お 昼 寝

「友雅さん、お留守かな?」
あかねは渡されている合い鍵でマンションの扉を開け、中に入った。室内は静かで人のいる気配がしない。
(今日はお仕事お休みの筈なんだけどな?)
リビングに入るがそこにも友雅の姿はなかった。友雅がその場にいないと、随分と部屋の印象が変わって見えるとあかねは今更のように気付く。ガラスのテーブルとソファ、テレビ。最小限の家具しかないその部屋は、人がいないとあまり生活感が感じられない。台所も同じくだ。いつも綺麗にしてあるシンクは実際にはあまり使わないから綺麗なのだ。友雅一人のときは概ね外食をしていることが多い。あかねが週末や休みの日に食事を作りにくるときだけは、台所もまた別の顔を見せる。
京からこちらの世界へやってきた友雅は、一人暮らしの気安さが心地良いと広い家よりもマンションを好んだ。一人で暮らすにはそれでも十分な広さではあるが、京のころ暮らしていた邸に比べればいかほどのものでもない。ただし、こちらの世界では下働きの者も女房もいないのだから、これくらいがちょうどいいよ、と友雅は言っていた。怠惰なようでいて十分に器用な彼は、実際には料理を除けば家事もそつなくこなすことができるようだ。こちらの世界の機器の扱いには、興味を持ったようである部分楽しんでいるようにも思えた。
そして今日は土曜日、学校が休みのあかねが友雅のところを訪れてきたのだ。手にしているのは今夜の夕食の材料。こちらの味にもすっかり馴染んだ友雅だが、それでもやはり和食を好むのは仕方のないことで、あかねはおかげで随分と料理の腕を上げた。台所に荷物を置き、とりあえずまだ時間が早いので冷蔵庫に材料を仕舞うと、あかねは友雅を探しに奥の寝室を覗いた。
そっと音を立てないようにと扉を開く。窓辺のベッドが盛り上がっていた。
(あ、寝てるんだ)
友雅の所在がわかってほっとしたあかねは、そろりと足音を忍ばせて寝室へ入った。窓から入る光を厭うように背を向けて、めずらしく背中を丸めて眠っている友雅の顔を覗き込むように、あかねはベッドの脇に座り込んだ。そうしてベッドに頭を乗せて眠る友雅の顔を見つめる。
(昨日、お仕事、遅かったのかなあ)
京でも切れ者として帝の信頼を得ていた友雅は、こちらの世界にやってきて慣れない仕事の筈であるのに、そつなく全てをこなしていた。京での役職に準じてどうやらこちらの世界にあってもかなり重要なポストについているらしいとあかねは推測している。仕事の話などつまらないからね、と言って友雅は深くは語らないのだが、秘書がついたり、部下がいたりするらしいというのはなんとなくわかった。友雅が仕事についてあれこれ言わないのは、あかねが子どもだから、ではなく彼らしい気遣いなのだとはわかっているものの、少しくらいは話してくれてもいいのに、と思わずにはいられないあかねだった。それでも、こちらに来て以来、こんな風に時に気を緩めた姿をあかねに見せてくれるようになった友雅のことを、あかねは十分に信じているし彼の思いを疑ったことはない。出逢った頃は、からかわれてばかりで、かと思えばその言葉に紛らわせた気遣いなど、どう思ってもあかねが届くはずのない『隙のない』大人の人、だとしか思えなかった。そんな彼にも、あかねと同じく心の奥に隠した弱さがあり、その支えを自分に求めてくれているのだと知ったときの驚きと喜びは今思い出しても胸が熱くなる。何に代えてもいいほどに誰かを好きになるということ、自分の全てをかけてもその人を守りたいと思うこと、それはあかねが全く知らなかったことだった。そんな思いを知り、多くの経験を経て自分も少しは大人になった……とは思うのだが、いかんせん、こちらの世界でのあかねは、やはり子どもで。学生であるということも、こちらの世界での経験値が足りないという部分も、戻ってきてみて改めて友雅との年齢とは異なる差を感じたりもするのだ。
それでも、こんな風に自分の前で無防備に眠る彼を見ていると、普段感じている二人の間の差を忘れることができる。友雅が、こうやって寝顔をさらし無防備になるのは自分の前だけだと思うとそれだけで嬉しい。
まじまじと眺めると、改めてきれいな顔だと思う。華やかな印象を裏切らない整った顔立ちは、彫刻のような、と形容できるかもしれない。
(でも、やっぱりそういうのとは違う温かさがあるけどね)
緩やかにウェーブのかかった髪が額に流れ、睫毛の長い目を少し隠している。
(髪もきれいなんだよね。やわらかくって。もしかしたら私の毛の方が硬いかも……)
ちらりと自分の髪に目をやり、指でつまんで溜息を吐く。
すっと伸びた鼻梁はどう考えても、あかねとは段違いだ。
(……私、鼻が低いんだよね……)
自分と引き比べて考えても虚しくなるだけだと思い、考えるのをやめたあかねだが、それでも目を奪われたように友雅を見つめていた。
(見ているだけで、どきどきする)
それは初めて出会ったころから変わらない。そう思うと、やはり自分は初めて出会ったそのときからこの人に心を奪われていたのだろうかと思ってしまう。
そうやってじっと友雅を見つめていたあかねは、その形の良い唇に触れたい思いが湧き上がってきて戸惑った。
(……な、なんだか、すごくたまんない気分って……や、やだな、私、何考えてるの)
それでも眠っているなら気付かれないのではないだろうかとも思ったりして、葛藤する間にも知らず知らずじわじわと友雅に顔が近づいていく。
息がかかりそうなほどに間近にその顔を見つめる間に、胸が不意に痛くなった。
ああ、この人が大好きだ、と突然に強い思いが湧き上がる。大好きで、だから、触れたくて、仕方がなくなるのだと。
そっとあかねの唇が友雅に触れる。それはほとんど風が撫でていくかというほどにささやかなものだったけれど、触れた途端にあかねは大きな腕に包まれた。
考えるまでもなく、それは眠っていたはずの友雅の腕で、あかねはそのまま力任せにベッドに引き上げられ友雅の腕の中に抱きしめられる。
「とっ、友雅さん……いつから起きて……」
「……目覚めのくちづけをくれたのではないの? おかげで目が覚めたのに」
喉の奥で笑いながら友雅が深くあかねを抱きしめる。その声がどこか眠そうなのは気のせいではないだろう。
「君が来るまでには起きるつもりだったのに、すまないね」
その言葉にふるふると首を横に振り、あかねは少し心配げに問いかけた。
「お仕事、遅かったんですか?」
そっと手を上げて友雅の頬に触れる。こんな風に触れることを許してくれるのも嬉しい。きっとこんな風に触れることができるのは自分だけだ。
うっすらと目をあけて友雅があかねを見下ろした。
「仕事熱心は、私の得意ではなかったのにねえ?」
言わないけれど、きっと今日休みを取るためだったのだろう。あかねは、まだ少し眠そうな友雅の目をその手のひらでそっと覆った。
「まだ時間あるから、もう少しお昼寝できますよ?」
「君がいるのに?」
そう言いながら友雅が顔をあかねの項にそっと埋める。くすぐったさに少しばかり身体を竦めて、それからおずおずと友雅の頭を抱きこむように腕を回してあかねは言った。
「……私、が、いるから……」
その言葉に友雅が一瞬だけ、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに薄く微笑みを浮かべると目を閉じた。そして身体をあかねに預けるように力を抜く。
あかねはそれを恥ずかしげにそっと抱きしめた。
「君がいるなら、確かにこんな時間のすごし方も悪くないね」
傍にいるだけで満たされるから。
友雅の柔らかな髪に指をからませ頬を埋めてあかねも微笑みながら囁いた。
「友雅さんとだから、こういう時間が過ごせるんです」

やがてあかねも誘われて眠りに落ち、目が覚めた後に二人で随分と遅い時間となってしまった夕食を作ることになっただった。
もちろん、それさえも随分と満たされた時間ではあったのだけれど。




やや、あかね攻めっぽい? たまには抑え気味の少将で。


 ◆ 遙かなる時空の中で ◆ 銀月館へ ◆ TOPへ