鬼やらい


「景時さん、今日は早く帰れそうですか?」
出がけに見送ってくれた望美にそう尋ねられ、景時はしばし考えた。相変わらず日々は忙しいけれど、望美が早く帰ってきて欲しいというなら、何がなんでも早く帰ってくる所存だ。今日は予定では午後から北山の方へ出向いて、急いで用事を済ませれば夕餉に間に合うように帰ってこれるだろう。九郎には頼み込んで北山から直接帰って良いように許可をもらおう。
「……うん、大丈夫、夕餉までには帰ってくるよ」
そう言ってにっこり笑うと望美がとても嬉しそうに微笑み返してくれて、朝から景時はそれはそれは幸せな気分で仕事に出かけることができた。もちろん、北山の後、直接そのまま邸に帰ると言って、九郎に微妙な表情をされたことも気にならない。それはまあ、九郎は可哀相に今日は宮中に呼ばれて慣れない雰囲気の中で過ごさなくてはならないのだから、気の毒ではある。
「いいじゃない、節分の追儺式なんて誰でも見れるってものじゃないんだから。
 大きく構えて、見物してきなよ」
励ますつもりでそんな風に言ってみたものの、もちろん逆効果で
「来年はお前に行ってもらうからな、絶対だぞ、絶対!
 なんなら、弓引きの儀に推薦しておくぞ」
などと言われる始末。
「や〜、弓引きは年男がやるんだよ、オレは当分無理だな〜」
などと、それでも暢気に応えては、九郎もとうとう怒るより呆れて黙ってしまった。弁慶が小さく震えていたのは、笑いを堪えていたのだろう。それを横目で眺めて九郎が大きく溜息をつくが、当の景時はといえばまったく気付いておらず、頭の中は別の考えで一杯だ。
(そういえば、今日は節分か〜。だから望美ちゃんも早く帰って来て欲しいってことだったのかな。
 ということは、今日の夕餉は何か特別なのかな?)
望美は自分の世界の行事を暮らしの中に取り入れて、時に景時を楽しませてくれた。確か、節分についても何かあると言っていた気がする。もちろん、望美の知らないこちらの世界での行事も、珍しがって楽しがって、率先して計画してくれる。同じ節句ごとでも望美たちの世界とではやり方が違ったり、そんなときは両方を取り入れて楽しんだり。賑やかなことが好きな景時にとっては、1年の間に随分と楽しみが増えたというものだった。
節分と言っても宮中の行事で、邸ではせいぜいが厄除けの守りを提げるくらいのことなのだが、望美のことだから何か考えでもあるのだろう。
(そういえば、豆が何とかって言ってた気がするな〜)
夕餉は豆料理かなあ、などと暢気なことを頭の隅に考えながら景時がその日一日を過ごしたのは間違いのないことだった。


「ただ〜いま〜」
それはもうすごい勢いで磨墨を飛ばして帰ってきた景時が邸に戻ると望美が奥からぱたぱたと元気良く迎えに出てきた。
「お帰りなさい! お疲れ様〜! でも、今日はもうひと頑張りお願いしますね!」
さてはてなんだろう? と思いながらも景時は望美に手を引かれるようにして邸に上がる。何をするのかと尋ねたいところなのだが、望美が楽しそうなので何か計画でもあるのだろうかと敢えて何も聞かないことにした。今の今まで何かしていたのか、袖を邪魔にならないように襷がけした姿も甲斐甲斐しく可愛いとか思ってしまう自分がかなり重症に思える。景時を部屋まで導いた後、着替える景時を残して望美は夕餉の膳の用意をしに下がる。さっさと着替えを済ませた景時が、さて、もうひと頑張りというのはなんなのだろうと考えていると、望美が邸の者と共に膳を運んでやってくる。特に変わった膳であるようには思えなかったが、望美が枡に豆を盛っているのに気付いた。
「先にご飯食べちゃいましょう。それから後で、豆まきしましょうね!」
「豆まき?」
「頑張って炒ったんですよ〜」
望美が少し得意げに言う。夕餉を共に取りながら望美が言うには、望美のいた世界では、節分といえば豆まきなのだという。「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を外に、邸の内に撒くのだという。なるほど、鬼やらいを各々の邸でもやるということらしい。邸の穢れも払われ新たな春を迎えることもできようというものだろう。
「他にもね、こういう太い巻き寿司を作って、恵方を向いて黙って一本食べるっていうのもあるんですけど
 私がね、黙って食べるの苦手だから、それはナシ」
思わずそれには景時が噴出してしまう。
「なしなの? ナシでもいいの?」
「いいんですー。景時さんとお話しながら食べたいんだもん。一本食べるの結構大変だし」
確かに景時も想像してみて、二人揃っているのに黙ったまんまの食事というのは楽しくなさそうだ。その代わりにちゃんと鰯は食べますよー、と膳に乗せた鰯を示して望美が言う。
「へえ、これも節分なんだね」
「そうですよ、それで、鰯の頭を柊の枝に刺して玄関に吊すのが魔よけです」
「へえ〜。邪気払いなんだね、じゃあ頭残して食べないといけないな」
頭を残すのは私でも出来るけれど、景時さん器用だから後で鰯の頭と柊で作って吊してください、とお願いされる。なんとなく、これまでに望美に聞いた彼女の世界の有りようから考えて、こんな風にこちらに近い魔よけや鬼やらいの習慣が残っているのが、なんだか景時としては面白くも嬉しかった。
「あ、あと、豆撒いた後で年の数だけ豆食べるんですからね」
へえ、とそれにもまた景時が感心するけれど、すると毎年、豆を食べる数が増えていくわけだね、ということにも感心する。長生きすればするほどたくさん豆が食べられるんだからいいよねえ、などと言うと望美も頑張ってたくさん豆を食べられるように長生きしてください、なんてことを言う。そんなことを言われると、それだけで途端にもう顔がにやけて堪らない。少しでも長く生きたいなんて贅沢なことを思うけれど、それもこれもただただ、彼女と少しでも長く長く共にありたいからなんて、言ったら彼女はどんな顔をするだろうなどと考えてしまう。
夕餉が終わって膳が下げられると、望美が豆をずいと置く。
「これを撒くんだね?」
そう景時が念を押すと望美が
「あっ、ちょっと待ってください! 皆も呼んで来ますから」
と言って奥へ姿を消す。夕餉は二人でゆっくりと、と気を遣って他の部屋にいた朔や白龍、黒龍を連れてきた望美は、さらに手に何かを持っていた。景時の視線に気付いたのか、望美はそれを景時に向かって差し出して見せる。
「じゃーん、これも今日頑張って作ったんですよ〜」
望美の手にあったのは、紙に筆で描かれたの鬼の面だった。それに糸が通してあってどうやらそれで被るものらしい。
「じゃあ、これからくじを引いて、当たりの人が鬼の役ね!
 豆を撒かれたら、門の外まで逃げて、それから戻ってくること」
なるほど、鬼に見立てて本当に鬼を追い出してしまおうということか。なかなか本格的な鬼やらいのようだ、と景時は感心する。白龍や黒龍も興味津々の様子だ。朔はもちろん、望美がやりたいということに異論などないだろう。そんなわけで、皆でくじをひいたのだが……おそらく、その結果にはしゃいだのは望美一人だっただろう。他の4人にしてみれば、皆とても意外だった。朔などはあからさまに景時に向かって『何をやっているんですの、兄上…』と言いたげな視線を送っていた。景時もまさかこうなるとは思ってもいなかったのだが……
「わー、私が当たっちゃいましたね! じゃあ、私が鬼役で!」
うきうきとした様子で、望美が鬼の面を被ろうとするのに景時は慌てた。
「や、や、望美ちゃん……! それはいけないんじゃないかな!」
たとえ鬼役だとはいえ、望美に豆を投げて門から追い出すなど出来るはずもない。
「えー? どうしてですか。私が当たったのに」
「や、だって、ほら、望美ちゃんは、この邸の女主人なんだしさ、そんな人に豆を投げるなんて……」
「そんなこと言ったら、誰がやっても駄目なんじゃないですか?」
むう、と望美が頬を膨らませて不満そうな顔になる。景時は慌てて手を振って
「いやいやいやいや、そんなことないよ! 鬼の役決めて豆を撒くって楽しそうだし!
 ほら、それじゃあオレが鬼の役をやるからさ! オレなら体も大きいし豆の投げがいがあるでしょっ」
「……納得できませーん! 私がこの邸の女主人なんだから豆を投げられるなんて駄目、っていうなら
 景時さんはもっともっとこの邸にとって大切な人じゃないですか。ますます豆なんて投げられないですよ」
朔が自分の横で額に手を当ててため息をついたのが景時には聞こえたような気がした。九郎たちに対してなら、立て板に水を流すかのようにすらすらと言い訳も出てくるというのに、望美が相手ではちょっとした嘘一つでもしどろもどろになってしまう。
「でもね……」
なんとか切り抜けようとする景時だが、上手く理由をつけられない。するとますます望美の頬が膨れていって景時を見上げる視線が上目遣いになり、唇が不満げに尖りだす。不穏な空気を感じたのか、白龍と黒龍が
「神子! そのお面、わたしもかぶってみたいな!」
などと手を挙げて言うのだが、望美はすっかりもう信用していない様子で、面が二人の手が届かないように高く手を上げる。それへ景時はひょいと手を伸ばして、望美の手からその面を取った。
「だから、やっぱり、鬼はオレがやるってことで……」
ところが途端に、望美がそれこそ今にも角が生えてきそうな表情になって、勢い良く飛び上がって景時の手からまたまた面を取り返そうとする。
「景時さんっ!!! ぜ〜っったいっ! ズルになるのはイヤ!
 せっかく、くじを引いたんですから、当たった私が鬼でいいんです!」
こうなっては最早仕方がない。第一、楽しいことのはずの豆まきが、これではすっかり楽しくなくなってしまうではないか。景時は困った顔になりながらも、望美に面を手渡した。望美はそれを受け取って満足そうに笑顔になった。自分自身に対しても常に公平で、景時や朔や白龍にとって自分がどれくらい特別なのかなんて考えてもいないのだろう。黒龍にとってさえも、朔を別にすれば一目置かれているということに、ちゃんと気付いているのかどうか。うきうきした様子で、面をかぶった望美は、豆の入った枡を景時に手渡す。
「はい、じゃあ、これ。
 『鬼は外、福は内』って言いながら撒いてくださいね」
そうして軽やかに庭に降りてしまった。
「あっ、の、望美ちゃんっ……」
庭に降りた望美は両手をぶんぶん振って、早く早く、と催促しているようだった。景時は豆を手に途方に暮れそうになる。白龍と黒龍も景時を見上げて、どうしたものかと考えているようだ。朔はもちろん、言わずもがな。しかしながら、この豆まきは望美が何より楽しみにしていたもので、でも、望美を鬼に見立てて追い立てるなんて、とぐるぐる考えていた景時はとうとう、豆を手に掴むとそれを庭に向かって大きく撒いた。
「お、鬼はーうち!! 福もーうちっ!」
「か、景時さんっ、鬼、鬼も内になってますようっ」
慌てたように望美がぱたぱたと駆け寄ってくる。
「い、いいんだよ。やっぱりいくら鬼でも望美ちゃんを外に払うなんてできないもの。
 そ、それに、鬼だからって外に追い出しちゃ可哀相だよ。良い鬼だっているかもしれないでしょ。
 だから、もう、その、皆、内でいいいじゃない。鬼だけだと困るけど、福も内だったらさっ」
些か声がひっくり返りそうなのは、本当に鬼が来たらちょっと困ると思っているからでもあって。いやでも、鬼って言っても、ほら、リズ先生だってあんなにいい人なのに京の人からは『鬼』なんて呼ばれていたんだから、やっぱり鬼っていってもそんな悪いわけじゃないかもしれないし。第一、悪い鬼だったとしても、一応、オレだって陰陽師だし、それに龍神さまだって小さいけど二人もいるし、そのうえ、その神子さまだって二人もいるんだし、やっぱ、大丈夫なんじゃないかな、とか内心いっぱいいっぱい考えている景時だった。そんな景時を庭から見上げていた望美だったが、どんっ、と庭から飛び上がってぶつかるように景時に抱きついてきた。景時は慌ててそんな望美を支えようとしてよろめき、手に持った枡から豆が辺りに散らばってしまう。思わず、転げそうになりながらも
「ふ、福は〜うち〜!」
と景時は叫んだ。ばらばらと散らばった豆を拾って、まるでそれが合図だったかのように白龍と黒龍も辺りに撒きだす。
「福は〜うち! 鬼もーうち!」
「鬼は〜うち! 福も〜うち!!」
その賑やかな声に混じって、望美は結果的に押し倒してしまった景時の耳に笑いを含んだ声で囁く。
「やっぱり、景時さんって、すごくすごく素敵。とってもとっても大好き!」
そうして言うだけ言うと、軽やかに起き上がって白龍や黒龍に混じって豆を撒きだす。
「福は〜うち! 鬼も〜うち!」
首を押さえながら上体を起こして、景時は座り込んで豆を撒く3人を眺める。その傍らに朔が寄って来て
「……兄上らしいですわね」
と言うのに、肩を竦めた。
「……どうにも、やっぱり締まらない兄でごめんね」
「……褒めてるつもり、でしてよ」
小さくそう言った朔に驚いて景時が顔を上げると、そのときにはもう、朔は望美たちに混ざりに行ってしまっていた。
楽しそうな4人の後姿を眺めて、景時は満足そうに微笑む。なんて、幸せな光景。福は既にもうここにあるではないかと思う。こんなにも幸せなのだから、寂しい鬼も悲しい鬼も、皆ここへ来ればいい。ちょうど空き部屋だってあることだし。賑やかなのは嫌いじゃないし。
(……なーんて、考えちゃうとは、オレも望美ちゃんの前向きが移ったんだろうなあ)
「景時さん、ほら、景時さんも、もっと!」
望美がやってきて景時の手を引き立ち上がらせる。手を引かれるまま、景時も豆まきの列に加わった。
賑やかな豆まきの声はそれからしばらく続いたのだった。






ということで節分編でした。
いやいや、たいしたネタでもないのに大遅刻です。
要するに、望美が鬼役になってしまって「鬼は内」になっちゃう梶原家を
書きたかったのでございます。


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