familia




いつもなら目覚ましの音が朔を起こしてくれるのだが、どうしたわけか今日はその音に邪魔されることなく目が開いた。むこうの世界では、こんな便利なものはなかったので、気を張っていたせいもあり大抵は日が射してきたら自然と目が醒めたものだけれど、こちらの世界に来て便利なものに慣れてしまうと、途端にそれに頼って目覚まし時計の音が起床の合図となった。
それが今日に限っては自然と目が開いたので、朔は不思議に思ったのだが、時計の時間を見た瞬間にそれは不思議でもなんでもなくなってしまった。目覚ましが鳴らなかったのだ。おかげでいつも起きている時間よりも1時間もゆっくり寝てしまっている。当然目覚めも良ければ自然と目も覚めるというものだ。朔は勢い良く飛び起きると少し怒りを滲ませた声で呟いた。
「……兄上ね……もう! どういうつもりかしら! 自分が寝坊したいからって人の目覚ましまで止めるなんて!」
景時は朝に弱い。というか、あれこれ発明だなんだと夜更かししすぎなのだ。おかげで朝に弱い。朔が毎朝起こす度に呆れるのを通り越して諦めの境地まで行きそうになるほどなのだ。
爽やかな目覚めの後、些か怒りにとらわれながらも朔は服を着替えると部屋を出た。途端に鼻をくすぐるのは少しばかり香ばしい臭い。
(いけない、母上が作ってくださっているのかしら)
慌てて階段を下りた朔が台所で見たのは……
「の、望美? どうしてあなたがいるの?!」
台所で少しばかり焦げた卵焼きを切り分けようとしているのは、望美だった。そしてその傍らにはエプロンをつけた景時の姿も。よもや昨晩から兄が望美をこの家に連れ込んでいたのでは、と朔が慌てるのも気にした様子もなく、顔を上げた望美はにこりと嬉しそうに笑った。
「あ、おはよう〜朔! もっと寝ていても良かったのに」
「そうじゃなくて、望美、あなた、一体……」
厳しい朔の視線は兄の景時に注がれている。言葉はなくとも望美にこんな朝から料理をさせるなんてどういうつもりか、と問いつめる気が満々なのが見てとれた。その様子を察した望美は慌てて景時を庇うようにその前に立つと、菜箸を持った右手を振って見せる。
「違うの、違うの、朔。私がね、景時さんに頼んだの。それで、二人で相談してこうしたの」
「……どういうことなの?」
望美に間に入られると、それ以上怒ることもできず、朔は二人を交互に見ながらそう尋ねた。


「だからね、もうすぐ朔のお誕生日でしょう? いつも朔にはお世話になってるし。
 なんだか一週間の半分くらいは、この家で夕食をご馳走になっている気がするし。
 景時さんも、朔が毎日家のことをお母さんに代わって取り仕切ってくれているのを感謝してるって
 言っていたから」
景時と朔の母は共にこちらの世界に来ていたが、家のことをする余裕がなくなっていた。体調が優れないというわけではなく、むしろその逆で。こちらの世界に来て、暮らしの変化に慣れないことを心配した景時や朔ではあったが、少しでも早くこちらに慣れて、気晴らしができるようにと見に行った地域のサークル活動で、二人の母は今や大活躍なのである。昔ながらの食材で作る伝統食を教えたり、和裁やちょっとした小間物づくりの教室など毎日忙しそうに出かけている。そして、そうした自分の持っている知識や技術を教えることが楽しいようでもあった。そんな母に二人とも随分とほっとしているのではあったが、やはりそうそう忙しく出かけていると、家でくらいはゆっくりしてもらいたいという思いもあり、朔が家事を仕切ることが多かった。特に台所関係は朔の管轄だ。洗濯だけは景時が暇を見つけては取り組んでいるけれど。
「だからね、今日は朔に休みをあげようと、望美ちゃんと二人で相談したんだよ」
景時が妹に赦しを乞うようにそう言った。訳を聞いてしまえば、怒る気にもなれない。朔は困ったように溜息をひとつついた。
それを朔の了解と捉えたように、景時が気を取り直して言う。
「さ〜、じゃあ朝ごはんにしよう! 今日は玉ねぎとジャガイモとウインナーの味噌汁だよ。
 コチュジャン入れてちょっぴり、ピリ辛な変わり味噌汁だからね。美味しいよ!
 卵焼きは青のり入りだし、柳葉魚は焼きたてだし、トマトとレタスのサラダもあるからね!」
「……兄上のアイデアだと、ほんと、奇天烈なものが出来ていそうで心配ですわ」
殊更に呆れたように言ったのは、少しばかり二人の気持ちがくすぐったかったからかもしれない。
「あ、あのね、コチュジャン入れようって言ったのは、私のアイデアなの。
 変かなあ〜? でもほら、七味入れたりするからちょっぴり辛いのも美味しいかなーとか。
 コチュジャンも味噌だしとかー」
望美が懸命にそう言うのに、朔は笑ってはいはい、と答えた。皆が食卓に向かい合って、まだ湯気のたっている温かな朝食を口にする。少し変わった味の味噌汁は、それはそれで具材と合っていて、朔の知らない味ではあったけれど美味しかった。
(……こうやって、望美と兄上が新しい梶原家の味を作っていくのかしら)
それは台所で二人寄り添いあっている二人を見て、朔が感じたこと。二人の心遣いが嬉しくて、そして少し寂しかった。二人はきっと、いつか、新しい家族を作っていくだろう。自分は……? そのとき、自分は何処にいるだろう。
向こうの世界でなら、邸を離れて尼寺でひっそり暮らすこともできたけれど。こちらの世界はどうも少し違うようで、簡単に寺に身を寄せるということは出来ないようでもある。ふ、と息をついて
(……私は、黒龍のいたあの世界に留まればよかったのかしら。そうしたら兄上や望美に気を遣わせずに済んだかも)
と考える。しかし、食事を終えてこれまた景時と二人で後片付けをしていた望美がそれを聞きつけて、慌てたように朔の手を取る。
「朔、やっぱり、毎日、家のことしていて疲れているのね! 今日は全部、私達に任せてね!
 ああ、でも、そんな疲れてたらどうしよー、あのね、これから3人でね、ショッピングに行こうって思ってたんだけど。
 景時さんがスポンサーで、朔の服とかね、私と朔で選んじゃおうって」
ああ、違うのに、と朔は思い、そして、この目の前の自分の対を見つめては笑顔にならずにはいられない。こんな風に、寂しさを感じているなんて言えば、きっと二人はそれこそ心を痛めるだろう。この二人にはそんなこと思いもよらないに違いなくて、むしろ、この二人に対してこんなことを感じる自分の方が、子どもっぽい。
気分を変えて、朔は望美に誘われた通り、景時も交えて3人で買い物に出かけた。
買い物の間中、景時はあくまで神子二人のスポンサーに徹していて、朔と望美、二人が並んで歩く一歩後ろをついて歩いていた。望美は朔の腕を取ってウインドウを覗きこんだり、オススメの店に入ったり。一人ではなかなかこうした専門店には入らない朔も、今日は望美と一緒に楽しんだ。
尼僧になってからは、派手な服装は控えてきたし、こちらの世界に来てからもそれは同じだった。シックな色合いのものを好んで着ていたし、春らしい装いも無縁のものだった。けれど、今日ばかりは望美の見立てということもあって、優しい色合いの服を選んで買って貰う。
「うん、ほらね、朔は大人っぽいから落ち着いた色の服ばかり買うけど
 こういうかわいい色だって似合うんだから」
選ぶ望美の方が嬉しそうだし、そんな望美を見ている景時も嬉しそうだ。もちろん、以前と変わらず、兄が自分を見る眼も優しいままだけれど。それでも、誰に対してとも違う景時の望美への眼差しを見ると、嬉しい半面少し寂しく感じるのも本当で。いつまでも二人には幸せでいて欲しいと思うけれど、二人の幸せに自分は必要だろうかと、ふと朝感じたと同じ気持ちが顔をもたげる。慌てて朔は
「ごめんなさい、望美、ちょっとお手洗いに行くから、ここで兄上と待っていて!」
と小さい声で囁くとその場を離れた。
一人になってほっと息をつく。手洗い場で冷たい水で手を洗うと少しだけ気持ちが落ち着いた。二人の元へ戻ろうと通路へ出て歩き出し、さっきの店先で肩を寄せて話をしている二人の姿を認めて立ち止まる。
どんな話をしているのか、聞こえてきそうなほどに楽しげな二人の姿。きっと、兄のことだから望美に向かって、『望美ちゃんも、何か欲しいものを選んだら?』などと言っているに違いない。望美のあの慌てた様子は、そんなの悪い、と遠慮しているのだろう。それは遠目に見てもとても幸せそうな姿で、ああ、と朔は思う。あの二人は、朔の思い描く幸せを具現化したような二人だ、と。もし、自分に許されるなら、黒龍とあんな風に寄り添って語り合って笑っていたかった。そういう自分が欲しかったものを二人に託しているような気がする。だから、二人を傍で見ていたくて、それでいて、傍にいると少し寂しいのかもしれない。
(……身勝手ね、私)
自分の心の、見ていなかった部分を覗き込んだ気がして、朔が立ちつくしていると、望美がそれに気付いたらしく、顔を上げて手を振る。
「朔ー! どうしたの?
 ね、お茶をしにいこう、ここの上の階にね、ケーキの美味しいお店が出来たんだよ」
少し切ない笑顔を望美に返して、朔は二人の元へと歩いていった。


その日は夕食も、望美と景時が台所に立って作っていた。誕生日なんだから、少しは豪華に! と何やら張り切ってはいたようだけれど、最終的に出来上がったのは、シチューとサラダ、洋風ちらし寿司と買ってきたケーキというメニューに落ち着いた。慣れない二人が作るものだから、時間がかかってしまってそれくらいしか作れなかったのだ。買い物から帰ってきたのもゆっくりだったから仕方がない。それでも朔にとっては十分な贈り物だった。いつか、こんな情景が毎日、この家で繰り広げられるようになるのかもしれない。そのとき、自分はどうしているんだろう、と思ってしまうけれど。
その夜、望美は
「今日はお泊まり!」
と高らかに宣言すると、朔の部屋へ布団を敷いた。常夜灯の小さな灯りの元で、二人枕を並べて横になる。
「朔と寝るの、久しぶりだよね。なんか、向こうの世界のこと、思い出しちゃうな」
望美の声はどこかうきうきした調子で、朔は思わず口元を緩めた。
「ね、朔、今日は疲れちゃった? もしかして私と景時さんに連れ回されて
 大変だった?」
がばっ、と朔の方へと身体を向けて望美がそう尋ねてくる。きっとこの察しの良い対の神子は、朔が今日、複雑な思いでいたことを見抜いてしまったのだろう。
「……違うわ、本当に、嬉しかったのよ。二人の気持ちが。
 ただ、ああ、いつかこんな風に兄上と望美は本当に家族になって。
 一緒に過ごしていくんだなあ、って思って……」
「や、やだ、朔ってば、そ、そんなの、まだ先っていうかっ!
 そ、そんなこと想像してたの? そりゃ、そうなったらすごく嬉しいっていうか、そうじゃなくって。
 そうそう、そう思って、だから?」
焦ったように言い訳をした望美だが、すぐに朔に続きを促した。朔は少しだけ言いよどんだものの、望美ならわかってくれると、小さな声で言う。
「少し、寂しいな、って思ったの。
 二人がそうやって、新しい家族を作るときに、私は何処でどうしているのかしら、って」
そう言うと、望美はきょとん、とした顔になって首を傾げる。
「……朔も、そこにいるんじゃないの? どうして?
 今、景時さんと朔は家族でしょう? そこに私が、ええっと、うん、だから私も入って。
 それで、皆一緒に家族になるんじゃないの? そ、それとも朔は、私と家族は嫌?」
慌てたように望美が朔の手を取る。今度は、朔がぽかん、としてしまった。
なんて、簡単なこと。なんて、単純なこと。そして途端に可笑しくなる。
思わず、声を上げて笑ってしまった。
「朔ぅ〜」
そんな朔に、望美がどう反応していいのかわからない、というように縋るような声を上げる。
「だって、やっぱりさ、朔にしか話せないことだってあるし。
 すっごい贅沢だとは思うけど、朔も傍にいてくれなくちゃ、寂しいよ」
唇を尖らせてそう言う望美に朔は、やはり笑いながらその手を握り返した。
「そうね……そうね。兄上だけには望美を任せておけないかもしれないわね」
「景時さんだってね、朔が傍にいた方が安心すると思うよ?」
くすくすと笑いながら朔は、ありがとう、と望美に言った。
「……私にしか話せないこと、って、やっぱり、兄上とのこと、なのかしら?」
悪戯っぽく言ってみると、図星だったらしい望美がまた、わたわたと慌て出す。
「……そ、そりゃまあ、そうなんだけど……あのね……そう、あのね、今、聴いてくれる?」
迷った様子を見せつつも、また、身体の向きを直して手をがしっと握ってくる望美に、朔は笑いながら、ええ、と頷いた。


その夜、遅くまで二人の内緒話は続いて。明くる朝は気を利かした景時が作った朝ごはんを、二人並んで食べることになったのだった。





朔のお誕生日ネタと絡めつつ。というか時期が遅れまくりですが。
イメージ的には現代捏造ED、カリスマネタな3人で。



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