星の河


「短冊、書いてくださいね!」
望美はきれいに切った色紙を景時に手渡してにっこり笑った。景時のマンションのベランダには、小さな笹の枝が結わえられている。望美が七夕をやりたいと言って、持ってきたものだ。色紙を学校帰りに文具屋さんで買ってきて、はさみやペンを景時に借りて、今日はここへやってきてからずっと、七夕飾りを作っていた。景時はそんな望美を手伝ったり、眺めていたり。望美はけして手先が器用とは言い難いのだが、(繊細な作業には向かない大胆さを備えている、とは言える)一生懸命に飾りを作っている様子は、どことなく幼げにも見えて景時はなんとなしにほのぼのとした気分がした。
 手渡された短冊を少し照れくさげに景時は見つめる。景時のいた京とは七夕の風習もこちらの世界はかなり違う。望美が笹の枝を持って現れた時には景時は驚いたものだ。星に願いをかけるのだと聞いて、すてきな風習だね、と言ったのは本当の気持ちだったのだけれど、いざ短冊を手にしてみると景時は何を書いていいのか迷ってしまう。
「景時さん?」
 自分もペンを持って真剣な顔で何か書いていた望美が景時を見上げて首をかしげる。
「や、え〜と・うん、何を書こうかなあ、なんて思って」
 書くことが何もなくてさ〜、と困ったように笑うと、望美が疑り深い視線で景時をじいっと見つめてきた。これはまた、何かネガティブなことを考えていたと勘違いされているな、と思った景時は、安心させるように望美の頭をそっと撫でて、ちゃんとまじめに答える。
「や、本当にね。オレの一番の望みはもう叶っちゃってるからさ・
 絶対に、叶うはずなんてないって思っていたのに、その望みさえ叶っちゃってるから
 これ以上、何を望むのかって考えたら、すごく贅沢だって思えて」
それは景時の嘘偽りない気持ちだった。ずっとずっと、諦めることしか自分にはできないと思っていた。何か大切なものを守るためには、違う何かを諦めなくてはならないと思っていた。自分には幸せになる資格などないと思っていた。手を伸ばしても、届かないものが夢なのだと思っていた。それが、どうだ。
 大切なものを守ることができた。そして、それと引き換えに自分の全ては諦めても良いと思ったのに……仲間も失ったと思ったのに、本当は何一つ、失っているものなどないのだと教えられた。
「……もう! 景時さんは、欲がなさすぎです!
 もっともっと、幸せになろうって思っていいんですよ!」
ちょっと怒ったように、呆れたように望美が言う。少し頬を膨らませたその顔が無性に可愛く感じて、その頬に口付けたいなあ、と考え、景時はちょっと笑った。さすがにそんな即物的なお願いは短冊に書くまでもない。
「だって……本当だよ。戦もない世界で、君が傍にいてくれて。
 仲間たちも、平穏に暮らすことができるようになって。
 これ以上幸せになっちゃったら、なんだか、却って怖い気がするよ」
「それが、欲がないっていうんですー。
 私なんて、景時さんに比べたら欲張りすぎて、短冊が1枚じゃ足りないもの」
もう、と言いながら短冊に向かう望美に、景時はしばらく考えてから自分の短冊を見つめて、ペンを走らせた。迷いのないその様子に、望美が顔を上げて景時を不思議そうに見つめる。書くことがない、と言っていたのに、というような表情で景時の短冊を覗きこんだ望美はそこに書かれた文字を見つめて、息を詰めた。頬に朱が昇り、少しばかり潤んでしまった目を誤魔化すように、何度かしばたかせる。
「……景時さん、そんなの……もっと、自分のお願い書かなくちゃダメじゃないですか」
「うん? だって、オレのお願いって本当にこれなんだもの」
そう言って笑った景時の短冊には『望美ちゃんの願いごとが全部叶いますように』と書かれていたのだった。
 景時はお返しとばかりに、望美の手で隠された短冊を覗き込む。赤い顔でそれを隠そうとした望美だったが、一瞬遅れてしまって、景時に見られてしまい、ますます顔を赤くする。
「どうせ飾るときに見えちゃうじゃない」
そう言って、望美の短冊を読んだ景時は、先ほどの望美と同じく嬉しくて泣きそうな表情を一瞬浮かべた。
『景時さんと二人一緒に、幸せになれますように』
ずっと一緒に、幸せになりたいと言ってくれる人がいる。それがどんなに幸せなことかと思うと同時に、きっと今のこの幸せに甘んじることなく、この人を幸せにしたいと願いできる限りのことをしていかなくてはならないのだと心に思う。
「……望美ちゃんの、そのお願いは、七夕の星じゃなくて、オレがちゃんとかなえなくちゃね」
そう言うと、望美がちょっと照れたような顔で頷いて、それから言った。
「……いいえ、二人でかなえましょうね」

 短冊を吊るして、ベランダから望美は空を見上げる。どうやら曇り空らしく、ところどころの雲の隙間からうっすら月灯りと星が見え隠れしていた。
「……雨にはなりませんよね、これから雲も晴れていきますよね」
どうにも心配そうにそう言う望美に景時も空を見上げた。専門ではないものの、戦において天候を読むことは作戦を立てるにも必要だったこともあり、景時も些かは雲の流れを読むことはできる。
「う〜ん……そうだね、これから雲も少なくなっていくんじゃないかな?」
「織姫と牽牛ってどの星なんですか? 見えるかな?」
 身を乗り出してそう言う望美を少し危なっかしげに景時は支えるように後ろから腕を廻した。その景時の動作に、身を乗り出していた望美が今度は景時に背中を預けるようにもたれかかる。ふわりと景時の鼻腔を望美の髪の匂いがくすぐった。柔らかな、花の香り。
「晴れるといいな〜って思うんですよね。せっかくだから、織姫と牽牛と、ちゃんと会えるといいなって」
「そうだよね……年に一度しか会えないんだから、二人とも出来るだけ長く一緒にいたいだろうしねえ」
 望美の言葉を、女の子らしいロマンティックな台詞だなあと可愛く思いながらそう言うと、望美が景時の手に自分の手を重ねた。
「……私ね、前は七夕ってそんなにどうとも思っていなかったんですよ。
 笹の葉飾ったりとか、お願いを書いたりとか、小学校の低学年くらいまでだったかなあ。
 だから、今日のこれも随分と久しぶりなんです」
「……そうなの?」
少し驚いたように景時はそう言った。楽しそうに笹飾りを準備する望美は景時にこちらの七夕の風習を説明したり、まるで毎年それを行っていたかのようだったから。
「……もしかして、オレにこちらのことを教えてくれるため?」
 こちらの世界に慣れない景時のために、望美はいろいろなことをしてくれた。行事ごとはもちろん、いろいろなところへ連れていってくれたり。景時がこの世界に馴染むために、基本的なことをひとつひとつ体験させてくれたのだ。
「……うーん、それもちょっとありますけど、それだけじゃありません。
 なんだか、私がやりたくなったんです、七夕。
 織姫と牽牛が会えるといいなあ、って純粋に思ったっていうか」
背中から抱きしめているために望美の表情は景時に見えなかったが、その言い方はどこか照れくさそうだった。理由を促すように景時が抱きしめる手に少し力を入れると、望美が小さく呟く。
「……すごくすごく好きな人と、一年ずっと離れ離れでいるって、
 どんなに寂しいだろうって思って。一年に一度しか会えないなら、絶対に会って欲しいなって」
 景時さんと離れていた時間は一年もなかったけれど、それでも寂しくて哀しくて、会いたいって思ってばかりだったから、と望美が付け加える。その言葉に景時は胸を突かれたような気がした。
「……ごめんね」
「……ち、違うんですってば! そんな…、景時さんに謝ってほしいわけじゃないし、
 蒸し返すつもりもないし……ただ、そういう気持ちがわかるようになって
 だから、七夕には晴れて欲しいなあって、それだけなんです」
「……会えるよ、大丈夫。きっと会える」
 望美の心持は、景時にも確かに似通っていた。会いたくて、けれど自分から断ち切ったものをどうして『会いたい』などと言えるものかと苦しくて。敵としてでも元気なその姿を目にしたときには、安堵と喜びで胸がいっぱいになった。募る想いの切なさは抑えがたくて、諦めることに慣れていた景時にとっても初めてのものだった。織姫も牽牛も一年をそんな想いを胸に過ごしているのだとしたら、一年に一度の逢瀬を必ず添い遂げさせてあげたいと、確かに思う。
「本当ですか? これから晴れそう?」
望美が嬉しそうにそう言うのに景時は頷いて。そして付け加えた。
「これからきっと雲が晴れるよ。……それにね、雲が晴れなかったとしても……
 なんとかして会える術をきっと二人は見つけるよ。
 望美ちゃんが、諦めかけていたオレに手を伸ばしてくれて、そしてオレがここにいるように。
 叶わないと思うことだって、叶ったように。
 想いがきっと、二人の間の星の河を越える術を教えてくれる」
「……そうですね。きっと、そうですよね」
 時空を越えて、想いが叶ったように。星の河を越えて実る想いもきっとあるだろう。満足そうに望美は空を見上げた。さっきまで薄く広がっていた雲が、心なしか晴れてきたような気がする。京ほどには多くは星が見えないけれど、それでも星の河をそうと見つけることはできた。
「ね、望美ちゃん……」
 そっと景時が望美に囁く。会えなかった日々の切ない気持ちが不意に心を過ぎっていって、今腕の中にいる望美をこのまま、離したくなくなってしまったのだ。
「……オレも今夜は、君を離したく、ないな。……なんて、言ったら……困る、かな」
言ってしまってから、少し後悔する。望美が困るかもしれないし、断られたらちょっと気まずい。けれど、景時が『ごめん』と言うために口を開くより先に、望美が言った。
「私も、離れたく、ないです。……だから、一緒にいましょう、……ね?
 私と景時さんは、ほら、明日の夜明けが来ても、離れなくてもいいんですから。
 明日も、ずっと、一緒にいましょう」
 腕の中で望美が体の向きをかえ、景時に向き合った。うっすらと上気した頬で、恥ずかしげに、それでもにっこりと微笑み景時を見上げる。景時は、そんな望美の額に自分の額を合わせ、そして「うん、そうだね」と言い、見つめあい微笑んだ。


 それから二人はもう一度、夜空の星を見上げ、共に夜を過ごすためにベランダを離れたのだった。






ということで七夕編でした。
今回は十六夜記ED後の二人で。
甘いめを目指してみましたが、甘くなってますでしょうか。
七夕に間に合わなかったのはお赦しを(^^;)


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