その瞳に囚われて




初めて会ったときは、なんだか面白い人だって思った。落ち着いた朔のお兄さんって思えない、軽い人って。でも、すぐに気付いた。軽いだけじゃない、優しい人なんだということに。

同じ武士なのに、景時さんは九郎さんみたいに真面目で堅苦しい考え方をしないのが面白かった。私から見たら、九郎さんの方が『武士らしい』人で、多分、この世界でも普通の人なんじゃないかなって思う。景時さんは『できるだけ戦いたくないしね〜』なんて言うし。
でも、それが嫌な言い方じゃないのが不思議だった。なんていうのかな、臆病だから、とか、うんざりしているからっていう感じじゃないの。景時さんがそう言うのを聞いて、皆が笑って、戦の前の硬い空気が柔らかくなる。九郎さんが『景時!』って怒るのも、その後で弁慶さんが『まあまあ、九郎』なんてたしなめているのも、なんだかあんまりにも普通で、それまでガチガチに緊張していたのがふっと緩む感じがする。
景時さんがいるだけで、なんだか皆、景時さんのノンビリした風に影響されるのか、安心しちゃうみたい。だから、もしかしてわざとそうしてるのかなって思うようになった。皆のために、わざと軽い風を装っているのかなあって。そんな風に思って見ていたら、今まで軽薄なんだと思っていたことも、違うように見えてきたの。
場が険悪になりそうになったら、自分が情けない役になっても間に入って和ませようとするところとか。誰の望みも分け隔てなく、聞いてあげようとしていることとか。
『大丈夫、大丈夫』って根拠もなく言う単なるお調子者なのよ、って朔は言うけど違うんだ、景時さんは『無理だ』って言うことで相手を悲しませたくない、失望させたくないんだってわかった。それは自分が駄目だって思われたくないんじゃなくて、本当に目の前のその人を悲しませたくないためで、だから、そう言った後には本当に頑張ってるってこともわかった。
見栄っぱりなんじゃない、優しすぎるくらい優しい人なんだって。
だから、自分に出来ないことがあると、いつも自分を責めるんだなあって。出来ないことがあるのは普通のことなのにね。いつも笑っていて、楽しいことが大好きで、優しくて、気を配ってくれて、やっぱりそういうところ、大人の人なんだなあ、って思っていた。

でも、何時からかな、それだけじゃないのかなって感じるようになったの。

最初は軽薄な人って思った。でも、本当はそうじゃなくて優しい人なんだってわかった。その次に感じたのは、優しい人っていうのも本当じゃないの? っていうことだった。
多分、景時さんのことが気になっていつもその姿を目で追っていて、だから気付くことができたんだと思う。それくらい本当に景時さんは上手にいつも笑っていたから。
皆の前ではすごく楽しそうな笑顔なのに、その笑顔が消える瞬間の表情がとても辛そうなのに気付いたの。笑いたくないのに笑っていたんだ、本当はすごく辛いんだ、ってそんな風に見えた。でも目が合うと、そんなのが嘘みたいに凄く優しい顔で笑いかけてくれるから、見間違いなのかなって思ったりもした。
すごく気になって気になって、誰に尋ねても景時さんは、いつも元気で明るくて、兵を盛り上げてくれて、景時さんがいてくれて安心だ、心強いって、部下の人たちも口を揃えて言っていたのに。景時さんって凄い人なんだなあって改めて思うくらいで、九郎さんと同じくらい皆から信頼されているんだなあって感心したのに。
なのに、どうしてそんな苦しそうな表情するんだろうって不思議だった。

三草山で景時さんが元平氏だって聞いたときに、だからなのかな、ってちょっと思った。元平氏だから、やっぱり平家と戦うのってしんどいのかな、本当は嫌なのかな、って。でも、それだけじゃないみたいっていうのは景時さんに石橋山の話を聞いて感じた。
手柄に縛られてるって言ったときの景時さん、すごく辛そうだったから。すごく暗い、月も星もないまっくらな夜の海みたいに何も映っていないような、そんな瞳をしてた。それがどういう意味なのか、それの何が苦しいのか、良くわからなかった。
嘘の手柄で持ち上げられて、本当はそうじゃないのに作られた自分が嫌なんだろうか、って、それくらいしか私にはわからなかった。私には、やっぱり、戦のこまごましたことも政治のことも良くわからなくて、目の前にある自分がしなくてはならないこと、しかわからなくて、景時さんの『軍奉行』という役職が、九郎さんの補佐をする凄く偉い地位なんだっていうことくらいしかわからなかったし、頼朝さんに信頼されているっていうことも、凄いことってくらいしかわからなかった。
……でも、そんな風に何もわからない私だから景時さんは、石橋山でのことを話す気になったのかもしれない。話してくれて嬉しかったけど、でもやっぱりその時はすごく意外に感じた。景時さんが『他人が見た自分』に疲れているんだってこと。でも、あの暗い表情は本当の自分を見せられない辛さなのかなって漠然と思っていた。私は本当にまだ子どもで、景時さんの深い深い心の淵のことなんてほんの少しもわかっていなかった。

熊野での景時さんは、楽しそうだった。『やっぱり、皆一緒が楽しくていいよね〜』って、そのときの笑顔は本当に楽しそうで、いつもの辛そうな表情がなくて、私もあの旅の間ずっと楽しかったな。
花火を見せてくれたときの景時さんも、生き生きしていて、本当に好きなことをしてるって感じだった。戦がなかったら、皆こんな風に和やかに楽しく過ごせるんだって感じたの。
本当は誰だって戦なんか好きじゃないんだって。戦わなくてもいい未来を作りたいな、景時さんも戦よりもこんな風に好きな発明に没頭できるような、そんな風に戦わなくてもいい未来を作りたいって、本当にしっかり思ったのはあのときだったような気がする。
あのときの景時さんの瞳には、きれいな花火が映っていて。とても安心したの。夜の海みたいな暗い暗い、何処か怖くて哀しくて惹きつけられる瞳じゃなくて、安心したの。でも、何故かな、とても楽しそうな瞳を見て安心したのに、思い出すのは暗い瞳の景時さんで、どっちが本当の景時さんなんだろうって考えずにはいられなかった。

切なくて目が離せなくて、本当の景時さんが知りたくて、ああ、私は景時さんが好きなんだなあってちゃんと感じたのもこのころだったような気がする。
熊野水軍を味方につけるっていう目的は果たせなかったけれど、八葉といわれる人たちが全員揃って、大きな戦もなくて、どこかのんびりした旅で、今思い出してもあの時はとても楽しかった。あんな日が続けば良かったのに、それは無理なことで。皆、わかっていたから、余計にあの旅が楽しいものだったのかもしれない。あの後、戦は激しくなっていって、景時さんもどんどんおかしくなっていった。

福原を攻めるときに景時さんの様子がおかしくて、放っておけなかった。『他人が見る自分』が苦しいのは、景時さんが自分のことを嫌いで蔑んでいるからなんだって初めて知った。
何故、そんなに自分のことを駄目な人間だって言うのかわからない。軍奉行としての仕事だってちゃんとこなしていて、九郎さんだってなんだかんだ言っても景時さんを信頼していて、兵たちだってそう。見掛け倒しだったり、本当は実力がなかったりしたら、実戦の中では通用しないもの、すぐに見抜かれて誰からも慕われたりすることなんてないと思う。どうしてそんなことに気付かないくらいに、自分のことを嫌うんだろうって。
何一つ中途半端だって言うけれど、景時さんは他の誰にもできないことをする力も持っているのに。本当の陰陽師ってどれくらいのことが出来るのかはわからないけれど、その力を応用して花火を作ろうとか、もっと違うものを考えようとか、そんな風に考えて作ってしまえる人なんて、いないんじゃないのかな?
武士らしい武士でいなくちゃいけない、とか、陰陽師として大成しなくちゃいけない、とか、型にはまらなくちゃいけないってどうして思うんだろう。この時代がそうだから? 景時さんは武士らしくないけれど、だからこそ良いところがあるし、『そうでなくちゃならない』ことなんて何もないのに。
あなたは駄目な人なんかじゃない、他の誰もが景時さんのことを認めているのに、どうして景時さんだけが自分を認めてあげないの? って言いたかった。あなたは駄目な人じゃない、ってずっと私が言い続けていたら、いつか景時さんも自分のことを好きになれるかな。それとも、私の言葉じゃ景時さんには届かないのかな。
どうしたら景時さんの辛い気持ちを解してあげられるんだろう。何故、そんな風に自分を嫌いになってしまったんだろう。分からなくて、分からないからこそ景時さんの本当を知りたくて。
好きなのに、景時さんの本当に近づけないことがもどかしかった。

生田で出会った、平知盛。彼は、私が彼と似ている、と言った。戦うことに歓びを見出している同類だと。でも、私はそんな言葉、聞いてもいなかった。彼が怖かった。何かが欠けていて、真っ暗な、底も見えないくらい真っ暗な穴が心に開いているような人に思えた。
でも、私が彼を怖いと思ったのは、そんな風に彼が底知れぬ闇を抱えた人間だから、じゃなかった。どうして誰も気付かないんだろう? 彼に似ているのは、私じゃない。あんなにも正反対なのに、どうして同じ瞳をしているの? 何も映していない夜よりも暗い瞳。寂しいとも悲しいとも違う、何かを言っているようで、でも何も教えてくれない瞳。
楽しいことが大好きで、仲間のことを大切に思っていて、誰よりも優しい景時さんが、何故、人の命を奪う戦いの中に歓びを見出す狂気を纏った人と同じ瞳をしているの? 私はそのことが怖かった。景時さんの抱える闇はいったい何なんだろう。どれほど深いものなんだろう。それは私が近づくことができるようなものなのだろうか。そのことが不安で、怖かった。でも…………

夜よりも暗い闇を讃えた景時さんの瞳。
でも、私は知っている。花火が映った景時さんの瞳も知っている。あの日の景時さんの瞳には、暗い闇はなくて美しい光が映っていた。
私は、景時さんの瞳に映る光になりたい。いつか、景時さんの瞳に宿る暗い闇を祓う光になりたいと願っているの。




遙か3より、景時×望美です。
景時が望美の強い意志を宿した真っ直ぐな瞳から目がそらせなくなったように
望美もきっと景時の普段の明るさとは全く違う昏い瞳から
目が離せなくなったんじゃないかとか、そんな妄想をしている私です。
そしてこれはシリーズ物の予定で多分あと4話くらい続くかもしれない。


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