GIFT

「こんにちは、レイヴ」
柔らかな羽音とともに、天使が舞い降りた。天使の勇者となってどれくらいになるか忘れたが、もうすっかり慣れてしまった音であり、登場の仕方である。世界の時間の輪が閉じられていて、この世は同じ時間を延々と繰り返しており、このままではこの世界は滅んでしまう。そう聞かされたのは、かなり昔のことで、あれから何度となく季節は巡り、体感した時間は何年にも及ぶものの、この世界における時間は進んではいないらしい。また、今年も去年と同じ年が始まるということなのだ。このゆがみを補正するために、各地で起こっている事件を解決していくのが勇者の務めだった。
深く考えることなく引き受けたものの、その任務は多岐にわたり、行き先もヘブロンの国内にとどまることはなかった。天使は生来の真面目さでもって任務に取り組んでおり、彼女に付き合うにはかなりの覚悟も必要だったのだと気づいたのは勇者になって少しの後のことだ。もちろん、引き受けたからには、責任を持って任務を受けてきたが、それがやがてレイヴ自身の抱える問題と直面するきっかけとなろうとは思いもしなかった。
かつての親友との再会、そして決別。
ずっと引きずっていた過去をやっと正面から見つめ、乗り越えることができた。今も死んでしまった親友とそして・・・天使には感謝している。
「今日は何の用だ? 何か新しい任務でも?」
レイヴは天使にむかってそう尋ねた。真面目な天使は任務の依頼以外でもよく会いにくる。心配だからと様子を見に来るのだ。別にもう落ち込んでいるわけではないし、心配されるいわれもないのだが、レイヴだけにではなく、おそらく全ての勇者に対してそうなのだろうと思うと彼女らしいと思わずにはいられない。
「あ、いえ、そうではないのですが・・・もしかして、お邪魔でしたか?」
少し遠慮がちに天使が応える。長いつきあいになろうというのに、相変わらずどこか遠慮しがちというか他人行儀な礼儀正しさを崩さない。それが天使の流儀というものなのかもしれないが、とレイヴは思う。
改めてその姿を見ると、翼さえなければ、天使は普通の人間の娘とほとんど変わりがなかった。淡い栗色の髪と紫水晶のような瞳、紗でできたドレス。翼を隠して田舎の道ばたで花でも摘んでいたなら、そのあたりの村娘で通るに違いない。ただし、全体から漂う雰囲気・・・品性の良さというか無垢な輝きというか、そういう人を引き付け、好ましく思わずにはいられないオーラというものは隠しきれないだろうが。天使という神の御使いにしては、彼女は好奇心が旺盛で、この世界のあらゆることに興味を示した。それもまた、人と変わらぬものだという印象をレイヴに植え付けた一因であり、この無邪気な天使は、レイヴにとってはどこか危なっかしい妹のような存在になってしまっていた。
「ああ、別にそういうことではない。また様子を見に来てくれたのだな?
 大丈夫だ、今は何も問題はない」
レイヴは天使に向かってそう言ったが、天使はそれでも何かもじもじとした様子でその場に立っていた。
「? 違うのか?」
いぶかしげにレイヴが尋ねる。
「あの、ですね。レイヴ、今日、お誕生日でしたよね?」
そう言われてレイヴは今日が何の日だったかを思い出した。そういえば、自分でもすっかり失念していた。今日は何度目かの24歳の誕生日だ。何度目かというあたりが笑わせるが。
「・・・ああ、そういえばそうだったな。 覚えていたのか、あいかわらず律儀だな、ルーチェ。
 今まで自分でさえも忘れていたというのに」
苦笑しながらレイヴは言った。実際のところ、果たして今の閉じた時間のなかで迎える誕生日には大きな意味があるのだろうかと思うのだが、それでもわざわざ祝いを言いにきてくれたのならば、礼を言うのが筋というものだろう。
「ええと、それで、ですね、プレゼントを持ってきたんです」
その言葉にレイヴは少し驚いた。プレゼント。いや、今までも確かに戦いに有利にであるようにと、いろいろと武器や防具を受け取った。それだけではなくて、気晴らしにどうぞとタンバリンだのコインだの、いったいどこが出所なのかよくわからないものももらったことがある。が、それはすべて任務に支障を来さないためのものであり、誕生日プレゼントなどというような名目のものはない。天使からはおろか、ここ何年とそんなものをもらった覚えもない。いったいどういう風の吹き回しかとまじまじと天使を見つめる。
「あの、ですね、レイヴと一番親しいだろうと思って、シーヴァスに選んでもらったのですが」
という続きの言葉を聞いて、レイヴはああ、そういうことか、と納得した。本人はおそらく無意識のうちのことなのだろうが、レイヴが思うに彼女はシーヴァスを意識している。「男」として。明らかに、レイヴや他の勇者とは違う存在として意識していると見える。会いに行きたいけれども、理由もなく会うわけにはいかないと、変にシーヴァスに対してだけ思い詰めている。今回は、レイヴの誕生日だからという理由をつけて会いにいったのだろう。別に、レイヴや他の勇者には「様子を見にきた」と言って会いにくるのだからシーヴァスにだってそう言えばよさそうなものを、そう言えないあたりがやっぱり彼女がシーヴァスを意識している証拠なのだろうとレイヴは苦笑した。しかし、である。レイヴにとっての目下の問題はそのプレゼントの中身である。「シーヴァスに選んでもらった」と今、天使はそう言った。それはかなり問題なのではないだろうか。
「・・・君は、俺へのプレゼントをシーヴァスに選ばせたのか?」
念のためにもう一度、尋ねてみる。天使は「はい、そうですが?」と不思議そうな顔で頷いた。しばしレイヴは考えこんでしまった。天使は気づいていないだろうが、シーヴァスもまた、天使をかなり意識している。そう、「女性」として。これは、このまえシーヴァスと会ったときにそれらしい事を聞かれたから確かなことだ。
とらわれたレイヴを天使に頼まれて助け出したのがシーヴァスだった。その後、出会う機会があったとき、シーヴァスは別れ際にレイヴに向かってこう尋ねてきたのだ。
「お前は、彼女のことをどう思っているのだ?」
どうやら、レイヴの救出を心配のあまり涙目でシーヴァスに訴えた天使を見て、任務を引き受けたものの心中複雑だったらしい。稀代のプレイボーイが「嫉妬」という感情をオブラートに包んでずいぶんとわかりにくく隠しながらも隠しきれずに露わにしたのを、レイヴはそのとき初めて見た。別にお前のように女性として意識してるわけではない、と言っておいたのだが、そのときも、天使を見ていて彼女が誰を意識しているか気づかないとは、プレイボーイも名ばかりだな、と思ったものだ。もちろん、いわれのない嫉妬の矛先を向けられたわけだからそんなことは親切に教えてやったりはしなかったが。
で、プレゼントである。シーヴァスに、選んでもらった、と。天使に悪気はないのだろうが、これでまた、レイヴは恋に悩む友人から文句を言われることとなるだろう。そう思うと、どうにも貧乏くじな気がしないではない。今にも溜め息をつきそうな様子で考えこむレイヴに、天使が心配そうな顔をした。
「・・・あの、レイヴ? ご迷惑でしたか・・・?」
「あ、いや、そういうわけではない。ありがとう。
 いただこう」
はっと我に返って、レイヴはそう言う。天使はほっとしたような顔で、後ろ手に隠し持っていたものをレイヴに差し出した。丁寧に包まれたそれは、受け取ると軽くて柔らかかった。
「・・・ふむ、中が何か聞いてもいいか?」
「あ、はい、シルクのローブです。シーヴァスが、それがいいだろうと言ったので・・・」
それを聞いてレイヴの身体が一瞬ぐらりとよろめく。シルクのローブ! シルクのローブを俺に着ろと? 天使の顔を見返すが、彼女はいたって大まじめである。とすると、このプレゼントに込められた悪意はもちろん、シーヴァスのものである。
「上等のシルクで、レースも最高級のものなのだそうです。 きれいでしたよ?
 女性用じゃないんですか、と聞いたんですけれど、今はこういうものがヘブロンでは殿方にも流行しているということでしたので・・・・」
それを聞いてレイヴの身体が確実によろめいた。疑うということを知らないのも、時には罪深い。シルクのレースのローブ!! 
「・・・あの、レイヴ?」
天使はレイヴの顔を心配そうに見つめた。自分が何か失敗をしてしまったのかとおろおろしている様子がうかがえる。レイヴはつとめて平静を装って応えた。
「ああ、いや、なんでもない。すまなかったな。いただこう。」
そうは言ったものの、このローブはおそらく中を見ることもなくどこかへ深く片づけられることだろう。いや、いっそシーヴァスに送り返してやろうか。だいたいからして、シーヴァスが勝手に手をこまねいているくせに、そのとばっちりを自分がくらうのは、まったくもって理不尽きわまりないことではないのか。レイヴはそう思うとしばらく考えこみ、そして天使を見て言った。
「・・・ところで、誕生日ということであれば、もう一つ君からもらいたいものがあるのだが、いいだろうか?」
「はい? ええ、私にできることでしたら、なんなりと」
思いがけないレイヴの言葉に天使は不思議そうな顔をしたが、迷うことなくそう応えた。
「そうか、では、ルーチェ、君の羽根を一枚ほしい。
 騎士は、戦いのとき守護の印を胸につける習わしがある。君の羽根を俺のお守りにしたいんだが」
「まあ、そうなんですか。ええ、どうぞ。」
天使はそう言うと、自分の翼を広げ、一枚の羽根を抜いてレイヴに手渡した。
騎士が身につけて戦うもの。それは確かに一つには神の守護を表すお守り。だが、もう一つ身につけて戦う習わしを持つものがある。それは、愛する女性からもらったもの。レイヴにとって、天使ルーチェの羽根は神の守護を表すお守りだが、それを聞いたシーヴァスがどう思うかは知らない。もちろん、これはいやがらせだ。レイヴが彼女に羽根を望んだからと聞いて、シーヴァスは彼女にそれを望むことはしないだろう。いや、できないだろう。彼女の身につけているものや、彼女自身を象徴する翼の一部分である羽根をくれ、とはシーヴァスにはもう言えない。誰かと同じものを望むなどシーヴァスはまっぴらだと思うタイプだ。少しだけいい気味だな、と内心で思ってレイヴは天使から羽根を受け取った。今度シーヴァスに会ったら、大いにみせびらかしてやろう。
思わず笑いが漏れてしまったのだろう、天使がレイヴを見て嬉しそうに言った。
「そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいです。」
ちょっと違う意味で喜んでいるのだが、まあそれは彼女には関係のないことであって。
「ああ、ありがとう。大切にしよう」
レイヴはそう言った。天使は満足そうに微笑むとゆっくりと翼を広げレイヴに礼をして天空へと舞い上がった。


その後、レイヴはもちろん、天使の羽根をシーヴァスに見せびらかしてやったのである。
が、最終的には、シーヴァスから翼を捨てた天使本人を見せびらかされることになる。それはそれで、めでたいことであるし、これでもう自分がとばっちりを受けるいわれもなくなるわけなので、レイヴは素直に友人の幸せを祝ってやった。もちろん、祝いの品に友人夫婦に送ったのは、シルクのレースのローブである。






   →フェイバリット・ディア
   →銀月館
   →TOP