はろうぃん


その日、かつて平家の還内府と呼ばれていた男はのんびりと京の道を知り合いの邸目指して歩いていた。平家の還内府といえば先の戦で源氏に捕らえられたといわれており、こんなところをのんびり歩いていて良いはずはないのであるが、もはや彼がそうであったと知っている人間は京には殆どいない。そして、知っている人間は彼の還内府ではない名前を知っており、そちらの名で彼を呼ぶ。
「あれっ、将臣くん、いらっしゃい!」
そう、このように。
「よう、景時。なんだ、今日はまた何を作ってるんだ?」
彼が気安く庭から顔を出した邸は、今や時めく西国府の所司である梶原景時邸であった。彼は先の戦の際、軍奉行として九郎義経と共にあった人間で、いわば還内府とは敵であった人間である。しかし、同時に、京を守護すると伝承される白龍の神子を護る八葉としての仲間でもあった。戦の終わった後は、八葉の絆により友人としての付き合いが続いている。平家の残党を率いて南へ下ったとはいえ(その際にも景時や九郎の計らいがあったことは間違いない)気が向けば都へふらりと現れる将臣である。なんだかんだといって、この地に暮らす仲間が気になるのだった。何より、将臣の弟である譲は星の一族の元に身を寄せ、幼馴染であった望美……白龍の神子はこの景時の正室としてこの地に留まっているのである。京を訪れた際には梶原邸にまず顔を出すにも理由があった。
さて、戦においては怜悧にして勇敢、生田の森に単身引き返し神子を救ったと武勇(と恋物語)が伝えられる西国府所司は、邸の庭でなにやら作業をしていた。勇猛で知られる源氏の兵からも武勇を讃えられる西国所司は、家人と親しい友人しか知らない趣味があった。そのひとつが洗濯である。戦の最中は、軍奉行の趣味が洗濯だなどと知れたら兵の士気に関わるからと内密にされていたが、それは今も同じことで。今を時めく西国所司の趣味が洗濯では困ると言われ、趣味を辞めるのは嫌だという理由と、正室が家のことくらいは自分でしたいというので、最小限の雑色や下女しか置いていないのであった。そんなわけで将臣が庭から無造作に邸に入れたのは梶原邸には最低限の人間しかいないせいもある。そしてもう一つの理由は、邸が景時の結界と式によって護られているせいでもあった。将臣は景時と望美の友人として邸を守護する式に認められているのだ。
庭で景時が勤しんでいたのは、しかしながら趣味の洗濯ではなかった。ではもう一つの趣味である発明かといえば、それでもなかった。手元を覗きこんだ将臣は思わず顔を顰める。
「……ナニやってんの、お前」
「えー? 望美ちゃんのお願い?」
巷で噂される西国府所司の噂といえば、曰く「常に冷静沈着」「戦にあっては勇猛果敢」「愛妻家」。将臣に言わせれば(というか、景時をよく知る者に言わせれば)そのどれもが間違いだった。最後の「愛妻家」は間違いと言うには語弊があるかもしれないが、正しくは「度を越した愛妻家」と言うべきというのが将臣の見解だ。望美の願いであれば景時は何はなくとも叶えるだろう。そして、今景時が行っている作業も望美のお願いだという。
「……だから、何なんだ、それは」
重ねて将臣は景時に問う。
「えーと、南瓜?」
「南瓜に何をしているんだ?」
「南瓜を行灯にするらしいんだよ。あれ? 将臣くん、知らないの? おかしいなあ、望美ちゃんのいた世界の行事だって聞いたよ?
 冬至と似てるのかなーって思ったんだけど、ちょっと違うらしいね。
 南瓜で行灯を作って、邸を飾って、甘菓子や唐菓子を邸に来る人に振舞うんだって?
 それをやりたいって望美ちゃんが言うからさ」
そう、景時は南瓜を小刀で彫っていたのである。手先が器用でも知られる彼は、確かに上手に南瓜をくりぬいていた。望美が描いたのであろう見本の紙を横に置き、景時が彫っているそれは、確かに将臣が知る『ジャック・オー・ランタン』に見えた。ただ、それは西洋南瓜ではなく、どうみても普通の食べて美味しい南瓜だっただけで。
「……いくつ作るんだ?」
まだ他に転がされている南瓜を見て将臣は尋ねる。
「ええと、幾つかなあ、門のところ、玄関、あと宴の間に置く分だから少なくとも6個はいるんだよね?
 終わったあとは、煮物にして、宴の参加者におすそ分けして食べるんだって望美ちゃんが言ってたけど。
 そうだ、将臣くんも京にいるなら来てよ。九郎や弁慶も来るしさ」
「……そうだな」
多少の頭痛を感じつつも将臣はそう言った。そこへ邸の簀子から声がかかった。
「景時さん……って、あー、将臣くん! いらっしゃい!」
今はもう戦装束を脱いで、萌木に紫の重ねの小袖袿を着た望美は、しかし相変わらずの活発さで、ひょいと簀子から飛び降りた。いつもそんな調子なのだろう、望美が飛び降りた先には沓が置いてあり、それをひっかけて駆けて来る。
「わー、景時さん、さすが器用ですね!」
褒められて景時が嬉しげに笑う。ますます将臣の表情が苦々しげになる。いらっしゃいと言いながら、声をかけるのはまず景時か、というのと、もちろん、南瓜の行灯が将臣の不機嫌の元だ。
「将臣くん、今度は何時ごろまで京にいるの? ハロウィンやるからそのときまでいなら来てよ」
先ほどの景時と同じ台詞を望美は言い、その言葉に将臣は望美の腕を掴んで景時から離れるように邸の傍まで引っ張っていった。
「……お前なあ、どういうつもりだよ」
「どういうつもり、って何が?」
さっぱりわからないという様子で望美が将臣を見上げる。
「ナニが、ってハロウィンってなんだよ、お前、元の世界に居たときだってそんな行事やったことないだろう」
確かにハロウィンにかこつけた商品だのお菓子だのはあったけれど、ハロウィンを家でやるほどにメジャーな行事ではなかった。少なくとも子ども達が「トリック オア トリート」などと言いながら町内を廻るなんてことはない。それなのに、そんな行事をこちらの世界でやりたがることが将臣には不思議だった。それに。
「第一、こちらの世界にはこちらの世界の歴史ってもんがある。キリスト教だってまだ入ってきてないのに
 そのキリスト教由来のイベントを持ち込むなんてどうかしてるだろう。
 そりゃまあ、源平合戦で平家を勝たせようとしたオレが言っても説得力はないっちゃあないけどよ……」
そうは言っても、既にこちらの世界の歴史は将臣たちの知るものとは変わっている。九郎義経は死ぬことなく京で西国府別当の地位にあり、平泉は焦土となることなく鎌倉と和議をもって結ばれている。しかし。
「なんつーか、景時は新しモン好きだからお前の言うことに興味を持ってくれるだろうが……
 あんまり向こうの世界のものや価値観を持ち込むのはどうかと思うぜ」
だいたい、なんであっちの世界でもさして興味を持ってなかったハロウィンなんぞをやろうなんて思ったんだ、と将臣は尋ねる。
望美は膨れっ面をして将臣を見上げた。
「……将臣くんは気ままにあちこちフラフラしてるからわからないのよ」
「……なんだよ、お前、退屈してんのか? 景時の正室がイヤなのか?」
「はあ? 誰がいつそんなこと言ったのよ」
今にも掴みかかりそうな勢いでそう言われて、つい将臣が後ずさる。一年の戦の間に、随分と殺気を迫力を身につけた幼馴染に少しばかり危険を感じることもある将臣だった。
「じゃあ、ナニがいったいハロウィンなんだよ」
「……あのね。将臣くんはフラフラ気ままにこの邸に来てくれるけどさ
 九郎さんや弁慶さんは、なかなか来てくれなくなったのよ」
戦の最中は九郎や弁慶は毎日京邸にきて食事を共にとっていた。それは食事の時間が大切な打ち合わせの時間となっていたこともあるし、景時と望美が祝言を挙げたことで、新婚家庭に遠慮しているということもあるかもしれない。将臣はそう思い、そう言おうと口を開きかけた。
「宴にでも招待しなくちゃ来てもらえなくて。かといって、そうそうこちらの世界の行事もあるわけもなし、
 向こうの世界の行事も取り混ぜてあれこれ企画しなくちゃ皆に会えないんだもん」
要するに、今まで皆がいて賑やかだったのが突然に人が少なくなって寂しくなったのだな、と将臣は苦笑した。
「そんなの、お前や景時が九郎や弁慶にそうと言えば、奴らだってまたこっちで飯を食ったりするんじゃないのか」
奴らもまだまだ独り者だしな、と将臣が言うと、望美が少しばかり唇を尖らせてそうんだけど、と呟いた。
「でもね、駄目なの。鎌倉の手前、そうそう集まれないんだって。
 まだ鎌倉はこっちを警戒してるから。九郎さんや弁慶さんが、うちに毎晩寄り集まってると
 よからぬことを企んでいるんじゃないか、っていうふうに思われるから、って」
ああ、と将臣は頷いた。
「しかし、それじゃあ、なんだかんだって行事に集まるのだって怪しまれるんじゃないのか」
「だからね、今なのよ。今の時期の行事ってハロウィンしか思いつかなかったんだもん」
その言葉でまた将臣の脳内が疑問で埋め尽くされる。そこへ景時が南瓜を手にしてやってきた。
「望美ちゃん、一つ出来たけど、こんな感じでいいかなあ」
手にしているのは綺麗に目と口部分をくりぬかれた南瓜で。望美はそれを手に持って
「すごーい、やっぱり景時さんってなんでもできるんですね!」
「あ、でもオレが作ったっていうのは、時連殿には内緒でね」
「もう、こんな器用なのって隠さなくてもいいと思うんですけどねえ」
その会話を聞いていた将臣は聴きなれない名前に首を傾げた。
「……時連ってだれだよ」
「あ、将臣くんは知らないよね。政子様の弟君だよ。今、鎌倉から京へ来てらっしゃるんだ。
 九郎の邸に逗留しておられてね」
「そいつをハロウィンに呼ぶってか」
「うん、望美ちゃんの発案でね」
嬉しげに景時が言った。なんで、と将臣が尋ねるより先に景時が言う。
「一緒にね、ご飯食べて語り合って、そしたら、分かり合えるんじゃないかって。
 警戒して疑いあって、ってイヤじゃない? だからさ、こっちから全部見せちゃったらいいじゃないって」
「時連さんってまだ若いって言うから、話もしやすいのかな〜って思って」
政子の弟というだけで、将臣にしてみればいけ好かない奴という想像しかできないのだが、景時に言わせると明るく真っ直ぐな気性で、打ち解ければ九郎とも気が合いそうなのだと言う。今はまだ警戒されているけれど、と。
「だからね、時連さんがこっちにいる間に、うちに招いて。それも政治的なお話とかナシの方向で、わいわいやりましょーっていうのがね。
 それでもって、あんまり華美にならないように、って思うと、ね。
 こっちの行事で仕来りにのっとって、っていうと堅苦しくなっちゃったり、いろいろ大変だったりするでしょ。贅沢してるって思われるのも大変だし。
 向こうの行事を私が故郷を懐かしんでささやかにやってるんです、って言ったらあんまりどうこう言われないだろうし。
 どんなでもこっちの人は知らないから、こーゆーものです、って言ったら疑われないし」
「…………お前、策士なんだか脳天気なんだか」
呆れたように感心したように将臣はそう言った。
「南瓜で作った行灯を燈して、そこで甘菓子を楽しみながら語り合うって面白い行事だよね」
景時がそう言うのに、いろいろ違うんだが、と将臣は思いながらも何も言わなかった。要するに、ハロウィンなんてものは言い訳なわけだから、どんな内容であっても望美にとっては構わないのだ。もちろん、景時にとっても。
「景時さん、くりぬいた部分の南瓜ありますか? 今晩のおかずにしちゃいましょう」
食材が貴重なこの時代、少しも無駄にできないと望美は景時が先ほどまで作業していた所へ駆け出す。その後姿を見送り、しゃがみこんで南瓜の欠片を拾う姿を目を細めて景時は見つめた。
「望美に引っ掻き回されてんじゃないよな?」
将臣は、望美の発案がいささか政治的な部分にまで及んでいるような気がして景時に尋ねた。しかし、景時はといえばあっさり首を横に振る。
「まさか。というか、オレはすごく嬉しいんだよね。望美ちゃんが、オレの夢を支えてくれてる、力を貸してくれてる、って」
「…夢?」
「……戦のない平穏な世を作るってことだよ。なんか、オレの夢っていうには大それたものだけどさ。
 でも、もう、戦なんてイヤじゃない。なのに、まだまだ鎌倉と西国府の間にはいろんな見えない壁があってさ。
 どうしたらいいんだろう、って思って。九郎や弁慶と仕事以外での接触を極力減らしてみたりして。
 でも、そんな風に変に我慢するなんておかしい、って望美ちゃんが言ってくれるんだよね」
望美らしい、と将臣は思って自然と口元が緩む。
「オレたちが、どうしたら、って迷っていることをさ、望美ちゃんは真っ直ぐに飛び越えてくれちゃうんだ。
 今回だって、そう。どうも今一歩踏み込めない時連殿をね、招いて宴を、って望美ちゃんが言ってくれて。
 そんな豪華な宴だとさ、却って、こう、取り込むみたいで警戒されちゃうじゃない? 
 それで望美ちゃんが、もっと普通な感じで、でもちょっと変わったことで興味持ってもらって、気軽に話せるように、なんてね」
あれで案外、望美も考えているんだろうかね、と将臣も望美を見遣る。
「望美ちゃんが思うのは、家族が元気で仲良くて、友だちが自由に行き来して、そんな家にしたいってことで。
 それって本当に普通のことで、さ。簡単なことなんだけど、でもオレたちは鎌倉の手前、難しいって思いこんでて。
 それを望美ちゃんは飛び越えてくれたんだよね。で、オレもなんだか希望が湧いてきたっていうか!」
張り切って南瓜の行灯作っちゃうのさ、と景時が胸を張る。似たものどうしだよ、お前らって、と将臣は笑った。
「だからさ、将臣くんも来てよ。10月の晦日の日だっけ」
「……いいけどよ。いいのかよ、オレがいて。北条の若君なんだろ、来るの」
「いいんだよ。だって、将臣くんはオレたちの仲間なんだし。還内府じゃなくて、ね」
そこへ南瓜の欠片を両手に望美が戻ってくる。
「これくらいあったら、景時さんの夕餉の膳くらいにはなりますね」
「ええ、オレだけ? 望美ちゃんも半分こしようよ」
「ふふ、いいんですよ、ハロウィン終わったら、いやっていうくらい南瓜ばっかり食べないといけなくなっちゃうかもですからね?」
確かにな、と転がっている、これからまた景時がジャック・オー・ランタンにするのであろう南瓜を眺めて将臣は頷いた。そして望美に向かって軽くウインクして言う。
「……お前も、頑張ってるみたいじゃん」
一瞬驚いたような顔をした望美だがすぐに、笑って答える。
「もちろん! なんたって景時さんの奥さんだもん。頑張るよ!」
その言葉に景時の頬がぱっと赤くなる。それを見て将臣はまた笑った。やっぱ、似たものどうしだ、と。
「あ、将臣くん、今日うちで食べてく?」
今更だがそう望美が尋ねるのに将臣はニヤリと笑った。
「南瓜は景時分しかないんだろ? 今日は譲んとこに行くさ」
「もうっ! 屁理屈、減らず口!」
望美が南瓜を持ったまま拳を振り上げるのを、将臣は飛びのいて避けた。
「ホントのことだろ。いいじゃん、ハロウィンには来てやるよ、久々、九郎や弁慶の顔も見てみたいしな」
手を下ろして望美が笑った。
「絶対ね! 九郎さんや弁慶さんにも言っておくから」
「おう」
そう言って片手を挙げ、入ってきたと同じく庭から出ていこうとした将臣の背に望美が声をかける。
「将臣くん、これ、一つ!」
振り向いた将臣に、望美が南瓜をひとつ差し出す。
「譲くんとこ行くなら持ってって。お料理してもらえるでしょ」
「サンキュ」
そう言って受け取った将臣だが、実際には違うことを考えていた。景時ほど器用にはできないだろうが、この南瓜でジャック・オー・ランタンを作って明日にでも持ってきてやろう。今はもう世の中心から離れてしまった自分ではあるが、それでもやはり思いは同じ、この戦のない平穏な世が、友人たちと友人として語り合い、笑いある世が続くことを願っているのだ。そして、そのために出来ることはあるのだと、無邪気で真っ直ぐな幼馴染に自分も教えられた気がすると、そう思ったからだった。



ということで、ハロウィンSSです。
ハロウィンってこっちでもあんまりやらない行事なんで、こんな感じ。


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