PICNIC

「若様、おはようございます」
執事のロマーリオがシーヴァスの元に朝食を運んでくる。
久しぶりに公務のないシーヴァスは、今日はゆっくりルーチェと過ごしたいと考えていたので、
「せっかくだから、ルーチェと一緒に食事をしよう。彼女は?」
と言った。しかしロマーリオは
「ルーチェさまは随分前にもう起きておられまして
 先に朝食もお済ませになりました」
と言う。それを聞いてシーヴァスは不機嫌になった。
今日は自分が久々に休日だというのは、彼女も知っているはずだが。
一人で味気無くコーヒーを飲むシーヴァスの元に、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「シーヴァス、おはようございます」
ルーチェだ。
シーヴァスは少し不機嫌そうな顔をして彼女を見返した。
「きみはまた、随分と早起きだそうだな」
「ええ、今日はシーヴァスがお休みだって聞いていましたから。
 ほら、お弁当をつくっていたんですよ」
ルーチェが差し出したバスケットを見て、シーヴァスは目をぱちくりとさせた。
「・・・・なんだって?」
「お天気もいいですし、公園へでも出掛けませんか?」
にっこりとほほ笑んでシーヴァスに言う。
公園。シーヴァスにとって、これまでほとんど縁のない場所といえた。
「・・・・」
考え込んだというよりも、黙り込んでしまったシーヴァスに
ルーチェは不安そうにたずねる。
「あの、だめですか? なにか、予定ありましたか?」
シーヴァスはルーチェと彼女が手にもったバスケットを見比べる。
「・・・ま、たまにはいいだろう。
 君もずいぶんと退屈しているとみえるな。」
とたんにルーチェの表情がぱっと明るくなる。
「そうですか、よかった。」
そして、シーヴァスは彼女が木々や森や湖など、
自然豊かな場所が好きだったことに思い当たる。
シーヴァスの屋敷も狭くはないし、庭に木々も茂っている。
しかし、それでも解放された場所が彼女は恋しいのかもしれない。
シーヴァスは、彼の隣に座って彼がコーヒーを飲み終わるのを待っているルーチェを見つめた。
彼女は、そんなシーヴァスを見て、にっこり笑う。
「君は、毎日この屋敷の中にいて、つらいのか?」
「? どうしてですか、シーヴァス。そんなことありませんよ。
 毎日、楽しいです。広いお庭を手入れして、花を育てて。
 お料理を習ったり、本を呼んだり。ただ・・・」
「ただ?」
ルーチェは少しはにかんだように笑い、そっとシーヴァスの肩に頭をのせた。
「シーヴァスが忙しいのに、お手伝いできないのは残念です。
 あまり、こうやって一緒にゆっくりできませんものね」
「すまない。だが、君が私のそばについていてくれるから・・・
 私も公務に励むことができるんだ。」
「わかっていますよ。
 シーヴァスが頑張っているのは私もとても嬉しいのです。
 ですから、今日はせっかくのお休みの日なのですから・・・
 シーヴァスと二人ででかけたくて」
シーヴァスはコーヒーカップをテーブルに置くと
「では、ロマーリオに馬車の用意をさせておこう」
と言った。だが、ルーチェはそんなシーヴァスに向かって
「いえ、せっかくですから歩いて行きましょう。
 そんなに遠くはないのでしょう? 
 町の中をまだあまりよく知らないので、いろいろ見てみたいです」
シーヴァスはその端正な眉を顰めた。
いったい、彼女は自分が今、宮廷を含めた貴族たちの間で話題の人物だという自覚はあるのだろうか。
もちろん、そんなことは彼女には何一つ関係のないことではあるが。
彼女は、この世の何ともかかわることなく、地上に舞い降りた。
ただ、シーヴァスの手をとるためだけに。
「若様、お出掛けでしたら馬車を用意いたしましょうか」
ロマーリオが言うのに、シーヴァスは手を振って断る。
「いや、今日は歩いて行く。」
シーヴァスはルーチェの手を取って歩きだす。
「バスケット、わたしたまえ。私が持とう」
「いえ、大丈夫ですよ、シーヴァス。これくらい私にも持てます」
「君が荷物を持っているのに、私が手ぶらというわけにはいかないだろう。
 荷物を持つのは、男に任せたまえ」
「そうですか?」
ルーチェはそう言うとシーヴァスにバスケットを手渡した。
天気も良く、すっかり春めいた町は歩くのも気持ちが良かった。
「シーヴァス、あちらにあるのは何ですか?」
「ああ、あれは劇場だ。君さえよければ今度一緒に見にゆこう。
 なかなかあれで歌劇というものはおもしろいらしいからな」
「それは楽しみですね」
たあいもないことを話しながら、手をつないで町を歩く二人は
何の変哲もない普通の恋人同士に見えた。
シーヴァスは、また、自分がこんな事をしていることに自分自身で少なからず驚いていた。
しかも、それを楽しいと思っている。
「どうか、しましたか? シーヴァス?」
「・・・いや。どうかな、ルーチェ。
 わたしは、君が最初に出会ったころから、変わったのか?」
ルーチェは唐突なシーヴァスの問いに少し驚いたようだったが、やがて
にっこりと笑って答えた。
「そうですね、変わったのかもしれませんね。
 でも、本当は変わっていないのですよ。
 あなたの心の奥にあるものは、何も変わっていないと思います。
 ただ・・・・心の奥にずっとあったものを見つけたから・・
 表面は変わったように見えるのです。」
「では、君にとってわたしはずっと、どう見えていたのだろうな」
「勇者としてふさわしい心と魂に光をもった人物です」
そう、きっぱりと言うルーチェにシーヴァスは却ってこそばゆい思いにとらわれた。
「シーヴァス、あなたの心の光は、ずっとあなた自身が育んでいたものなのですよ」
だが、君がいなくてはその光も磨かれざる宝玉のごとく、
けして表に現れるものではなかったことだろう。
シーヴァスはそう思っている。
日差しの暖かな公園は、あちこちに同様に散歩に訪れた人々が芝生に腰をおろしていた。
シーヴァスとルーチェも花が盛りとなっている木の近くに場所をひろげた。
「きれいですね、シーヴァス。また、こうして花が咲き、時が巡る。
 あなたたちが、取り戻してくださった世界なのですね」
「きみも、だ。
 だが・・・そうだな。きれいだな。
 今まで私は、美しいと言い、すばらしいと言ったが・・・
 その実、本当にそうは思っていなかったと思う。
 だが、今はわかる。花が咲くことは美しく、すばらしいことだ。」
「ええ、ほんとうに、すばらしいことです」

「シーヴァス、あちらを見に行きませんか?」
ルーチェは常緑樹が小さな林になっているあたりを指さす。
「いいだろう。とはいっても、何もないぞ」
「いいんです。緑の木々の声が聞こえますよ」
ルーチェは軽やかに駆け出す。
シーヴァスはその後ろ姿を目で追いながら、その後をゆっくりと歩いてついてゆく。
しかし、シーヴァスがその林に入ったとき、ルーチェの姿はなかった。
「? ルーチェ?」
不審に思ったシーヴァスがさらに奥に進むと、
ルーチェのはいていた靴が、木々の根元に落ちていた。
まさか、彼女は靴を脱ぎ捨て、天上へ帰ってしまったのか?
慌てて空を仰いだシーヴァスの目に、ルーチェの淡い色のドレスが写った。
「あ、シーヴァス、ここです。」
「ルーチェ、君はいったい、何をしているんだ?」
シーヴァスの声が思わず大きくなる。
ルーチェはシーヴァスの頭上、木の上にいたからだ。
「あの、子猫が木に登って降りれなかったようなので・・・・」
「子猫?!」
助けを求める生き物の声を、彼女は無視することなどできないだろう。
それにしても、いったいまったく彼女のすることといえば、
シーヴァスにはまったく予測不可能なことばかりだ。
「大丈夫です、今、おりますから」
ルーチェはその問題の子猫を抱いたまま、そっと後ずさり下におりようとする。
「! 気をつけたまえ、危ない!」
言うより早くルーチェの身体が宙を舞う。
シーヴァスは考える間もなくルーチェを抱きとめるために駆け出す。
間一髪で間に合ったシーヴァスだったが、うまくルーチェの身体を受け止めることはさすがにかなわず、
彼女の下敷きとなって地面に倒れ込んだ。
それでも無事に抱きとめた彼女を抱き締めると、安堵の息をはく。
「す、すみません、シーヴァス、大丈夫ですか?」
「・・・まったく、君と来たら、私にこれまでにない経験ばかりさせてくれるな。」
思いのほかに優しいシーヴァスの口調に、ルーチェは少し驚いて彼の顔をのぞき込む。
シーヴァスは
「いったい、どうやって木にのぼったりできるんだ? 
 本当は君、まだ背中に翼を隠しているんじゃないのか?」
おもしろそうにシーヴァスはそう言うと、ルーチェの唇にそっと自分の唇を寄せる。
やっと最近、彼女も口づけだけは普通に許してくれるようになった。
「ごめんなさい・・・」
本当にすまなそうに謝るルーチェにシーヴァスは苦笑しながら言った。
「そうだな、これからは私が来るまで待ってくれ。
 そうしたら、二人で一緒にのぼるか、君をもっとちゃんと抱きとめら
 れるように下で手を広げているようにしよう」
彼女は、シーヴァスにこれからも多くのものを見せてくれるだろう。
しかし、それは、もしかしたらシーヴァスがまだ気づかない、
彼自身が持っているものなのかもしれなかった。
「で、子猫は無事だったのか?」
「はい! ほら、かわいいでしょう」
ルーチェはそれでもずっと大切に抱いていた小さな猫をシーヴァスに見せる。
シーヴァスは木から落ちた拍子に乱れたルーチェの髪を手で軽く整え、
少し擦れてしまった頬にキスをした。
たまにはこういう休日も悪くない。
そう素直に思えるのは、結局はルーチェの嬉しい、楽しいという気持ちが、
シーヴァスの心にうつっているのかもしれなかった。
そう思うとなお彼女が大切なものに思えて。
シーヴァスは彼女にほほ笑む。
それから、いたずらっぽく肩をすくめて彼女に言った。
「やれやれ、ところで、君のつくってきた弁当とやらは、
 その子猫の分もあるんだろうな」






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