大きくて暖かい手-7-



「よう、望美」
勝手知ったるように庭から現れた将臣くんに、私は少し呆れたように返した。
「こんなところに堂々と昼間に来ちゃって大丈夫なの」
「多分、大丈夫なんじゃね?」
平家の元還内府は、相変わらず豪放にそう言って笑う。立場がどうあっても、結局将臣くんはいつだって将臣くんだったんだな、と今の私には良くわかる。
「黙って行ってもいいかとは思ったんだけどよ、やっぱお前には一応挨拶しとくかと思ってな。
 オレは南へ落ちていった一族を追って行くことにする。この後もうすぐ出発するんだ。
 だから……」
そこで将臣くんは言葉を切って私をじっと見つめた。もう、会えないのかな、と私は思って少し胸が痛くなる。小さい頃から一緒に遊んで、学校もずっと一緒に通って、本当に傍にいるのが当たり前のようだった……のはもう遠い過去のことのようだった。懐かしい、でも、届かない、過去のこと。将臣くんにとっても、私にとっても、そうだった。この世界に呼ばれることがなかったら、ずっと一緒だったかもしれない。
「……将臣くん、ずっと……ずっと、ありがとね。それから……元気でね」
私が言えるのはそんな言葉だけ。将臣くんはすっかり伸びた髪をかき上げて空を見上げて、それから笑って言った。
「お前もな。お前こそ、良くここに残るなんて決められたよな。
 お前もたいしたもんだと思うけど、景時も度胸あると思うぜ」
聞きようによってはかなり失礼なことを将臣くんは言うけれど、でもどこか感傷的に聞こえたから、私は彼を安心させるように答える。
「大丈夫、将臣くん。私、将臣くんが居なくてもちゃんとやっていけるよ?
 将臣くんが、私がいなくてもちゃんとやっていけるのと同じように」
そう、私たちはかつてはお互いにいつも一緒で、共にいることが当たり前のようだったけれど、今はもう互いに独り立ちしてしまった。何時の間にか、同じ未来を描けなくなってしまった。将臣くんはちょっと間をおいて「そうだな」と言った。それからいつもの将臣くんに戻って、片目を瞑って親指を立てた手を突き出した。
「まあ、時空が隔てられるわけじゃなし、また会える日もくるかもな」
「そうだね」
私も笑った。さよなら、とはお互いに言わなかった。でも、言わないことが何よりも雄弁に別れを物語っているようでもあった。そして、私は、本当に全てが終わったんだなあ、と長かった自分の旅路を思い返したのだった。


『多分、私は、景時さんのことを愛しているんです』
稚拙で幼い私の告白は、景時さんを途惑わせただろうと思う。今、思い返せば私は何もわかっていなかった。景時さんを必要としながら、でも景時さん自身のことを何も知らなかった。私はただ、自分のためだけに景時さんを求めていただけだった。景時さんが誰のために命を捨てたのか、どんな苦しみを抱えて居るのかも知らなかった。そんな私には、本当はあんなこと言う資格はなかったんじゃないかと今でも思ってしまう。
夜の海で景時さんの苦しい心の内を初めて聴いたときも、私はどうすれば良いかなんて何も思い浮かばなかった。むしろ、私の返事ひとつが景時さんの運命を決めてしまうのだということが怖かった。どちらの答えを返すことが正しいのか、その先の未来で後悔することがないのか――何度も何度も間違えた私は怖かった。どうすれば良いかなんてわからなかったけれど、ただ――ただ、景時さんにとって私だけが大切なものではないって、それだけはわかったから。朔やお母さんのことをどれほど大切にしているかを知っていたから、それを棄てるのは駄目だって言いたかったから、だから――逃げないで、と言った、それだけ。
今あるこの運命は私が選んだのではない。この運命は景時さんが自分の手で掴んだものだ。
『オレが、ずっと手に入れたかったものを――諦めていたものを
 手にすることができたのは、君のおかげだよ』
景時さんはそう言うけれど、違う。私にこの未来をくれたのこそ、景時さんなのだ。壇ノ浦の船の上、景時さんに銃を向けられたとき、私はこれで終われるんだ、って思った。もう、何度も何度も逆鱗で運命を繰り返さなくてもよくなるんだって。景時さんの手で終わらせてもらえるんなら嬉しいなって思った。少しだけ、志度浦の景時さんもこんな気持ちだったのかなって思ったりして。だから。私、怖くなんてないよ、大丈夫だよ、そう言った。何度も繰り返す運命に疲れて、それでも自分では終わらせられない私の旅路を、景時さんが終わらせてくれるなら、それでいい。そう思ったのだ。
でも、景時さんは私を本当には撃たなかった。諦めなかった。だから、この運命は諦めなかった景時さんが自分の手で掴んだもの。景時さんが私に与えてくれたものなのだ。
『ね、望美ちゃん、皆を助けたいんだ。協力してくれるね?
 君が居てくれたなら、オレは――オレは、少しは誇れる自分になれそうな気がするんだ』
目を覚ました壇ノ浦のお寺で、揺るがぬ瞳でそう言った景時さんを見たとき、ああ、この人を支えて生きたい、この人が望む世界を共に目指したい、そう思った。そして、きっとこういう想いこそを本当に愛していると言うんだ、って思った。ただ居心地が良いだけじゃない、ただ自分の全てを委ねられるというだけじゃない。信じるってどういうことか、一緒に生きるっていうどういうことかがわかったみたいな気がした。
「あれ、望美ちゃん?」
将臣くんが去った後、階に座って頬杖をついて庭を眺めていた私に、帰ってきた景時さんが声をかける。私は振り向いてその姿を目に収める。とてもたくさんの苦しいことを越えてきたなんて思えないほどに優しい笑顔に、私は胸がいっぱいになってしまう。
「何かあったの?」
心配げに近づいてきて、そっと私の前髪を撫で上げる。その手の温かさが胸にしみた。自分のことは、他人に悟らせないくせに、人のことにはこんなにも敏感な人。
「将臣くんが、お別れに来たんです。南の方へ平家の人たちを追って行くって」
そう言うと、景時さんはじっと私を見てそれから、ぽんぽん、と優しく私の頭に手をやった。そうしてしゃがみこんで私に視線の高さを合わせる。
「大丈夫、もう二度と会えないわけじゃないよ。
 将臣くんが来れないなら、西国視察にかこつけてこっちから会いに行っちゃえばいいよ」
その大胆な言葉に私は思わず噴出してしまう。西国の統治を鎌倉から任されている九郎さんの右腕とは思えない発言だ。でも、その優しさが嬉しい。その優しさが自分に向けられていることが、嬉しい。
「……うん、そうですよね」
「そうそ、望美ちゃんこそ、こうやって戦が終わって皆が平和に暮らせるようになった一番の功労者だからね〜
 九郎だって駄目とは言えないよ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑って景時さんがそう言う。私は首を横に振る。違う、私は何もしていない。私は壇ノ浦で本当は諦めたんだもの。もういい、って思ってしまったんだもの。だから、その後の運命を私にくれたのは、景時さん。一番頑張ったのは、景時さんだから。なんだか鼻の奥がツンとした。景時さんが緩く私の頭を胸に抱き寄せる。
「だからね、泣かなくても大丈夫だよ」
「景時さん……」
「ん? なあに?」
優しく髪を撫でる手を感じて、何度この手に慰められ、力づけられ、助けられただろうと思い返す。
「……ありがとうございます」
「……なあに、そんな風に言われることなんて、何もしていないよ?
 オレが望美ちゃんにしてもらったことに比べたらなんでもないことだよ?」
「……私、景時さんがいなかったら、きっとだめだめでした。
 だから、景時さんが私にしてくれたことの方がずっとずっと多いんです」
何度も繰り返した運命の中で何度も涙をぬぐってくれた。命を賭けて守ってくれた。先へ進む勇気をくれた。諦めることなく、望む世界に手を伸ばしてくれた。
私が選んだのではない、景時さんが自分で掴み取ったこの運命。――もう、逆鱗は必要ない。
私はこの世界で、この人と生きていく。私にこの幸せを与えてくれた人と。
与え合い、支えあい、分かち合い、生きていくのだ。





一応、ED後まで。要するに、景時EDは景時も頑張ったよねと言いたいらしい?
いつか、もうちょっとしっかり練り直して書きたいなあと思ったりする次第です。



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