茜草〜秋の野〜





「友雅さん、どこへ連れていってくれるんですか?」
一緒に出かけようと、そう言うと神子は嬉しそうな顔でそう尋ねた。
「秘密だよ、私に任せてくれないかな」
春の日の約束を彼女がもう覚えていなくても、初秋に咲く白い花を彼女に見せてやりたかった。月の姫君は、月へ帰らずに、今もなおこの地に留まっている。総てが終わったのは、夏のとある日。帰らずに、自分の側にいなさい、と言うと、迷うことなく「はい」と此の姫君は答えた。
迷いなく、真っ直ぐに見つめる瞳。その強さこそ愛おしいと思った。
月の姫君は、長く身につけていた天の羽衣を脱いで、今は彼の贈った着物を纏っている。「ここで生きるって決めたから、もう、いいんです」健気な笑顔が胸に沁みた。
かつて、羽衣を奪われて地に留まったという天女は天を懐かしんで夜毎に涙を流したろうか。
彼女の涙が自分の手枕を濡らすことがなければいいのだけれど。ふと、寝覚めに彼女の顔を覗いては、そんな思いにかられる。だが、彼女は今もなお、強く真摯な瞳で彼の心に光を投げかける。
「大丈夫、友雅さん、大丈夫だから。私、友雅さんの側にいられたら、それでいいの」
夏を過ぎて頬を撫でる風が秋の香を運ぶころに、春に交わした約束を思い出した。
そのときは、このような日が来ることなど思いもよらなかった。
京の町自体、無事であるかどうかさえ約束できるものではなく、明日の命さえはかないものであったというのに。まして、自分の中に、突き動かされて思うにままならないほどの激情があろうと思いもよらなかった。不思議な気持ちだった。それを教えてくれたのは、すべて彼女だった。
思えば、他愛もない約束を口にしたときから、すでに予感はあったのかもしれない。
本来なら、果たされるはずなどない約束を、そのとき既に果たしてやりたいとそう思ったことを覚えている。
茜草。
神子の名と同じ名のその白い花を見せてあげると、そう約束した。
楽しみにしています、と答えた無邪気な笑顔が心に触れた。そのときから、いつも、どんなときも、思うままを隠すことなく、くるくると動くその表情から目が離せなくなった。自分にはないものを持っている彼女にいつしか惹かれた。自分が長くずっと諦めていたものを、諦めることなどないと教えてくれたのも彼女だったのだ。だから、せめても、もう彼女は覚えていない約束かもしれないが、茜の花を彼女に見せたいと、そう思った。


秋の野は、どこか寂しげでありながら、花が咲く様子が趣深い。春の野のように華やかではなくとも、落ち着いた風情があるのだ。春には春の、秋には秋の花咲く不思議さ。
「秋の花って、どこか少し大人びてるような気がしますね」
「秋といえば、紅葉と言うけれど、秋の花もまたよいものだよ。萩、桔梗、女郎花、尾花、撫子・・・」
「秋の花っていうと、菊・・・くらいしか思いつかないや」
そう言って苦笑する神子の手を引いて野を歩く。
「この花が何かわかるかな?」
白い花の咲く蔓草を指してそう言うと、不思議そうな顔をして神子が彼を見上げた。
「・・・なんだろう、初めて見るような気がするんだけど」
「もう忘れたかもしれないけれど、春のころに、機会があれば見せてあげると言った花だよ」
そう言うと、とたんに神子は、こぼれるような笑顔を見せた。
「茜の花? 友雅さん、覚えててくれたんですね」
神子こそ、ずっと覚えていたんだね、と心の中で思う。ときに、何気なくほんのすこしこぼれてしまった心の一片を、彼女は覚えていてくれる。そのことがまた、優しく思われるのだ。
白い花を神子は熱心に見つめていたが、やがて、不思議そうに彼に尋ねる。
「茜草って、赤い染料になるんですよね? でも、白い花なんですね」
「ふふ、それはね、花ではなくて、この草の根から茜の色を取るんだよ」
「根っこなんですか」
しきりに感心したように頷く神子に、彼は言葉を続ける。
「この茜草に、神子殿が似ていると言ったことも覚えているかな?」
「・・・そうでしたよね、名前が一緒だから?」
見上げる瞳を見つめていると、愛しさが増して。手を伸ばして引き寄せた。
「・・・・と、友雅さん・・・」
頬を染めたその表情に微笑みを誘われる。
「茜色に染まっているよ、頬が」
「も、もう! からかわないでくださいよ」
とたんに怒ったような顔になる神子に、そうやって変わっていく表情こそ見ていて愛しいのだとわかっているのだろうかと考える。
「本当はね、可憐な白い花がその根に鮮やかな茜色を隠し持っているように
 神子殿も、頼りなげで儚げでありながら、その心に何にも負けない強さを持っていると
そう思ったからだよ」
真面目な顔でそう言うと、しばらく膨れっ面だった神子の顔が、少し照れたように恥ずかしそうに腕の中から彼を見上げた。
「・・・本当は、いつも、ずっと不安だったんですよ。自分に何ができるんだろうって。
 でも、みんながいてくれたから・・・・だから、頑張ろうって思えたの。」
きゅっと彼の衣を握りしめた神子は、それだけ言うと顔を彼の胸に埋めてしまった。その様子に笑みを漏らして、彼は腕の中の愛しき姫を優しく抱き締める。
「それがあなたの強さなんだよ、神子殿。誰かのために、何かのために、
 がんばろうとする力。それがあなたの強さなんだ」
そして、それこそが、その優しく強い心こそが自分の冷えた心を照らしてくれた。
だが、彼女はその言葉を聞いて、もう一度顔をあげると彼の瞳をじっと見つめて答えた。
「でも、それもみんながいてくれたからなんですよ? ひとりだったらがんばれなかった。
 友雅さんからも、いっぱい、いっぱい力をもらいましたよ?」
「そうかな?」
「そうです。友雅さんがいてくれたから・・・
友雅さんが、私のためにしてくれたこと、いっぱいあるけど、忘れてません。
 それが八葉の役目だったからって言うかもしれないけれど、でも、忘れないです」
「あなたが神子だったからこそ、私が八葉でいられた、とそう言ったのを覚えている?
 もし、あなたのために私がしたことがあなたの心に触れたのなら、
 それはあなたが神子だったからこそ、なんだよ」
そう言うと、はにかんだ顔の彼女が嬉しそうに微笑んだ。
「・・・茜草、摘んで帰るかい?」
「はい♪」
嬉しそうにそう言うと彼女は彼の腕の中から抜け出して、白いその花を摘みに歩く。楽し気にゆれるその姿を眺めていると、ふいに彼女が振り向いて呼び掛けた。
「友雅さん・・!」
「? どうしたの?」
「あのね・・・神子殿じゃなくて、名前、呼んでほしいって言ったら呼んでくれますか?」
頬を染めて思いきったように問う彼女に、花のようだと改めてそう感じる。息をつめて待ちわびるような彼女にむかって、彼は呼び掛けた。
「・・あかね・・!」


END





〜春の約束〜とセットだけど、こちらは全部終わった後のお話(苦笑)
京に残った方のつもりで書いております。自分的にそっちの方が好きなので(笑)
  ち、ちょっとはラブラブがんばったつもりなんですが、どうでしょう???




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