ルール
証言1
 その日、僕はむぎちゃんに頼まれて、クッキーをお裾分けしてあげたワケ。なんたって、いつも僕たちのために頑張ってくれているかわいい家政婦さんなんだもん。もうお店に出かけるのも遅い時間に甘いものが食べたくなった彼女に、持ってるクッキーをあげるのなんて当たり前じゃない? もちろん、僕は彼女のためにあげたわけで。それから、一人で食べるのも寂しいんじゃないかなーと思って、一緒に食べてあげようかなーとか思ったわけ。それもごくごく普通のことだと思うんだ。
 ところがだよ。僕が彼女とのクッキータイムを楽しみにうきうきとリビングに向かったら、そのリビングからは楽しそうな声が聞こえてきたんだ。そっと覗いたら、そこではすでにお茶会が始まっていたわけ。
『依織くん、このお茶、なに? すごく美味しい! それにいい匂い…』
『ああ、この前、見つけたんだよ。ちょっとオリエンタルな甘い香りがするだろう?』
『うん、香りが甘いからお砂糖なしがちょうどいい感じ。クッキーの甘さとも良くあうね』
『フフ……喜んでもらえて良かったよ。君が仕事で疲れたときに、ほっとできるといいなと思ってね』
そう言いながら、さりげなく彼女の髪に触れる松川さんの仕草がまた手慣れていて、僕は(むぎちゃん、アブナイよー!)って心の中で叫んだね。邪な松川さんのあの視線に気付かないなんて、ホントに彼女って素直で純粋なんだもの、男は狼なんだよ、特に松川さんなんて飢えた狼なんだから。僕は、松川さんにむぎちゃんが食べられちゃうのを防いであげようと、リビングの中に入ろうと思ったんだ。でも、そのとき。ドアの隙間から覗いている僕と松川さんの視線が合ったんだ。
……そのときの僕の恐怖ってわかる? 視線で殺されるかと思ったよ! 邪魔をしに来たらコロス、そう言ってた、絶対!! あの人、女の子には優しくて甘いけど、本当は容赦ない人なんだから……僕みたいに繊細で虚弱体質な人間なんてホントに一ひねりでやられちゃうよ……。さすがに僕だって命は惜しいから、残念だけどその場を引き上げたよ。でもむぎちゃんがあの後、松川さんの餌食になっちゃったんじゃないかってホントに心配。
っていうか、松川さんが食べるってわかってたら、あまーいクッキーじゃなくて、激辛いたずらクッキーをあげたのにさ。
「瀬伊……君、その激辛クッキーを僕が食べた後、自分がどんな目に遭うかは考えたことないのかい? もちろん、間違ってむぎが食べてしまうこともありうるし、そうなったときは、もっと酷い目に遭うところだけれどね?」
「……ほら。暴力反対だよ、僕」


証言2
 俺は、親切でカメラを貸してやったんだ。まあ、俺は2台、デジカメを持っていたし、松川さんが最近、写真をちょくちょく撮るようになっていたの知っていたから。あの人、写真集とか良く見てるし、撮ってる写真もなんか、空とか海とか、そんな感じのもんばっかりだったと思ってたんだ。いや、屋上でカメラ持って夕日とか撮ってるの見たことあったから。そんで、その日は俺はちょっと早く帰ってきて、部屋に居たんだ。そしたら、珍しく松川さんが来て、どうしても撮りたいものがあるんだけど、カメラが壊れてるからデジカメを貸して欲しいって言うからさ。貸してやったんだ。2台あるし、俺は持ってるけどそんな使ってねーし。ま、そのまま、俺も貸したこと忘れてたんだけどよ。
 こないだ、そのカメラが返ってきたわけだ。多分、自分のカメラをやっと直したんだろ。あの人、ああ見えて所々めんどくさがりのとこがあんだよ。こまめなところはめちゃくちゃこまめなのにな。極端っつーか。ま、とにかく2ヶ月ぶりくらいにカメラが返ってきたんだけどもよ。データ! 撮影したデータが残ってんの! それも、風景写真とかならともかくだな………。
 すっ、鈴原の、ね、寝顔とか……そっ、そーゆーなんつーか、とにかくっ、そんな写真は、自分たちだけで見とけっつーの。なっ、なんかもう見ちゃいけねーもん、見せられた気がしたじゃねーか。つか、あいつがリビングでうたた寝してたときの写真だって後から聞いたけど、顔のアップで部屋とか見えてなかったから、いらねえこと考えて慌てたじゃねーか。いや、あいつがまさかとは思ったし、まさか家の中でとは思ったけど、相手は松川さんだし、俺は地下の部屋だから2階で何やってるかなんてわかんねーし………いやっ!! 別に、とにかくっ! 人から借りたカメラで妙なモン撮影すんなっつーの。つか、百歩譲って撮影したとしても、データは消しといてくれ! ていうか、俺はもう松川さんにはカメラ貸さねえかんな。


「……ねえ、麻生、君、いったい、むぎの寝顔の写真を見て、何を想像したんだい?」
「なっ、何も想像してねえよっ!」
「ウッソだ〜。羽倉ってムッツリだよねぇ。どうせ、松川さんとの事後の写真じゃないかとか思ったんじゃないのー?」
「バッ、バカヤロウ! んなわけあるかっ! 一宮、てめえ、いい加減なこと言いやがって、こらっ!」
「……麻生、瀬伊のことはいいから、君、こっちに来なさい。ちょっと俺と話をしようか」
「ゲッ……いや、松川さん、待った……うわーっ!!」


証言3
 あいつらはまだいい。部屋が地下で、二人と一緒のフロアじゃないからな。俺は松川さんや鈴原と同じフロアに部屋があるんだぜ。見たくもないもの見たり、聞きたくもないものを聞いたりすることもあるわけだ。それでもまあ、プライベートなスペースであるそれぞれの部屋でのことなら、俺だって目を瞑る。二人が付き合うのは自由だしな。
 だが、だ。あれは俺が仕事の合間に少し眠気を覚まそうと顔を洗いに洗面所に行こうとしたときだ。松川さんが洗面所に入ったので、先を越されたな、と思って戻ろうとしたんだが。洗面所の扉が開けっ放しだったので、何かあったのかと思ったんだ。いや、鈴原が来てからは家の中も清潔になったから、そんなことはないとは思ったが、以前、洗面所で猫くらいの大きさの鼠と遭遇したことがあったからな、それがまた出て、固まってるのかと思ったわけだ。
俺も、そこで見に行かなければ良かったんだが、魔が差したんだろう。何か不都合でもあったかと、松川さんに声をかけようとしたんだ。ところが、開いた扉の中では松川さんとあいつがじゃれあっていたわけだ。
「むぎ、悪いけれどこれからここを使いたいのだけれど。掃除は後にしてくれるかい?」
「やだ」
「おや、いやなのかい?」
「今掃除する!」
鈴原はバカだからな、変な時に維持を張ったりする。相手が松川さんだと余計にその傾向があるな。
「じゃあ、僕がシャワーを使っている間にお風呂を掃除するかい? 僕は構わないけれど?」
もちろん松川さんは余裕だったぜ。あの人が今更鈴原に裸を見られて困るなんてあるはずないしな。鈴原も止めておけばいいものをバカだからな。
「いっ、いいよっ。一緒にでも!」
「…ふうん」
ニヤリと笑った……ああ、あれは確かに「ニヤリ」と形容するのがふさわしい笑みだったぜ。そう、ニヤリと笑った松川さんの手が鈴原の髪に触れたと思ったら、あいつの髪がほどけたのには驚いた。どれだけ器用な手なんだかな。もちろん、鈴原も驚いていたぜ。
「なっ、なんで、髪をほどくのっ」
「その方がかわいいと思って。それに、一緒に風呂に入るんだろう?」
「ちっ、ちがっ!あたしは、そのっ、掃除をっ」
もちろん、松川さんがそんな言葉を聞いているはずもなく、わたわたしている鈴原を抱き寄せるまでは見ていたな。いい加減ばかばかしくなったからそこで離れたけどな。あの後どうなったのかはわからんが、鈴原のことだから、また同じようなことを繰り返して、そのうち本当に松川さんと一緒に風呂に入る羽目になりかねんと俺は思っている。というわけで、俺は最近、自室以外はなるべく何も見ない、気付かない振りをしているんだ。その苦労も少しは考えてもらいたいものだな。
「それはそれは、申し訳ないね、一哉。今度から洗面所のドアはしっかり閉めておくことにしよう。君を悩ませてはいけないからね」
「…松川さん、あんた少しも反省していないだろう」
「何か反省すべきところが今の君の話にあったかな」


「とにかく、今の話を総合するとだな。公共スペースでいちゃいちゃしない」
「ああ、いいよ。これからはむぎとのお茶会は僕の部屋ですることにしよう。むぎを独り占めできるから僕だって歓迎だ」
「いちゃいちゃするときはドアを閉める」
「もちろん、なんなら鍵を閉めてしまってもいいな」
「いやまて、それはだめだ。鈴原に何をする気だ、あんた」
「何って…そりゃあ恋人どうしなら当然のこと、かな」
「もういっそ、家の中じゃ何してもだめってことにすればいいじゃん!」
「ふうん、じゃあせっせとむぎと出かけないといけないな」
「バカ、外泊とかされたらどうすんだ、まだ目の届く家に居られた方がマシだろ」
「でも、家の中にいても目のやり場に困るんだよ!」
「それは羽倉が免疫ないからじゃないの」
「うるせえ、一宮」


「どしたの、依織くん、みんな、何か困り事?」
「やあ、むぎ。仕事終わったのかい?」
喧々囂々と他の3人が話し合っているのを後目に、依織はとっととその場を離れてむぎの側へと向かう。自分たちのことだというのに、涼しい顔だ。
「うん。ねえ、一哉くんたち、いいの?」
ここ最近になく真剣な様子の3人をむぎは少し心配そうに見やる。
「いいんだよ、彼らは暇なのさ。お姫さまのいる僕と違ってね。さあ、それじゃあ僕の部屋でお茶会をしよう。すてきなハーブティーを手に入れたんだよ」
「お部屋で?」
「そうだよ。お茶会は僕の部屋で。僕らの新しいルールらしいからね」
「え? そういう決まりになったの?」
「気を利かせてくれたんだよ、きっとね。僕たち二人の時間を邪魔しないようにってさ」
まだ続く3人の話をどこ吹く風とばかりに、依織はむぎの肩を抱いてキッチンへ向かった。残りの3人肝心の人物の不在に気付くのは依織の部屋でお茶会が始まった後のこと。結局、どんなルールを決めたところで依織を喜ばせることにしかならないという結果にむなしいため息をつくことになるのだった。






フルハウスキス
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