エイプリルフール




春休み。学年が変わる休みのために、さほど宿題も出てなくて、のんびりした気分になる。おかげで、初めて出来た恋人とも楽しい時間を過ごすことができて望美は満足だった。昨年のクリスマスにこの世界へやってきてそのまま、ここへ留まってくれた大好きな人。あれから3ヶ月、すっかりこちらの世界に馴染んでしまったように見える景時は、今ではむしろ望美よりも物知りかもしれない。新しいカフェや雑貨屋、流行りのレストラン、レジャースポット……軍奉行という職業柄、情報を集めることが得意だったとはいえ、その才能はこちらの世界でも遺憾なく発揮されているようだった。もちろん、こちらの世界で自分の才能を平和的に活用できることは、景時にとっても嬉しいことなのに違いなく、そして仲間たちとともに乗り越えた迷宮の冒険、そして望美を結界から救い出した自信が景時を変えていた。『オレって駄目なヤツなんだよ』『オレにも何かできるなんて錯覚しただけで、本当は大切な人ひとりだって守れない』などと諦め顔で言っていた景時が、今では明るい顔で笑って望美に手を差し出し、さりげなくリードしてくれる。それが嬉しくて、くすぐったくて、そして少しばかり戸惑いもしてしまう望美だった。景時がこちらに残ってくれて嬉しくて、想いが通じたことも嬉しくて、けれど、神子と八葉という関係が強調されないこちらの世界では、急に、景時は大人の男の人なのだということを思い知らされた気がしてしまうのだ。
(…景時さんは、何も変わってないと思うんだけれど…)
別に、景時を遠く感じたりするわけではない。そういう意味ではきっと、あちらの世界の景時の方にこそ、どこか壁を感じていたと思う。何度か別れを繰り返すたびに、それを感じていた。やっと共に生きる道を選ぶことができて、今は景時の心をとても近く感じる。けれど、これまでは、どこか望美が景時を励まして、引っ張ってきた……ようなところがあって、それゆえに年齢の差も感じないような気安さがあったのだ。しかし、このところ、すっかり年相応の自信をつけた景時には、望美の方がずっとリードされっぱなし、どきどきさせられっぱなし、なのである。そして、それがなんだか望美には悔しいのだった。
(景時さんのことも、どきどきさせたいなあ〜)
かといって、自分が景時に可愛く色っぽく迫るなんてことは無理だ、どう考えても恥ずかしすぎる。そういう方面でのどきどきを彼に与えるのは無理だろう。じゃあ、やきもき、というのはどうだろう。つまりは、景時をどきどきはらはらさせてみたいのだ。
居間のソファに座って、テレビをつけたまま見るともなく見つつ、そんなことをつらつら考えていた望美は、ふと壁にかかっていたカレンダーに目をやった。
(あー、そうか、もう3月も終わりなんだ)
結構、早かったなあ、と思ってはた、と気付く。そうだ、明日は4月1日、エイプリルフールではないか。嘘をついても良い日である。というか、嘘で誰かを驚かしても許してもらえる日、というか。そうだ、これだ、と望美はぐっと手を握る。景時はもちろん、エイプリルフールなんて知らないだろう。望美が嘘をつくなんて思いもせずに警戒することなく引っかかってくれるに違いない。
しかし、肝心の嘘の内容だが。それが思いつかない。
「だってー、なんか、そんなちゃちな嘘だったらすぐバレちゃいそうじゃない?」
「そう?」
「それにー、いくらエイプリルフールって言っても、あんまり深刻な嘘は後から自己嫌悪になりそうだし」
「そうだね、望美ちゃんは優しいから」
「もっと、さりげなくて本当にありそうで、後から笑えるようなのがいいよね」
「うん、そりゃあ、そうだよね」
思わず、口に出してブツブツ言っている望美に、後ろからいちいち相槌をうってくる声に気付いて望美はがばっと振り向いた。
「かっ! 景時さんっ! 何時の間に来たんですか!」
「えっ、いつって、さっき」
焦ったあまりに顔が赤くなってしまった望美を、目をぱちくりとして景時が見下ろす。何処から聞いていたんですか、と聞こうとしたけれど、それでは却って景時を不審がらせてしまいそうだと望美は落ち着くように深呼吸をした。そんな望美を心配げに景時がかがみこんで顔を除きこむ。
「どうしたの? 何か心配事?」
至近距離でじっと瞳を見つめられて、途端に望美の心拍数が上がる。「な、なんでもないんです」と小さな声で囁く。
景時を気に入っている母が、今にお茶菓子とお茶を持ってやってくるだろうと思うと、気恥ずかしくて、望美はぱっと景時に背を向けてソファに深く座りなおした。景時がそんな望美の隣に滑り込んで腰掛ける。こんなことも自然な身のこなしになって、何時の間にか当たり前のように寄り添いあうようになって、それが嬉しくて、でも、今でもとてもドキドキしてしまう。
「それで、えいぷりるふーるって、何?」
「ええっ!!」
つい、うっとりしていた望美は、景時の言葉に我に返った。
「き、聞いてたんですか?」
「? うん。何か、望美ちゃん、悩んでたでしょ?」
「あ、えーと、その……学校のね……そう! 学校の、新入生歓迎会の出し物があってね! それ、それなの!
 だから、大丈夫、心配しないでね!」
「……ふーん、そうなの?」
「そうです、そう。だから、気にしないでくださいね!
 それより、今日から公開の映画があるんですよ、お茶飲んで一休みしたら出かけましょう、ね?」
それきり、景時も望美に何も尋ねたりすることはなく、望美の母が何時の間に用意していたのか、とっておきのケーキと紅茶を持って現れ、それらを味わいながらひとしきり話してから二人で映画を観に出かけた。そうして夕方景時は望美を家まで送り届け、そこで二人は別れた。しかし、望美は知らなかった。その後、家に帰った景時がすっかり使い慣れた文明の利器・電話でもって、こちらの世界の頼りになる友人に連絡したことを。
「あー、将臣くん? こんばんはー。ねえ、ちょっと尋ねたいんだけどさー、「えいぷりるふーる」って何か知ってる?」


■□■


そして4月1日。今日は望美が景時を迎えに行くことになっていた。というか、日曜は望美が景時の家に行って朝ごはんを作る! と息巻いて決めたのだった。自分の料理の腕には自覚のある望美ではあるが、好きな人のためならなんとかこの苦手なことも乗り越えて見せる! と母親から料理を習ったり譲からレシピを教えてもらったりして、簡単な朝食くらいならなんとか見た目は悪くても口に入れてもダメージを受けないものを作ることができるようになっていたのだ。
(うーん、たとえば、焼きたてパン屋さんで、サンドイッチを買って行って『私が作ってきました!』……駄目だわ、自分が惨めになっちゃうわ)
そして、望美は昨日から引き続き、景時を驚かせる嘘を考えていたのだった。景時が驚いて罪がなくて後から笑える。なかなかそんな嘘なんて思いつかない。第一、景時にとって、嘘は苦いもののはずで、だからこそ望美もエイプリルフールとはいえ、ささやかな笑えるジョークのようなもので、とか思っているわけで。そんなことをつらつらと考えながら歩いていて、景時のマンションが近づいてくると、なんだか望美は自分の考えが馬鹿馬鹿しくなってきたのだった。なんだって、こんなに一生懸命、大好きな恋人に嘘をつくネタを考えているんだか、と。
「やめたやめたー! もう! 景時さんに嘘はつきたくない! そうだよ。景時さんに嘘はつかない」
よし、と望美は顔を上げて、今度こそ足取りも軽く景時のマンションへの駆けていったのだった。
望美が景時のマンションを訪れると、景時はまだ眠っているようだった。そっと玄関の扉を開けて、足音を忍ばせてキッチンへと向かう。うん、よしっ、と気合を入れて作るのは、トーストと珈琲とハムエッグにサラダだ。和食を作るのはもう少し待っていてもらいたいところである。焦げ臭い匂いがしてくる前に慌ててトースターのタイマーを消し、ハムの色が変わる前にフライパンを火から下ろして、なんとか望美がほっと一息ついたところで、突然背後から抱きしめられる。
まだ少しばかり寝ぼけた表情の景時だ。
「おはようございます、景時さん」
にっこり笑って振り返ると、景時はどこかぼんやりした顔をして曖昧に頷く。望美が訝しげに小首を傾げると、景時はそのまま洗面所へ向かった。まだ眠いのだろうかと思った望美はあまり気にせずに、なんとか出来上がった料理を皿に盛ってテーブルに並べる。珈琲はコーヒーメーカーが淹れてくれるので、安心だ。カップに注いでなんとか朝食の体裁は整った。景時がテーブルに着くと、望美も向かいの席に座って景時を見つめる。いつもいつも、最初の一口を景時が食べてくれた後が緊張の一瞬だ。
「…………景時さん、美味しい、ですか?」
そっと望美がそう尋ねると、景時の肩がぴくりと震えた。いつもなら、ここで満面の笑顔で『美味しいよ!』と、言ってくれるのだが……今日は失敗してしまったのだろうか? 不安になる望美だが、景時は何も答えず、代わりに何やら微妙に首を縦っぽく振りながらもりもりと食事を常よりすごい勢いで食べきってしまった。
「ご、ごちそうさま!」
コーヒーまで一気飲みした景時が、食べ終わった食器を持って立ち上がる。その表情がどこか硬い気がして、望美はなんだか不安になった。もしかして体調が悪いのか、それとも、何か心配ごとがあるのか。こちらの世界に来てから、もう景時を苦しめるものは何もない、と勝手に思い込んでいたけれど、そうではなかったのか。
二人並んで、食器を洗って片付ける間も景時は何か言いたそうではあったけれど、無言だった。この感じ、知ってる、と望美は感じる。こんな風に近くに居て、なのにどこか壁を作られているような感じ。その後、リビングに移って二人並んでソファに座ったあと、望美は不安げに景時にそっと寄り添った。
「景時さん……どうか、したんですか?」
じっと彼の顔を見上げるが、景時は望美の視線を避けるようにふい、と顔を背ける。
「景時さん……ね、何かあるんだったら、私に言ってください。私、景時さんのこと、とても大切なんです。
 景時さんが困っているなら、何をしたって力になりたいし、景時さんのこと、信じてるから……」
しかし、その言葉を聞いた景時は衝撃を受けたように望美を振り向いた。その表情があまりに悲壮だったので、望美は思わず口をつぐんでしまう。
「……望美ちゃん……そんな…」
一体、景時が自分の言葉の何にそんなに衝撃を受けるのかさっぱり望美にはわからない。
「どうして?……景時さん、私、本当に景時さんが大好きなんです、だから…」
何も秘密にしないで。そう続けようとしたのに、景時は更に衝撃を受けたような表情になる。
「の、望美ちゃん……オレは望美ちゃんが大……ええと、大………ィなのに……」
良く聞き取れなかったが、何か、今、大キライ、と言われたような気がした望美はそれこそ驚いて景時の顔を見上げる。
「景時さん……なぜですか? 私のこと嫌いって、私はこんなに大好きなのに、なのに」
何故そんなことを景時が言うのか理解できずに望美は必死で景時の顔を見上げる。なのに、望美が大好きだと言えば言うほどに景時の顔が悲しげになるのだ。何故かがわからずに、望美はなおも縋るように景時にしがみ付いた。
「景時さん……なんで? 昨日もあんなに大好きって…ねえ、嘘ですよね?」
「嘘って、何? 嘘なんでしょ? 望美ちゃんの言うことだって嘘なんでしょ?!」
寂しげな顔でそう言われて望美は悲しみを通り越して怒りを感じてしまった。
「どうしてそんなこと、言うんですか!」
ああ、言葉で言ったって信じてもらえないなら、行動するしかないじゃないの。そんな想いが心の内で爆発してしまって望美は力いっぱい景時の頭を引き寄せると、頭をぶつけるような勢いで景時に口付けた。歯と歯がぶつかるかと思うほどの勢いだった。息苦しくなって一瞬口を離した後もすぐに深く口づけて、景時の髪に手を差し入れて、更に景時を自分に引き寄せるようにしがみ付く。やがて、ソファの上に望美は横たわり、景時が覆いかぶさるような体制になった。そこでやっと望美は景時から手を離して、そしてもう一度お互い見つめあい、そして、もうそこで言葉は必要なくなっていたのだった。


「で、景時さん、なんだったんですか」
望美は些か不機嫌に、ソファに寝そべったまま景時の髪を弄びながら言った。床に座ってソファにもたれていた景時がぼそぼそと呟く。
「景時さん?」
「……えいぷりるふーる」
「は?」
「えいぷりるふーるは、嘘しか言っちゃいけない日なんでしょ?」
「はあ?!」
ああ、と望美はつっぷした。そうだ、景時が昨日のアレで納得したなんて思った自分があさはかだったのだ。景時がこちらの事柄について好奇心旺盛なのは、とっくに知っていたことだったのに。だから、美味しい? と尋ねて、嘘でも不味いと言えずに困っていたのかと思い、大好きと言われてそれが嘘かと思って悲しんでいたのか、と、なんだか可笑しくて愛しくてたまらなくなる。
「……もう……! 違いますよ、エイプリルフールって、他愛のない嘘ついて人を驚かせても、許してもらえる日です」
だから、景時さんのこと驚かそうかなって考えてただけなんですよ、と言って望美は苦笑する。景時が少しばかり申し訳なさそうな顔になり、でもちょっと嬉しそうに言った。
「望美ちゃんが大好きって言ってくれたのが嘘じゃなくて良かった。……それに、あんな熱烈に……」
「もう!! それは言わないでください! 必死だったんですから! 言わない!」
思わずソファにあったクッションを景時の顔に押し付ける。ぷはっとそのクッションから顔を離して景時がそれでも嬉しそうに笑うのが、どう考えてもさっきのことを思い出しているようで、望美は顔を真っ赤にしてつっぷした。
「……もう〜〜〜、だいたい、どうしてそんないい加減な知識を身に付けちゃったんですか〜」
「……ええと、将臣くんに聞いたらそうだって……」
「……将臣くん……今度会ったらどうしてくれよう……」
しかし、しばらく考えていた景時が、ああ! と頷いた。
「駄目だよ、望美ちゃん。多分ね、将臣くんと電話したときって日付変わってたかも」
つまり、将臣が景時にエイプリルフールについて教えたときは、すでに日付は4月1日。それを聞いた望美は深く深く、溜息をつくことになるのだった。
「望美ちゃん?」
それを聞いた景時が望美の髪を撫でて顔を近づけてくる。心配げなその顔に笑顔を返して望美は言った。
「嘘じゃなくて、本当に、大好きですよ、景時さん」
「……オレも。大好きだよ、望美ちゃん」
重ねた唇にうっとりしながら、少しだけ望美は(情報を集めるのが得意な景時さんが、エイプリルフールの本当を知らないなんて)と思った。

さて、エイプリルフール、嘘をついたのは、一体だれ?





迷宮ED後、エイプリルフールなネタ
将臣はやっぱり嘘を教えたと思います。
景時は……さてどうでしょう?
信じてしまいそうな気もするし、ちょっぴり黒い景時なら信じたふりして
望美を驚かそうとしたりするかも??



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