どんな女性であっても、深紅の薔薇の花を贈ればそれで喜ぶ。 それ以外の花など、贈る必要はない。 少なくとも、かつてはそう思っていた。そう、彼女を知るまでは。 「これを、君に」 そう言って差し出した深紅の薔薇の花束を、天使はうれしそうに受け取った。 「まあ、ありがとうございます、シーヴァス。大切にしますね」 彼女の笑顔はまぶしかったけれど、そんな彼女に薔薇の花束はなにか不釣り合いな気がした。彼女はいつも飾り気が少なくて。淡い栗色の髪も、自然に流れるままに任されていて、紫水晶のような瞳と薄く色づいた唇が印象的な顔も、白粉や口紅と無縁で。纏う天界の衣服も金糸銀糸のきらびやかさとはかけはなれた真白な紗で、そして裸足の好きな彼女のつま先は、靴やサンダルに覆われることも少なくて、桜貝のような爪がまるで唯一の装飾品のようで。 なのに、どんなに着飾った貴婦人よりも彼女の方が可憐で美しい。本当に美しいものとは、どんな飾りも必要としないのだ。そうシーヴァスは思う。 赤い薔薇は、薔薇に罪はないけれどシーヴァスにとっては、偽りの恋のための小道具のようなものだった。だから、今、彼女に花束を贈ったけれど、それが彼女に捧げるにふさわしいものとは思えず、単純に花の美しさを喜び笑顔を見せる彼女に、自分が嘘をついているような気がする。自分が彼女に捧げたいのは、そんな花ではなくて、なのに、花の名前さえも自分は知らない。彼女にふさわしい花の姿さえ、思い描くことができない。 「シーヴァス、どうかしましたか?」 ぼんやりと考え込んでいるシーヴァスを、天使は不思議そうに、少し心配そうにそっとのぞき込む。彼女の瞳に映った自分の顔が、ずいぶんと情けないものに見えて、シーヴァスは苦笑した。自分がこれまで経験してきた女性との恋愛ゲームが、何一つとして役に立たないなんて、そんなことがあるとは。 「?」 天使は、ますます不思議そうな顔をしてシーヴァスを見つめている。彼女には、こんな思いは無縁のものなのだろうか。もどかしく思う心も、伝えたくて伝えられない葛藤も、すべて自分一人のもので、彼女の心にさざ波の立つこともないのだろうか。そう思うと、少し悔しい気もする。 「君に・・・・・君にその花束はふさわしくないような気がしてね」 なにげなく、シーヴァスはそう言った。それは嘘ではなくて、正直な気持ちではあったけれど、言葉が足りなかったと気づいたのは、天使の顔から笑顔が消えてしまってからだった。 「・・・こんなにきれいで華やかな花は、私には似合いませんか?」 抱えた花束を抱きしめるようにした天使は、こわばった顔のまま天空に舞い上がる。シーヴァスはその姿に手を伸ばし、引き留めようとするが、もはや彼の手の届かぬ高さまで彼女は舞い上がっていた。 「違う、そうではなくて・・・」 言い訳する言葉も追いつかず、天使の姿は空に消えた。しばらくの間、彼女の消えた空を見上げたまま、シーヴァスは待ったが、彼女が再び姿を現すことはなさそうだった。ため息をついて、彼は頭を振る。 どうかしている。彼女に対しては、何もかもが上手くいかない。 そんなつもりではなかったのに。傷つけてしまっただろうか。 薔薇の花に罪はないけれど。けれど、もう二度と薔薇の花を女性に贈るまい。 そう、シーヴァスは思った。 それからしばらくの日がすぎたある日、シーヴァスは妖精に天使の呼び出しを願った。 ローザは、少し不審そうな顔でシーヴァスを見つめる。 「先日のことを謝罪されるつもりなんですか?」 シーヴァスはその言葉にローザの顔を見返す。 「彼女、何か言っていたのか?」 「いえ。天使様はなにもおっしゃいませんでしたけれど。 薔薇の花束を抱えて戻っていらっしゃって。 お部屋に飾られましたけれどなんだか落ち込んでおられました。 自分のお部屋にすぐに入ってしまわれて・・・・ 薔薇の花束なんて贈られるの、シーヴァス様くらいだろうと思ってましたから。 天使様のこと、からかいになるのおよしください」 よほど、天使を大切に思っているのだろう、ローザの口調が多少厳しい。 「・・・からかってなど、いない。」 「・・・・・」 「だが、誤解を生むような発言をしたのは事実だ。 彼女に会って、誤解を解きたい。彼女を呼んでくれないか?」 いつになく、真剣なシーヴァスにローザはだまって天界へと消えた。しばらくすると、柔らかな羽ばたきの音とともに、天使の姿が現れた。 「やあ、来てくれたんだな」 シーヴァスは少しほっとしたようにそう言った。天使は、微笑んで彼に答える。 「ローザから少し、聞きました。 この間の事を気にしているのでしたら、私の方こそ、ごめんなさい。 変にムキになってしまって・・・・。 シーヴァスの周りにいらっしゃる貴婦人方とは私は確かに違いますよね」 「いや、花束を投げつけられても文句は言えない言い方だった。 言葉が足りなくて、君を傷つけたならあやまる」 「いいんです、もう気にしていませんから」 そう言いながらも、天使が以前よりも少し他人行儀なのは気づいていた。 「今日は、君に見せたいものがあってね」 「?」 いぶかしげな顔をする天使の手を引いてシーヴァスは歩き出す。 「シ、シーヴァス??」 いつになく強引なシーヴァスに天使はとまどいながら、彼の後をついていく。 緑の多い彼の屋敷の広い庭に、新しい花壇ができているのに天使は気づいた。 「まあ、シーヴァス、新しい花を植えられたんですか?」 草花の好きな天使の瞳がきらきらと輝くのが見てとれた。 その、まだ新しい花壇の前に天使をつれてくると、シーヴァスはそこに植えられた花を一本手折って天使に差し出した。 「君に、ふさわしい花をずっと考えていた。 深紅の薔薇は、美しく華やかだが、棘があって私にとっては嘘の匂いのする花だ。 この花には、薔薇の華やかさはないが、可憐でありながら毅然とした強さがあって、優しい香りがする。 君は、この花に似ていると、そう思った」 天使はその言葉に驚いたようにシーヴァスの顔を見つめ、そしてはにかんだように頬をそめてその花を受け取った。 「あの・・・・あの、ありがとうございます、シーヴァス。」 それから、彼女は愛おしむように手の中の花の香りを楽しんだ。 無邪気に喜ぶ天使の姿に、シーヴァスは、この花に託した自分の想いが彼女に通じる日がくるのだろうかとふと思う。 「シーヴァス、この花、わざわざ私に見せてくださるために植えられたんですか?」 天使の問いにシーヴァスは彼女を試すように言った。 「それも理由の一つだが・・・・・ 自分の側にずっと置いておきたかったからというのも理由の一つかな」 天使は、その言葉に首を傾げて考えるような様子を見せた。シーヴァスは、彼女の手をとって、その手の中にある花の香りを楽しみながら、先を続ける。 「薔薇の花の華やかさよりも、可憐で優しいこの花の方が美しいと私は思う。 着飾った薔薇の花よりも、この花の方が数段愛おしいと私は思うんだ」 そうして、天使の瞳を見つめて微笑みかける。しばらくの沈黙の後、シーヴァスを見つめる天使の頬がみるみる朱に染まった。 「あの、あの、それって・・・・」 天使のその反応にシーヴァスの心がさざめく。 「私の正直な気持ちだが?」 思わせぶりにシーヴァスがそう言って笑うと天使は、ますます頬に朱をのぼらせる。 「シ、シーヴァス、私のこと、からかっていますね?」 怒ったように、拗ねたように天使はそう言うとふわりと天空に舞い上がる。しかし、今回はシーヴァスはその手を取って引き留めた。 「からかってなどいない。本当のことだ」 それだけ言うと、天使の手を離す。真っ赤な顔をした天使はシーヴァスに捕まれた方の手をきゅっと胸の前で握りしめ 「あの・・・あの、今日はちょっと、私、これで帰りますね・・・・」 それだけをやっとのことで言うと天使は空へと消えていった。けれど、シーヴァスはそんな彼女の手のなかに大切そうに彼が手折って渡した花があったのを知っていたので、彼女の消えた空を見上げて微笑んだ。 相手が天使だからといって、あきらめる必要なんてないんじゃないか? 花泥棒は罪にはならない、という。 天界に咲く可憐な花を自らの側に置くことを、彼はそのとき心に決めたのだった。 |