カリスマの夏休み





 自宅のリビングの窓の締め切ったカーテンを薄く開いて外を見渡し、景時は溜息をついた。
「はぁ〜〜……なんだってこんなことになっちゃったかなあ……」
今日も良い天気で外は晴天だ。夏休みの住宅街は昼間だというのに静かで、人の声も聞こえないが、京で聞いていた夏の声……蝉の声さえも聞こえてこなかった。
「兄上のせいでしょう」
溜息をつく景時の後ろから朔が厳しい声で言う。奥の座敷の仏壇に供え物を置いてきたところだ。ふわりと香の匂いが漂ってくる。
室内はクーラーが効いているので過ごしやすい。京のうだるような夏とは比べ物にならず、二人は初めての夏を快適に過ごしていた。ある点を除いては。
「……でも、でもね、朔。さすがにもう今日は誰もいないんじゃないかなー。そんな気がするよ」
「そうだと良いですわね」
相変わらず、朔の言葉は冷たい。カーテンを閉めて、景時は再び溜息をついた。世間が夏休みを迎える少し前。景時の姿が写真週刊誌を飾った。

『カリスマ主夫 路上で女子高生とアツ〜い抱擁』

おかげで、軽く芸能番組でも触れられたりする始末。そんな時には家の前にレポーター。目障りだと朔は景時に棘のある言葉を投げかけたが、何より一番怒ったのは、その記事に望美が巻き込まれていたことだった。
 もちろん、仮名Aさん、などとされていたけれど、景時と抱擁するような女子高生は望美しかいないわけで、彼女にまで迷惑が及ぶとは何事かと、自力で書店に並んだ週刊誌を全て回収してこいと言わんばかりの剣幕だったのだ。平身低頭謝ってみたものの、もちろん、本当に謝らねばならないのは妹ではなく望美だというのは良くわかっていた景時は、望美の家に人目を忍んでこっそり向かったのだが、望美本人はあっさりしたものだった。それでもやはり、相変わらず気が向けばちょろちょろと景時の周辺に現れるカメラのために、これまで度々景時の家を訪問していた望美に、しばらく落ち着くまで景時の家に来るのを控えたほうがいい、と泣く泣く言わねばならなかった。
 おかげで夏休みというのに、未だに望美とデートらしいデートもできず、仕事以外は家に閉じこもっている景時であり、溜息も出ようというものだった。
「兄上よりも望美の方が大変だったんですから! 自業自得なのに溜息などつかないでくださいませ!」
「わかってるよ〜朔……」
望美との交際を禁止されなかっただけでも感謝しているのだ。望美の両親が心の広い人たちでよかったと思う。何よりちゃんと先に挨拶をしておいたからこそよかったのだと思っている。景時には、望美とのことについて譲れないことがあった。
「朔〜、景時さんばかり責めちゃだめだよ、景時さんは悪くないんだから」
ソファに座り込んでうな垂れていた景時は、その声を聞いてがばっと身を起こし振り返った。
「の、望美ちゃん……?」
長い髪をきっちりとまとめて結い上げ、女子高生が着るにしては可愛げのないTシャツとサブリナパンツに縁の太い伊達眼鏡をかけた望美は何故かその手に回覧板を持っていた。
「えっへへー、変装して裏口から入ってきました! ご近所さんが回覧板を届けに来ましたスタイル〜!」
能天気にそう言って眼鏡を外した望美は少しばかり得意げだが、景時は少しだけ困った顔になって尋ねてみる。
「えーと、でもね、望美ちゃん、駅から回覧板持ってきてる人はあんまりいないかも。
 ところで、その回覧板、望美ちゃんの町内の?」
「駅からはカバンの中に隠してましたよ。そこの角曲がったときに外に出したの! ……やっぱバレてると思う?」
どうだろうねえ〜、まあでも今日は張り込んでる人いなかったっぽいし大丈夫かな、と景時は言いながら立ち上がって望美の元へ向かった。望美の前に立つと、顔を見合わせてほうっと息を吐く。そしてゆったりとお互いの身体に腕を回して抱き合った。
「景時さんが不足しちゃうから会いに来ちゃいました!
 だいたい、悪いことしてるわけでもないのに邪魔されるのって許せないし!」
ぎゅうっと手に力を込めてそう言われると、景時には返す言葉もなくて、ただ彼女への愛しさが募るばかりだ。
「……回覧板持ってきちゃって、おうちの人に怒られちゃうんじゃない?」
どうでもいいようなことを、口にするしか出来なくて内心情けなく思う。
朔はといえば、そんな二人を見ない振りをして居間から台所へと姿を消していた。
「えー? お母さんの案なんだけど。景時さんに会いに行くのに変装してみたらって」
望美の答えに景時は思わず笑ってしまう。望美の両親は、彼女の親であるに相応しい本当に良い人たちだった。そして、今回のこの心遣いに感謝の念を募らせる。緩く抱き合っていた身体を離して、景時は望美にソファを勧めた。そこへ、タイミングを計ったように朔がグラスに麦茶を入れて現れる。
「望美、大変だったんじゃないの? 兄上を呼び出せば良かったのに。
 どうせ家でふらふらしているんだし、責任持って後の人たちを撒いてきてって言えばよかったのよ」
「楽しかったよ? 変装ごっこ! 次はお中元を持ってきた親戚の人、っていうのどうかな?」
はしゃいだ様子でそう言う望美に、景時はしょんぼりとうな垂れて言った。
「ほんと、ごめんね、望美ちゃん」
「もう! 景時さんてば。だから、楽しかったって言ってるじゃないですか。
 そうだ! だから、今度ね、二人で変装デートでもしません? 私たちってわかんないカッコして
 遊びに行きましょうよ。せっかく夏休みなのに、景時さんと会えないしつまんないんですもん」
ね、とうな垂れた景時の顔を覗きこむようにして、笑いながら言う望美に景時は何も答えない。そして顔を上げると真剣な表情になって繰り返した。
「ごめんね、望美ちゃん。こんな格好して、ウソで欺いてしか会えないなんて、オレが不甲斐ないばかりに」
うんうん、と朔が頷いているのを望美は横目でちらりと見て、景時を上目遣いに見上げた。そんなことないのに、と言いたげな表情だ。だから、と声を挙げようとした望美を制するように、景時の真面目な声が続いた。
「オレね、望美ちゃんとのことでは、誰に対してもウソをつきたくないんだ。
 姿を偽ったり、嘘を言ったり、したくない、んだよ。
 オレ、これまで嘘ばっかり吐いてきて、仲間にも嘘吐いて、いろいろ偽ってばかりしてきたけど
 でも、望美ちゃんは、オレにとって偽りない真実なんだ。だから、誰に対しても嘘をつきたくないんだ」
疚しい関係にしたくないんだ、と呟く。
「その決意はご立派ですけれど、それで会いたいのに会えない関係になってしまうのでは
 本末転倒では在りませんの? 兄上」
容赦のない朔の声に、がくり、と景時がまた肩を落とす。
「……ほんと、そうなんだよ〜。だから、ゴメンね」
「もう! ……私、今、ものすごく嬉しかったんですから謝らないでください」
赤い顔になった望美がそう言って麦茶のグラスを手に取り、口をつける。火照った顔に冷たいグラスが気持ちよかった。外を歩いてきたこともあって、照れも手伝いごくごくと飲み干してしまう。
「いや、でも、朔の言うことも尤もでさ……決意ばっか立派でも、それに中身が伴ってないのがホント、情けないんだ」
そんな景時が望美は愛しくて、そんな気持ちだけで十分幸せなのだと、どう伝えようかと考える。そして考える間もなく手を伸ばしてくしゃくしゃと景時の頭をかき回してぎゅっと抱きしめる。
「で、望美は兄上をデートに誘いに来たの?」
我慢強い朔は、相変わらず二人を見ないようにしながら、空になった望美のグラスに麦茶を注ぎたした。はっと気付いて望美は景時の頭を手放した。
「そ、そう! そうなの。もうすぐね、私の町で夏祭りがあって。
 夜店が出るし、花火もちょっと上がって。
 近くの神社が灯篭でいっぱい飾られて、松明焚いたりしてキレイだから、一緒に行きたいなって」
その気持ちはとても嬉しくて、もちろん、景時だって一緒に行きたいのは山々なのだが、問題はまたまた邪魔が入るとどうかということであって。望美の浴衣姿だって見たい。見たくて見たくて仕方がないのだが。
「……兄上と一緒が無理なら、私や将臣殿や譲殿と一緒に行けばどうかしら」
考え込んでいる景時を他所に、朔があっさりとそう言った。




「おっ、馬子にも衣装っていうのがぴったりだな!」
望美の姿を見て将臣が笑いながらそう言った。待ち合わせは神社の近くの橋の上。ラベンダー色に大柄で華やかな花をあしらった浴衣に小花模様の巾着を手にした望美は、盛大にあかんべーをしてみせた。
「兄さん、子どもじゃないんだから」
溜息をついて譲が嗜める。
「大きなお世話ですーだ。別に将臣くんに褒めてほしくて浴衣着てきたわけじゃないもん」
膨れっ面で横を向いた望美は人ごみの中誰かを探して視線を彷徨わせた。
「朔はまだなのか?」
将臣もきょろきょろとあたりを見回す。長身の将臣の方が望美よりも遠くまで見渡せるのが道理で、望美もそれを頼るように将臣を見上げた。
「望美、遅れてごめんなさい」
やがて、ぱたぱたと小走りで朔が現れる。
「朔ー! わ、可愛い」
朔も白地に格子と朝顔が描かれた浴衣姿になっていた。青と赤紫の朝顔の花が散らされた浴衣は、大人しい色の服を好んで着る朔にしては華やかに見え、将臣も軽く口笛を吹いてみせた。譲がそんな将臣の脇腹を強く肘で突く。
「兄さん……! 景時さんに怒られますよ!」
「……お、オレがどうしたの〜?」
譲の声に答えたのは、朔より更に遅れてきた景時だった。
「景時さん! わ、わ、やっぱり浴衣似合う〜!」
「そ、そう??」
珍しく落ち着かない様子で浴衣を着ている景時は望美の声に改めて自分の姿を見下ろした。直垂姿が普通だった京では浴衣のような着流し風の緩い装いはなく、どうにも落ち着かないのだが、望美の反応にほっとしたように少し自信を取り戻す。
「さーて、じゃあ、今日はよろしく頼むぜ、保護者どの!」
将臣は二人だけの世界に行ってしまいそうな望美と景時の間にひょいと頭を挟んでそう言った。そう、今日は(一応)未成年である4人の引率という名目で景時が付いてきているのだ。

『深夜の出歩きは禁止ですけど夏祭りですし、保護者同伴なら良いんじゃありませんこと?』

そう言ったのは朔で。将臣や譲も協力してもらってということになったのだった。
「うん、ごめんね、ありがとう、将臣くん、譲くんも」
頭を掻いて苦笑しながら景時はそう言う。すると将臣は声をあげて笑いながらひょい、と手を出した。
「はっはは、礼はいらねーけど、そんなら保護者どの、こづかいくれ!」
「兄さん!!! 恥ずかしいから止めてくれよ、もう!」
「いや、もう、何でも奢っちゃうから、オレ! 
 譲くんも言ってよ、リンゴ飴でも綿菓子でも焼き蕎麦でもあんず飴でも風船釣りでも金魚すくいでもおごるから!」
人におごるよりもむしろ、自分のためにそれを買いたいというほどの勢いで景時が言った。



引率という名目上、望美と手を繋ぐというような真似はできなかったが、二人並んで(もちろん、他の3人とも並んで)屋台を観て歩き、時には立ち止まって眺めてみたり、リンゴ飴を買ったり、楽しむことはできた。何よりここしばらく会話を交わすことも少なかったので、とりとめのない会話でも声を聞くことができるのがとても嬉しかったのだ。
「でね、お母さんと一緒に最近は景時さんのテレビ観てるの。
 お母さん、こないだの染み抜き豆知識、すっごく感心してたよ。でね、景時さんがいろいろ詳しいのに
 私が家事がほとんど出来ないのって恥ずかしいでしょ、なんて言うの。
 ここぞとばかりに夏休み、家の手伝いしなさいって」
「ええっ、そ、そうなの? もしかしてオレのせいで望美ちゃん、大変だったり
 お母さんに怒られちゃったり……?」
心配げな表情になってしまう景時に
「いいんだって、いいんだって。望美はちっとは家事出来るようになったほうがいいんだから
 小母さんの言う通りなんだよ」
と将臣が混ぜっ返す。言い返すかと思いきや、望美も溜息をついて頷く。
「そうなのよねえ〜。京に居るときも譲くんと朔がお料理全部してくれたしさー
 向こうじゃ、一応私も龍神の神子なんて、ちょっとは自分の役割ってものがあったけど
 ここじゃフツーの女子高生で、何の取り得もないんだもん」
「そんなことないって!」
がしっと望美の肩を掴んで勢いこんで言う景時の手を、朔がぺしっと叩いた。
「はいはい、今日は引率なんですから兄上、控えてくださいな」
もう、と小さく膨れっ面をしたのは望美の方で、景時はといえば皆と会えるのも嬉しいし、望美と会えるのも嬉しいし、妹の機転のお陰で望美の浴衣姿も見れて嬉しいし、で大人しく妹の言う通りに望美から手を離したのだった。
 なんだかんだと言いつつ、感謝の念もあって将臣や譲にも焼き蕎麦やイカ焼きを奢ったり、朔や望美にはリンゴ飴や綿菓子を買ったり、人を喜ばせるのが嬉しい景時は夜店の楽しさもあって気前良く振舞った。二人きりのデートではないものの、仲間と一緒の夏祭りは楽しくて景時も望美も十分に堪能したのだった。
やがて花火の上がる音が聞こえてきて空を見上げる。
「お、花火だ! 熊野を思い出すよなあ」
見上げて将臣が懐かしげにそう言い、譲が頷く。朔も微笑みながら天を仰いだ。
「景時さん! こっちこっち、見晴らしのいいところにいこう!」
望美に手を引かれて景時は少し高台になっている神社の裏手に向かう。景時が望美の手を握るのは駄目だが、逆なら良いらしく、朔からの突っ込みは入らなかった。
「ここからだと、良く見えるの」
望美が笑いながら景時を振り返って言った。高台になっているため遮る家々の屋根が低く見える分、花火がとてもよく見えた。大輪の花火が音と共に打ちあがり、夜空を彩る。流星のように夜空に線を描き燃え落ちて行く姿にしばらく二人で見惚れた。
 ふと気付いて景時が振り向けば、ついてきているかと思った朔や将臣、譲の姿がなく、どうやら最後の最後に気を利かせてくれたらしいと苦笑する。良い妹と仲間に恵まれたと思わずにはいられない。自分には仲間などというものが似合わないと思い込んでいたときもあった。なのに今は近くに、そして遠く離れたところにではあるけれど、ずっと心がつながっていると思える仲間がいる。それは望美が、白龍が、与えてくれたものだ。自分ひとりの力では為しえないことを叶えてこれたのも、仲間がいてくれたから。幸せだと思える日が過ごせるのも。
 皆が姿を消したことを望美も気付いたらしく、ぺろり、と舌を出した。
「……悪いことしちゃったかな。でも、やっぱり嬉しい、な。
 皆で夏祭り、すごく楽しかったけど、ちょっとだけ景時さんと二人だったらいいな、って思っちゃってたから」
きゅっと景時の手を握る。そしてそのまま天高く打ち上げられる花火を見上げた。その頬がほんのりと赤く染まっているのは気のせいではないだろう。そんな望美の様子が愛しく嬉しく、景時も望美に応えるように握る手に力を込めて同じく空を見上げた。
花火が終わるまでの時間、久しぶりに二人きりになった景時と望美だったが、ただ黙って手を繋いで空を見上げていただけだった。それでも心は温かく満たされて二人は幸せだった。



「……なあ、朔、景時は本当に28歳健康な日本男児なんだろうな?」
「……兄さん、何を言ってるんだ。だいたい覗きだなんて趣味が悪いことしないで……」
「……家にいるときは望美にこれでもかとくっついているから、場所をわきまえているんだと思うわ」
「ああ、案外、景時のヤツ、常識人だからな。ってことはこれ以上張りこんでいても無駄ってことか、つまんねー」
「だから兄さん……本当に出歯亀が目的だったのか……」
「それ以外に何があるんだ、譲。二人を温かく見守るなんてガラじゃねーだろうが」
「……私は兄上の濡れ場など観たくありませんわね」
想像してしまったらしい朔が顔を顰める。
「二人が安心なら帰りますわ、お二人はどうなさいます?」
「じゃあ、俺が送ってくよ、朔。兄さんは気が済むまでそこで先輩と景時さんを見守っていればいいよ」
「あーあー、俺も帰るよ。置いてくなよ、譲、朔!」
少し離れた木陰でこんな会話が交わされていたことを景時と望美は知らない。
そして、3人が帰ってしまった後、花火も終わって帰る間際に景時がそっと優しく望美の唇に触れたことを、3人は知らない。


景時の周りをしばらく賑わしていたカメラも夏の終わりにはすっかり姿をくらまし、秋の訪れと共に、二人にも平穏に近い日々が戻ってきたのだった。


END OR CONTINUE?





一応、カリスマものの続きですが、今回は夏祭りネタなわけでカリスマ主夫とは関係なかったり。
思うに、景時宅が張り込まれていたとしたなら『カリスマ主夫の妹は美人の才媛』なんつって
朔が週刊誌を飾りそうな気もしますが、そんなことになった日には景時はどうなってしまうやら(^^;)



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