでしたね」 「あのころから私は、君のことが心から離れなかった。 私は前科があるからな、君が誘いに応じてくれて嬉しかったよ」 「わたしは・・・」 ルーチェは小さな声で告白する。 「シーヴァスが初めて、自分の本心を語ってくれたことが嬉しかったです。 あなたに、信頼されていると思うことがとても嬉しかった」 彼女が、自分の思いをそのように話すのは初めてのことで、 シーヴァスは自分の鼓動も早くなることを感じた。 「そういえば、君が自分のことをそんなふうに話してくれるのは初めてだな。」 「そうでしょうか?」 「そうだ。いつも、君は私のことばかり心配して聞きたがるからな」 シーヴァスがそういうと、ルーチェは声を出して笑った。 その声がシーヴァスの耳に心地よく響く。 「私が地上に降りるときに、ガブリエル様がおっしゃいました。 誰かのために、生きることもまた素晴らしいことだと。 私は、あなたのために生きることが、自分の役目だと思ったんです。 だから、シーヴァス、あなたには幸せであってほしいのです」 しかし、その答えはシーヴァスにとっては幸せな答えとは言いかねた。 「君にとっては、今、ここにいることも役目のひとつなのか?」 つい声色が冷たくなり、彼女の手を握る手に力がこもる。 「そう、思っていました。 あなたが、私を必要としてくれることが嬉しくて、 それに応えることが私の役目だと思っていました。 でも・・・・」 「でも?」 そのとき、ルーチェは誰かの姿を認めて立ち上がった。 シーヴァスは彼女の視線の先を追いかける。 ベランダからこちらを見下ろして、先ほどシーヴァスが一曲相手をした貴婦人が立っていた。 そこで初めてシーヴァスは、自分と貴婦人が二人でいる姿をルーチェが見ていたのだとわかった。 シーヴァスがルーチェに声をかけようとしたそのとき、彼女は貴婦人にむかって言った。 「ごめんなさい・・・・。 あなたに、つらい思いをさせてしまって・・・許してください」 それを聞いた貴婦人は、侮蔑の表情で笑った。 「あなた、本当に何もわかっていない田舎娘なのですわね。 恋の勝者に同情されることほど、屈辱的なことはないですわ。」 「あの、そんなつもりは・・・」 「私にお話しがあるというなら、お伺いしますよ、 ですから、彼女をあまりいじめないでやってほしいですね」 シーヴァスはさりげなくルーチェの前に立つと貴婦人に向かって言う。 貴婦人は、しばらく黙っていたが、やがて口元に扇をあてて笑った。 「もう、終わったことに興味なんてありませんわ、シーヴァスさま」 貴婦人が傍らを振り向くと、そこには新しいお相手なのだろう、紳士が立っている。 「でも、シーヴァスさま、残念ですわ、 あなたがそんなつまらないただの人になってしまわれるなんて。」 館の中に貴婦人は姿を消した。 ルーチェはシーヴァスを仰ぎ見て、 「いいのですか?」 とたずねる。 「何が? 彼女も言ったように、もう終わったことだ、ルーチェ。 君は、彼女といる私を見ていたんだな。 でも、なぜ、君が彼女にあやまることがある?」 シーヴァスはルーチェに向き直ると彼女の瞳を覗きみた。 ルーチェは顔を伏せる。 「・・・あなたの幸せが、私の役目だと思っていました。 でも、あの方とシーヴァス、あなたが一緒にいるのを見たとき、 私の知らないあなたとあの方の時間を思ったとき、私は・・・・ 私は、気づいてしまったのです。 私は、あなたの幸せではなくて、あなたとともにある私の幸せを求めているだけなのだと。 あなたの心はあなたのもので、私のものではありません。 なのに、あの方と一緒にいるあなたを見ることが私にはとても辛かった。 私はなんて自分勝手なのでしょう。私は、自分が恥ずかしいのです。 あの方とて、私とともにいるあなたの姿を見るのは辛いでしょうに 私は自分の喜びしか見えていなかったのです」 そう言うルーチェの肩が小さく震える。 シーヴァスはその肩をそっと抱き締めた。 「ルーチェ、彼女の痛みは、君のせいではない。私の責任だ。 だから、君が自分を恥じ入る必要などない。 私が今、後悔するのは彼女を傷つけたことではなくて そのために、君がこうして泣くことだ。」 「・・・だめです、シーヴァス。 私は、あなたに優しくされると嬉しくなってしまう・・・。」 「・・・それでいい、いいのだよ、ルーチェ。 君は私に恋をしているのだから。」 腕の中で震える婚約者を抱き締めながら、シーヴァスは喜びを抑えられなかった。 彼女は、自分に恋をしている。そう、告白したのだ。 見上げる夜空には月が輝いている。 彼女がかつて住んだ天空は、あの遥か彼方なのだろうか。 やっと、天使をこの手に捕まえた。そう、シーヴァスは感じていた。 |