by エルス
<1> 今日もいい天気だった。もっとも、時が同じところを巡る今のインフォスにおいて、天気の悪い日はまったくないといってもいい。今日が晴れならば一夜明けた次の日も晴れなのだ。 ともあれ、美しい夕焼けをぼーっと見つめながら、短めの黒い髪と、宝石のような紫の瞳を持つ若い天使は、もう何度目なのかもわからない深いため息をついた。 今日は、勇者の一人に同行し、パーティを見物(?)してきた。カノーア国王子の主催だけあってなかなか華やかなものだったのだが……。 「ビーシア……」 彼の、ラビエルの勇者の一人である少女の名だ。キンバルト王国ノバの武道家の跡取「息子」として育てられたため、少々男勝りではあるが、素直でまっすぐなその性格を彼はとても好いていた。いや、もっと言えば……はっきりと恋をしていた。人の子に恋心を抱くのは、決して天界で許されていることではないのだが、戒律で心は縛れないということを、ラビエルは最近よく知ることとなっていた。 またため息をつきそうになり、ラビエルはとっさに口を押さえた。いいかげん自分のため息にうんざりしてきたのだ。 (ビーシアは、とても愛らしかったのに……なぜあんな心無いことを。救いといえば、ミリアス王子だが……) ミリアス王子は、誰にでも誠実な好青年だった。ビーシアは彼に心を寄せ、偶然彼からパーティの招待状をもらい、嬉しい気持ちでいっぱいで出席したのだろうに、他の招待客からの中傷の言葉にいたたまれなくなり、飛び出していってしまった。 (かわいそうに。きっとまだ傷ついてる。私はどうしたら……) 天使であるということが、彼を縛っている。すぐにでも駆けつけたいのに、背中の両翼は枷でしかない。 もっとも今会いにいったところで、ビーシアのいるところは真夜中なのだが。 「天使様っ!」 「うわあっ!?」 いきなり耳元で叫ばれ、ラビエルは危うくバルコニーから落下しそうになった。空を飛べる天使が転落してはしゃれにならない。どうにか持ちこたえ、自分を脅かした源を突き止めようと、首をきょろきょろと巡らせた。 「いつまでそうされているおつもりなのですか。そろそろお入りください。私たちの報告も残っているのですよ」 彼の補佐の妖精の一人であるローザであった。鹿に似た姿をしている彼女は、厳しい声で続けた。 「これ以上待たされれば、フロリンダが寝てしまいます。さあ、こちらへ」 きびきびしたローザにせかされて、ラビエルは妖精たちからの一日の報告を聞くために部屋に入っていった。が、彼の気がかりは消えないままであった。 「で、私に相談しに来たというわけか」 「はい。……お願いします、シーヴァス」 太陽が昇るのをじりじりしながら待ち、ラビエルはヘブロン王国へと向かった。そこにも彼の勇者がいるのだ。シーヴァス・フォルクガングといい、王国の貴族である。ラビエルが同性としてもっとも信頼している青年だ。 朝早くからの訪問にシーヴァスは不機嫌な顔で出てきたが、部屋には入れてくれた。いまさらだが、ラビエルは深く恐縮し、縮こまって彼が着替えをすませるのを待った。出された紅茶はしっかりと二杯おかわりしたが。 ラビエルから一通りの話を聞き終えた(ビーシアについての賛辞がかなり多かったが)シーヴァスは、おろしたままの豪奢な長い金髪をけだるげにかきあげ、眉根を寄せた。顔立ちが整っているので、そういう表情でも十分に絵になるなあと、ラビエルは間の抜けたことを考えていた。 「しかし、ラビエル」 「はい?」 シーヴァスは表情を一変させ、人の悪い笑いを浮かべながらラビエルに顔を近づけ、ささやいた。 「人にはとやかく言っておきながら、なかなか」 「シーヴァスっっっ!?」 よく熟れたトマトのように赤面して立ち上がり、その拍子にテーブルに思い切り足をぶつけて跳ね回るラビエルの様を見て、シーヴァスは大爆笑している。貴婦人たちと過ごしているときの彼を見た者には、にわかには信じられない姿である。彼自身もこんな自分はラビエルくらいにしか見せない。 「もう頼みません! 帰りますっ!」 「まあ待て。悪かった」 目に涙を浮かべて窓に駆け寄るラビエルの服のすそを、シーヴァスはむんずとつかむ。その拍子にラビエルはバランスを崩し、今度は窓のさんにいやというほど顔面を打ちつけることとなった。 そしてこのあと、また同じような一幕が展開されたのは言うまでもない。 <2> なにが足りないのだろう。なにがいけなかったのだろう。 ビーシアには、それがわからなかった。なぜわからないのかも。 物心ついてからずっと、『息子』として育てられてきた彼女にとって、普通の同い年の少女たちの心はわからない。そしてまた、異性のことも謎であった。 昨日、ビーシアは憧れていたミリアス王子から、パーティに招待された。ほんとうにうれしくてどきどきしたから、いままでいちどもはいったことのない洋品店に出かけていき、全財産に近い額をなげうってドレスを買ったのだ。それなのに、彼女と同じように王子に招待されていた貴族たちの反応は冷たいものだった。 昼下がりの風はとても心地よかったのだが、ビーシアの心のもやまでは消し去ってくれないようだった。 「ビーシア?」 遠慮がちな少女の声は、ビーシアの真後ろから聞こえた。 振り返った先にあったのは、長い茶色の髪を頭の上で結った、可憐な少女だった。 年のころは、ビーシアと同じくらいである。 その少女の名前を、ビーシアは一呼吸おいてから思い出すことができた。 「ティアか……」 ビーシアと同じ天使の勇者、ティア・ターンゲリ。彼女と知り合ったきっかけは、まったくの偶然がいくつも重なったことだった。たまたま同じ時間に同じ食堂にいあわせた二人のところに、天使が二人のための新しい武器を持って尋ねてきたのであった。それ以来彼女たちは、旅先で会うたびに親しくしている。 「久しぶりね、こんなところで会えるなんて嬉しいわ」 はにかんだように笑うティアを見て、ビーシアは胸のわだかまりを打ち明けてみようと思った。 (勇者になるまで『普通の女の子』だったティアなら、いいアドバイスをくれるかもしれない) 利用するみたいなのがいやではあったが、とにかくビーシアはティアと一緒に近くの食堂に入っていった。 しかし、ティアに相談しても、ビーシアの悩みは解決しなかった。それはそうだろう。貴族階級の者の考え方など、貴族にしかわからない。 「そうだよなぁ。ごめん、ティア。オレが悪かったよ」 「ううん。私こそ、お役に立てなくて……」 食事が終わってしまったので、二人の少女たちは街道を歩きながら話をしていた。 ビーシアが持ちかけた相談事は、主に貴族たちからの中傷に関することだった。よほど悔しかったらしく、彼女は話の途中でこぶしをバキバキやっていた。ティアはそれに仰天したが、とりあえずすべてを聞き終えたのだった。 「……ねえ、ビーシア」 「うん?」 ティアの宿泊している宿屋の前で別れるとき、彼女は思い切ったような口調で切り出した。ビーシアは少し驚いたが、立ち止まって続きを待つ。 「訊いてもいい? あの……私の思い込みならごめんね。ビーシアは、話に出てきたミリアス王子って方のこと……」 「ミリアス王子のこと?」 真っ赤になってティアは少しもじもじしていたが、言うことははっきりと口にした。 小さな声で、一言。 「好き、なの?」 「なっっ!?」 今度はビーシアが赤面し、大声の早口で一気にまくし立てる。 「ななななななに言ってんだよティアっ!! おおおおオレ、オレの宿屋あっちだからもう行くからな!」 そしてぎくしゃくした動作で回れ右をして、去っていってしまう。右手と右足がいっしょに前に出ているのを見て、よほど動揺したのだなぁ、とティアは悪いことをしたような気になってしまった。 胸のわだかまりが心無い言葉のせいではなく、恋という甘い病気によるものだということを、まだビーシアは気づいていない。 <3> ラビエルがシーヴァスのところに相談しに行って(散々からかわれただけという説もあるが)、二日が経過した夕方のベテル宮。 夕焼けに染まったバルコニーで、またしてもラビエルは暗くなっていた。 前日に任務をこなしてもらったお礼として、今日ラビエルは天界に赴いて、ビーシアのために新しいアイテムを手に入れてきた。それを渡そうと彼女のもとを訪れたのだが、運悪く彼女が傷つくところを目撃してしまったのであった。 ビーシアがほのかな恋心を抱いていたミリアス王子は、婚約者アーシェ王女のためのドレスを仕立て、届けさせていた。その一部始終をビーシアは見てしまい、落胆してその場を走り去っていってしまった。ラビエルはあわてて彼女を追い、なにか言葉をかけようとするも、彼女の顔を見ると喉が麻痺してしまって使い物にならなかったのだ。そんな彼の内心を知ってか知らずか、ビーシアは気丈に笑ってくれたのだが……。 (どうしたらいいのだろうか。せっかくシーヴァスがよいアドバイスをくれたというのに、実行できなかったし……) そのアドバイスというのは実はシーヴァス独自の方法なので、ラビエルがもしも言われた通りにしていたとしても、果たして丸く収まったかどうかは定かではない。彼の方法というのはつまり、彼だから成功する方法とも言えるのだから。 「天使様っっ!?」 「わわわわっっ!?」 この間と同じように耳元で怒鳴られ、再び転落の危機にさらされるラビエル。 とりあえず体勢を立て直した彼の前には、またしても不機嫌な顔のローザがいた。 そして、またまた同じような光景が展開されたのであった。 さらにラビエルの行動パターンが明快であることを裏づけるかのように、彼のとった行動もこの前とまったく同じだった。 ただし今回は真夜中で、出された飲み物はいくぶん強いブランデーだったが。 フォルクガング家のシーヴァスの寝室で、ラビエルはひたすら恐縮してブランデーをこくこくやっていた。天使である彼には、人間界の者はあまり干渉できない。彼にとっては酒も水もほとんど変わらなかった。 それでも酒をすすめるのは、多分この家の主人が飲みたいからなのだろう。 「話は大体わかったが……。なぜ君は非常識な時間にばかりやってくるのだ?」 自分に恨みでもあるのか、と言いたげな視線でシーヴァスは向かいに座る天使をにらんでいるが、ビーシアのことで頭がいっぱいになっているラビエルは気づかない。 ため息をついて、コップをテーブルに戻した。そしてまたため息。 ラビエルのペースが速いため(酒としての効果がないからだが)、シーヴァスもさっきから何度も杯を明けている。そろそろ彼のほうは酔いが回ってきていた。 人間というものはたいてい、酔ったときは行動がおかしくなる。今夜ラビエルは、それをいやというほど実感することとなった。 「ラビエル」 「はい」 ここに来てからずっと飲むばかりでうつむいていたラビエルは、突然名前を呼ばれて目を上げた。楽な服で寝台に座っているシーヴァスは、酒が入っているからかいつもと違うように見えた。彼のハシバミ色の双眸は潤んでいるし、肌もほんのり赤い。 (人間って、お酒を飲むと綺麗になるんですね……) ビーシアにも飲ませてみたいなぁとかぼんやり考えていると、金髪の青年は人の悪い微笑で何気なく尋ねてきた。 「君は、口づけの経験はあるのか?」 がげんっ!! ラビエルは、椅子ごと思い切り後ろにひっくり返った。 「そう驚くこともないだろう。まあ、その様子だとなさそうだが」 「当たり前です! 天使が人間にそんな……っ!」 「私は別に『人間』に断定してはいないが」 「うっ」 床に座り込んだまま言葉に詰まってうろたえているラビエルに近づき、シーヴァスは軽くその顎を捕らえた。 「私が少し教えてやろうか?」 「結構ですっっっ!!」 絶叫に近いラビエルの声が、そろそろ白み始めた空に吸いこまれていった。 「おはよう。あれ? どうしたんだお前?」 早朝の修行中のビーシアのもとに、ラビエルは降り立った。 ふらふらと飛んできたラビエルがどこかやつれているような気がしたので、ビーシアは不思議に思った。天使でも体調が悪くなるのだろうか。 「具合が悪いんだったら、無理すんなよ。そうだ、オレいい薬持ってるから、今ひとっ走りして、宿屋から取ってきてやろうか?」 「い……いえ、結構です。ありがとうございます、ビーシア」 まさか酔った男に迫られたとは言えない。 「今日はオレと一緒にいてくれるのか?」 「え?」 ラビエルは、本当はベテル宮に戻るつもりだったのだが、眼下にビーシアの姿が見えたのでつい降りてきてしまったのだ。それを正直に言おうかとも一瞬思ったが、やめた。今日は一日、彼女と過ごしたかった。彼女がもう一度ちゃんと笑えるかどうか、彼の目で確かめたかった。 「はい、そうです」 「そうか。ありがとな、ラビエル」 かすかにビーシアは口元を緩めた。 (あ……) それは彼が期待するような、心からの微笑ではなかったけれど。 彼女が笑ってくれたことが嬉しくて、天使の青年も笑顔を返した。 この天使は気づいているのだろうか。 ビーシアは修行を再開し、自分の背後に立っている天使のことを考えていた。 (ラビエルが笑ってくれたら、何でこんなに元気が出るんだろうなぁ) 戦いで怪我をしても、いやなことがあって沈んでいるときも、あの美しい天使がそばにいてくれれば平気だった。気持ちのよい、晴れた日の夏の朝を思わせる彼の笑顔を見れば、彼女はどんなことにも耐えられるとさえ思えた。彼女にとって、ラビエルの存在はもはや必要不可欠なものとなっていた。 (まあ何でもいいや。オレがしなきゃならないことは) 「もっともっと強くなることだぁっ!」 気合一閃、ビーシアの拳が近くの大木の幹に決まる。すごい音がしたため、ラビエルが跳び上がったのを見て、彼女は思わず大笑いした。 胸でわだかまっていたもやは、すでにもう消えていた。 ラビエルとビーシアが互いの想いを通わせるのは、少し先のことだ。 そのとき二人は、『恋』を育んでいく方法を自分たちで見出すことができたのである。 あとがき 今回は天使の名前を変えたほうがよかったかもしれませんね。名前つけてもらうところまで書きたかったんですけど、なんとなくビーシアにはこういう感じのほうがいいような気がして、こうなりました。二人とも初々しいですねぇ(^^)。 男の子が恋愛に関してどういう風に感じているのかはちょっとわからないので、想像で書きました。だけどなんだか、酔ったシーヴァスが出したかっただけのような気もしてきた……。ナーサディアのあのイベントからヒントを得たんですけど……うう。男の人たちがちょっと吹っ飛んだストーリーでした(^^;)。 |