空への手紙

ルーチェ、君は今、何をしているのだろうな。
堕天使が去り、やっと時が流れ始めたこの世界。
だが、君の姿が側にいないというだけで、私にはとてもよそよそしい世界に思えてしまう。
不思議なものだな、初めて君に出会ったときは、天使というものが存在するということが、現実離れした夢のような気がしたものだが。今となっては、君の存在だけが現実のように思える。
君は、私との約束を覚えていてくれるだろうか。
すべてが終わったその後も、私のそばにいてくれるという約束を。
あの長い戦いと旅の日々が終わってからずっと、私は君が再び私の元へ帰ってきてくれることを待っている。
君のせいで、私が最近なんと言われているか知っているか?
名も知らぬ乙女に恋をして、恋煩いに苦しむ男
長い旅の中で出会った乙女に恋破れた男
どうだ? ずいぶんとひどい言われようだとは思わないか?
それもこれも、すべて君のせいだ、ルーチェ。
舞踏会にも顔を出さず、公務に没頭する私を人はそう言うのだよ。プレイボーイの名を返上するにふさわしいエピソードを勝手に想像してね。しかし、それらの噂も当たらずとも遠からず。私はずっと、君に恋焦がれているのだから。
時々、君に出会ったときのことを夢に見る。
あんまり君が帰ってくるのが遅いから、もう一度あのころから時を始めてみたいと思っているのかもしれないな。

あのころ、私は何に対しても真剣になることができずにいた。
幼いころ両親をなくし、ひきとられてきた貴族の屋敷。祖父は厳しい人物で、幼い私に父への呪詛を絶えず吐き出していた。あらがっても反発しても、必ずついてまわるフォルクガングの家の名前。たとえどんなに嫌悪しようとも、両親を亡くした幼い自分が、祖父に、フォルクガングの家に頼る以外に生きていくすべなどないことを、私は幼いながらも理解していた。
文武に秀でた優秀な貴族の跡継ぎとなることを、私は強いられた。そしてなおさら悪いことに、さして努力も苦労もすることなく、私は・・・あるいは私に流れるフォルクガングの血は、それを成し遂げてしまっていた。祖父の望む通りの優秀なるフォルクガング家の後継者。そんな自分に心のどこかでいらついている自分にも気づかずに、私は少年から青年へ成長していった。
祖父が亡くなった後、フォルクガング家の当主となった私が、自分を押さえつけるものがなくなったがゆえに、奔放な生活に耽溺していったのは想像に難くないだろう。大貴族の当主であり、そして妻を迎えておらず、文武に優れた人物ともなれば、年頃の娘を持つ親も、娘自身も放っておかないものだ。悪い遊びも覚え、女性たちの吐息と悩ましげな囁きが私の勲章のようなものになった。
今思えば、それもまた、子供っぽい反抗の一つだったのかもしれない。
だが、私は自分の心の奥に横たわる深い傷にも気づかず、誰を信じることもなく、ただ上辺だけ華やかな暮らしを送っていた。
君と出会ったのは、そんなときだった。

不思議なことに、その日は朝から私は何かが違うような気がしていた。
何かが始まるような何かが訪れるような、そんな不思議な期待が私の心に確かにあったように思う。だから、妙にはしゃいだような気持ちになっていて、常なら手を出そうとも思わない屋敷のメイドに声をかけたりしていた。君は、ずいぶんと後まで、あのときのことを口にしていたけれど、今更言い訳と言われても、本来なら私は、屋敷の者になど手をつけたりはしないのだ。面倒な事は、嫌いなのだから。
君の気配を感じたのは、そうやって屋敷のメイドに声をかけていたときだったな。鳥の羽ばたくような、それでいて耳に心地いい不思議な音が聞こえた。なにかと思って窓を振り向くと、そこに君がいた。
君と目が合った瞬間は、忘れられない。
きらきらと輝く紫水晶のような瞳。深く心の奥にまで届くような澄んだ光を称えた君の瞳から、私はしばらく目をそらすことができなかった。まるで、セイレーンに魅入られた船乗りのような気分だったよ。私が君を魔物だと思ったのも、そう考えれば理解してもらえないかな。魂を奪いにくる魔物というものは、えてして美しい娘の姿をしているものなのだから。
 警戒して君に厳しく接した私の態度に、君はとてもとまどっていた様子だった。君は自分を天使だと言ったけれど、私は簡単にはそれを信用はしなかったんだ。誰かを信じるということは、そんなに簡単なことではないのだから。だから、君の言うこともそのときにはまだ、半分くらいしか信じてはいなかった。つまり、君には私に倒してもらいたい敵がいるということは信じたが、君が天使であり、この世が滅びに向かっているというあたりは、あまり信じてはいなかった。
 それでは、なぜ君の勇者になることを引き受けたのか、と君は尋ねるかもしれないな。それは、さっきも言ったが、私はそのころ、人生のすべてに対して真剣になれずにいた。私の心を打つものはなにもなく、日々の暮らしは退屈で単調で、そう、私の心はどこか醒めきっていてまるで、死人のようだった。繰り返される貴婦人との恋の一幕も、私を退屈から救ってはくれなくなっていた。
 君の申し出は、私に新しい刺激をもたらしてくれそうだった。たとえそれが、魔物の罠だとしても、それをはね除ける自信が私にはあった。だから、君の申し出を受けた。だが、その後しばらくは、ずいぶんと閉口したものだ。なぜなら、君ときたら時間の考えなしに私の様子を見にくるのだから。食事前だろうが、遊びにいく前だろうが、修行中だろうが、そして就寝前だろうが本当におかまいなしだったからな。常識知らずなのには、いささか私も参ったけれど、君の真摯さとそして、無心でまっすぐなその心根に、いつか君は本当に天使なのだと思うようになった。
 とはいえ、最初の任務が下されるまで、少し時間があったから、君は私のところを訪れても何をするわけでもなかったし、私はずいぶんと天使だの勇者だのいうものは、悠長なものだと思っていたものだ。もちろん、その認識はいずれずいぶんと改めざるをえなくなったけれど。
 ルーチェ、今だから私は思うけれど、私はきっと初めて君と出会ったあの時に、君の瞳を見たあの瞬間に、もうきっと君に恋をしていたのだろうと思う。君は、どうだったんだろうな。
 君の事をもっと知りたい。君ともう一度、話をしたい。君を抱きしめたい。
 ルーチェ、君が帰って来る日が待ち遠しい。君は、今、何をしている?
       


シーヴァス、あなたは今、何をしていますか?
天使である私があなたや他の勇者の方のお陰で使命を果たし、天界に戻ってからしばらくが過ぎました。本来の私が過ごすべき世界であるはずの天界も、あなたがいないというだけで、とても寂しい世界に思えます。
 私は、今、インフォスにおける堕天使との戦いをガブリエル様に報告するためにまとめています。この作業が終わり、ガブリエル様に報告がすんだなら、私はインフォスへ降りることをお願いしようと思っています。私にとっては、初めてみる地上世界だったインフォス。アカデミアで知識として学んだに過ぎないその世界が私にとって、天界よりも大切で懐かしい場所になるなんて、なんて不思議なことなのでしょうね。
 シーヴァス、あなたは私との約束を覚えていてくれるでしょうか。それとも、天界から戻るのが遅い私のことなんて忘れてしまったでしょうか?
 ・・・・ふふ、嘘です。あなたを信じていますもの。あなたは、本当は誠実な人だと信じていますから、きっと遅い私を少しじれったく想いながらも待っていてくれるのでしょうね。
 シーヴァスは、私が天界でかつてなんて呼ばれていたか知らないでしょうね。アカデミアでは優等生と言われていた私は、時として揶揄まじりに「優しくて優等生でお人形のようなルーチェ」と、そう呼ばれていたのですよ。あなたにも良く言われましたけれど、私にとって自分の意志というものは、周りの望む事を成そうとする、そのことにありましたから、誰の頼みも断れない私は、まるで自分の考えのない人形のように映ったのでしょうね。でも、インフォスでの戦いと旅の間に、私は変わったのだと思います。あなたは、自分自身が勇者として戦う間に、成長することができたと、そう言ってくださったけれど、私もまた、あなたや他の勇者たちとともにいる間に、本当の自分を見つけることができたような気がします。
 今も私は、あなたに初めて出会ったときのことをよく覚えています。
 まだ新米天使の私は、インフォスを守護するという重大な任務に押しつぶされそうになっていました。勇者を捜すこと、それから始まった任務でしたが、本当に自分にそんなことができるのか、それさえも自信はありませんでした。ただ、ガブリエル様からそうあることを望まれたが故に、私はその使命を果たさねばならないと、そう思いこんでいました。
 私を補佐してくれる妖精たちが初めて見つけてきてくれた勇者候補、それがあなたでした。シェリーは、あなたのことを線が細くてきらびやかすぎる感はあるけれど、腕は確かだとそう言っていました。私にとっては、初めて会う勇者候補であると同時に、初めて出会う地上の住人であったあなた。私があなたと会いに行くとき、どれほどドキドキしていたか、わからないでしょうね。
 私があなたの元へ降り立ったとき、あなたは屋敷で働く女性に甘くささやいているところでしたね。私はどう声をかければいいのか、とまどってしまいました。恋愛は天使には無縁な情動で、私は知識としてはそれを知っていましたけれど、その駆け引きを間近で見ることなど初めてだったのですもの。こんなことを言うと、また、あなたはくだらないことをずいぶんと覚えている、なんて怒るかもしれませんけれど、でも、私は優しい言葉とは裏腹にあなたの瞳がとても孤独だったのを覚えています。・・・あなたはこれもやっぱり、否定するかもしれませんけれど、私には、そう見えたんです。
 私がそうやってとまどいがちにあなたを見つめていると、あなたは私の気配を感じたのか、こちらを振り向きました。突然、目が合って私は言葉に詰まりましたけれど、あなたの光の加減によってはくすんだ黄金色にも見える不思議な瞳の色を、そんなことを思う場合ではないというのに、綺麗だと感じたことを覚えています。でも、あなたときたら、私を見て「魔物」だと言いましたよね。私も、最初からすべてを信じてもらえると思ってはいませんでしたけれど、私に対するあなたの態度はずいぶんと冷たく厳しいもので、私は人に自分の想いを伝えることの難しさを痛感しました。
 初めての勇者の説得に、私は必死でした。まるで、最初の一歩を間違えてしまったら、すべてが台無しになってしまうかのように、あなたが勇者の任を引き受けてくれなければ、私のインフォス守護の任も上手くいかないのではないかと、そんな不安にかられていたのです。でも、あなたは、言葉こそ厳しく冷たかったけれど、勇者の任を引き受けてくれました。私が、どれほどほっとしたか、どれほど救われたか、わかるでしょうか。本当にうれしかった。あなたのためにも、私はがんばらなくてはと、そう思えました。けれど、実は、その後、シェリーとローザが見つけてきてくれた勇者候補の説得に、私は二回続けて失敗してしまいました。ずいぶんと長い間、あなた一人だけが私の勇者だったんです。
 地上の事件を発見することにも手間取り、勇者の説得も上手くいかず、私はどうしていいのか、途方にくれてしまいそうでした。こんな事で本当にインフォスを救うことができるのか。そんな不安を紛らわすために、あなたの元をよく訪れたものです。でも、地上と時間の感覚の異なる私は、ずいぶんとあなたに迷惑を掛けてしまいましたね。特に就寝前のあなたときたら、本当に不機嫌な顔で・・・・でも、それでも一応会って話をしてくれる優しさに、私はほっとしました。
 勇者候補の説得に失敗した後、私はずいぶんと自信をなくしていました。心なしか重たい翼をはばたかせ、あなたのところを訪問したのはその帰りのことでした。あなたは、そのとき、剣の修行中で不思議に機嫌良く私を迎えてくれましたよね。
「どうした、ルーチェ。今日は何の用なんだ?」
「いえ、様子を見に来たんです。調子はどうですか?」
「見ての通りだ。しかし、天使も勇者もずいぶんと暇な仕事らしいな」
あなたの何気ないその言葉は、私にはとても痛い言葉でした。
悠長にしている訳ではないのですけれど、どうしても上手くいかない自分に私は沈みこんでいました。
「? どうかしたのか?」
あなたは、そんな私の様子に気づいたようでしたけれど、私は天使としてそんな不安な表情をあなたに見せるわけにはいきませんでした。ですから、なんでもないふりをしていました。でも、そのままペテル宮に帰る気分になれなくて、しばらくあなたの修行している姿を見ていてもいいかとお願いしたのです。あなたは、不思議そうな顔をしましたけれど、苦笑しつつもそれを許してくれました。私は、剣をふるうあなたの後ろで、ずっとあなたを見ていました。
 しなやかで流れるような剣の動き、あなたの実力がわかるかのようでした。私が背後にいることなど、気にもとめないかのように、あなたは真剣にそれでいてどこか楽しげに剣をふるっていました。私は、そんなあなたをずっと見ていました。・・・見とれていたと言うほうが正しいかもしれませんね。
 そして、真剣なあなたの姿を見ているうちに自信をなくしている自分が情けなくなってしまいました。たとえ他の勇者候補を説得できなくても、あなたがいる。勇者という任務のために、懸命にこうして剣技に励むあなたという勇者がいてくれる。それなのに、自分が今頃から、少し上手く事が運ばないからといって弱音を吐いてどうするのかと、そう思ったのです。そうしたら、急に私は元気になることができました。
 まだ、大丈夫。勇者が誰もいないわけではない、あなたという勇者が私にはついていてくれる。そう思ったら、とても気が楽になりました。来たときとはうってかわって晴れやかな顔で天界に帰る私を、あなたはやっぱり不思議そうに見送ってくれましたね。あなたはきっと、気づいていないでしょうけれど、シーヴァス、私はそんなふうに、ずいぶんとあなたに救われたのです。
 たぶん、私があなたを特別に感じるようになったのは、そんなことがあってからだったのでしょうね。あなたがいてくれる、あなたならやり遂げてくれる。そんな想いが私の心の奥底に隠れていて、ずいぶんと私は勇者であるあなたに甘えていたと思います。
 困難な依頼や、他の勇者に断られた依頼・・・ずいぶんとあなたにお願いしました。あなたなら、きっと。そんな風に無意識に私は思っていたのでしょう。過度なまでの、私のあなたへの信頼と期待。それをあなたは淡々と受け止めて勇者としての任務を果たしてくれました。
 シーヴァス、私のあなたに寄せるその信頼が、いつ人の子のいう恋という情動に変わっていったのか、私にもわかりません。けれど、その想いを知った今、私はとても幸せで満ち足りているのです。
 あなたの元へ、いつか帰る自分を知っているから。
 早くあなたの元へ戻りたい。あなたの声を聞きたい。
 もどかしい心を抱えながらも、私は今、幸せです。
 シーヴァス、あなたは今、何を思っていますか?
 私のことを少しでも思っていてくれるなら、どんなにうれしいことでしょう。






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