honesty




西国を統括する源九郎義経は、今日も今日とてご機嫌そうな、自身の右腕とも言える軍奉行・梶原景時の様子を見つめて何度目かのため息をついた。しかし、ため息をつかれた当の本人の方は、全く気づく様子もない。
平家一党が南へと落ち延びて行った後、西国もやっと落ち着きを取り戻しつつあるとはいうものの、まだまだ忙しく采配せねばならぬ書状は山積みであるというのに、ここ一月以上も景時の様子は甚だ浮ついたものであった。何か仕事上に粗相があったわけでもなく、相変わらず有能で九郎が苦手な朝廷とのやりとりも、『え〜、オレだってホントは苦手なんだってば〜』と言いつつもこなしているので、大っぴらに文句を言うわけにもいかない。しかも、京へ戻ってからというもの、景時にはそれなりの事情もあろうから休みも欲しかろう、と思いやってはいるものの、実際のところ休日など与えられていないのでその後ろめたさもある。とはいえ、日々の景時の様子を見ていれば、休日など必要もなかろう、という気分にもなるもので。
今日も今日とて、景時の頭の中は仕事を着実にこなしながらも、新妻のことでいっぱいなようで、だらしなく頬が弛みっぱなしであった。
「景時」
それでもさすがに目に余ると九郎がやや控えめな声音で声をかける。しかし、すっかり頭の中は望美のことでいっぱいなのであろう景時には聞こえなかったようだ。そこで九郎はさらに大きな声で呼びかける。
「…景時!」
しかし、へらりとおそらく九郎の呼びかけとは全く関係のないことで笑みを零した景時は至極上機嫌でまた書状に筆を走らせる。痺れを切らした九郎は今度は大声で怒鳴った。
「景時っ!!」
「ほえっ!! なになに、どうしたのっ、九郎?!」
やっと気付いたらしい景時が顔を上げて驚きの表情で九郎を見返してきた。何事かが起こったかと慌てたようなその様に、九郎は改めて溜息をついた。
「……そろそろ使いのものが来る時刻だろう、俺の前ではともかく
 部下の前では少し締まった顔をしておけ」
「あ、あー……ごめんね〜、またオレ、顔が緩んでた?」
「……緩んでいたなどというほどではないぞ」
呆れた様子の九郎の言葉に、景時は苦笑いしながら頭を掻いた。顔が緩んでいる自覚はないものの、それでは拙いという気持ちはあるらしい。そんな様子を眺めていた九郎だが、ぽつりと呟く。
「……お前は、本当に、今、幸せなのだろうな? その顔は嘘ではないんだろうな?」
「……?? 何よ、九郎、どうしたのさ」
言われた景時の方が訝しげにきょとんとした表情になる。自分の言葉に焦ったように九郎はしばらく言葉を濁していたが、いいにくそうにもう一度、言う。
「景時、お前は今、本当に幸せなんだな?」
「ええ? もちろん、当たり前でしょ〜! 家に帰ったら可愛くて優しい妻が……妻が! いてくれるんだよ!」
「…………それは、望美だろう?」
「……なに、九郎、その間はなに? 望美ちゃんだよ、当たり前じゃないか。
 可愛くて優しくて眩しくて何も言うことない望美ちゃんだよ」
「……いや、そうか。うむ」
これ以上景時の惚気を聞くのは後悔しそうに思った九郎はそこで話を打ち切ろうとそう言ったのだが、それが悪かった。景時はさっきまでの上機嫌とは対照的に何処か拗ねたような様子で九郎に向かって言う。
「なにさー、なんか望美ちゃんに文句でもあるわけ? 望美ちゃんが可愛くて優しいということについて異論でも?」
「…………いや、ない」
まあ優しいし可愛いだろう、それ以上に強情で乱暴だが、とは九郎は飲み込んだ……ものの何となくは景時に伝わってしまったらしく、疑い深い目で見つめられる。少しばかり投げやりになった九郎は、景時から視線を逸らしつつも小さく言った。
「……俺は女子はもっとしとやかな方がいいが……お前の好みだからな」


「……ってことがあってさ、ちょっと酷いと思わない? 弁慶〜。
 そりゃ、オレの顔がずっとしまりがないっていうんで九郎は苛々していたかもしれないけれどさ〜」
文机に頬杖をついて景時がぼやく。弁慶はそ知らぬふりで薬草について記した書物を繰りながら、
「九郎は正直ですからね」
と答えた。その返事に景時は随分と不満顔だ。京邸には未だに弁慶専用の部屋がある。というか、弁慶が置いてある荷物が多すぎて整理できず(正確には誰も触りたがらない)、弁慶も邸の主である景時が在宅しているときには、変わらず出入りしている。何があるかわからない弁慶の部屋に、こうして特に気にせず出入りするのは弁慶本人と景時くらいのものだった。今日も、邸の女主人である望美はもちろん、朔も景時の母も、半分客人半分居候のような弁慶の相手を景時に任せてしまっていた。
「なにそれ。弁慶も望美ちゃんが『可愛くて、優しい』ってことに異論があるわけ?」
「まさか。望美さんはかわいらしくて、優しい方ですよ、もちろんじゃないですか」
にっこり笑って景時を見やって弁慶はそう言う。逆にそういわれてしまうと、今度は景時がどこか落ち着かない気持ちになってしまってソワソワした様子になった。その決まり悪そうな様子に弁慶は少しばかり人の悪い笑いを零して言葉を続けた。
「僕たちに対してよりも、君に対しての方がもっと可愛らしくて優しいのが残念ですけれどね」
さらに景時はどう反応して良いのか悩んでいる風だ。弁慶が可笑しげに笑うと、またからかわれたと思った景時が困ったような表情になる。それを受けて、今度は弁慶は真面目な顔になった。
「九郎は正直なんですよ。君の最近のその気の緩むほどの幸せな表情が本物かどうか気になるのでしょう」
その言葉を受けて、しばらく景時は考えるように黙り込み、それから小さく息を吐いた。
「……なるほど、ね」
「少しは反省しましたか」
「……もう十分、しているよ」
頬杖をついた景時は、少し恨めしげに弁慶を見遣る。
「弁慶も、そう思ってたの?」
「まさか」
再び書物へと視線を戻した弁慶は笑いを含んだ声でそう答える。
「僕も嘘つきですからね。どんなときに君が嘘をつくのかくらいはわかりますよ。
 今の君が嘘をつく必要は、ないでしょう?」
そう言うと、読んでいた書をぱたりと閉じ、部屋の外を見遣る。景時も気付いていたようで口元が綻んでいる。やがて、かすかな足音とともに御簾に人影が映った。
「景時さん、弁慶さん、少し休憩いかがですか。お茶と唐菓子をお持ちしたんですけど」
顔を出したのは望美で、それを見つめる景時の表情はこれ以上ないほどに幸せそうな微笑を湛えていた。それを見て弁慶も微笑ましげに笑う。同じ邸に住まい、毎日顔を合わしているであろうに、今もってなお至福の表情で互いを見交わす二人を、少しばかりくすぐったくも羨ましく感じるのだ。そして、そんな景時の『今』に嘘など有り得ないだろうという思いを強くする。


『景時は、ずっと俺たちに嘘をついていたのだな』
京へ戻ってきて、九郎がぽつりと弁慶に漏らした一言がある。共に戦場を掻い潜る中で、九郎は景時を自らの友と考えていた。頼朝の部下として自分には漏らせぬこともあるかもしれないとは思いながらもそれでも、日々の交わりに嘘はないと信じていたのだ。景時が頼朝の命により、自身が何よりも大切に想っていた望美を亡き者にせねばならなかったこと、そして九郎たちを裏切り者として捕縛しなくてはならなかったこと。それは九郎にとっては信じがたい衝撃であったし、「仕方のなかったこと」であるとわかっても胸にわだかまるものが残るものだった。
『九郎、景時が君に対して言った言葉のすべて、向けた態度の全てを嘘だと思うのですか』
諌めた弁慶の言葉を、九郎はもちろん良くわかっていただろう。九郎が一番悔しく思っているのは不甲斐ない自分だった。友だと思い、信じてきた。けれど、友だと思ってずっと傍にいた景時の苦しみも悩みも何一つ気付くことも助けることもしなかった、できなかった。
『俺はもっと、景時を疑ってやらなくてはならなかったのだな』


「まったく、九郎もたまに京邸に顔を出してみれば良いのですよ。
 そうすれば少しは君たちにあてられて、考えを改めるでしょう」
二人に唐菓子と湯呑の乗った盆を差し出しながらも、まるで自然に景時の傍らに寄り添い座る望美を眺めて弁慶が言う。
「ほんと、そうですよ! 弁慶さんからもちょっと九郎さんに言ってください。
 たまには遊びに来てくださいって。以前は朝餉の時間には京邸にやってきてたのに、突然、
 『水入らずのところを邪魔するのも悪い』だのなんだの言ってちっとも来なくなっちゃって。
 そうだ、今度皆を呼んで夕餉を一緒にいただきませんか。
 ね、景時さん。お仕事忙しいのはわかりますけど、その日はちょっと早く切り上げて!」
望美は弁慶の言葉にぱん、と手を打って良いことを思いついたというように言う。無邪気なその様子に景時も
「そうだね〜、賑やかなのはいいよね」
と景時も頷く。景時も嬉しげにそう言うのを聞いて、決まり、とばかりに望美が嬉しげに言う。
「じゃあ、今度絶対九郎さんも連れてきてくださいね。日にちは今度の市の日!
 それならいろいろお料理の材料も揃えられるし! ね、弁慶さんもですよ?
 先生と敦盛さんにも文を書かなくちゃ。ヒノエくんは来れるかなあ?」
その様子に景時と弁慶は顔を見合わせて笑い合う。望美はといえば、それじゃあ朔ともいろいろ相談しなくちゃ、と立ち上がると足音も軽く部屋を出ていった。
その姿を見送って景時は少し笑った。
「……望美ちゃんはさ、真っ直ぐなところがちょっと九郎に似てるよね。
 あの二人が喧嘩友だちなのは、結構、似たものどうしだからかもねえ」
「君が大切にしたいと思う人たちは、そうした人たちだ、ということじゃないですか」
言われて景時は弁慶を見遣って肩を竦めた。
「オレだけ? 弁慶だってそうでしょー。そういうのお互い様って言うんじゃない?」
「おや、僕は望美さんについては違いますからね」
「九郎については否定しないんだ?」
「僕も君も、九郎のようにはなれませんからね。疑うことが染み付いている。
 ただ真っ直ぐに心を開いて他人を信じる、それが九郎の強さで僕たちには真似のできないことです」
そして、その九郎の本質こそ、景時も弁慶も守りたいと思うもの。そんな九郎だからこそ、そのために働こうと思うものなのだ。
「猜疑心にかられて、あれこれ考えを巡らす九郎など考えたくもありませんね。
 まあ、もっとも、景時は嘘つきだから隠し事はないか少しは疑ってやったほうが本人のためとはいえ
 見当違いも甚だしいのは九郎らしいと思いますが」
「……そう思うなら弁慶も、そう九郎に言ってやれば?」
わかっていて何も言わなかったのが弁慶だというのは良く良くわかって景時が半ば呆れたように言う。しかし弁慶は首をかしげた。
「おや、九郎が『疑う』ことを覚えたのは君のせいなんですから。
 君から言うのが筋というものでしょう。
 『九郎の良さは人を信じることであり、だからこそ兵もついていく。
  自分もそういう九郎だからこそ信頼に応えたいと思っている』
 とでも言ってあげればどうですか」
にっこり笑ってそう言う弁慶に景時は手を振った。
「……真顔でそんなこと、言えるはずないでしょ」
「……でしょうね、僕もごめんです」
心底そう思っていたところで、今更面と向かって言うには恥ずかしすぎる台詞ではないか。しばらく沈黙していた二人だが、やがて弁慶がくすりと笑った。
「……過ぎたことは忘れてこだわらないのも九郎の良いところですからね。
 さっきも言った通り、君が京邸で望美さんとだらしなく鼻の下を伸ばした暮らしをしていると
 十分見せ付ければ、疑うなんてことも忘れてしまうに違いないですよ」
そうして、傍らに置いた書を取り上げて、再びその頁を開いた。
「……オレって、そんな鼻の下、伸びてる?」
心外そうにそう呟く景時に即座に弁慶が答えた。
「せいぜい望美さんに呆れられないうちに、元に戻したほうがいいですよ。
 鼻の下は伸びているし、口元は緩んでいるし、たいしたものです」
うへー、と呻いた景時が床に倒れこむ。そのまま大の字に寝転がって天井を見上げた。それきり二人とも九郎のことは口に乗せず、取りとめもなくどうでも良いようなことを語り合った。それでもお互いに十分良くわかっていたから、今更語る必要もなかったのだ。


「なんだかさ〜、ちょっと妬いちゃう」
その頃、朔に向かって望美が呟いていた。
「九郎さんと弁慶さんと景時さんってさ、なんだか自分たちだけでわかってるって感じがして
 ずるいよね」
朔はといえば、殿方というのは、そういうものらしいわよ、と答えて笑った。




景時と弁慶で九郎をほめる話になってしまったような…?
次は景時と九郎で弁慶をほめる話とか
九郎と弁慶で景時をほめる話とか、やってみたいよーな。


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