そばに在りたい




 壇ノ浦から鎌倉までの旅程は遠いものだった。一足先に鎌倉へ向かった政子一行を追う形で景時と望美は路を行く。
捕らえられ、咎人として連れられていったであろう仲間のことを考えると、遅れを取り戻したいのは山々ではあるが、追いつくことは躊躇われた。望美が生きているということは悟られたくはなかったから、景時が政子一行に合流することはできない。
また、一方で鎌倉へ仲間を救出せんと向かっているのではあるが、そのための案が浮かばないことも二人の足を少し遅らせた。
 それでも、政子たちにあまりに遅れることもできないため、一日に歩く時間はかなり多くなった。時には宿を取れず山で一夜を過ごすこともあり、疲労は蓄積していく。
それでも望美は疲れを感じる以上に、景時とただ二人の道行きをある意味幸せに感じていた。
今、この切迫した状況の中では二人きりと言ってもそんな甘い状態になることはない。しかし、山道を歩くときに差し出される景時の手を取るとき、休息時につい短い微睡みに落ちてしまうとそっと衣をかけられているとき、ふと気付くと景時がゆっくりと歩みを望美の足に合わせてくれているとき。
さりげなく望美を気遣ってくれる景時に、想いは重なっていると望美には十分感じることができた。
 鎌倉も近くなり、海沿いの道を行く二人はその日は宿を取ることにした。鄙びた小さな宿に部屋を求める。
政子たちの話はこちらから尋ねなくとも、宿の主の口に上った。それによれば、一行は数日前にこの近くの街道を進んでいったということで、源氏の功労者たる九郎が謀反人として連れられていたということが、驚きと同情をもって語られていた。
小さな宿を二人で二室借りるわけにもいかず、二人は夫婦者ということにして一部屋を借りた。これもこの旅の間で慣れた偽装だった。景時は望美を連れていることを知られるわけにはいかないので、自身の名を名乗るわけにもいかず、鎌倉へ向かうということも明かすこともできなかったのだ。
 部屋に通されるともう夜具の準備もされていた。部屋に入って少ない荷物を置くと、景時は望美に向かって
「今日もたくさん移動したから疲れたでしょ。オレはちょっと宿の周りに念のために結界張ってくるから、
 望美ちゃんは先に休んでて」
と言った。自分も一緒に行く、と言いたいところだが、望美には結界が張れるわけでもなく一緒にいても役に立たないことがわかっているので、そこは景時に任せる。
 望美が頷くと、景時は優しく笑って静かに部屋の戸を開け外へ出ていった。
二つ並んだ夜具の一つに座して、望美は景時の帰りを待つ。鎌倉が近くなるにつれて、景時の緊張も高まってきているのがわかった。まだ、仲間を助けるための良案は浮かばない。かなり気を配りつつ旅を続けてきたけれど、望美が生きていることを政子が知らないままでいるのかわからない。
少なくとも、仲間を助け出すまでは望美が生きていることは知られたくない。鎌倉中を見通す目を持つという政子の力に、景時の緊張が高まるのも無理はなかった。
望美はといえば、そんな景時を助けようにも、今のところ何も為す術がなく、彼の心を解きほぐしたいと想いながらもむしろ自分が気遣われてばかりだった。
部屋に一人になった途端に、そんなことが改めて思い起こされ、少しばかり溜息をつく。戦ともなれば望美も、剣を振るい景時を助けることができるだろう。しかし、今度の場合は今までとは事情が異なる。
頼朝と表だって対立して戦を起こすわけではないから、仲間を助け出すことも考えなくてはならないが、その後のことも考えなくてはならない。
仲間を助け出して頼朝の手の届かないところへ逃げるのか。頼朝を説得して謀反の罪を撤回させ、これまで通りの暮らしを保障させるのか。どちらも難しいことに思えた。
望んでいるのは、ささやかで平穏な暮らし、それだけだというのに、そしておそらく頼朝であれ、目指すものの果てはそんな世であるのは間違いないであろうに、解り合うことも、分かち合うことも難しいのが不思議ですらあった。
 宿の四方に結界を張りに行ったのであろう景時は、些か手間取っているのか気になることがあったのか、なかなか戻ってこない。それを待つうちに移動の疲れもあり、いつの間にか望美はうつらうつらと眠りに引き込まれていった。


 かたん、と音がしたような気がして望美は目を覚ます。
気が付いたときには、きちんと夜具に横たわっていた。おそらく、景時がそうしてくれたのだろう。
はたと気付いて隣の夜具に目をやるが、景時の姿はない。
慌てて身体を起こし音がした外をうかがうように、そっと少しだけ戸を開ける。一条の月の光が室内に差し込み、そして望美は柱に背を預けて縁に座る景時を見つけた。
(宿直をしてくれてるんだ……)
結界だけでは心配だったのか、景時は寝ずの番をしてくれているらしい。そっと、景時の後ろの戸を少しばかり開けて、望美は彼に声をかけた。
「景時さん……」
「え、あ、望美ちゃん…! どうしたの。何かあった?」
振り向いた景時が、戸の隙間から望美を覗き込む。慌てたその様子に、くすくすと笑って望美は首を横に振った。
「そこ、隣に行ってもいいですか?」
望美がそういうと、景時は即座に
「駄目だよ。望美ちゃん、疲れているんだから、ちゃんと眠らないと。明日もあるんだからね?」
と言う。自分を気遣ってくれるが故の言葉の、思いのほかの強さに望美はふっと微笑んだ。
「景時さんだって、疲れてるんじゃないですか? 私だけ休むなんてできませんよ」
「オレは慣れてるからいいの。戦場だって望美ちゃん以上にあちこち行ってるし。
 仮眠程度で移動するのも慣れっこだよ。だから大丈夫。それに、男と女じゃやっぱり体力違うでしょ」
諭すような景時の口調に、望美は景時らしいと笑って、それでも戸を挟んで背中合わせになるように、景時と同じ柱に部屋の中で背を預けた。
「だって、景時さんが傍にいないと寂しいです。これからのことも考えたら、一人で眠るのはなんだか不安で。
 だから、ここで少しだけ、話してもいいですか?」
そして、戸の隙間から手をそっと差し出して縁に手を置く。それに気付いたのだろう景時が、自身の手をその上に重ねた。触れあう指先から伝わる熱が、望美の心を温めて震わせる。
「……皆、大丈夫でしょうか」
謀反人として連行されたという皆が心配で、そう望美が漏らすと景時は安心させるように言った。
「大丈夫だよ。どうするつもりにしても、評定にかけられてから決められるから。
 それまでは、まあ謹慎というか、閉じこめられるだろうけど、殺されることは多分、ないと思うよ」
「でも、その評定が何時あるかわからないんじゃないんですか?」
「オレ、呼ばれてるから。オレがいないと始まらないよ」
さらりと景時はそう言った。九郎を裁こうと思ったら、九郎の次の責任者であるオレにいろいろ話をさせると思うんだよね、と静かに続ける。その口調に何か感じるところがあって望美は触れあっている手に少し力を込めた。
「景時さん……」
「うーん、そこで頼朝さまを説得できればいいんだけどね……まだ良い案が浮かばないんだよね」
望美の考えを先回りしたかのように景時はのんびりした口調でそう言った。一つ、息をついて。
「……皆を助けて。皆が幸せに暮らせるようにしたいよね。もう、誰のことも死なせたくないよ。
 皆が安心して暮らせるように、したいんだ」
静かに景時がそう言う。その『皆』というのは、仲間のこと、それだけじゃなくて、きっと京の人々も鎌倉の人々も、平家の人々のことだって入っているんじゃないだろうかと望美は思った。優しくて、優しすぎるから他人のことまで背負い込んでしまう人だから。
「ごめんね、望美ちゃん。なんか、本当に最後までいろいろ巻き込んじゃってさ。
 オレ、頼りないし要領悪くてさ。一人で全部なんとかできればカッコイイんだけど」
「……そんな人、ちっともかっこよくなんかないです」
そっと望美は景時と触れあっていた手を返して景時の手を握った。
「一人で全部なんとかするから、って私のこと置いていっちゃう人なんて、私好きじゃないです。
 それより、一緒にいてくれって、一緒に頑張ろうって言ってくれるほうが嬉しいです。
 だから、景時さんも、一人で全部なんとかしようなんて頑張っちゃったりしないでくださいね」
景時からは応えはなく、望美は、そっと立ち上がって、戸を大きく開けると部屋の外に出た。そして驚いて見上げてくる景時の膝の上に座ってぎゅっとその身体にしがみつく。
「のッ、望美ちゃん……!?」
景時が声を挙げるが、望美はますます強く景時の胸に顔を埋めた。
「駄目だって言ったでしょ、眠らなくちゃ……」
呆れたような困ったような景時の声に、望美は月明かりにうっすらと浮かび上がる彼の表情をじっと見つめる。
深い色をした景時の瞳に吸い込まれてしまいそうだったけれど、その中に以前のような追い詰められた暗い色を見ることはできず、望美は安心した。
「景時さん、一人でなんとかしようって頑張らないでください。……私を、置いていかないで。
 傍に居させてください。……一緒に戦わせて」
景時は少し驚いた顔をして、真摯な望美の言葉を聞いていたけれど、やがて困ったような照れたような表情になって、望美の額に自分の額をそっと合わせた。
「……望美ちゃん、本当に……オレには勿体無いことばかり、君は言ってくれるね」
そっと望美を抱きしめ、彼女が寒くないように陣羽織の中に彼女を抱きこむ。
「オレ、君と一緒ならやり直せると思うって、言ったけど、あれって間違ってたね。
 なかったことにしてやり直すんじゃない。
 君と一緒なら、無理だと思っていたことも乗り越えていける。
 諦めない自分でいられるんだ。
 ……うん、オレってホント、情けないヤツだから一人じゃ無理だけど。
 望美ちゃんと一緒なら、大抵のことはやり遂げられる気がするよ。だから、一緒に、頑張ろう。
 皆を助けて、皆が幸せに暮らせるように、しようね」
それは、何よりも嬉しい言葉だった。
望美は何度も頷いて幸せな気持ちで景時の胸に縋りつく。守ってもらいたいと思う恋ではなく、望美が見つけたのは、守ってくれなくていい、ただ、ともに在りたいと願う恋だった。
かつては景時も、一人で全てを抱え込み、望美を置いて行こうとした。彼を信じていたけれど、どこかで、また景時は一人で全てを背負って死のうとするのではないかという不安を消すことができずにいた。傍にいないと、彼が消えてしまうような不安がどこかにあった。
でも、景時の今の言葉に望美はもう、そんな不安を抱く必要はないのだと気付いた。彼が抱えているものを一緒に自分も背負いたいと。重い荷物を一緒に持つこと。喜びを分かち合うこと。そして、それを景時が自分に許してくれたと、感じる。それが幸せだと思う。
「私も。景時さんが一緒だったら、なんとかなるって思えるんです。
 きっと、大丈夫、上手く行く、だから、頑張れるって」
暖かい胸に抱かれて、望美が息を吐く。ありがとう、と囁いた後で景時が、ちょっと真面目な声になって言った。
「……そろそろ、ちゃんと部屋に戻って夜具で眠らないと駄目だよ、望美ちゃん。
 冷えてくるしね? 明日も歩くし」
そう言われて、それが正しいとは望美にもわかるのだが、景時と離れたくなくて黙ってしがみつく。景時の方も無理に望美を離そうとはしなくて。
「……景時さんも一緒だったら部屋に戻ります」
困らせるつもりはないけれど、正直な気持ちをそう言ってみる。
「景時さんも、疲れてるでしょ? 部屋の外で私を守ってくれるの、すごく嬉しいけれど
 隣で一緒に眠ってもらえたら、もっと嬉しいです」
「…………本当に……」
困ったような声で景時が深く溜息をついた。望美は髪に柔らかく口付けられるのを感じて身じろぎをする。
「……本当にね、望美ちゃん、君って本当に、オレの心を射抜くのが上手いね」
そうして、望美はそのまま突然に景時に抱き上げられ、驚きのままに彼の首に腕を回してしがみついた。



鎌倉へ入る日は晴天だった。皆を救うための良案は未だに思いつくことができなかったが、景時と望美には大きな不安はなかった。
きっとこのことも乗り越えることができると、そう信じることができたから。
「朔がね、この先で待っているはずなんだ。先に式を使いにやっておいたから」
そう景時が言い、望美は以前に見たサンショウウオを思い出して微笑んだ。
「あ、サンショウウオじゃないよ! 違うのも一応出せるんだからね。今回は鳥だよ。
 さすがにサンショウウオに陸地走らせるわけにはいかないでしょ」
これから、頼朝や政子を、というよりも鎌倉を相手にしようというのにそんなことを思わせもしない口調で景時が言う。
「それでね、大変なことばっかり望美ちゃんにお願いすることになっちゃうけどさ。
 オレは評定に出なくちゃいけないでしょ。頼朝さまを丸め込むのはオレ、何とかするからさ。
 朔と2人で皆のこと救い出してもらえるかな。少しでも早く鎌倉を出たほうがいいと思うんだ」
「景時さんと別行動ってことですか?」
うん、と景時が頷く。しかし、確かにそれは仕方のないことでもあった。評定に出る景時に望美がついていくことはできないし、頼朝に怪しまれないためにも景時は評定に出ないわけにはいかない。
作戦のためとはいえ、景時と別行動をとることは以前の望美になら不安を伴っただろう。しかし、今は別の場所にあっても、ともに戦っていると感じることができる。一人じゃないと、心は同じところへ向かっていると感じることができる。
景時に置いていかれるという不安はもうない。『信じる』ということの本当の意味を、景時と心を重ねることで望美は知ったのだ。
「……頑張りましょうね、景時さん。一緒、ですよ。違う場所で違う敵に向かっていても、心は一緒、です」





遙か3より、景時×望美です。
壇ノ浦から鎌倉までの2人旅って妄想しがいがありますね
でも、最初の予定では旅の間中2人は清い関係のまま、だったんですが。
この話の中ではどうだったかは、ご想像にお任せ。


■ お題部屋 ■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■