「景時さん、おかえりなさい!」
望美はぱたぱたと駆けて仕事から戻ってきた景時を迎えた。ことのほか今日は、どこか楽し気な様子の望美に景時もつられて薄く微笑む。
「ただいま、望美ちゃん。はい、これ、頼まれていたお土産。珍しいね、お土産ねだるなんてさ」
「えへへー、だって近頃評判だって聞いたから。景時さん、ちょっと遠回りしてもらっちゃいましたけど」
「そんなの全然気にならないからいいんだよ。ところで、今日、どうしたの、九郎が来てるの?」
「え?」
「いや、馬があったから」
「あー! もう、景時さんってホントに目端が利くんだから」
望美のちょっと残念そうな声に、景時は意味がわからないというような顔をした。仕事が終わった後、望美からの頼まれものを探しに寄り道をした景時は、いつもより帰りが遅かったために、何か用があった九郎が先に邸に着いてしまったのだろうと、それだけのことだったのだ。
しかし、望美は肩を竦めて「ホントに景時さんにサプライズしようと思うと大変なんだから」とブツブツ言いながら、邸に上がった景時の背を推して奥へ連れていく。
「な、なに、どうしたの、望美ちゃん」
まだ今一つ、何事か飲みこめていない景時だったが、されるがままに奥の間へ進む。
「もう準備は出来てますから、みんな待ってます」
「みんな? 九郎だけじゃないの? ああ、弁慶も来てるのかな」
そう言いながら、広間に追いやられ中に入ると。
「景時! 遅いぞ。先に始めるところだったぜ!」
「え、え?将臣くん?!」
平家の落人を追って南へ下ったはずの将臣が盃を掲げて景時を迎えた。
「ちょっと、始めるところだったって、始めてるじゃないのよ、将臣くん!」
望美が声を荒げて将臣の前に仁王立ちになる。
「先輩、大丈夫です、まだ杯は空です、俺が責任を持って止めていましたよ」
その声は、星の一族の元に身を寄せている譲だ。
「でも、もうちょっと遅かったら俺も始めるところだったぜ」
「ヒノエ、君のことは僕が止めますよ」
「まあ、景時が主賓とはいえ些か待ちくたびれたのは同感だな」
軽口をたたくヒノエと、それを諫める弁慶、そして笑って景時に向かって言ったのは九郎だ。
「景時殿、ご招待かたじけない」
「景時、息災で何よりだ」
敦盛とリズヴァーンの姿もそこにはある。
「ほら、兄上、ぼーっとしていないで。そこに兄上の席がありますでしょう、早く座ってくださいな。でないと始められません!」
相変わらず手厳しいのは朔で。
「八葉がそろったよ、今日はとても気が整っているよ。神子も喜んでいる、景時もうれしい?」
無邪気にそう尋ねてくるのは、可愛らしい子供の姿の白龍だ。
「の、望美ちゃん? 今日、これ、なに?」
とりあえず、座しながら景時が傍らの望美に向かって尋ねる。
「景時さん、お誕生日、おめでとうございます!」
「え?え?」
それでもまだ飲みこめていなさそうな景時に、望美が笑って言う。
「私たちの世界では、その人が生まれたその日に、お祝いをするんです。今日は、景時さんのお誕生日だって聞いたから、みんなでお祝いしたくて集まってもらったの」
「そうなの?え、じゃあ、これオレのため?みんなもオレのために集まってくれたの?」
感激した様子の景時に、
「俺は姫君の頼みだから来てやったんだよ」
とヒノエが混ぜ返し、
「望美さんに頼まれたら僕たち、誰も断ることなんてできませんからね」
弁慶もそれに追随する。
「ひどいなあ〜なんだい」
そう言いながらも景時は本当に嬉しそうだった。源平の戦の最中にあっても、仲間と一緒に在ることに一番楽しげだったのが景時だった。戦も終わり、皆それぞれの場所へと還ってしまったがために、こうして集まることもほとんどなかったのが、望美は景時のために皆に集まって欲しいと願ったのだ。
「お前好みの酒を用意してきたからな、これで今日はお前を祝うとしよう」
九郎がそう言って景時に酒を差し出した。
「ありがとう、九郎!」
皆の盃が満たされると、自身は湯呑に水の望美が声を挙げる。
「景時さん、お誕生日おめでとうございます! それじゃ、みんな、かんぱーい!」
そうして賑やかな夜は始まったのだった。
久しぶりに京へ現れた将臣やヒノエといった面々との会話もとめどなく、祝宴は賑やかに進んだ。久しぶりのことに酒も進んだのだろう、九郎がやや酔ったような顔で景時の盃に酒を注ぎながら言う。
「景時! いいか、お前は俺にはない才を持った男だ、これからも頼むぞ」
驚いたのは景時だ。九郎からそんなことを言われるなど考えたこともなかった。
「ち、ちょっと九郎、待ってよ、どうしたのさ、酔ったのかい?」
「わからん奴だな。だから、お前を頼りにしているのは兄上だけではない、俺もそうだと言っているのだ」
「いやいやいやいや、そうじゃなくてさ、へ、ヘンだよ九郎…!」
言われ慣れないことを言われて景時が慌てる。
「そうか? 俺はそんな変なことを言っているか」
「そ、そうだよ、だって九郎、普段そんなこと言わないじゃない」
一気に酔いも冷めそうな勢いの景時に、横から将臣が口をはさんだ。
「なんだよ、貰えるものはなんだって貰っとけよ、それが珍しい褒め言葉だってんなら尚更喜んで受け取っとけばいいじゃねえか」
「そ、そりゃあそうかもしれないけどさ」
嬉しくないはずがない、嬉しいのだが、それがあまりに唐突で受け止めきれないのだ。そんな景時の様子に将臣が、少しばかり意地悪い笑みを浮かべた。
「なんだ? お前、本当に自分のことが良くわかってないのか。九郎が言ったことくらい十分自覚してるかと思ってたぞ」
「自覚って、何、オ、オレが頼られてるって?」
普段なら、あるいは八葉の仲間ではない相手なら、「そりゃあそうだよ」などと嘯くのが景時の常ではあったのだが。
「まあ、景時、お前には俺も言いたいことがあったんだよ。平家として戦っていた頃、お前の敷いた情報網はかなり厄介で面倒くさかったぞ。文句のひとつもつけてやりたかったが、最後はバタバタしてそんな時間もなかったからな。今、言っとく。お前、結構、大した奴だな」
将臣にまでそう言われて、景時は汗が出てくる。
「ち、ちょっと待って、これ、何。本当に、君たち、酔ってるのかい」
居心地悪くなってきて腰を上げそうになる景時に、今度は背後から声がかかる。
「駄目ですよ、九郎も将臣くんも、あんまり景時をいじめては。今日は景時の誕生日なんですから」
「べ、弁慶〜。ホントに、心臓に悪いよ、何かの悪い冗談かと思うじゃない、ねえ」
少しほっとした表情になった景時だが、そんな景時に向かって弁慶が小首を傾げて微笑みながら言う。
「でも、景時、君もあまりに謙遜しすぎというものですよ。僕はね、君のいざというときには自分で泥を被る覚悟というものに感心していますからね」
「ちょ、ちょっと弁慶…それは…」
「本当にね、君ときたら鎌倉殿を一人で煙に巻いてしまうし、その実、自分に何かあっても皆は逃げおおせるとそこまで計算していたでしょう? 今だから言いますけれど」
「そういう点では女泣かせだよな、あんた。望美と朔ちゃんと二人とも泣かせたの、あんたくらいだろ」
ニヤニヤと面白そうに口をはさんでくるのはヒノエだ。
「もしかして、根に持ってる?弁慶?! いやそりゃ本当に悪かったって……」
「違いますよ、誉めてるんです、わかりませんか?」
「誉めてる?なんで?」
助けを求めるように、望美の方を見遣った景時だが、望美はというと、仲良く話をしていると思っているのか、ニコニコと嬉しそうに景時たちの方を見ているばかりだ。
「本当に、景時さん、人のことは良く見えているのに自分のことは見えてないんですね」
やれやれ、というような口ぶりでそう言ってきたのは、もう一人の白虎、譲だ。
「俺から見た景時さんは、ちゃんと全体のこと…みんなのことを良く見て気配りができる大人の人って感じで、敵わないなあと思ったものですよ」
「譲くん、君までどうしちゃったの」
「まあいいじゃないですか。こういう時じゃないと、なかなか照れくさくて思っていても面と向かって言えないことってあるでしょう」
オレなんかよりずっと大人びたことを言ってるのにさっきみたいなこと言うの、と景時が途方にくれたような顔になる。そんな景時に構いなく、おずおずと譲に同意を示したのは敦盛だった。年が近い上にお互い落ち着いた性格のため、譲と話をしながら宴を楽しんでいた敦盛が、どうやら譲に加勢しようと思い立ったものらしい。
「譲殿のおっしゃること、私も同意いたします。最早遅きに失したとも言えますが、私も景時殿にはずっと言わねばならぬと思いながらも言えずにいたことがあります」
「な、なに。敦盛くんが改まってそんな風に言うと、なんだか心配になっちゃうんだけど…」
「いえ。景時殿は平家の人間であった私をなんの迷いもなく邸に置いてくださった。人を信じることに迷いがない方なのだと感じ、なんと懐の深い方かと思ったものだ」
しみじみと敦盛が語る。ふと見遣れば、最初に口を開いた九郎や将臣は、すっかりそんなことなど忘れたように景時のことなど眼中になく酒を酌み交わしていた。
「何度礼を言っても足りないほどだ。本当に忝かった」
そこでまた深々と頭を下げられて、景時の方が恐縮する。
「ホントに、いや、敦盛くん、頼むから…」
「…景時」
それまでひとり静かに盃を傾けていたリズヴァーンが景時に声をかける。
「…今日の皆の言葉は、素直に受け取っておきなさい」
「せ、先生まで……」
「……お前は、神子からの信頼を受けるに足る人間だと、その行いで証明したのだ。もっと自分を誇りなさい」
宴は夜も更けるまで続き、その日は皆、かつてのように京邸に宿泊することになった。九郎は六条堀川へ帰ると言ったのだが、将臣が偶のことだからいいじゃないかと引き留め、結局、皆が留まることになったのだ。
以前と違うのは、望美と景時が同じ部屋で夜を過ごすこと。
「…望美ちゃんでしょ、今日のみんなのアレ」
まだ酔いの残った顔で景時が柱に凭れて片膝を立て座りながらそう言う。望美はというと悪びれもせずにそんな景時の隣に座ってその顔を覗き込んだ。
「せっかくのお誕生日ですし。みんなに景時さんの良いところを言ってほしかったの」
「…恥ずかしいよ、オレ、あんなふうに言ってもらえるような人間じゃないっていうのに」
「…ほら、そんなこと言うから」
ぷう、っと望美の頬が膨らむ。少し怒ったように唇を尖らせて望美が景時の目を見つめた。
「景時さんってば、人の良いところを見つけるのは得意なのに、自分の良いところはちっとも見ないんですもん。言っときますけど、私、別にみんなに無理やり言わせたわけじゃないですよ。あれは、みんなの本当の気持ちです。景時さんに対する」
「…わかってるよ、わかってるから、なんていうか…嬉しいんだけど…」
「…泣きたくなっちゃいますか?」
優し気な微笑みを浮かべて望美が言う。景時は自分が言葉に出来なかったことを、何故こうも望美は的確に言葉にしてしまうのかと半ば驚きを以て彼女を見つめた。
「……そうだね。自分が、彼らの信頼や友情に相応しい人間でありたいと思うよ」
―そして、リズヴァーンが言ったように、目の前の彼女の信頼と愛情を受けるに相応しい人間でありたいと思う。
「…じゃあ、今日一日の最後は、私から、景時さんに、たくさんありがとうがあるんです。言ってもいいですよね?」
「ち、ちょっと望美ちゃん、まだ君からもあるの?」
「ありますよう。っていうか、これが一番大事でしょ。ありがとうだけじゃなくて、大好きもたくさんあるんです。ひとつずつ、言ってもいいですか?」
景時は腕を伸ばして望美を抱き寄せ、自分の膝の上に抱え上げた。
「……いいけど。最後まで言わせてあげられなかったらごめんね?」
「なんですか、それ。聞くの嫌になっちゃうってことですか?」
「…そうじゃなくてね、先に言っておくけど、オレ、多分途中でたまらなくなっちゃって望美ちゃんのこと、抱きしめるだけじゃすまなくなっちゃうから」
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