ショコラ




(うわー、もうバレンタインなんだ。こないだお正月終わったばっかりと思っていたのに!
 チョコレート買わなくちゃ。プレゼントも何にしようかな)
デパートの前を通りかかったら、ディスプレイがすっかりピンクとチョコレート色のバレンタイン仕様に変わっていて、望美はそれを横目に眺めながら先を急いだ。今度学校の帰りに身に来なくちゃ、と考える。今日はこれから景時とデート。今から催事場の様子を見に行っては約束の時間に間に合わないだろう。それに、何を買うかは景時に内緒にしておきたい。
(バレンタインか〜、景時さん、びっくりするだろうな。それとも、もう雑誌とかで知ってるかな?
 教えてあげたほうがいいかな。でも、なんだか私が教えてあげるのって照れくさくない?
 なんか、チョコレート上げるから期待しててくださいね、って言うみたいじゃない?)
昨年末、いろいろあって京からここ、現代の鎌倉に八葉の皆も一緒に戻って来た。それからクリスマスを挟んでの十数日は、よもやこちらの世界でまであんな冒険をすることになるとは思ってもいなかった日々だったけれど、何より忘れがたい日になった。そして、すべての問題が解決した後、京から来た仲間達は元の世界に戻ることになったのだが、どうしても離れがたくなったその中の一人、景時に、望美は我侭を言ってこちらの世界に残ってもらったのだった。元来の新しもの好きで好奇心旺盛な性質のせいか、こちらの世界に来て数日の間にすっかり様々なことに詳しくなって順応を見せていた景時ではあるが、もちろん、こちらの常識で知らないことだって多い。バレンタインだってそのひとつと言えるだろう。しかし、クリスマスについてもほぼ間違いない理解をしていた景時だから、案外望美が教えなくても、とっくにバレンタインについてもわかっているかもしれない。
(……だよね)
なんだか、その意味を自分の口で説明するのは気恥ずかしいので、そう思い込むことにする。そしてそのまま待ち合わせの喫茶店へと向かった。
シフォンケーキとチーズケーキが美味しくて、オムライスのランチが自慢のその喫茶店は、朔もお気に入りの店だった。今はもう遠い世界へと帰ってしまった親友を近く感じられて、いつの間にか望美にとってもお気に入りの店になってしまったのだ。こちらの世界にも懐かしい仲間との思い出の場所があるということは、とても嬉しい。いつでも皆のことを身近に思い出すことができるから。景時にとってもそうだといいな、と想う。窓際のテーブルに座って通りを眺めていると、景時の姿が見えた。いつもより少し荷物が多いみたいだが、かなりご機嫌な様子だ。何か良いことがあったのかもしれない。こちらの世界にとどまるようになって、白龍の力のおかげもあって景時は仕事も見つけ、マンションに一人暮らしをしていた。京でのように同じ邸に暮らしているわけでもなく、望美は学生、景時は社会人となって立場も変わり、なかなか思うように会えないのも現実で、毎週末が待ち遠しい日々が続いている。慣れない世界で、毎日傍にいることもできなくて、彼が心配でもあるけれど、思うよりもずっと景時は大人で、そして強い決意を持ってこちらの世界にとどまってくれたのだな、と思うことがある。一度だって彼がこちらの世界での慣れない暮らしについて弱音を言ったことがないと気づいてそう感じた。それでも、望美だって伊達に景時と共に過ごしてきたわけではない、彼が空元気や嘘の笑顔を見せているかどうかくらいは見抜く自信はある。が、いつだって彼は嬉しそうな笑顔を自分に向けてくれて、それを見ると望美もつい、嬉しくなって2人で居る間は幸せだとしか感じられなくて。今も店に入ってきた景時は望美を見つけると、満面の笑顔になった。
「望美ちゃん! お待たせ〜! ごめんね、オレ、ちょっと遅れちゃったかな」
「いえ、私だって、ついさっき来たところですよ」
にっこり笑って答えると、景時は望美の向かいの席に座った。
景時が手にしていた荷物は、デパートの手提げ袋で、そういえば自分もさっきそのデパートの前を通ったな、とぼんやり望美は考えてふと問いかける。
「何か、お買い物ですか?」
すると景時は一層嬉しそうな顔になって望美に向かって言った。
「うん、望美ちゃん、チョコレート大好きだったよね?
 さっき、デパートを通りかかったらさ、なんだか良くわからないけどチョコレートのフェアが始まってたんだよ。
 いっぱいいろんなのがあってさ、それで、望美ちゃんが喜ぶかなーって思って」
そうして、はい、と言って手提げ袋を渡された望美は、思わずその袋を受け取ったものの、どうして良いかわからなかった。間違いなく、景時の見た『チョコレートのフェア』は、バレンタインのフェアであろう。彼がこのチョコレートを買ったのは、バレンタイン特設売り場だったことであろう。
「……え、っと、その……ありがとうございます」
とりあえず、礼を言うものの、その望美の様子がどうもおかしいと気づいたらしい景時がなにやら不安げな表情になる。
「えっと、チョコレート、嫌いじゃ、なかったよ、ね?」
「え、ええ! いえ、大好きですよ。本当に、大好き」
特に贈る相手がいなかった昨年までだって、いろんな普段食べられないチョコレートが欲しいばかりにいくつかチョコレートを買ったりした。その中から有川兄弟や父親に渡したり。なので、チョコレートを貰えることは嬉しい。単純に考えればそれはそれで嬉しいのだが、とても複雑な心境になってしまった。
「えっと、景時さん、お店で変に見られませんでした?」
自分が何も教えなかったというか、うっかりしていたばかりに、景時が周りから変な目で見られていたとしたらとても申し訳ない。だいたいが、バレンタイン特設売り場に男性がいるというだけでも、奇異な目で見られてしまいそうなものだ。
「? うん? さあ、別に。あっ、チョコレート好きな男って変に思われなかったかってこと?
 いいよ、オレ別に気にならないし。そういえば、やっぱり売り場は女の子ばっかりだったけどね」
「ごっ、ごめんなさいっ、景時さんっ」
思わず望美は謝ってしまう。当の景時の方はといえば何がごめんなのかわからない様子で、やっぱりチョコレートが駄目だったのかと不安そうだ。
「あの、ええっとですね、あのチョコレート売り場は、
 もうすぐ来る「バレンタイン」っていう行事のためのもので。
 それで、そのバレンタインっていうのは、その……
 えっと女の子が好きな男のひとにチョコレートを贈るっていう行事なんです……
 えっと、あの、でも! 女の子からっていうのは日本だけで、
 本来は恋人たちのためのものだから
 別に女の子しかやっちゃだめってことは全然ないんですけどっ!」
景時に、彼が失敗してしまったと思わせないためにフォローを織り交ぜて望美はそう言った。
「ええ、そうなの? じゃあ、男は買っちゃいけなかったの? うわー、ごめんね……」
「駄目ってことはないですよ、駄目ってことは! 
だって、別に誰が買ったっていいんだし!
 私だって、チョコレート大好きだから自分で自分用に買っちゃうくらいだし」
「本当?」
「本当です。このチョコレートだって、すごく楽しみだし」
「良かった〜」
景時的には、別にそれが何のための売り場で何のためのチョコレートかはどうでも良いらしい。望美が喜んでくれるなら、それでいいのだ。ただ、自分がこちらの世界の常識に則った行動が出来ていなかったとしたら、望美に恥ずかしい思いをさせていたとしたら、と、それが心配なのだ。だから、この場合、別にだからといって男がチョコレートを買うことが禁止されているわけではない、と聞いてほっとしたようだ。しかし、望美は受けとったチョコレートの入った紙袋をもじもじと触って考え込む。
「……望美ちゃん?」
やっぱり何かいけなかったかと景時が問いかける。望美は少し唇を尖らせて言った。
「……なんだか、悔しいなあって思って」
「へ? く、悔しいの?」
「そりゃ、バレンタインのこと、私が教えてなかったから。景時さんが悪いんじゃないんです。
 でも、私も、デパートの前を通って、バレンタインのフェアやってるの気づいてたの。
 景時さんにチョコレート買わなくちゃ、って思ったのに、私は後回しにしちゃった。
 でも、景時さんはそれ見て、私がチョコを好きだからって迷わず買いに行ってくれた。
 なんだか、景時さんに『好き』って気持ちで負けたみたいで悔しいなって思って。
 私だって、景時さんに負けないくらいずっとずっとすっごく好きなのに」
好きって気持ちを素直に伝えるのに、とっても良い機会で、だからとっても待ち遠しい行事でもあるのだけれど、それだけに囚われるのも不便な話。何にも囚われず、ただ気持ちに素直なままに自分への思いでチョコを買ってきてくれた景時の気持ちがとても嬉しくて、そして、自分の景時への想いがまだまだな気がして。
「そそそ、そんなこと、ないよ! オレだって、その、バレンタインがそういう日、ってわかってたら、
 きっと、今日渡したりしなかったと思うし……」
「今日は渡さないけど、いつか渡すつもりでやっぱりチョコ、買っちゃうんですか?」
「うーん、だって、珍しいものいろいろ売ってたし、望美ちゃんはチョコが好きだし」
ごめんね、と言いたげな表情で景時がそう言うのに、望美はなんだかおかしくなってしまって思わず笑ってしまう。チョコレートが好きで良かった、なんてちょっと思ってしまったりして。望美が笑顔になったのを見て、景時も嬉しそうな顔になった。
「でも、私もやっぱりバレンタインには景時さんにチョコレートを渡したいし。
 同じチョコを買っちゃうとなんだか残念だから。バレンタイン終わるまでは、チョコ買わないでくださいね?」
「うん、わかった。……でも、バレンタインの日が終わっても、まだいろいろチョコレートって売ってる?」
「大丈夫ですよ! だって……」
バレンタインのあとはすぐホワイトデーの売り場になるし。と言いかけて、またまた望美は考えた。ここで、ホワイトデーの説明をして。バレンタインのお返しにプレゼントを贈る日だ、なんて言ったら、これもまたなんだか景時にお返しを催促しているみたいではないか? ちらりと景時を見上げると、小首を傾げて望美の言葉の先を待っているようだ。
「だって……」
しかし、ここでホワイトデーの説明をしようがしまいが、結局は同じな気がする。きっとまた景時は『望美が好きだから』なんて言って、ホワイトデーなんて関係なしに、いつもとは違うチョコやクッキーやマシュマロやキャンディを買ってくるに違いない。
「だって……チョコレートはいつだって売ってるじゃないですか!
 珍しいチョコじゃなくたっていいんです、景時さんの気持ちが嬉しいんだから」
ね? と言うと景時が堪らない、と言いたげな表情になる。
「よーし、じゃあ、今日はこの喫茶店のショコラケーキご馳走しちゃうよ!」
「えっ、ええ、でも景時さん、今こんなにチョコレート貰ったばっかりで悪いですよう」
「いいのいいの! なんかもう、オレ、今の望美ちゃんの台詞で
 すっごい感激しちゃったからもう!」
嬉しそうな景時の表情に望美も結局、まあいいか、なんて気持ちになって。
「じゃあ、二人で半分こしましょう?」
と言う。これだって、なんだか景時に負けてしまったような気がする。ちょっぴり悔しくて、でもやっぱり嬉しくて、本当は自分が彼をもっと幸せにしてあげたいのになあ、と少し歯痒い。
本当は自分があげるはずのチョコレートを一足先に貰ってしまった。その気持ちがとてもとてもくすぐったくて嬉しいけれど、景時が自分のことを想ってくれると同じくらい自分だって景時が好きだというこの気持ちを、さてどうやって伝えよう。特別なチョコ? 特別なプレゼント? 何が特別? 景時が喜んでくれるものって一体何で、彼が一番欲しいものは一体何なんだろう。彼が幸せに感じられる特別なものをプレゼントしたい、そんなものを自分は用意できるだろうか? でもそうしたい。

――バレンタインデーが望美にとっての勝負の日なのは間違いないこととなり、当日まで望美はじたばたと悪戦苦闘を続け、頭を悩ますことになったのだった。




バレンタインな景時×望美でした。
で、肝心のバレンタイン当日、望美は精一杯の贈り物を考えて
手作り料理! とか張り切って失敗しちゃったりして
でも景時に「オレの特別は望美ちゃん!」とか言われて
あっさり返り討ちというか、またまた負けちゃうというか、そんな感じ希望。


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