星の一族




「星の一族って、どういう人たちなんですか?」
馬の背に揺られながら望美が背後の景時に向かって尋ねた。戦乱を避けたのか、京の外れに邸を移したという星の一族の元へ向かうのに、歩いては遠かろうと景時は馬を用意した。なんとか一人で乗れる譲と異なり、自分では馬に乗れない望美は自然と景時の馬に乗ることになる。他愛もない会話を時折交わしながら進んでいたが、やがて道程も半ばを過ぎた頃になって行き先がどんなところか気になってきたらしい。
「んー。元々は帝に近い、藤原氏とも繋がりのある方々だったようだね。
 先代や先々代の神子が京に現れたときは、星の一族の元へ身を寄せられた、っていう話はしたよね?
 代々、神子に仕えることを使命としてきたようだから、きっと龍神の神子についての資料も残されているんじゃないかな」
「……ずっと神子の世話をしてきた方たちなんですか?」
望美が少し意外そうな声を挙げたのに、景時は苦笑して答える。
「昔はかなり暮らしも余裕ある名家だったようだけれど、平家の台頭と共に今は質素な暮らしぶりだと言うし…
 それに、望美ちゃんが来たのも最近のことで龍神の神子が現れたということもまだ一部にしか知らせてないしね」
おそらく、代々の神子を世話してきたという一族が、自分の時には何も接点がないことが不思議なのだろう。とはいえ、景時としては、星野一族に必要以上に出てきてもらうのは面倒だとも考えている。神子の世話をさせて欲しいと言われた場合には断らねばならないが、戦に利用するためかと言われれば否とは言えない。とはいえ、八葉が傍にいるのだから、星の一族とて無理は言うまい。怨霊を封印できるのが神子だけであり、それが神子の使命であるなら、神子は平家と戦うことが使命であり、それなら源氏に身を置くことが一番手っ取り早い。そしてさらに、今のこの世においては、星の一族の元にいるよりも源氏にいるほうがはるかに神子は安全だ。
「私が、京邸に居たい、って言ったらきっと大丈夫ですよね!」
今度は少し心配げな声で望美がそう言うのに、景時は自分の思考を少し嫌悪しながらも気取られないように笑った。
「あはは、望美ちゃん、そう言ってくれるんだ? 慣れない邸だろうに、気に入ってくれて嬉しいよ」
「慣れないなんて、全然! 景時さんも朔もお邸の人も皆、気を遣ってくれるし
 ご飯も美味しいし……ってこれは譲くんのおかげだけど」
「そうそ、庭もせっかく整えてもらったんだし、あの庭木の花が咲くまでは京邸に居てもらいたいかな」
「もちろんです!」
「それじゃあ、一年近く滞在することになりますよ、先輩」
譲が隣でその話を聞いてそう言うのに、望美は笑いながら答えた。
「じゃあ、来年の春は、皆でお花見できちゃうね、譲くん!」
「戦が終わっていれば良いですけどね」
源平合戦っていつ終わったんだっけ、と譲が呟き、そしてしばらく考えてから肩を竦めた。
「考えても仕方ないですね、俺たちの知ってる歴史とは既に違ってるんですから」


都の外れにひっそりと佇む邸に星の一族は住まっていた。正しくは、残された一族の人々は、だ。星の一族の元で得られた真実は、思っていたものとは随分と違うものだった。龍神の神子がどういったものかということはほとんどわからなかった。先代、先々代の神子についての資料も殆ど残されていなかったのだ。
「申し訳ありません、都を落ちるとき諸々の書物など持って来れなかったのです。
 先代、先々代の神子様方について書かれた書なども、こちらには残っておりません。お力になれず申し訳ありません」
一行を出迎えたのは、星の一族に連なるとはいうものの、分家の筋の人々でもともと詳しくは龍神の神子についての伝承を知らないということだった。
せっかく時間を割いて来たというのにこの結果に、譲は肩を落としていた。望美もさぞやがっかりしただろうと景時がそっと見遣ると、意外なことに望美の方はどこかすっきりしたような表情でいた。もしかしたら、先ほどの、星の一族の元に滞在して欲しいと言われたら、などという懸念がなくなったことを安心しているのだろうかとも思ったが、そんな様子でもない。時折彼女が見せる表情は、景時にはとらえどころがないように思える。捉えどころがない、というか、予想外の顔を見せる、という方が正しい。こう見えても彼女よりは随分と年上だし、武人として、軍奉行として、多くの人間を見てきたし、何より、人の顔色を読んでその裏をかいて事をなしてきた、卑怯なことも。だから、少なくとも、他人の表情を読むのはそれなり長けている、と思ってはいるのだが、それでも、望美の表情が何を表しているのか、景時にはわからなくなる。つまりは、普通なら、そんな表情をするはずがないのに、と、そんな風に思えるのだ。
(……不思議な子だな)
それは別段、警戒心を煽ったりするわけではないのだが。だが、それこそが神子の神子たる所以で、好意的に彼女を見てしまうことこそが、八葉の八葉たる所以なのかもしれなかった。
星の一族からは、結局、龍神の神子についての情報を多く得ることはなかった。しかし、望美や譲と、星の一族の意外な繋がりがわかったのだった。神子を求めて異世界へ旅立った星の一族の菫姫が、どうやら譲たちの祖母であったらしというのだ。さすがにそのことには、譲はもちろんのこと、望美も驚いたらしく、その表情に少しばかり安心した自分に景時は苦笑した。何も心配することはない、彼女だって普通の、龍神の神子という運命を背負ってしまったけれど、それを除けば普通の少女だと思える。朔が、黒龍の神子として選ばれても、何の変わりもないように、望美だって普通の少女に違いないのだ。……時に、余りに深く遠い目をしたり、思いつめた瞳で景時を見つめることがあったとしても。


帰り際、神子の穢れを払う清めの花を受け取った。それは望美が手を触れるとシャリン、と音を立てて消える。
「神子様は穢れを受けやすい日がございます。
 八葉の方がお傍にいらっしゃれば安心ですが、お気をつけくださいませ」
何気なくその言葉を聴いていた景時だったが、星の一族に見送られて京邸へと戻る途中で、ふと気付いて望美に向かって問いかける。
「……もしかして、今までにも調子の悪い日ってあった?」
穢れを受けやすい日があるというのなら、それはこれからだって気をつけねばならないだろう。しかし、当の望美の方はといえば、うーん、と首をかしげる。
「……だって、どれが穢れで気分が悪くて、どれが風邪で気分が悪くて、どれが頭痛で気分が悪いのかとかって、区別がつかないですもん」
「……ええと、望美ちゃん、つまり、それは、これまでに気分が悪い日があった、ってことだよね?」
しかし、望美が京邸に来て以来、そんな様子を見せたことはない。
「や、そんなたいしたことじゃないですもん。朝起きたときに、ちょーっとなんか今日は調子悪いかなあ、とか思って。
 でも、ほら、朝ごはん食べて、皆と一緒にいたりしたらいつの間にかまぎれちゃったりして。
 本当に調子悪かったら言いますよ、朔にだって景時さんにだって。弁慶さんっていう頼れる薬師さんもいることですし」
はあ、と景時は溜息をついた。
「……ごめん。オレだって陰陽師なんだし、少しは神子のことだって知ってるわけだし、もっと気付いてあけなくちゃいけなかったよね。
 とにかく、八葉が傍にいたら穢れの影響を受けることも少なくて済むようだし、無理しないで。
 調子の悪い日はそう言ってね。進軍しちゃって戦が始まったらなかなか難しいかもしれないけど、オレもいろいろ考えるから」
「大丈夫ですよ。たいしたことないですって。…………でも、景時さんが傍に居てくれるなら、それはそれで嬉しいですけどね」
さらりと言ってのけた望美の言葉に、景時は一瞬耳を疑い、それから慌てて望美を見遣った。
悪戯っぽく微笑んだ望美の表情に、景時は顔を赤くした自分に少しばかり腹を立てて顔を顰めた。
「……大人をからかっちゃ駄目だよ」
「からかってなんて、いませんよ」
そう言って笑った望美の表情が、今度は妙に切なげで、景時の胸がどくん、と脈打つ。どうして、そんな顔で自分を見つめるのか。そう問いたくて、けれど彼女は答えてくれないだろうことが予想できて口にはできなかった。だから、景時はそれきり、そのことを問うことを意識的に止めた。
「それにしても、すみません、先輩…。俺のせいで先輩までこの世界に呼び寄せられたのかもしれなくて…」
星の一族の邸を辞してからずっと無口だった譲が、そう口を開く。どうやらずっと考えていたらしい。
「なにが? 譲くん」
「俺が持っていた玉のせいで、この世界との繋がりが生まれて、そのせいで先輩までここへ…」
どうやら譲は、自分の祖母がこの世界の人物だったことが原因にあると考えているらしかった。
「譲くん、それは違うよ」
しかし、望美は即座にきっぱりとそれを否定してみせた。
「私は、自分で選んで、この世界に来たの」
そして、力強い口調でそう続ける。その言葉に嬉しげに同調したのは小さな龍神だ。
「そう、神子がわたしに応えてくれた。だから、神子は私の神子になった」
望美はそんな白龍に微笑んでみせる。
「……先輩」
譲は、そんな望美の言葉を自分が責任を感じないように、という優しさの表れだと感じたようだった。すみません、と小さく呟くと、それきり黙って、自身の馬の歩調を少し遅らせ景時たちの後ろに付く。しかし、景時は違うことを考えていた。彼女は、本当に、そう思っているのだ。そう、感じたのだ。それは、星の一族の邸で、神子のことが殆どわからなかったにも関わらず、いっそ清々したかのような表情を見せたときと同じだ。
「…望美ちゃん」
景時は、ささやくような小声で、手前に抱えた望美にそう呼びかけた。
「はい?」
訝しげに望美が景時を見上げる。
「神子のことが殆どわからなかったのに、それでも良かったみたいだね。
 それに、この世界に来ることになった原因も、まるで知ってるみたい」
「……この世界に来ることになった原因、なんて私にもわかりません。
 白龍によれば、白龍が私を選んでくれたってことみたいですけど…」
でも、と望美は先ほどと同じ言葉を続けた。
「今、私がここに居るのは、自分が、選んだからです、この運命を」
自分が、その運命を選んだから。自信を持ってそう言いきる望美の強さに景時は苦い笑みを零す。自分が、選んだ運命。景時と、なんと違うことか。自分が歩んでいる、自分の人生を省みて景時は、それが自身の選択であると思えばこそ、絶望に近い気持ちに苛まれるというのに。なのに、彼女は。
「だから、龍神の神子が、どんなものか、ってわからなくてもいいかな、って思ったんです」
続けられた言葉に、景時は、はっと思考を打ち切る。
「むしろ、わからない方がいいかな、なんて。龍神の神子だから、この世界に呼ばれたけど。
 でも、私は、自分で選んでこの世界に来た。だから、神子がどうだって構わない。
 そんな風にふっきれたっていうか、そうなんだって確かめられたっていうか」
「……君は、強い子だね」
羨ましさを滲ませて、思わずそう呟くと、望美は、また、景時の予想を裏切って、少し寂しげな顔で微笑んだ。
「……強くなんて、ないですよ。私、本当は弱虫です。でも、どうしても、叶えたいから…」
何を、とはその表情を見ては問えなかった。やっぱり不思議な子だと景時は思う。強くて、なのに不意に見せる脆そうな表情。どちらが本当の彼女なのだろう。景時には、無性に望美のことが気になるのは自分が八葉だから、というだけではないような気がした。






星の一族のところにて。書くのに時間かかってしまった…。
いや、なんちゅうか、望美視点か景時視点か、ふらふらしちゃって。
結局、景時からになりました。でも、これで良かったかなーと。


■ 遙かなる時空の中で ■ TEXT ■ TOP ■