恋ぞつもりて





気がついたら、彼女を想っていた。
不思議なことに、彼女の優しい心根が静かに凍える自分の心を温かく解かしていくのがわかった。
「友雅さん」
そう呼びかけられるたびに、微笑を誘われた。幼げな姫君。まだまだ子供だと想っていたのに、そのまっすぐな瞳に捕らえられてしまったようだ。彼の心の壁を突き抜けてまっすぐに飛び込んでくるその瞳。
左近衛府少将・橘友雅は、ふとその想い人の瞳を思い出し口元を綻ばせた。ふと見上げれば今宵の月が優しげな光を投げかけている。月を見るたびに、彼女の優しさを想う。手の届かない人ゆえに、かの人はまた、月を思わせるのだ。静かに優しくふりそそぐその光は、彼の心を照らし、満たしていくが、いつか訪れるであろう別れが、かの人に思いを告げることをためらわせていた。
それでも。
告げずに内に秘められた想いは、日毎夜毎に心に積もっていくようだった。
「・・・殿」
そこへ、一通の文が届けられた。友雅は、添えられた花の枝に誰からの文かを思い至り、その文を手にとる。美しい女手は、女房が代筆したものだろう。文の内容も常と変わりのないものだ。この文も、もう何通目となったものだろうか。それでも、かの人が自分を呼んでいると想うことに心動く。

わが君のお召しを何ゆえ私が厭わしいと想うものであろうか。
むしろ、この文が届かぬ方が心乱されるもととなろう。
神子どの。

変わらずかの人が自分を頼りとしてくれていることが愛しい。
「明日,お伺いすると使いを」
友雅はそう控えの者に伝えると、今宵の月光に興がのったか琵琶を奏でてみようと思い立ち、楽器を取りに部屋へ戻っていった。


「友雅さん!」
今となっては耳に慣れた心地よい声が友雅の耳に響く。少し頬を紅潮させて嬉しげに微笑む神子の姿があった。
「おはよう、神子どの。
 洒落たお誘いどうもありがとう、嬉しかったよ」
物忌みの日、気の影響を受けやすい神子を穢れから守るために八葉が屋敷へ呼ばれる。最初呼ばれたころは、竜神の神子といわれる姫君がどんな姫君であるか興味があった。その印象は、まだ子供だと思うにとどまっていたのに、少しずつ、その心の優しさと熱さを知るにつれ、彼女を見ていたいと思うようになった。そして守りたいと。鬼に穢された京の都さえ、さして本気で守りたいとは思わなかったものを。
「お体のお加減はいかがかな?
 物忌みの日は神子どのの御身体の具合が悪くなりやすいと聞いているけれど」
「ええ、大丈夫ですよ」
そう答えた神子だったが、どこか疲れた様子なのは友雅に見てとれた。そっとその髪に触れてそのまま頬を撫でる。神子の頬の赤みがなお増した。
「と、友雅さん・・・!」
その様子に微笑を誘われる。彼女がけして自分に触れられることを厭わしく思っているわけではないことがわかっていて、いっそこのまま腕に閉じ込めてしまおうかとさえ思える。
「お疲れの様子だね、私が御傍についているから、しばらく眠ってはいかがかな?」
「え・・そんな」
申し訳ない、というように首を横に振った神子は改めて、大丈夫です、と言うと
「それより友雅さん、お話しましょう!」
と言った。しかし、しばらく話をするうちに、神子の頭はこっくりこっくりと前後に揺れ始め、友雅はそれまで語っていた京の話を途切れさせると、ふと微笑んで神子の身体に手を触れた。
そっといざなうように抱き寄せると神子は、友雅の膝に小さな頭を乗せるように横たわった。友雅は、自分の直衣を脱ぐと神子の身体にかけてやった。
安心したように眠る神子の顔を覗き込む。小さな姫君。君のそのどこに溢れる力と情熱が隠されているのか、ずっと不思議だった。でも今は、そんなことはどうでもいい。君がいつまでも君らしくあるように、君が傷つくことがないようにとそれを祈らずにはいられない。
こうしている間も、彼女の顔を見ているだけで優しい気持ちが胸に溢れてくる。
「・・・恋ぞ積もりて淵となりぬる・・・か・・」
静かに降り積もる思いは何時の間にか友雅の胸の中で尽きることなく水が湧き出す泉のように心を満たしていた。いつか、この淵が水に押し流されることがあるだろうか。この思いが抑えきれず、溢れる思いを彼女に告げることになるのだろうか。静かに心を満たしていくこの思いもまた、情熱というのだろうか。
ただ、起きて一時たりとも同じ表情をとどめておかない風のような神子も、今、彼の膝に眠る神子も、どれほど見つめていても飽きることがない。
「・・・このまま、あなたという淵に沈んでしまうのもいいかもしれないね、神子どの」
いまだ蕾のような幼げな神子が花開くのを見つめていたかった。そしてその花を咲かせるのが自分であったなら。膝に伝わるぬくもりを心地よく感じながら、友雅は神子の髪にそっと優しく触れた。君の夢が優しくあるように。できれば、夢路に会いに来てくれれば嬉しいのだけれど。



すべてが終わった。
彼の膝に頭を乗せて、神子は静かに眠っている。鬼の穢れを払った八葉たちにその力を注ぎこんだせいだろう、自分がこの都を救ったことも知らず、ただ眠っている。他の八葉たちは眠る神子を気遣い、また、戦いの折に崩れた建物の後片付けに散らばっていた。すべてが終わった今、神子が目覚めた後、待っているのは、別れだ。
そう思うと、友雅の胸が痛んだ。このまま。眠る神子をこのまま自分の屋敷に連れ帰り、もう手放さないでいようか。屋敷の奥深く。だが、わかっている。神子は屋敷の奥深くではなく、日の元で自由に駈けてこそ美しい人だ。自由に駈けさせてやりたい。
神子の顔を見つめる友雅はしかし、まだ迷っていた。この思いを目覚めた神子に告げるべきか。
たとえ神子が元の世界へ帰っていっても、この思いを胸に抱いたままで、この思いを糧に、生きていくことができるとそう思っていた。だが、今はその自信がない。
君のいない世を生きることに意味があるのだろうか。
世のすべては儚いものだ。君がいないのであればなおさらのこと。
こんなにも湧き上がり溢れる想いを、胸の淵にとどめることができようか。それが姫君を攫い行く所業と同じことであろうと。
ふるふる・・・と神子の睫が揺れ、その瞳がひらいた。
寝覚めの姿の愛らしさに、微笑むと不思議そうな光を宿した神子が彼を見つめていた。
「・・・友雅さん・・・?」
「お目覚めかい?神子どの。
 終わったよ、すべて。よくがんばったね」
その友雅の言葉をまだ飲み込めないように神子がまばたきをして友雅を見つめる。澄んだ瞳。その瞳をずっと見つめていたい。その瞳にずっと自分の姿を映していたい。そう思ったとき。迷いもなく、友雅はそれを口にしていた。その言葉を伝えたとき、神子は一瞬その瞳を大きく見開き、それから花が咲くような笑顔を見せると深く頷いた。
「ええ、友雅さん、ええ・・・!」
友雅は、自分の胸の淵を溢れて流れ出した想いが、神子という花を咲かせるであろうことを確信した。


龍神の神子は、その務めを果たした後も、京を離れることはなかった。
その傍らには、かつて八葉として彼女に仕えた男の姿があった。
普通の姫君と異なり、野を駈け、風の如く自由であった神子は、彼とともに野を行き花を愛で京を愛した。屋敷の奥に姿を隠すことなく、常に自由であったと、そう伝えられる。



END





やっぱりラブラブにならないなあ(汗)
いえ、ちょっとは努力してるつもりなんですが・・・
どうもやっぱり私の中であかねはまだ幼いのかもしれません。
いや、でもそんな少女を少将がどう育て上げるか(をい)がポイントですね!
次回はがんばる・・・・つもりだけど予定は未定(^_^;;)




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