過去と明日と





『俺の手は、血に汚れているんだ』
苦しそうに、あなたは言った。いつも陽気で、明るく振る舞っていて、自分のことを笑ってみせるあなたが見せた、本当の自分。あなたは、自分のことを弱くて卑怯だというけれど、そうじゃなくて、優しすぎるのだと私は思う。


母を、妹を護るために、意に添わぬ命に従い人を殺めたというあなたの罪と
あなたを、仲間を護るために、人を殺めた私の罪と、どれほどに違いがあるというのだろう?
敵の命と味方の命に、重さの違いがあるのだろうか。
あなたの手が血に汚れているというのなら、私の手も、私たちの手も等しく血に汚れている。
きっとあなたのように、苦しむこともしない分、私の手の方が罪深い。


「景時さん、手、つなぎましょう」
そう言うと、あなたはいつもちょっと躊躇いがちに私に手を差し出す。それが何故か、私はわかっているから、とても大切にあなたの手を取る。最近、やっと、素手で手を繋いでくれるようになったね。あなたは私を自分の血のついた手が汚すからと思っているのだろうけれど、私の手こそ、あなたに触れてもらう価値のあるものだろうかと、私が怖れているって知らないでしょう?


仲間を裏切った。何度となく。最初は平家を寝返って源氏へついた。そして、源氏についた後は、その内部で暗殺を行った。オレは卑怯者なんだよ、と自嘲気味に言うけれど、本当に卑怯なら、あなたのように自分の行為に傷ついたりはしない。
私は、あなたや仲間たちを助けるために、一度は流れた時間を繰り返し、やり直した。
あなたに生きて欲しかった。私の傍に居て欲しかった。でも、その為に最初の時間の流れの中では生き延びたはずの平家の人達は亡くなった。
私が直接手を下したわけじゃなくても、私の行ったことが元で多くの人が亡くなってしまった。
それでも、私はあなたが生きていてくれて嬉しい。亡くした多くの命より、ただあなたが傍にいてくれることが嬉しい。龍神の神子として持つ力を、私はそんな風に使ったの。
裏切りを卑怯だというのなら、その人の預かり知らぬところで運命を弄ぶことはもっと卑怯だ。
あなたが卑怯者だというのなら、私はあなたの何倍も卑怯な人間なのだと思う。
今のこの日々がずっと本当に続いてくれるのかしら、と時々不安になる。それは、私が時間を弄んだ罰なのだと思うの。知らぬ間に時間を遡って、もし、違う未来を選ばされることがあったら?


「望美ちゃん? どうかしたの?」
手をつなぐだけでは足りなくて、腕を組んで指を絡ませる。もう二度とこの手が離れることがないように。
もし、また、時を遡り、運命を上書きすることがあったとしても、この、あなたとの穏やかな未来を選び取ってみせるわ。
「なんだか、ときどき、怖くなるの。……今が幸せすぎて、これは夢なんじゃないかって」
「大丈夫だよ、オレはちゃんと望美ちゃんの傍にいるじゃない」
優しく笑いながら言うあなたも、同じ漠然とした不安を抱いているって私は知っている。こんなに幸せでいいの? 誰が知らなくても自分自身が知っている犯した罪を償うこともなく、こんなに幸せでいいの? 私たちは二人、そんな同じ不安を抱いている。

幸せすぎる気持ちは、どこか、悲しい気持ちに似ているような気がする。


「望美ちゃん、オレ、いつか君に聞いて欲しいことがあるんだ」
不意にそう言われて、私はあなたを見上げる。いつもそこにあるはずの、小さな不安を隠した表情はなかった。私を見下ろす、優しい表情には何の翳りも曇りもなくて、そのことに私は驚く。
「なに? 景時さん」
「今はまだ話せないけれど、いつか、君に聞いてほしい。
 オレが……オレが裏切って死なせてしまった人のこと。オレがしてきた酷いことを。
 贖罪でもないし、君にこれ以上救って欲しいというわけでもないんだ。ただ、話しておきたいと思うんだ、君にだけは」
あなたにそんな決意をさせたのは、何? 私はあなたの顔に何の曇りもないことに余計に不安になる。それでも私は笑顔であなたに答える。
「私でよければ。景時さんのことなら、どんなことでも聞きたいの」
そっと髪を撫でられて私は目を閉じる。燃える屋島に残ったあなたも、今みたいに曇りない表情をしていた。あのときと今は違うけれど、そんなことを思い出して不安になってしまう。
「……オレは、命令通りに暗殺を行う自分が嫌いだったよ。裏切り者の手だと自分の手を見て思ってた。
 でも、君のおかげでオレの手でさえも、奪うばかりじゃなく、与えることができるって教えてもらったよ。
 ……今まで、人から奪ってしまったものの分も、君には与えたいんだ。
 君だけじゃない、家族や、仲間たちや、京の人々や……」
今までだって十分すぎるほどに、私に多くのものを与えてくれたと思うのに。それに報いるものを私はあなたに与えることができているのかな。
「オレが辛かったのは、仲間を裏切らなくてはならないことだった。暗殺という卑怯な手段もだけれど
 オレは殺さなくちゃならない相手を嫌いじゃなかったんだ。そのことこそが辛かった。後ろめたかった。
 そう思うなら、仲間うちで誰とも打ち解けなけりゃいいんだけどさ、ほら、オレって寂しがりやだからさ〜
 ついつい、馴れ合っちゃうからね……
 オレ、君のおかげでこうして頼朝様の命令から開放された後、自分のしてきたことや苦しかったことや
 ……殺してしまった相手のことを忘れられるって思ったんだ。……でも違った」
壇ノ浦から鎌倉へ戻る途中、夜中にうなされていたことを知っている。これまで、何度こうして苦しい夜を過ごしてきたのだろうと、私はとても切なかった。穏やかな夢を取り戻してあげたいと願った。
「忘れられない。それどころか、以前よりずっと思い出すんだ」
そんな過去に呼ばれたりしないで。そう思って私はあなたにしがみつく。あなたは、私があなたの嘘を見破るって言ったけれど、それは違う。私は、知っていただけ。だから、今のあなたの心が見えなくて、私はとても不安になる。
「大丈夫だよ、望美ちゃん。辛いことを思い出すんじゃないんだ……。
 オレはその人に恨みも何もなかった。嫌いじゃなかった。普通に話したり、一緒に酒を飲んだりしてたよ……
 そんなことばかり思い出すんだ。そして、オレはその人のことを忘れちゃいけないんだって思ったんだ。
 でも、それがオレへの罰なんだとは思わなかった。むしろ、覚えておけることが嬉しかった。
 変かもしれないけれど、そう感じたんだ」
私は顔をあげてあなたの顔を見る。
「そしたら、最近はもう嫌な夢を見なくなった。君が一緒にいてくれるおかげだと思ったよ。
 君のおかげでオレの中で何かが変わったおかげだと。
 そして……昨日、夢を見たんだ、その人の夢だ。穏やかな夢だった。君に聞いて欲しいんだ。
 その人のこと、昨日の夢のこと。もう少し、オレが強くなって、あったこと全てを話せるようになったら」
穏やかな曇りのない笑顔は、そういうことだったの? 私はやっと不安から解放される。そして思い知る。私が思うよりもずっと、あなたは強い人。あなた自身が思うよりもずっと。
嬉しいのか、安心したのか、わからないけれど、何故か涙がこみ上げた。未来はいつも、手のひらの中にある。どんなに辛い過去でも、もう書き換えたりしない。逆鱗はもう必要ない。
「の、望美ちゃん……?! 大丈夫? ごめんね、やっぱりずっとオレのこと、心配していたんだよね」
慌てたようなあなたの声。
「もう、君を泣かせたりしないから。オレが君のことを守るから」
優しい声。優しい腕。あなたは、いつか私に過去にあったこと全てを話したいと言ってくれた。

私も、いつかあなたに全てを話せるかしら。私だけの中にある燃える京邸、遠ざかっていく屋島、あなたとの別れ。

いつか、話したい。私の中だけにある、悲しい記憶のことを。

END





遙か3より、景時×望美です。
なんとなく、流れ的には「剣を取る手」とセットみたいな気持ちなのですが。
私の中では、景時が暗殺を行うあたりの、神子と出会う前の話とかもイメージとしてあって
その流れなんかも景時のセリフに反映されちゃっていたりします
そんな話も書ければいいなーと思いますが、とりあえず、次はほのぼのラブラブを書きたいなあ



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