想い叶う日


 気晴らしにショッピングに出た望美は、春物が並んだショーウィンドウを眺め歩いていた。
 まだ春本番には少し早いけれど、天気の良い昼間はコートはもう暑い。春らしい明るい色の洋服は見た目も華やかで、見ているだけでも楽しい。あちらのウインドウ、こちらのウインドウと見て歩いているうちに、男物のショップに行き当たった。なんとはなしに、足を止めてしばらくそのショーウインドウを眺めていた望美は、
「……そういえば、もうすぐ誕生日だよね」
と呟くと、思い立ったようにその店へと入っていった。


 しばらくの後、包みを抱えて店から出てきた望美はすっかり、今日使う分のお小遣いをはたいてしまっていたが、随分と満足していた。
(だって、とても似合いそうだったんだもの)
こちら風の服を着ているところは、見たことがないけれど。でもきっと、何を着たって似合うに違いない。とても浮き立った気分になって足取りも軽くなる。そのまま家路に向かいながら、うきうきと歩く望美の鼻に、柔らかい香りが届いた。
 それは梅の花の香り。
 慌てて望美は立ち止まり、辺りを見回す。街の中でこんな香りに出会うなんて、あの人以外にあるはずがない。背が高いからきっとすぐに見つかると思って見回すのに、それらしい人は見あたらず、そして気付く。それは店先に飾られた梅の枝から漂ってきたもの。春の香りをどうぞ、とディスプレイされた梅の枝は馥郁たる香りを放つ花を咲かせていて、その花の色は、いつか京邸で見たものと同じ、白だった。
 途端に、様々なことが思い出され、そして、今の現実に引き戻されて手にしていた包みを望美は見つめ苦笑する。着る人が、ここにいないのに。こんなものを買って、どうするつもりだったろう。笑いながら、視界がぼやけてくるのに、望美の口元が歪んだ。綺麗な包装の上に、雫が落ちる。
 約束した冬の日から数ヶ月、景時は、まだ、望美の元へ帰ってこない。クリスマスもバレンタインも、寂しい思いをしている間に通り過ぎていってしまった。ここに、景時がいたら、それこそ両手いっぱいだってチョコレートを渡したい、なんて思っていたバレンタインの日。きっと、来年にはそうできる、と思って寂しさを振り切った。けれど。
 今買った、誕生日のプレゼントだって、渡せるかどうかもわからない。いつ景時が来てくれるかなど、望美にはわからないから。それでも、何をしてもどんなときも、彼のことを思わずにはいられない。きっと、3月5日にはケーキを買って、たった一人でも彼の誕生日を祝わずにはいられないだろう。
 ごしごし、と目元を手の甲で拭って、望美は鼻をすすり上げ再び歩き出した。いいのだ、誕生日に渡さなくてはいけない、なんて決まりはないのだから、彼が来たときに渡せばいいのだ。彼は約束したのだから、必ず望美の元に戻ってくるのだから、けして、無駄になることなどないのだから。彼を信じると決めたのだから、泣かない、泣いちゃいけないのだ。

***

「望美ちゃん! お待たせ!」
息せき切って景時が望美の元へ駆けてくる。それでもまだ待ち合わせの時間より早い時間なのだ。駆けてくる景時に向かって望美は笑顔を向ける。
「そんなに急がなくても、まだ待ち合わせの時間になってませんよ?
 私がちょっと早く着き過ぎちゃったんですから」
そして、景時の着ている服を見て微笑む。景時は、こちらの服装に慣れなかったころは有川兄弟のアドバイスを得ていろいろ着こなしていたが、最近は自分の好みも出来てきてあれこれ見繕ったりしているようだ。それでも、こちらの世界に来て以来ずっとお気に入りなのが今着ている服だったりする。季節があるから、年中着ているわけにいかないのが残念、と言う彼に、望美の方が恥ずかしいから辞めてください、とお願いしたくらいだ。それでも彼がこうして身につけてくれることは勿論、嬉しい。あの日、包みに落とした涙の雫も、今となっては、あの頃の自分に言いたいくらいだ。『ほら、泣いたりすることなんて、何もなかったでしょう? 景時さんはちゃんと、私の元に戻ってきてくれたじゃない?』


『待たせて、ごめんね?』
 そう言って申し訳なさそうに望美の前に景時が立ったのは春も終わりになりそうな頃だった。ここに来るまでに、どれほどのことがあったのかを景時は深く望美に語ろうとはしなかったけれど、ただ一言、景時がここに来るために『誰も犠牲にはしたくなかったから』とだけ言った。景時が背負っていた軍奉行という職務。それだけでなく、支えていた家族、一族郎党。『もう思い残すことはないから』と語っていた景時ではあるけれど、彼の一存で全てを決められるほどに彼は自由ではないことも望美は良く知っていた。そして、彼の仕える主が優しくもないことも。景時はおそらくは、自身が背負うべき責任を他の誰かに背負わせたくなかったのだろう。自分の為すべきことを為し、すべてを整理してこちらへ来たのに違いがない。もちろん、そこには平泉の皆の力もあったかもしれない。
 それでも、景時が約束を守ってくれたことで望美は十分だった。彼の姿を見て、彼に触れて、その体温を感じただけで、長く待ちわびていた時間も、思わずこぼれ落ちた涙も、すべて報われた気がしたのだ。


「昨日から公開の映画見て、それからお昼食べて、午後から何処か行きたいところはある?」
 景時がごく自然に手を差し出して望美の手を取る。繋いだ手に僅かに鼓動が跳ねるけれど、それも心地よいものだった。もっと近く景時を感じたくてその腕に身体を寄り添わせる。
「梅を観に行きませんか。お天気もいいし」
「あー、そうだね。宝戒寺もいいし、来迎寺や荏柄天神社あたりも見頃だろうねえ」
京邸や梶原邸とは比ぶべくもない今の景時の家は一人暮らしにはちょうど良いマンションの一室だ。身の丈にあった部屋だよ、と彼は言うけれど、おそらくはあちらの世界で景時の心を慰めていたであろう丹精された庭や、彼が好きだった梅の木などもちろん植えられるはずもない。いつか景時と暮らすようになれたら。小さくてもいい、庭のある家に引っ越して、そこに梅の木を植えよう、そんなことを望美は考えたりする。しかし、今はまだそれは夢物語のようなものでしかないから。
「あとは、夕食のお買い物をして、景時さんのお部屋で夕ご飯!」
「御意〜」
楽しげに笑う景時を見上げて、望美も笑顔になる。今日が何の日か全くわかっていない景時に、買い物のときに、ケーキ屋へ寄ることを忘れないように伝えなければ。あちらの世界では、生まれた日にそのことを祝うなどということはなかったから。こちらに来て初めての誕生日。いつ、そのことを彼に告げようか? ケーキを買うとき? それを食べるとき? こっそりバッグの中に持っているプレゼントを渡すとき? そしたら今よりもっと嬉しそうに笑ってくれる? 考えるだけで楽しくて嬉しくて、自然と足も軽やかになる。
 本当はいつだって、どんなときだって、景時に何かを贈りたい。それはモノというだけではなくて、嬉しい気持ちや楽しいことや、彼が笑顔になってくれることをずっとずっと彼に伝えたい、贈りたい。その笑顔が望美を幸せにしてくれるから。
「ねえ、景時さん、帰り、忘れずに駅前のケーキ屋さんに寄ってくださいね!」
「ん〜? 望美ちゃんのその嬉しそうな顔は……春の新作ケーキでも出たのかな?
 そういえば、望美ちゃんの大好きな苺の季節だものね〜」
ついでに苺も買って帰ろうか、などと言う景時を見上げて望美は、いいですね! と応えた。
 会えなかった日も、離れていた間も、ずっと考えていた。彼にしてあげたいこと、彼に贈りたいもの、彼と過ごしたい時間。やっとそれが叶う時が来たのだから、初めて一緒に過ごす誕生日、そっと一人で祝った去年の分も込めて、今日は彼の願いも自分の想いも全て叶えてしまおう。

『お誕生日おめでとう、景時さん。
 これからも毎年、あなたにこの言葉を伝えさせてください』
溢れる言葉を飲み込んで、望美は景時に寄り添って歩きだした。伝えたい言葉は今日の最後に、二人きりで。
 だから、今は溢れる言葉も心のうちに飲み込んで――。




十六夜記ED後の二人のイメージで。
誕生日ネタなのに、またなんだか微妙な話になったような……
でも最終的には幸せ満開な二人ということで。




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