大きくて暖かい手-2-



何もかもを失った私が、もう一度それを取り戻すためにこちらの世界に戻ってきたのは当然のことだったと思う。
僅か一年のこととはいえ、身の回りのことも含め、ずっと一緒に過ごした仲間が皆死んでいくのを、自分はなす術もなく見ているしかなかった。自分と一緒に元の世界からやってきた幼馴染二人も置いて、ただ一人だけ何もなかった顔をして元の生活に戻ることなんて無理だった。最後まで一緒にいた譲くんは燃える京邸でどうなったのか、別れたきり二度と会うことのなかった将臣くんは無事だったのか。死んだと聞かされた弁慶さんと景時さんは本当にそうだったのか。戻ってこなかったリズ先生はどうなったのか。皆死んでしまったと信じたくないけれど、そうとしか思えなくて。神子と呼ばれてもそれらしいことが何一つできずに、皆を無駄死にさせてしまったことが自分の責任のように思えた。生き残ったことが何の喜びももたらさず、ただただ何とかして全てをやり直したくて仕方なかった。……そして、自分にはそのやり直す力があると気付いたのだ。白龍の逆鱗――。もう一度、今度は違う運命を切り開いて、皆を助けるために、私はこちらの世界に戻ってきたのだった。

けれど、もちろん、今度は大丈夫だっていう自信なんてなかった。小さなことが前とは違うとか、前と違う選択をするとか。そんな風に試してみることしかできなくて。でも、それが本当に正しい選択かどうかなんて、私にもわからない。もしかしたら、どんな選択をしても結果は変わらないのかもしれない。そんな不安も抱えながら、そして、それを誰にも言えないまま、私は二度目の運命を辿っていた。
――同じだ、と気付いたのは人の気配を感じた後だった。その日の夜、やっぱり私は眠れなくて、一人濡れ縁に出て月を見上げていた。同じ月……前は元の世界と同じ月だと思ったけれど、そのときは、前の運命と同じ月だと思って、そして、それがとても嫌だった。ずっとずっと、何処か違うところを探したくて、それが違う運命への道のように思いたくて。だから、前のときには自分の世界と同じ月だと思って少しほっとしたのに、そのときは、以前の運命と同じ月だということにかえって不安が募っていた。そして、そこに人の気配がして。
振り向く前から、それが景時さんだと私は予想していた。だから、それが本当に景時さんだったとき、少しだけ悲しかった。私の表情にそんな想いが滲み出ていたのか、景時さんは私の顔を見て、そこで足を止めてしまった。
「望美、ちゃん?」
声をかけて良いのかどうか迷うように景時さんはそう呼びかけてきて。そんなところも、前と同じかもしれないと私は感じて、景時さんの顔を見れずにすぐに身体を戻して、暗い庭に目をやった。それはまるで景時さんのことを拒絶してるみたいに見えるかもしれないと思って、全然景時さんには責任がないのに、と居心地が悪かったけれど、でも私は何も言うことができなかった。
「どうしたの、眠れないの?」
遠慮がちに景時さんはそう言って、でも私の方へ来ようとはしなかった。私は相変わらず、何も言えずにただ黙って庭を眺めていて。そのとき、ふわりと花の香りを感じて、私は思わず呟いていた。
「……梅……」
顔を上げて庭を見渡して。その私の呟きが聞こえたのか、景時さんの声が少し弾んだ。
「ああ、もう咲き始めたんだね〜。 うん、良い香りがしてくるね。
望美ちゃんも梅の花が好きなのかい? よく香りだけでわかったね」
それは以前もここで梅を観たから。景時さんが、そう言っていたから。
「まだ今は咲き初めだからね。もうちょっとしたら、盛りになってもっとはっきりと香りを楽しむことができるようになるよ。
 良い花の香りって、心が落ち着いたり、ほっとしたり、うきうきしたり、ほんと、いいよね」
同じ、に見えてでも違う、ってそして私はほっとした。前と同じだけれど話している内容は違う。少し変わってる。私が同じではないのだから、同じ反応が返ってくるはずもない。私が同じ存在で無い限り、全く同じにはならない。同じ道を歩んでも同じ結果にはならない。そう信じて進むしかない。
「そうだ、眠れないなら香をたくと良いよ。余り香の強いものは向かないけれど……
 望美ちゃんの好きな香があるなら、今度調合してあげるよ」
そんな風にかすかな違いを積み重ねて、違う未来を紡いでいくしかない。
「ありがとうございます」
以前と変わらずに優しい景時さんに、笑ってそう言おうとして、でも笑えなかった。前もこんなときに泣いちゃったっけ、と思い出した途端に気が緩んでしまって、笑おうとして笑えずに涙が溢れてしまったのが自分でもわかった。慌ててまた景時さんから顔を背けたけれど、そんなことすぐにばれてしまって。
「望美ちゃん……!!」
それまで私に近づこうとしなかった景時さんが慌てて駆け寄ってきて。私の隣にしゃがんで優しく背中を撫でてくれた。
「ごめ……ごめん、なさ…」
「ううん、いいんだよ。オレこそゴメンね。不安だよね、こんな右も左もわからないところに突然やってきちゃってさ。
 それに、譲くんのお兄さんだってまだ見つかってないし……ゴメンね、一生懸命探させてるんだけどさ」
私を慰めるためだろう、景時さんが言った言葉に、私は我に返った。そう、将臣くん。前の運命で再会できたのは、熊野へ行く途中でのことだった。もしも、もっと早く再会できていたら。もっと早くから皆で協力できていたら? 敦盛さんやヒノエくんと違って将臣くんとなら、もっと早く合流することができるかもしれない。そうしたら、きっと運命だって変えられる。それはすごく良い考えのようにそのときの私には思えた。
「景時さん、宇治川のあたりを探してくださってるんですよね」
がばっと顔を上げて突然そう言う私に、景時さんは少し驚いたような顔をして、でも、頷いた。それから、そっと袂から薄絹を取り出して、まるで小さな子に向かってやるように、私の顔を優しくぬぐう。思わず私はその手を止めて、自分でその薄絹を握り締めた。
「あっ、あのっ、ご、ごめん。つい。その〜……朔の小さい頃、よく……」
私が気を悪くしたと思ったのだろう景時さんが飛び退るように手を離して、頭を左右に振る。その様子があまりに可笑しくて。ただ私は恥ずかしかっただけで、そして、前の運命のときにもこうやって薄絹を貸してくれた景時さんのことを思い出して。あの後、洗って返すという私から、景時さんはどうせ自分は洗濯が趣味なんだから、ってそのまま受け取っていった。あの頃は私も、この世界で自分が上手く洗濯できるか自信もなかった。でも、今は違うから。
「いえ。あの……ありがとうございます。ごめんなさい、急に泣いちゃったりして。
 あの、これ、ちゃんと洗って返しますから」
「え、いいよ、どうせ明日には洗濯しようと思っていたんだし……」
「いえ、景時さんにしてもらってばかりだから、私も何かしたいし……」
そう言って私はその薄絹をぎゅっと手に握り締めた。そうしたらもう景時さんが無理に私からそれを取り返すなんて出来ないから。それから、もう一度、景時さんの方を向き直る。
「あの、こんなこと言って変に思われるかもしれませんけど……
 宇治川の周辺だけじゃなくて、違うところも探してもらえませんか」
将臣くんと出会ったのは熊野へ向かう旅の途中だった。あの辺りで用事があるって将臣くんは言っていた。将臣くんは無事だとわかっている。きっと今ごろは私達がこの世界に現れた宇治川のあたりにはもう居ないに違いない。
「あ〜、うん。そうだね、宇治川のあたりはもう随分探しているけど、情報もないしね〜」
「あの……例えば熊野の方へ向かう辺りとか、南の方へ向かうところとか……」
「え〜と、宇治川と反対方面ってことかな?」
どうして、と景時さんは尋ねたそうで、私はどういえばいいのかわからなかった。困ったような顔をしてしまっていたのだろう、景時さんが私を安心させるみたいに笑って言った。
「うーん、やっぱり、望美ちゃんは神子だから、何か感じるものがあるのかな?
 そっか〜。うん、そうだね、京から南の方ね〜」
何か考えるように景時さんは頭を掻きながらそう繰り返して。
「……駄目ですか?」
「やっ! 駄目じゃないよ、うん。駄目じゃない。そうだね、そちら方面も探ってみなくちゃね。
 ただ、南の方はまだちょっと平家の勢力も残っていてね〜たくさんの兵で探すってのは難しいかも。
 でも、そちらの方面にも斥候を出したりしてるのは勿論だしね、うん、それらしい人物いたら、って連絡しておくよ」
「ありがとうございます!」
本当はそれが、かなり難しいことだというのは繰り返す運命の中で、戦況が私にも少しはわかるようになってからのことだった。そして、私のそんな願いを、難しいとわかっていながら断ることをせず、引き受けてくれた景時さん。けしてその場しのぎのウソなんかではなくて、引き受けてしまったそのお願いを、時々京邸を抜け出して自分で果そうとしていたことを知ったのも、ずっと後になってからのことだった。何も言わずにそうやって自分で引き受けてしまう景時さんの優しさに触れて、心が温かくなった。いつだって護ってもらってばかりだと、自分も頑張らなくてはと勇気をもらった。繰り返す運命の中で、積み重なる小さな出来事と大きな優しさが、いつか私が景時さんを深く信頼していく礎となっていったのだと思う。
 けれど、そんな景時さんの努力も虚しく、結局、将臣くんと再会するのは初夏の熊野路の途中でのことで。変えられる運命と、変えられない運命があるのだろうかと、私は思うしかなかった。変えられない運命とは、一体何か、それはわからなくて、でもどうか、仲間の皆が幸せになれる運命にたどり着く道はあるはずだと信じて、その後も新しい運命を刻んでいった。
でも、その先にあったのは思ってもいない結末だった。
倒さなくてはいけない平家、前の運命で仲間たちを殺した平家、その平家に将臣くんがいたなんて。将臣くんが、平家の還内府だったなんて。源氏として、平家の将である将臣くんを殺す……そんなこと、できるはずがない。したくない。
だから、私は、逃げ出した。違う運命を探して私は、3度めの宇治川に飛んだ。前のときのような強い決意を以ってではなく、現実から目を背けたくて、本当にただ逃げるために。
その運命から逃げるために時空を越えた私は、そのとき、きっと将臣くんからも逃げたのだ。その運命を彼と二人で乗り越えようと思わなかった私は、そのとき、ずっと一番親しかった幼馴染と自分から行く道を違えてしまったのだ。そのときには、もう、こちらで出会ったひとは幼馴染と選べないほどに大切な存在になっていた。
それは、今になって思うことではあったけれど。





志度浦の後、尼寺にいる時の回想です。
2周目の回想。将臣ルートから逃げ出してきたような雰囲気ですが
幼馴染で最も近しい存在だったのが将臣、という感じで
恋愛モードというところまで本人自覚なしだったという設定です。




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