カリスマの忍耐・後編





 辿り着いた旅館は、落ち着いた純和風の建物で、老舗に相応しく丹精された庭が目に美しかった。通された部屋は、2室、景時と朔や望美は別々の部屋に宿泊する。当然といえば当然だが、少しほっとした景時だった。夕食は部屋食ということで、朔と望美が景時の部屋にやってくることになっている。旅館での撮影の打ち合わせも兼ねて、景時の部屋にスタッフたちも集まった。
「あ、隣のお部屋だから、中のつくりは同じなんですね。
 ここ、お庭が見えてすごく素敵ですよね〜。
 知ってました? ほら、ここ、お部屋から庭に出られるんですよ」
望美が縁側から庭に降りて景時を手招きする。周りを気にしながらも、景時も、へぇ〜などと言いながら庭に降りてみる。朔がそれを縁側から見守っている。
(……廻ってる、廻ってるよ、カメラ! いいのかなー、大丈夫かなあ)
楽しげに笑う望美の笑顔と、自分の背中が撮されているであろう。自分が背中だけなのがまだ救いだ。絶対、今の表情を撮されたら拙いことになっているに間違いない。果たして望美はどう思っているのか、不意に立ち止まって足元の紅葉を手に取ると
「……きれい。……思い出に持って帰っちゃう! また紅葉の思い出が増えましたね」
と言って景時に笑いかけた。その言葉の意味をわかって景時は顔を赤くした。熊野からの帰り道、色鮮やかな紅葉。生田で危険をも顧みず望美を助け出したときも、森は紅葉に染まっていた。紅葉が色づいていくのにあわせるように、景時の心が望美に、望美の心が景時に、染まっていったあの頃。
「朔〜! 見て見て!」
手にした紅葉を見せるように望美が景時の脇を抜けて、縁側の朔に走り寄っていく。景時は、自分の顔がまだ赤いことがわかって、それを振り向いて見ることができなかった。カメラがなければ、スタッフがいなければ、二人きりなら、間違いなく、今、望美を強く抱きしめただろう、と思ってゆっくり息を吐く。
(……オレ、明日帰るまで大丈夫かな……)
忍耐力と精神力を試す我慢大会な一泊二日になっているような気がして、どうにも心配なのだった。




「じゃあ、食事の用意ができるまでに、温泉の方を撮影してしまいましょう」
スタッフがそう言い、景時たちは、ああ、そうですか〜と軽く答えた。しかし、その後のスタッフの言葉に景時は大慌てになる。
「どうでしょう、朔ちゃんと望美ちゃん、二人で撮影できませんかね?
 こう、タオルを身体に巻いてもらって、ここ、温泉自慢の宿でもあるんですよ」
「ええっ! なななななななな、なにっ?!
 ふ、二人が温泉入ってるところ、撮影するのっ!?」
明らかに景時の顔色が変わる。そんなことは聞いてないよと今にも卒倒しかねない勢いだ。
「ああ〜、本当、梶原さん、妹さんを大切にしてるんですね〜。
 やっぱり朔ちゃんのそういう撮影は駄目ですか?」
いやいや、そうじゃなくて、と景時は慌てる。朔じゃなくて、って朔も駄目だが、望美はもっと駄目だ、と言いたい。声を大にして言いたい、タオルを巻いていようがなんだろうが、望美の肌を見せてなるものか、と。
「望美ちゃん、君はどう? やっぱり、抵抗ある? 朔ちゃんが駄目なら君だけでもどうかなあ」
「えー………っと」
スタッフが望美にそう尋ねるのに、少し困ったように望美が口ごもる。ちらりと景時を見る望美の目と視線がぶつかった。きっと望美のことだから、断ったら景時が困らないかとか心配しているのだろう。
「や、ダメダメ駄目! 大事なお嬢さんをお預かりしてきてるんだから!
 駄目だよ、二人とも、お風呂の撮影はなし!
 風呂だけ撮影して、二人のナレーションつけるくらいでお願いします」
景時がそう声をあげると、望美は少しだけ嬉しげな顔になった。景時はといえばとんでもないことを言う野郎だ、とばかりにスタッフと望美の間に割って入っている。
(だいたい、なんだ、今『望美ちゃん』とか馴れ馴れしく言ってなかったか?
 誰の赦しを得て『望美ちゃん』なんだ? え? いつからそんな親しくなったんだい?
 次に望美ちゃんに馴れ馴れしくしたら、服の中にサンショウウオ入れるよ?!)
内心、相当憤ってそんなことを考える。そんなことはわからないスタッフは
「そっか〜、まあ、そうですよね。素人の娘さんですし、拙いですよね〜
 じゃあ、後で絵に声だけ入れてもらいますね。
 梶原さんは大丈夫ですか? 撮影できます?」
「はっ?」
思わず素っ頓狂な声を挙げてしまった景時に、スタッフが繰り返す。
「え、ですから、梶原さんはお風呂で撮影いいですか?」
それはつまり、さきほどの望美や朔に対してと同じく、景時が風呂に入っているところを撮影していいか、ということなのだろうかと考えるまでもなく、そういうことで。景時は自分の背後にいる望美からものすごく不機嫌なオーラを感じて身体を竦ませた。
(……君は、オレのみならず望美ちゃんまで敵に回そうとしているよっ!)
「景時さんっ、裸になるのっ!!?」
「えっ、あの、いや、お風呂に入るんだったら、そうなるよねっ」
それは自分だって、人前で裸になるなんて勘弁してもらいたいとは思うが、でも、望美や朔がそうなるくらいなら自分が脱ぐ方が余程マシである。……というよりも、今の望美の勢いは友人のお兄さんに対してというには、ちょっとおかしくなかったか、と景時が冷や汗をかきそうになったとき。
「望美、私から話を聞いて心配しているのね」
と朔の声がした。
「兄上は実は、若いころに怪我をして、身体に傷跡が残っているんですの。
 ちょっと画的にきついんじゃないかしら」
「え、そうなんですか?」
「あ、ああ〜〜、そ、そうそう。ちょっと肩と脇腹とね〜」
さりげなく望美の口を押さえてくれている朔に、景時は何度も何度も心の中で頭を下げた。
そうか〜、じゃあ風呂はナレーションで行くしかないか〜とスタッフが集まって話をしている。景時はほっとして、朔の手から解放されたものの、まだ怒った表情の望美を見下ろした。ごめんね、と声にせずに言い首を傾げると、ぷうっと膨れた顔のまま俯いて、それからそっと景時のジャケットの裾を摘んで引っ張る。その少し拗ねた様子が可愛くて、景時は朔の陰でスタッフから見えないことを確かめてから、そっと望美の頭を撫でた。
(オレ、一体今日は何度望美ちゃんをぎゅ〜っと抱きしめたいの我慢してるかなあ〜)
しかし、その内心はかなり複雑でもあったのである。




 そんなわけで食事の前にスタッフ・カメラ抜きでそれぞれ温泉を楽しむことができた。食事の後、スタッフが温泉の様子を撮影し、明日の朝一番にナレーションを録るということで落ち着いたようである。望美や朔の入浴シーンなど撮影させたくなかった景時はひとまずほっとした。旅番組といえば、当然有り得ることだったのに、うっかりしていた自分がますます情けない。もうここまでくれば、果たしてちゃんとこの番組は成り立つのかどうかさえ心配である。しかし、望美と朔の二人はといえばそんな景時の心配もどこへやら、先ほどの一悶着などすっかり忘れたように、豪華で見た目に美しい料理にうっとりしているようだった。夕食紹介はメイン部分となるため、昼食のように好きに食べるというわけにはいかず、女将の説明を聞いたり、あれこれ指示を受けたものをカメラの前で取り上げてみたり、談笑している所を作ってみたりしながらの食事となった。そうなると味を楽しむという余裕がいささかなくなってしまうのではあるが、昼のように望美にどっきりさせられることもなく、つつがなく終わった夕食に景時はほっとしたのだった。
 あとは就寝前の様子を少しだけ撮影して本日は終わり、ということになり、景時は自分の部屋に戻ってやっと一息ついた。今は朔と望美の部屋を撮影中だろう。気になるといえば気になるが、逆に様子を見に行ってしまえば尚更心臓に悪いかもしれないと思い、我慢する。
 しばらくの後、カメラが部屋にやってきた。
「じゃあ、あと、夜の庭の風情を眺めて楽しんでいる、って感じでお願いします」
夜の間も、庭は明るすぎないほどの灯りでライトアップされている。紅葉が下から照らされて昼間とはまた違った風情が感じられた。言われた通りに、景時は縁側にしつらえてある座椅子に座って、湯呑みの茶をすする。
「いやあ、しかし、梶原さん、妹さんも、ご友人の方も、いい雰囲気で本当に助かりましたよ」
撮影の合間、スタッフが景時にそんな風に語りかけてくる。
「女の子二人というので、修学旅行風に、布団に入ってからのおしゃべり、なんてのを撮ったんですけどね
 自由になんでも話してください、って言ったら今日の感想から始まって
 コイバナまでしてくれて、可愛い雰囲気に仕上がりましたよ」
「えっ、コイバナって?!」
思わず、手から湯呑みを落としそうになったのは仕方ないことだろう。
「あはは、やはりお兄さんとしては気になりますか?
 二人とも、好きな人がいるみたいですよ。しかも、相当熱烈な感じでしたねえ〜」
「そ、そうなんだ〜……」
いや、それは知っている。知っているが。
「残念ながら、名前は話してくれませんでしたけどね〜。
 放送が楽しみでしょ、妹さんの秘密を知っちゃいますよ」
いや、そんな秘密はとっくに知ってはいるのだが、それは要するに、名前は伏せてあるものの、望美がおおっぴらに自分のことを惚気てくれているということなのだろうか、と楽しみなような、これは大変なことになったというような、やはり、様子を見に行けば良かったと顔を赤くしたり青くしたりしながら、景時は大きな溜息を心の内で吐いたのだった。




 やっと1日が終わって、スタッフも部屋からいなくなり、景時は息をついた。明日も早いので眠った方がいいとは思うのだが、眠れそうもなくて、そのままぼんやりと座椅子に座っていると、突然、庭に面したガラス戸をノックする音がした。
 驚いて外をみやると、望美が立っている。旅館の寝間着の浴衣姿だ。慌てて景時は戸を開ける。
「のの、望美ちゃん、どうしたのー。もう寝なくちゃ、明日も早いんだよ?」
「だって、せっかく景時さんと一緒なのに、もったいないじゃないですか。
 ちょっとお庭を散歩しましょうよ」
友人のお兄さんとは夜中にそんなことはしないと思う……と景時は一瞬考え、しかしもうとっくにスタッフだって部屋に引き上げたのだから、と思い直し、それに、どれだけ考えたって、望美のお強請りには敵いっこないのだからと望美と一緒に庭に降りた。
「あのー……えっと、お風呂のこと、ごめんね」
景時がそう言うと、望美は景時を振り向いて、少しだけ膨れっ面になった。
「そうですよ! 景時さんの裸を撮影するなんて、我慢できません」
「……や、オレのことじゃなくて……望美ちゃんが撮影されそうになっちゃって、ってことなんだけど」
「それは別に、いいですよ。タオル巻くって言ってたし、水着下に着ても良かったし」
「よ、良くないよ! 望美ちゃんの湯浴み姿を、そんな……見せるなんて……」
そこでお互いに顔を見合わせて、思わず笑い出す。
「朔が言ってたけど、景時さん、肩と脇腹に傷があるの?」
ふと、望美がそう尋ねてくる。
「あー。ああ、うん。ほら、戦のときのね、刀傷が。肩の傷は望美ちゃんにも手当してもらったでしょ」
「残っちゃったんだ……」
「まあね。でも、もう痛んだりしないし。こうね、赤く、痕が残ってる感じかな」
「……見せてもらっていいですか?」
「ええっ、ここで?」
思わず、きょろきょろと辺りを見回す。もう、旅館は寝静まっていて、灯りが煌々と灯っているのは景時の部屋くらいだ。望美と朔の部屋も、もう常夜灯になっている。それでも少し、躊躇いながら、景時は浴衣の上を少し緩めて、肩を出した。うっすらと赤く痕の残るそれを、望美はじっと見つめ、それから指でなぞり、そして、そっとその痕に唇を寄せた。
「!!! の、望美ちゃんっ!」
驚く景時に、唇を離した望美はくすり、と微笑んだ。その微笑みは少女のあどけなさと共に、どこか艶を含んでいて、景時は頭がくらくらする。
「……その痕、私以外には、もう見せないでくださいね。テレビでも、見せたりしないで」
それは甘美な呪縛の言霊で、景時は何も言えずにただ頷いた。
その後、景時は望美に腕を伸ばして、抱きしめて、言霊を紡いだ唇を塞いだような気がするのだが、それはなんとも曖昧な記憶に留まった。
 おかげで明くる日は、眠ったような眠っていないような、どん底の体調となってしまい、一方、ますます元気な朔と望美に引っ張られての京都散策となったのだった。
 そんなわけで、景時が、その番組を正視する勇気が出ないのも無理からぬことではあった。


□■□■


 景時がしょんぼりと自室へ引き上げた後、朔は始まった番組を一人で観ていた。いつも兄がテレビに映っているのを観ていて、慣れたものだと思っていたが、自分が映るというのは何とも不思議な気分である。望美に振り回される兄の様子が画面に映ると、思わず笑いがこみ上げてくる。
「……兄上も、無駄な抵抗ですわよね。
 望美はやる気満々でこの旅についていったんですもの」
そう、いつもテレビの人気者、女性アナウンサーとの掛け合いにやきもきしっぱなしの望美は、カメラごしに景時さんは私のって見せつけてやるんだからー! とばかりに気合十分で撮影に臨んだのである。そこはさすがに、景時の気持ちも汲んで、そこまであからさまには行動に移さなかったようだが、それでもかなり効果はあったような気はしないではない。
「……あら、やだわ、こんなところまで撮されてるなんて、もっとちゃんとしていれば良かったわ」
自分が映っている場面に切り替わり、朔はそんなことを呟きながら番組に没頭していった。



 次の休みの日、番組を録画したビデオテープ(標準録画、高画質録画)を片手にやってきた望美に引っ張られ、景時もその番組を観ることとなってしまったのは、当然のことであった。


END OR CONTINUE





日をおかずに後編がアップできて良かった〜。
ということで、京都一泊二日編でした。カリスマものはコメディなので書くのも楽しいです。
最後、夜の庭で散歩は、混浴で二人……というパターンも考えたのですが
一応、このシリーズではまだ二人は口づけ止まりの清い仲(w)という前提なので辞めました(^^;)



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