大きくて暖かい手-5-



争いが終わるようにと願いつつ、私はやはりがむしゃらに戦うことしかできずにいた。源氏と平家の戦いは続いていて、それは激しくはなっても収束するようには思えなかった。源氏は勢いを増していたけれど平家もまた反撃を強め、以前の運命と今歩んでいる運命が、本当に違う未来に繋がっているのか、私にはわからなかった。ただ、平家の還内府が将臣くんだということがわかったから、私たちの世界で知られている義経の戦法は見通されていることはわかった。ところが私はといえば、さして歴史に詳しくもなく。もっと勉強しておけば良かったと思ったり、けれど、結局、私が知っているのは源氏が勝った歴史なのだから、それに対抗する将臣くんの更に裏を読まなくてはならないわけで……私にはそんなことは出来そうもなかった。ただ、弁慶さんや景時さんに『その計画は平家には読まれて炒ると思う』と伝えるのがせいぜいのことで。私がそう伝えることは、本当に戦を終わらせることに繋がるのだろうか、これは正しい道なのだろうか、そのことがわからなくて苦しかった。何が正しいとか、何のためなのかとか、そんなことは私にはやっぱり何もわからなかった。もしかしたら、ただ生きるために戦っているのかもしれず、それはこの時代に生きている人と何も変わらないのかもしれなかった。一人だけ生き残っても意味はなく、仲間を……大切な人たちを助けたいと願うことも、この時代に生きる人と何も変わらず、ただ違うといえば私には運命をやり直す術があるということだけなのかもしれない。
それでも、そのときまで私は、自分自身が死ぬということを現実として実感したことはなかったような気がする。あの燃える京邸以来、私はまるで自分自身は人の織り成す運命の輪を離れた存在であるかのように思っていたのかもしれない。だからこそ、自分が仲間達を助けなくてはと思いこんでいたように思う。仲間を助けなくては……それは今も、もちろん私の中に強くある思いではあるけれど、でも、そのときまでは、まるで私自身には何度も運命をやり直すことができるのだから、何も不可能はないのだ思っていたかのように感じる。実際はどれだけ時間をやり直すことができようとも、全ての人を自分が思うように動かし歴史を変えることなんて、できるはずもないことなのに。


その戦いは混戦を極めていた。二手に別れ平家を討つ作戦に出たものの、軍勢を二手に分けるということはそれだけ手薄になるということでもあって、九郎さんたちの軍の到着を待つ景時さんの軍は持ちこたえるのに苦労していた。景時さんの軍に参加した私も、無我夢中で平家の軍と切り結んでいた。私が皆を守らなくては、私が戦を終わらせなくては、そんな気負いから、前へ前へ進んで行った。血の色のような真っ赤な紅葉に囲まれて、まるでそれが燃えているかのようで、私は余計に心が急いていたのだと思う。炎に包まれた京邸を思い出すようで。私だけが、あの結末を変えることができると思っていた。私がそれをしなくてはならないと思っていた。はぐれないように、と景時さんに言われていたことも忘れて、私はひとり戦場で先を目指し、そして気付いたときには味方の姿を見失っていた。
(何故、皆は何処へ行ってしまったの?)
遠く剣戟の音と鬨の声は聞こえても、身近に源氏の兵の姿はなく、不意に私は恐怖に襲われた。今度は、ここで、皆を失ってしまうことになるのだろうか、と。そんなはずないと不安な気持ちを振り払って、それでも私はそこで引き返すという道を選ばなかった。まるで意地になっているかのように、自分ひとりでも平家の陣を崩せるとでもいうように、前へ進もうとしていた。このときの私は、このときまでの私は、本当に全てを自分ひとりで背負っているように思っていたのだ。源氏が不利になっているというのなら、尚更自分が何とかしなくては、とさえ思っていた。けれど、戦が始まってどれくらいの時間がたったかさえも定かでない中、だんだんと剣を持つ手に力が入らなくなってきていた。足も重く、剣を振り上げる高さも低くなっていた。そうなってやっと、私は自分がただの普通の女子高校生だったことを思い出したように、もう、先へは進めないと思ったのだ。けれど、それはもう既に遅く。来た方角を振り返っても仲間の旗印を見つけることはできなかった。真っ赤に染まった紅葉が邪魔して、全てがまるで平家の赤い旗のようにさえ思えた。膝が震えて、崩れてしまいそうだった。でも、そうすることがどういうことかはわかっていた。戦場で膝を付けば死ぬしかない。どこか身を隠すところを――見回してもそんな場所もない。それでも私は木陰を伝うようになんとか移動を続けた。足が重かった。こんな風に、死ぬのかもしれないと思ったのは2度目だと思った。京邸では仲間が傍にいたけれど、ここでは誰もいなかった。私ひとりだけだった。
私はひとりだった――ずっとひとりだった。
急にそんな風に思えて、叫びだしたくなって。後悔なんてしない、仲間を助けるためだもの。そう思って。皆を助けるためなら何度だって。そう思って。だから、後悔なんてしない。そのはずなのに、助けて欲しいとそのとき私は心から思っていた。
怨霊武者が私に気付いて迫ってきていて、懸命に切り結びながら、それでも腕に力が入らなくてこのままだと絶対に負けてしまうと思った。それは即ち、死ぬということで、私は助けて欲しいと思っていた。でもそれは、死にたくなくて、この怨霊武者たちの群れから……敵地から助けて欲しいということなのか、繰り返す時空の中で、ただひとり全てを背負っているという寂しさから助けて欲しいということなのか、わからなかった。ただ、助けて、と私は心の中で繰り返していただけだった。ただ、夢中で繰り返していただけだった。
(……助けて……―――さん……!)
剣を投げ捨てて耳を塞いで目を閉じてうずくまってしまいたいと思った。けれど、そのとき名前を呼ばれた気がした。遠くから、けれど、確かに声が聞こえた。
「…………ちゃん……! 望美ちゃん……!」
私を囲んでいた怨霊武者の一体が、ぱしゅっという音とともに弾き飛ばされその形を崩す。それには見覚えがあった。景時さんの、銃から繰り出される陰陽術を施された弾丸だ。私は顔を上げた。
「望美ちゃん!」
今度ははっきりと声が聞こえた。そしてすぐに、磨墨に跨った景時さんの姿が木立の間から現れた。おかしなことに、きっと磨墨は全速で駆けてきているだろうに、私にはそれはとても緩慢な動きに見えた。目の前の怨霊武者が次々に倒されていくのもなんだか不思議に感じた。そしてゆっくりと景時さんは私に腕を差し出して、私はその腕を取ろうと手を伸ばした。それはとてもゆっくりとした動作のように思えたのに、ぐいと引き上げられる力は強く、急だった。あっという間に地面が遠のき、馬の背に引き上げられる。強い力が私の身体を包み込む。なおも私たちを取り囲もうと近寄ってくる怨霊武者に、景時さんは更に銃を放った。
「この子は大切な人なんだ、お前たちに触れさせるわけにはいかないな」
力強い声が私の頭上で響いた。その声を聴いた途端に、私の肩から力が抜けた。磨墨を駆けさせながら、景時さんが言った。
「ごめんね、はぐれちゃって。怖かったよね」
怖かった……ああ、怖かった。死ぬことではなくて、一人ぼっちだったことが怖かった。知らず、景時さんの衣を掴む手に力がこもった。それに応えるように私の肩を抱く手も強くなる。その手の暖かさと強さが、皮膚を通して滲みていくように思えた。そして、一人ぼっちだと思った寂しさも怖さも溶かしていくようだった。いつか、勝浦で、この人は私を見ていてくれたと感じたと同じように。
「怖く、なかったですよ。……景時さんが来てくれると、信じてました」
それは、景時さんの言葉に対する答えで、彼を心配させたくなくて、言った言葉だった。そのはずだった。でも、私はあのとき、確かに呼んでいた。助けて、とこの人の名を読んでいた。その意味を、このときの私は、まだ気付こうとしていなかった。
(だって、将臣くんは平家の人だから、助けに来てくれるはずがないし
 九郎さんと弁慶さんは違う軍に居たからこれるはずがないし……)
そんな風に、自分の無意識からの声に理由をつけて、気付かないふりをしようとさえしていた。

そんな風だったから、罰が当たったのだ、きっと。





志度浦の後、尼寺にいる時の回想です。
2度駆けはやっぱり押さえておかないと?
今回の望美は余裕なくて自分のことでいっぱいいっぱい。




TEXT ■ BACK ■ TOP