その瞳が語るもの




『惟盛一人なら、オレでもなんとかなりそうだけど。
 おつきの怨霊たちがうじゃうじゃ居てさ〜』
軽くそう言ったけれど、本当に自分ひとりで惟盛を何とかできると自信があったわけではない。そうでも言わなければ、士気が下がることこの上ないからだ。怨霊たちは斬っても斬っても、時が経てばまた復活する。景時の陰陽術でならそれよりは長い時間その気を散らすことができるから、兵たちも景時を頼りにする。怨霊を鎮めることができるという黒龍の神子である朔は、怨霊たちの怨嗟の声を聞いて辛そうだった。あまりにその声が大きすぎて、朔は怨霊を鎮めるどころか、自分が身動き取れないようになっていた。その痛みや苦しみを自らのものとして感じ取ってしまうのだから当然だ。平家の怨霊たちとの戦が始まって、源氏の兵たちはその勝手の違いに混乱し始めていたのである。その統制をとるのに、その実必死だったのだ。だから、白龍の神子である望美が現れ、彼女が自らの言葉通り怨霊を封印してみせたとき、兵はもちろん、将である九郎も景時も感嘆すると同時にほっとしたのだった。これで、勝機が上がった、と。
『ほんと! 君ってカッコイイよ、望美ちゃん!』
自然とそう言葉が口をついて出てきた。朔と同い年だという少女が放った神気。それは間違いなく本物で封印された怨霊たちが光となって降り注ぐ中、剣を持って立ち尽くす彼女は、神々しい美しさに満ちていた。
京へ進む道すがら、そんなことを考えながら景時は朔と並び歩く望美の姿を目で追った。
彼女が白龍の神子であるということは、すんなりと景時の心に入ってきた。傍についている少年が、かつて朔の傍らにいた黒龍と似ていたことは勿論、何故だかそう確信できたのだった。
(どこか、昔から、知っているような…)
そんなはずはないのに、と思いながら、それでも景時は気になることを思い出していた。さっき、宇治上神社への途上で、初めて望美と出会ったとき。初対面のはずなのに、望美が景時を見つめる視線が――何かを訴えかけてくるようだった。一瞬、彼女が泣き出すのかと思った。すぐにそれは影を潜めてしまったけれど、でもあの一瞬の強い感情の揺れは確かに景時に向かっていたように思えた。
九郎や弁慶や朔に対するものとは違う。それが不思議で、自分の見間違いだったのかと思うが、そうは思えない。射抜かれるかと思うような強い感情を秘めた瞳。けれど、そんな目で見つめられるような覚えは景時には、ない。
(……と、いうわけでもない、かな…)
ほろ苦く少し唇を歪ませて景時は思った。例えば、あの一瞬の光が憎しみだというなら、何より納得できる。彼女の大切な人を自分は殺しているかもしれない。命令のままに何人もこれまでに殺してきた。いちいち、その人の背景や係累など調べたこともない。その中に彼女の知り合いがいないともいえない。……けれど、と首を捻る。彼女は異世界から来たという。それも、朔と出会った宇治川が初めての場所だという。で、あれば景時が殺した人物と係累があるとは考えられない。
「景時」
望美の後姿を一心に見つめながら、あれこれ考えている景時の傍らに弁慶が歩み寄り、同じく望美を見つめながらそう声をかけてきた。
「ん……あ、ああ弁慶。どうしたの」
視線を落として弁慶を見遣る。弁慶は変わらず望美の後姿を眺めながら、景時に言った。
「君、望美さんと知り合いですか」
「ええっ? そ、そんなわけないよ〜。今日というか、さっきが初対面だよ」
「……そうですか。彼女の様子から、君とは知り合いかと思ったんですが」
「…………そう?」
弁慶もそう思ったのかと景時は考え、けれど自分は気付かなかったような振りをした。景時にも実際がわからないところを、どう言ったところでこの目端の利く軍師には勘ぐられてしまうだろうからだ。もちろん、そんなことはお見通しとばかりに弁慶がくすりと笑った。
「君にも覚えがないというと、どういうことなんでしょうかね。
 彼女の様子では何か君と因縁がありそうだったのに
 …それともそれが白龍の神子の力、とか?」
「どうなんだろうねえ……オレだってさほど伝承に詳しいわけじゃないからわからないけど。
 でもまあ……怨霊を封印してもらえるのはありがたいじゃない」
「…ふふ、まあ確かに。それにしても朔殿といい、望美さんといい、花と見まごう姫君に
 怨霊などの相手をさせるのは些か気が引けますよ」
弁慶の口からそんな言葉が洩れるのは少しばかり意外だったが、景時としても本質的には同じ気持ちだった。朔が妹だからというだけではなく、戦場などという場所は女子どもが立つべき場所ではないと思う。金錆と血の匂いの満ちた死が溢れた場所。
「…本当にね。早いとこ終わらしてしまいたいよ。むしろ平家の人たちもとっとと落ち延びてくれないかなあ。
 無駄に戦わなくて済むのにね」
「源氏の軍奉行らしからぬ言葉ですね」
「お互い様でしょ」
確かに、と弁慶はまた笑った。神子の力があることは心強い。怨霊を封じるにその力は不可欠だからだ。けれど、できれば花のような彼女たちには、花のように血に汚れることなく居て欲しいものだと。そんな風にも思うのだ。

「えーと、それじゃあ望美ちゃんたちはオレの邸に来るかい? 九郎の邸は男ばかりになるし、オレの邸なら朔もいるしね」
京に落ち着くにあたり、手近な邸を借り受けた。以前はそれなりの貴族が住んでいたらしいが今は戦を厭うて落ち延び空き邸となっているという。九郎は六条堀川に、景時は櫛小路に各々邸を構えることとした。一日がかりで荷物を運びいれ、邸を整え、なんとか落ち着く。もちろん、景時や九郎だけでなく連れてきた兵たち各々にも邸を与えなくてはならず、まだまだ落ち着くには程遠い。坂東源氏の到着の旨、宮中にも届けねばならずしばらくはばたばたしそうであった。
「鞍馬におられるリズヴァーン先生にも助力をお願いに上がりたいが、しばらくは動けんな。
 落ち着いたら是非、出かけたく思う」
九郎は望美もまた自分と剣の師を同じくしていると聞き、少しばかり親しみが増したようだった。景時はといえば、彼女が一体、何時何処で、九郎と同じ師に学んだのかと気にかかる。
(龍神の神子っていうのは、どうにも不思議なものだねえ)
望美と一緒にやってきたという譲も、望美の言動には訝しく感じる部分があるらしく、時折何かを言いかけて口を噤んでしまう。しかし、景時も不審に思うものの―望美を疑う気持ちにはならなかった。白龍の神子であるということに間違いはないし、むしろ、何らかの事情を背負っているようにしか思えないのだ。
(なんとも不思議だね)
どうせしばらく軍は動くこともないし、九郎たちと一緒に鞍馬に行くのもしばらく先になりそうなのだ、白龍の神子について調べてみるのも悪くはない。そう考えて、自室と定めた室を出て、望美や朔の室のある対へと渡る。庭に面した縁で望美たちは腰掛けていた。見れば、譲が庭を整えていた。
「わ、譲くん、そんな土仕事、任せちゃっていいんだよ」
慌てて言うと、腰を伸ばして譲は額の汗をぬぐって笑った。
「いえ! 大丈夫ですよ、元の世界でも趣味でよく庭をいじってたんで。慣れたものです」
「なんだか懐かしいなあ、その花、譲くんのおうちにもあったよね?」
「ええ。そう思って……」
そう言って笑う譲の顔を見て、ああ、と景時は思った。彼は彼女を大切に思っているのだな、と。その気持ちがふと自分にもわかる気がした。今、この邸に落ち着いた望美は、和らいだ表情で庭を眺めていて、こんな陽だまりと微笑みこそが彼女に何より似合うものに思えた。
(やっぱりね……うん、やっぱり、弁慶、そうだねえ、できれば戦場に連れて出たくないものだよね)
そうはならないところが辛いところだ。なるべく自分たちが護ってやらなくては、とそう思う。ふと見上げた京の空は冬の日にしては晴天で、今日のところは邸に滞在する予定の景時も、気分を落ち着けるために思いついたことをやろうかな、という気になった。そこで、和んでいる皆をその場に残して、自分は奥の庭へと向かったのだった。

「はあ〜、ほんと、行軍の間は洗濯物も溜まるからねえ〜すっきりしたね!」
奥の庭に一面に干された洗濯物を見上げて、景時は頷いた。それから、ちょっとあたりを見回す。朔に見つかったらまた、兄上は、と怒られるに違いない。望美や譲たちは先ほど違う庭で草木の手入れをしていたのだから見つかることもないだろう。
(うーん、でも、同じ邸に住まうってなったら、いずればれてしまうかなあ)
情けない目で見られるんだろうなあ。と考えてほろ苦く笑う。それくらいで丁度いいかもしれない、思いつめた目で見つめられるよりは、納得できる。
「あ、景時さん! 
 やっぱり、こっちでしたね〜もう、お洗濯するなら言ってくれれば良いのに」
ところが、そんな景時に朗らかな声がかけられ、驚いて景時は邸の縁を振り向いた。望美が軽やかに階から降りてきて、景時の元へ駆け寄ってくる。
「え、ええ? の、望美ちゃん??」
ばれたとかばれてないとか言う前に、彼女はごくごく当たり前のように、今なんと言ったのか?
「こんなにたくさん、ご苦労さまです! 大変だったんじゃないんですか?」
「いや、ええと、なんで、オレが洗濯したって思うの?」
「え? 違うんですか? だって、お洗濯物が干してあって、景時さんがそれを見上げてて、足元に盥が…」
ああ、そりゃそうだと景時は足元を見下ろして溜息をついた。一瞬、彼女は本当に何もかもを見抜いてしまうのだろうかと考えてしまった。
「参ったなあ〜〜、あっちに皆いるからばれないと思ったのに。
 オレが洗濯好きだって、お願い、内緒にして!
 兵たちにばれると、士気が下がっちゃうでしょ」
拝むようにそう言うと、望美はにっこりと笑った。
「わかりました! 景時さんがそう言うなら……でも、私は洗濯好きな景時さんってステキだと思いますよ。
 私のいた世界では、家事が出来る男の人って、すっごくもてるんですから」
「へ、へえ、そうなんだ〜」
何か今、さりげなく嬉しがるようなことを言われなかっただろうかと景時は思い、気にしすぎだと内心で首を振った。大した意味などない、口から出ただけの言葉だ。どうも、この少女には調子を狂わされる。それから、まじまじと望美の表情を見る。確かに、今日、今の彼女の表情は何も何の屈託もなく明るい。やはり、あの出会った当初の泣きそうな瞳は嘘のようだ。けれど、じっと黙って彼女の瞳を見つめていると、ゆらり、とその瞳が揺らめくのがわかった。それは微かなものではあったけれど、でもやはり何処か泣きそうな頼りなさを感じさせるもので、景時はつい、彼女に尋ねていた。
「……あの、さ。オレ、どこかで君と会ってた、かな?」
途端に、彼女の笑顔が歪んだ。え、と驚く間もなく、彼女は顔を伏せ、次に顔を上げて景時を見上げたときには、もう、笑顔だった。
「……いいえ、いいえ、初めて、ですよ。宇治上神社で、出会ったのが、初めて、です」
じゃあ、なぜ、君はオレを見て、そんな顔をするの。そう問いかけようとしたとき、望美は眦に少しだけ涙を滲ませながら、それでも晴れやかな笑顔で笑いながら言った。
「でも、私、景時さんに会えて嬉しいんです、とても、とても、嬉しいんです」
「え……そ、そう……? オレなんか、に会えて?」
どうして。そう問うより先に望美が本当に嬉しげな顔で頷いた。
「……景時さんは、私を助けてくれたんです」
「…オレが? 君を?」
「はい……」
そして少し目を伏せて、躊躇いがちに望美が言った。
「……私の……夢の中の話……ですけど。でも、景時さんが、私を助けてくれたんです。
 だから、会えて、嬉しかった」
なんとなく、半分本当で、半分嘘のような気がした。それがどういうことかはわからなかったけれど、ただ、彼女が自分に寄せているのは少なくとも憎しみではないとわかって、そして、ほっとした。確かに、ほっとしたのだ、そして、そのことを景時は可笑しく思った。
「……あの、景時さん? ……その、信じられない、と思いますけど…でも」
着物の裾を握り締め、望美が顔を伏せてそう言う。
「ああ、いやいやいやいや、信じる、信じるよ。
 っていうか、そうだね、望美ちゃんが夢で見たってことが信じられないんじゃなくて、
 オレが望美ちゃんを助けたってことが信じられないなあ、オレがそんな活躍しちゃうなんてねえ」
おどけた調子でそう言うと、怒ったように望美が顔を上げて言う。
「そんなことありません! 景時さんはいつだって……」
「あっ、いや、その嘘ってわけじゃないよ、君が嘘ついてるってわけじゃなくて……」
白龍の神子の力は、いったい君にオレのどんな姿を見せたっていうんだろう? こんなオレが、八葉に選ばれたというだけでも驚きなのに、神子を助けるなんて? 
「あっ、いえ。すいません、私こそ、訳のわからないこと言っちゃって……ごめんなさい。
 ただ、本当に、私、ただ、景時さんに会えて、嬉しかったんです」
様々の疑問も、けれどそう言った望美の笑顔に一時、何処かへ行ってしまった。ただ、口から出たのは―
「……ありがとう。――オレも、望美ちゃんに会えて嬉しいよ」
それはその場しのぎの言葉ではなくて、なかなかに自分の本心のように思えた。
「……望美ちゃんが見たっていう夢みたいに、オレ、ちゃんと君を護れるように頑張らないとね!
 なんたって、君の八葉なんだし」
望美を元気づけるようにそう明るく言うと、望美は
「だ、駄目です!」
と声を荒げて、かえって景時は驚いてしまった。
「あっ、いえ……その、私だって、白龍の神子だからって護られてばかりじゃ嫌ですから……
 だから、ええと、私にも、景時さんを護らせて、ください、ね?」
意外な反応に景時が驚いた顔をしているのを見ると望美は途端に声を落として、遠慮がちな物の言い方になった。両手を揉み絞るように組んで言うその姿が、なんだか可愛らしく見えて景時は思わず笑ってしまう。
「あっ、笑うなんて……ひどい、本気なのに……」
「あっ、いや、ごめん、望美ちゃん……でも、ほら…
 あんまり力いっぱい拒否されるとさ、オレ、君の夢の中で案外情けなかったんじゃないかって気になっちゃう。
 それにね、やっぱり、女の子にはさ、護られるよりも、護ってあげたいよ、ね?」
軽く片目を閉じて見せると、望美の頬が淡く染まった。ちょっとからかいすぎたかな、と景時の方がその反応に照れてしまいそうになって頬を掻くと望美が頬を膨らませて景時を見あげた。
「……もうっ、景時さんってズルイんだから…!」
「ええ? オレ? 何かズルかった?」
「知りませんっ!」
そう言って望美が邸へと駆けて行く。階を上がる直前、振り向いた望美が言った。
「今度お洗濯するときは、絶対誘ってくださいね!」
そのままぱたぱたと駆けていったその背を見送って、景時はまた、笑った。不思議な少女だと思う。そして、泣きそうな瞳で見上げられるより、笑った顔を向けてくれるほうがいい、そう思った。

『景時さんは、私を助けてくれたんです』
泣きそうな瞳で告げられたその言葉を、景時はいつか思い出すことになる。






明るいんだか暗いんだか。とりあえず景時から見た望美。
そういうわけで龍神の神子について調べることに?


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