天使のいる場所〜angel night〜<4>

舞踏会の帰り、二人はほとんど言葉を交わすことなく馬車にゆられていた。
言葉を交わすことはなかったが、その手は堅く結ばれていた。
ルーチェを部屋まで送り届けたシーヴァスは、やっとそこで彼女に言葉をかけた。
「・・・もう少し、一緒にいてもかまわないか?」
ルーチェはその言葉を聞いて、シーヴァスの顔を見上げた。
そして、小さく頷くと、彼を部屋へと招き入れた。
シーヴァスが窓辺に佇み、庭を眺めている間に、ルーチェは奥の寝室で、 いつも彼女が好んで着る、シンプルな白いドレスに着替えてきていた。
そして、そっとシーヴァスの傍らに立ち、彼の眺める庭に目をやる。
「今日は・・・すまなかったな。
 君に、つらい思いをさせた。」
シーヴァスは、視線は庭にやったままでそう言った。
「! いいえ、そんなこと・・・」
シーヴァスはルーチェを振り向くと、その手をとって言った。
「君はまだ、私のかつての恋の相手がすべて、違う恋を見つけるまで
 私には、君と恋を語らう資格がないと言うかい?」
ルーチェはうつむく。
シーヴァスは、その頬にそっと手をあてて、顔を上あげさせると、 彼女の目を覗いていたずらっぽくほほ笑みかけた。
「君が望むなら、私は過去の恋を打ち明けるよ。君には嘘は言わないと約束したからな」
「覚えているんですか?」
ルーチェはちょっと驚いたように問う。
シーヴァスは肩を竦めてその問いに答えた。
「・・・いや、実はさして多くを覚えているわけではないからね。
 できれば君には、そんな話を聞きたいなんて望んでもらいたくはないな」
「じゃあ、いいです。シーヴァスが話したいなら、私は聞きます。
 あなたが、話したくないことは、私も聞きませんよ」
ルーチェは彼に笑いかけてそう言った。
そう言う彼女に、シーヴァスはふと真剣な面持ちで尋ねた。
「では、君は、私が聞きたいと思うことに答えてくれるか?」
「ええ。シーヴァス、あなたが聞きたいと思うことがあるのでしたら。
 私はそれに答えます」
彼女は、いつも、誰に対しても誠実だった。
彼女のその誠実さが、頑ななシーヴァスの心を開いた。
「君は、私のことをどう思っているか、聞いてもいいか?」
シーヴァスはそう尋ねた。
ルーチェは、その問に少し怯えたようにシーヴァスを見返した。
『あなたが、望むなら』
ルーチェはいつも、シーヴァスにそう応えてきた。
今夜初めて、少しだけ彼女はシーヴァスにその心を覗かせたが、 彼女自身の望みが、思いが何であるのか、それを表に出すことはなかった。
ルーチェは、シーヴァスが本気だと知ると、そっとその頭をシーヴァスにもたれかけさせた。
「・・・天使は、恋を知らないものです。
 知識として知っていても、その情動を知ることはありません。
 ですから、私は、私のあなたに対するこの思いをなんと呼べばいいのか
 わかりません。
 ただ、あなたのそばにいたいと、そう願う気持ちが私の中に強くあるのです」
「いつから?」
静かにそう問うシーヴァスをルーチェは見上げる。
「話してくれ、ルーチェ、君のことを。君の思いを。
 私に教えてくれ。君のことをもっと。
 君はいつも私を理解しようとするばかりだった。
 私にも、君のことをもっと理解させてくれ」
「シーヴァス、私はあなたが怖かったのですよ」
「怖かった? 私が?」
「ええ、あなたが。・・・あなたによって変わる私自身が」
ルーチェは静かにそう話した。
そして、そっとシーヴァスから離れると、部屋の隅にあるソファへ座る。
その姿を視線で追うシーヴァスを、窓から月光が照らしていた。
黙ったまま、シーヴァスはルーチェの言葉を待つ。
「・・・私は、天界でも地位の高い天使ではありませんでしたから、
 地上の守護を任命されたとき、とても不安でした。
 私に、勇者を導くことができるか、インフォスを救うことができるのか。
 それが、私一人の力にかかっているのですから。
 シーヴァス、あなたは、そんな私が初めて出会った勇者でした。
 ・・・あなたは、私に初めてあったとき、なんて言ったか覚えてますか?」
シーヴァスは肩をすくめた。
「さて、なんと言ったかな」
「君は、魔物か、とそう言ったんですよ」
「突然に目の前に、翼をもった人と思えぬ美しい娘が現れれば、
 それを魂を奪いにきた魔物と思っても仕方のないことじゃないか?」
「それまで、女性に対して甘くも優しい言葉を並べていた人間とはとても思えませんでしたよ。
 けれど、私は却ってそれで、あなたが本当は表面とは異なる内面を持った人間だと
 そう思うようになりました。
 最初は、そんなあなたに信頼されるようにならなければ、とそう思っていました」
シーヴァスは、窓辺を離れるとソファーに座るルーチェの隣に腰掛けた。
「でも、あなたは、いつも私に厳しくて。
 あなたときたら、仕事を受けるときも、難しい顔ばかりしていましたものね」
「すまなかった。君、そんな事を持ち出して、いまさら私を責めるつもりじゃないだろうな」
シーヴァスは天を仰いでため息をつく。ルーチェはそれを見て小さく笑った。
「いえ、ふふ、そうじゃないですけど。
 でも、いつからでしょう。あなたの言葉が、私にとって特別になったのは。
 あなたが、私をからかったことがあったでしょう。
 あのとき、私はとても傷ついた、と言いましたね」
「・・・まったく、私はもしかして君をいじめてばかりいたか?
 だが、ひとつ言い訳させてくれたまえ、あの時は私も少しは本気だったんだ。
 君を女性として、意識していたんだよ」
「いえ、責めてるわけじゃありません。 ただ、あのとき、私は驚いたんです。
 あなたの、あの行為が私をからかうためのものだと知って傷ついた自分に。
 あなたは、私を、天使としての私を変えると、そう思うと、怖かった。
 自分でも、わからない感情が心に湧き上がってくるのが、怖かったのです」
「・・・今も、私が怖いか? 自分の事も?」
シーヴァスはルーチェの頭を引き寄せ、その髪に口づけた。
そして、彼女を手をそっと自分の手で包む。
「 私は、今日、初めて・・・誰を傷つけても譲れない思いがあると知りました。
 そんな自分を浅ましいと思いながらも、いとおしいと思う自分に気づきました。
 人が生きるということは、誰かを愛するということは、そういうことなのですね。
 シーヴァス、私は、もう恐れません。
 あなたも、あなたによって変わる自分も。
 人として生きることを、あなたとともに生きることを
 選んだのは私なのですから」
それは、静かで、けれども強い言葉だった。
シーヴァスは彼女の肩をひきよせ、その温もりを確かめる。
彼女は、シーヴァスに静かに体を預けていた。
それまでのように、体を堅くすることもなく、ただ、自然に。
「このまま、君をすべて私のものにしてしまいたいな」
その言葉に、一瞬彼女は強くシーヴァスの手を握り、しかしすぐにその力を抜いた。
「シーヴァス、あなたが、そう望むのなら。
 私は・・・」
「だが、慌てないことにしたよ、ルーチェ。
 君もそう望むときまでね。だが・・・」
そっとそのまま、シーヴァスは彼女の唇に触れた。
「ただ・・・恋人に口づけることだけは、許してもらいたいな」
その言葉にルーチェは静かにほほ笑んだ。
「ええ、シーヴァス・・・今、気づいたのですけれども・・・
 私も、あなたにキスされるのは、嬉しいです」
「今、やっと気づいたのかい?
 やれやれ、私はあとどれほど待つことになるのかな」
シーヴァスはそう言って苦笑し、もう一度、いとおしげに彼女に口づけた。
今度は、ゆっくりと、深く。






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