HAPPY BIRTHDAY

その日、ティエラは朝から随分と忙しそうだった。朝、レイヴが目覚めると彼女はもうベッドを出ており、階下の台所で立ち働いている様子がうかがえた。
さては、自分が寝過ごしたのかと一瞬慌てたものの、窓から見える太陽の位置から考えるにそういうわけでもないらしい。今日は何かあったのだろうかといぶかしく思いながらもレイヴは支度を整えて階下に降りた。
「あ、おはようございます、レイヴ。起こしてしまいましたか?」
ティエラが降りてきたレイヴにむかって挨拶をする。焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。
「いや、そろそろ時間だから起きようと思っていたところだ。
 君こそ、早かったようだが、どうしたんだ?」
「はい、生クリームがなかったので、朝一番にもらいにいってこようと思って。」
どうやら早くに起きて、牛を飼っている家まで行ってきたらしい。いつもなら、昼間に出かけるというのに、今日に限っては朝から出かけたことに意味があるのだろうか。
「今、スープもできますから待っていてくださいね」
コーンクリームのあたたかなスープが食卓に並べられる。ハーブの混じったバターは今日もらってきたという生クリームでつくったのだろう。もしかしたらそのために早起きしたのかもしれない。豪華な食卓とはいいかねるが、温かで心のこもった食卓である。レイヴはテーブルの上の果物籠から林檎をとりあげると、ナイフを手にとって皮をむき始めた。
「あ、レイヴ、私がしますから!」
ティエラがそう声をあげるが、レイヴは苦笑しながら彼女もテーブルにつくようにと促した。
「これくらいは俺にさせてくれ、君がいつもしてくれることに感謝しているんだからな」
一緒に温かな食卓を囲んでくれる存在。それだけでどんなに心が安まることだろう。毎日のささやかな幸せ。それがどんなにかけがえのないものであるか、レイヴは実感していた。
食事の後、レイヴはティエラが後かたづけをしているのを見つめつつ、出かける準備を始める。
「じゃあ、行ってくる。」
短くそう告げるレイヴに、ティエラが手を休めてぱたぱたと駆け寄ってきた。その手に大切そうに包みを持っている。
「あ、レイヴ、お弁当です、持っていってくださいね」
テーブルに用意してあるのはわかっているのだが、彼女に手渡してほしくてつい手にせずに出かけるそぶりを見せてしまう。我ながら少し子供っぽいなと思いはするのだが。レイヴはそれを受け取ると、家を出た。今日も、空は高く青空が広がっている。ついこの前までの冬の重たい雲がどこへ行ってしまったのかと不思議に思えるほどだ。自然とほころぶ顔をいかんともしがたく、レイヴは春の小道を歩いていった。


春とはいうものの、季節はまだ浅く、レイヴが家に戻るころには日もすっかり暮れてしまっていた。いつもなら、窓からティエラの灯した灯りが見えるというのに、今日に限っては家の中が暗い。どうしたことかと不思議に思ったレイヴが扉をあけて彼女の名前を呼ぶ。
「ティエラ? いないのか?」
返事がない。こんな時間まで彼女が出かけているということはいまだかつてなくて、レイヴはもう一度彼女の名前を呼んだ。しかし、帰ってくるのは沈黙だけで。レイヴはすっと身体から血がひいていくのを感じた。もしや、彼女に何かあったのではないのだろうか? もしや、あの戦いの日々はいまだ終わったわけではないのでは・・・・レイヴは腰の剣に手をやると用心深くそれを抜いた。宵闇の中で銀色の鈍い光が反射する。居間の扉の前でしばらく様子を窺った後、勢い良くその扉を蹴破った。中へ飛び込んだレイヴだったが、そこへティエラの悲鳴に近いような声がかぶさる。
「あ! あ! レイヴ、そこ、ダメです!」
その声と同時にレイヴはいつもと少し場所が違うテーブルにぶつかり、派手な音がした。何だと考えるヒマもなく、レイヴはティエラの声がした方を振り向く。
「あ、あ、あ・・・」
慌てたような彼女の声がして、しばらくすると、灯りがともった。彼女は元気だった。部屋の中もちっとも変わっていなかった。一部を除いては。テーブルのセッティングが普段とかわっていて、花の季節にはまだ早いせいか、花ではなくてハーブでつくられたリースなんかが飾られていたりした。レイヴがさきほどぶつかった衝撃でひっくり返ってしまったのは、ケーキだ。
ティエラがなんだか申し訳なさそうな顔をしてテーブルの向こう側に立っている。
「・・・どういうことなんだ、これは?」
怒っているわけではなくて、本当にわけがわからずにレイヴが彼女に問いかける。まだ剣を手にしていることに気づいて、レイヴはそれを鞘に収めた。
「・・・レイヴをおどかそうと思って・・・」
ティエラがもじもじと目を伏せて応える。レイヴに怒られると思ったようだ。
「俺をおどかす? どうして」
「・・・だって、今日が何の日か、忘れていたみたいだったんですもの」
そう言われて、彼女とテーブルの上のひっくりかえったケーキを見比べる。
「・・・ああ・・・そうか、そういうことか」
思い当たってレイヴは苦笑した。今日は何の日か。ここ数年、そんなことを意識したためしがなかったのですっかり忘れていたが、今日は自分の誕生日だったのだ。それで今朝から彼女が一生懸命になっていた理由もわかった。いつもと違う、少しは豪華な食事、手作りのケーキ。テーブルのセッティング。準備に忙しかったのだ。
「・・・ごめんなさい」
ティエラが申し訳なさそうに言う。まるで、いたずらをとがめられた子供のようだった。
「・・・本当に驚いた。君がどこかへ行ってしまったか、何かあったのかと心配した」
「・・・そういう驚き方をすると思わなかったんです。
 レイヴが、いつもと同じように部屋に入ってきたら、灯りをつけて、
 そして「レイヴ、お誕生日おめでとうございます!」と言ったらきっと、
 びっくりするだろうな、と思って、それで」
ますます俯いてしまう彼女にレイヴは手を伸ばしてその頭をなでた。
「ああ、俺も心配しすぎた。せっかくのケーキもひっくり返してしまったしな、すまない」
苦笑してレイヴは彼女の頭を軽くぽんぽん、と叩く。子供をあやしているようだと思うが今の彼女はそんな様子なのだから仕方がない。レイヴは気を取り直したように、手にした剣を外して降ろすと、
「それじゃあ、君が作ってくれた俺がおどろくような料理というのを食べさせてくれ」
と言った。ティエラはそれを聞いて顔を明るくすると
「はい、じゃあ、手を洗ってきてくださいね! その間に並べますから」
と応えた。
誰かにこんなふうに優しく温かく誕生日を祝ってもらったのはどれくらい前のことだろう。そう思うと、彼女のその想いだけで十分にレイヴは嬉しかった。テーブルに彼がつくと、工夫をこらした料理が並べられていた。チャービルの緑が鮮やかなオムレツ、ポトフスープ、温野菜のサラダ。腕によりをかけて作ったという表現がそれこそ似合うだろう。翼を捨ててレイヴの元にやってきたころ、彼女は料理なんてほとんどできなかったというのに。「お料理をつくるのって楽しいですよ? 今度はどんなものを作ろうかな、と考えるだけで、わくわくします」そう言う彼女にずいぶんと救われた。いらぬ苦労をかけているのではないかと、時々考えすぎる癖がいまだに抜けないから。
レイヴが料理に手をつけ、口に運ぶのをティエラが息を詰めたようにじっと見ている。どうやら、おいしいと言ってもらえるかどうか、気にかかっているらしい。
レイヴは一口、料理を食べると眉を寄せて俯き口元を押さえた。ティエラが驚いたような顔になり、ついでどうしよう、というような困った顔になり、それからおろおろとした様子になる。彼女の細い腕がレイヴに伸ばされ
「レ、レイヴ、大丈夫ですか? 私、失敗してしまってました?」
心配そうにそう声をかける。しばらく俯いたままだったレイヴはやがて忍び笑いを漏らし、肩を震わせて大きく笑い出した。しばらくそれをきょとんとした顔で見ていたティエラが、やがて意味を理解してむうっと膨れる。
「ひどい、レイヴ、からかったんですね!」
「はは、いや、すまん、お返しだ、びっくりしたか?
 美味いよ、本当に美味い」
レイヴは笑いをこらえて彼女にそう言った。そんなレイヴを見て、ティエラはしばらくうらめしそうな顔をしていたが、やがて、ふっと顔をほころばせた。
「・・・でも、いいです。
 レイヴが笑ってくれて良かった。喜んでくれたならそれでいいです」
それを聞いて、今度はレイヴが少し真面目な顔になった。長い年月、笑顔を忘れていた自分にそれを取り戻してくれたのは彼女だ。それだけに、彼女のその言葉に込められた思いの深さと重さをレイヴは感じていた。
「ケーキ、ひっくりかえっちゃいましたね・・・」
少し残念そうに、彼女が言う。レイヴはそれを聞いて、大丈夫、なんでもないさと、崩れたケーキも口に入れた。
「あ、あ・・・レイヴ、そんな無理して食べなくても」
そういうティエラにレイヴが笑う。
「甘いものはあまり得意ではないが、これは美味い。上手にできてる」
「そ、そうですか? 良かった」
ほっとした様子の彼女をレイヴがじっと見つめていた。それを感じ取ったのか、ティエラが不思議そうな顔をしてレイヴを見返す。
「? どうかしました?」
「いや・・・・こういう時になんていうべきか、昔、シーヴァスにならったのだが・・・」
「? なんていうんです?」
ティエラが問い返すのに、レイヴはそっと彼女に顔をよせ、小さな声で囁いた。
「料理もケーキも美味いが、俺はそれより、君を食べたい」
数秒の後、意味を理解して顔を朱に染めたティエラが
「そ、それは、一番最後です」
と真面目に答えた。それがまた微笑ましくて、レイヴはまた笑った。幸せな毎日、幸せな誕生日。
この感謝の気持ちをこめて、彼女の誕生日には何を送ろう。そんなことを考えるレイヴだった。






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