あなたの側が…私の楽園 ……ここは? …そんな、嘘!? …だって確かに私はこの世界に別れを告げたはず! ヴィスティは…目の前の光景が信じられなかった。 自分は確かにあの岩棚の上で…ディアンのダガーで喉をついたのだ。 喉に狂おしいほどの熱を感じたのを今でも覚えている。 けれど…そっと首筋に手を置いても何の痛みも熱さも感じなかった…。 それなのに…今、目の前に見えるのは幾度も夢見たディアンの家。 今まで眠っていたのは硬い岩棚でなくとても柔らかな…かすかに、消毒液の匂いのするベッド。 …全て…夢…だったの? そう思ったとき、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた小切手の束にヴィスティは目を止めた。 その小切手に、彼女は見覚えがありすぎた。 …夢…じゃない…じゃ、どうして??? ゆっくりとヴィスティは起きあがり…辺りを見まわす。 やがて、彼女の頭にある一つの考えが浮びあがった…。 …ここは、楽園? …そうね、天界じゃなく、楽園に来てるんだわ。 …だって、ここは私にとってはまさしく楽園なんだもの。 …愛するディアンのいる処が、私にとっての、楽園………。 …え?………ディアン!? ここにまで考えがいたり…はじめてヴィスティは硬直した。 …どうして? …ディアンの為に生きようとしていた願い…それすらも拒否された私がこんな所にいられるはずがない! ドアに思わず向かおうとして、ディアンに会ってしまったら…、そう思った彼女は、窓から脱出を図ろうとした。 この家の家人であるディアンに気付かれないようにそっと窓をあけ…辺りを見まわし、2階の窓から飛び降りようとし、窓の縁に両足をかけたその時…。 「何処に行くつもりですか? ヴィスティ…。」 …………え? 少し高めの…落ちついた声がヴィスティの真下から聞こえ、その弾みで彼女は足を滑らせてしまった。 「危ない!」 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 ヴィスティは、後から自分を襲うであろう衝撃に備え、目をつぶった。 だが…、衝撃はいつまでたっても訪れない。 衝撃が訪れるはずもないのだ…、何故なら…彼女はディアンに受け止められていたのだから…。 「全く…窓の下で見張っていて正解でした。あなたは…また、私から逃げるつもりだったのですね。」 ヴィスティが恐る恐る目を開くと、どれだけ拒絶されても恋しくて諦めきれないと思った愛しい人がそこにいた。 ディアンの優しい瞳が、自分を見つめてくれている…それだけで、彼女は切なくて泣きそうになった。 「降ろして…、降ろしてください……………お願い……」 その思いから逃げるように自分を抱き止めているその腕から逃れようとして、ヴィスティは暴れた。 だが、いくら武道で鍛えているからとはいっても、所詮は女の腕…。 本気になった男の腕から逃れられるものでもない。 ましてや、生涯ただ一度だけ、自分が全てをかけて愛し、今でも尊敬している男の腕からどうして逃れられよう。 ヴィスティは…自分が女であることに…唇を噛み締めていた…。 「逃げないと約束するなら、降ろしますよ。」 「………!」 バレてる…? どうして? ディアンはそれに答えようとはせずに…言葉を続けた。 「どうやら、私があなたに対して行ったことの全てが違う意味に取られたみたいですから…、弁解くらいはさせて欲しいのですが…それすらさせてもらえないのでしょうか?」 …別の意味? 思わずヴィスティは顔を上げてディアンを見た…。 ディアンは、ヴィスティに対し軽く頷いて見せてから彼女を地面に降ろした。 だが、逃げたいと思うヴィスティに対しディアンはどうしても彼女を逃がさないという強い意志をその目に宿しながら彼女を見ていた。 それを見て、逃げられないと感じたヴィスティは、ディアンの側から離れることを、とりあえず…あきらめた。 彼女が逃げないことを確認したディアンが、ヴィスティを家の中に誘った。 応接室の椅子にヴィスティを座らせ用意しておいておいたハーブティーを彼女に渡し、ディアンも椅子に座った。 「どうやら…私のしたことは…あなたを嫌った上でやったことだと思われているようですね…」 ヴィスティが娼婦をやってまで稼ぎ出した金をディアンは全て娼婦だった彼女と寝るために使った…。 それは、より深く自分を傷付け、拒絶するための行為だと…そう彼女は思っていた。 ディアンが何を思って自分を買ったのか…ヴィスティに分かろう筈もない。 「だって…、だって…、娼館で小切手を見たときは…」 そこまで言いかけて、ヴィスティは口を閉じる。 その言葉を聞いたディアンが、やはり…と、確信を強くした。 「やはり、あの小切手は今まであなたが送ってくださったものだったのですね。」 確認の為に、彼は…、娼館で問い詰めた時と同じ質問を口にした。 「………………ええ、ディアン。」 もう言い逃れは出来ない…と、そう思ったヴィスティは、娼館で言った言葉とは…全く逆の言葉を口にした。 ディアンがグリフィンの案内でヴィスティが客を取っている娼館にまで来た時、彼女が連れていた二人のボディガードとディアンが争いあったのだが、そんな時、グリフィンが頭痛で倒れ込んでしまったので、館の中に彼等をいれざるを得ない状況に陥ってしまった。 その時に、ヴィスティはディアンに聞かれたのだ。 「この小切手は…今まであなたが送ってくださったのですか?」と。 一介の娼婦の元にまで鳴り響いているディアンの名誉…。 それを、自分のことで傷付けるわけには行かないと、彼女は感じたからこそ、その時は小切手のことを否定した。 そうすることで、彼の名誉を守りたいと…そう思っていたのだ。 「あなたの医者としての名前を…傷つけたくなかったの。だから…あの時は否定したわ。」 ヴィスティの言葉に…ディアンが軽い溜息をついた。 「全く…貴女は…余計なことを考えすぎるのですよ…。あの時、素直にそう言っていれば私はどんな手段を使っても貴女をここに連れて来たものを…。」 「そんなことを言われても、あの時は私はあなたにずっと嫌われてると思ったわ! …いいえ…今も! …あなたに犯された、あの時も……………!!」 ヴィスティが言葉を最後まで言い終えないうちに…乾いた音が…彼女の耳に届いた…。 彼女の右頬に、熱がこもっていった…。 「人の気持ちを勝手に自分で推測して、勝手に結論を出し、行動するのは…、天使の頃からの貴女の悪い癖ですよ… ヴィスティ…。」 ディアンのいつになく真剣な眼差しに…ヴィスティは頬を打たれたのではなく、心を打たれたような気がしていた。 もっと自分を見てほしい…そう、ディアンにいわれているような気がしていた。 「記憶の戻らぬままに貴女を犯したことを謝ろうと思い…あれからずっと私は貴女を探し続けました。けれど、私は貴女の行方の手がかりを掴むことが出来ませんでした。……自分の底に眠っていた激情をあれほど激しく憎んだ日々は、あれがはじめてでしたよ。」 ディアンの瞳が、苦しくゆがんでいく……。 「だが…それでもまだ、その時は貴女を人間にする決心をさせた人と幸せに暮らしているのかもしれないと思い、私はもう一つの自分の願いに専念する事を決めることが出来たのですよ。貴女の筆跡で書かれた、金額の大きすぎるあの小切手が届き始める前までは…。」 彼の両手が、きつい握りこぶしを作っていく…。 「あの小切手が届いてからは…貴女が心配で…本当に気が狂いそうでした。私の為に危険なことをしていないか…誰も知らないところで人知れず泣いていないか…、貴女を見つけだそうとして…郵便屋を何度問い詰めたか分からない…。 グリフィンという人から貴女の行方を聞くまで…、私がどれだけ辛い日々を過ごしてきたか、貴女に想像できますか?」 ヴィスティの瞳が驚きに見開かれた…。 ディアンの為にやっていた事が…逆にディアンを苦しめていた…そんな事実に、彼女は打ちのめされそうになった。 ディアンの気持ちに耐え切れなくなった彼女は…思わず反抗した…。 「でも…それじゃぁ、私は…私はどうすれば良かったの? 貴方に嫌われていたと分かっていても…貴方の為に生きていたくて…地上に降りた私はっ!」 ヴィスティが行き場のない気持ちを…はじめてディアンにぶつけるように言い放った。 それはまるで、大岩にぶつかる波のようだとヴィスティは感じていたが言わずにはいられないほどの思いがそこにあったのだ。 そんな彼女の気持ちを遮るように…ディアンは言葉を放つ。 「あなたが別れを告げに来たあの時、あのくらい言わないと私は貴方を無理にでも自分のものにしそうだった! 激情のまま貴女を犯した時と同じように…。貴女が…愛しすぎて…。」 思わぬ言葉に、ヴィスティは絶句した。 「何度もあの娼館に足を運び…貴女を抱いたのも、これ以上貴女を他の男などに汚されたくなかったからですよ…」 ディアンは恥ずかしそうに彼女にそう告げると…彼女の側まで寄って行き、ふわり…と、まるで壊れ物を扱うようにヴィスティを抱き締めた…。 「どうか……もう、私から離れないで下さい…。貴女に何かあると…今度こそ私は気が狂うでしょう…。」 先ほどからの告白を信じられない思いで聞いていたヴィスティが…おそるおそるディアンに聞く。 「……側にいても…いいのですか? あなたを…裏切ってしまった私が…。」 そう言いながら…ヴィスティの闇色の瞳からは、あふれるほどの涙が流れ出ていた…。けれど、それは、不快な涙ではなかった。 「もう…何も、言わないで下さい…。勇者としての記憶が戻った時にシェリーから事情は全て聞きました。」 ディアンがヴィスティを抱き締める腕に徐々に力をこめていった。 ヴィスティを抱き締めるディアンの肩が震えていた。 ディアンに応えるようにヴィスティの身体も震えていった…。 この気持ちをなんと告げるべきか…ディアンは言葉が見つからずにいた…。 だから、何万年も何百万年も昔から使い古された言葉を…ディアンは口に浮かべる。 「ヴィスティ…今でも…貴女を愛しています…。貴女がいないと、もう生きては行けない…。」 その気持ちに…ヴィスティも言葉を見つけられずにいた…。 だから、昔々から使われていた言葉を、口に浮かべた。 「私も…ディアン…あなたを……愛しています。貴方の側に…いさせて…ください。」 ヴィスティがディアンから身体を離し、顔を上げると…、いつも通りの穏やかなディアンの瞳が目に入った。 吸い込まれそうな銀の穏やかな瞳…。 どちらからともなく、二人が顔を近づける。 最初は弱く…次第に強く荒々しくなっていく波に二人が飲みこまれていくのにさほど時間はかからなかった。 ここが天国と呼ばれる所でも、たとえ地獄と呼ばれる所でも そんなのは私には関係ないの… だって…あなたの側が…私の居場所 あなたの側が…私の…楽園 ■後書きという名の言い訳 あ、あぶない。裏に突入2秒前…。 すとーーーっぷっ。>自分 はい…。おとぎばなしを聞かせてという作品の中にあるグリフィンが消えた直後のアルヴィース家の様子を書かせていただきました。 いやー、苦労しました。何が苦労したかって、おとぎばなし直後のディアンにあれだけの告白をさせることに、どれだけ時間を費やしたことか…。 私がおとぎばなしの中で彼を鬼畜行動に動かした事に怒り出したディアンが、しばらく…自分の気持ちを語ってくれようとしなかったために何度も何度も煮詰ってしまったのでした。 某所で行われているなりきりがなければ、この作品…完成しなかったかも。(爆) 私の頭の中では、ディアンとヴィスティって、一旦こじれると関係修復までにかなりかかりそうなカップルのナンバーワンじゃないかと思ってました。それを、森生さんの作品…「はじまりの唄」に触発されて、ここまで話を膨らませることが出来たのは彼女が「天使が記憶を取り戻す条件」を別作品で設定していた時からでした。 森生さん(ガブリエル様)が設定するところのその条件とは…「記憶を取り戻した勇者からのキスで、天使の記憶の封印が解ける」って書いてあったのをみて、私の頭の中で一気に煩悩が爆発したんです。 年齢25才・死別はしているが彼女もちだったディアンだから、大人な展開も望めました。 ゲームに設定してある彼のあの性格だから…「おとぎ話…」を含めたこの話が出来ました。 ちょっと強引な話だとは、自分でも思ったけれど、彼等が満足できるならそれでもいいかなと、最近、思うようになってきています。 ホントに、この話、自己完結だけど、書いて良かった…。 読んでくれてるみなさんが、ちょっとだけでも楽しんで貰えたら、嬉しいです。 この話を生み出してくれる元の文章「はじまりの唄」を作ってくださった津神森生さんに、多大なる感謝を示しながら、HP上では一連のシリーズをここに完結させたいと思います。 機会があったら、ディアン・ヴィスティ版の話のコピー本でも作って、誰かに挿絵頼んで…同人でも出そうかな。 心の中でそんなことを思いつつ… 猫まねき |