SWEETS・SWEETS


「その日は絶対仕事入れられません」
一ヶ月前から景時は、その台詞を何度となく繰り返し言い続けてきた。かなりしつこく言い続けたおかげで、珍しく休みがとれたのだ。その代わり、番組改編期の特番撮りでそれより前の時期がかなり忙しくなってしまったが、背に腹は代えられない。なんといっても、望美の想いにお返しをする日なのだ。
 どうやって、何を彼女に返そうかと考えるのが悩ましくて、しかしその悩みは実は嬉しい悩みでもあったりして、実際のところこの一ヶ月、景時は浮かれっぱなしだった。もちろん、その間には自分の誕生日なんてものもあったので、浮かれ具合は最高潮に達していたりもした。
 しかし、浮かれ具合と気合の入れ具合に反して、実は当日のための準備は何一つ整っていない景時でもあった。バレンタインが終わった明くる日から特設会場はすっかりホワイトデーに模様替えになり、色とりどりのクッキーだのキャンディだのマシュマロだのが並べられていたのだが、何度も何度もその会場に足を運びながらも、結局、どれひとつとして買うことができていない景時なのだ。目移りしてしまうのもあるし、望美に相応しいものと思うと、どれも決め手に欠けるような気もするし。いっそ、こんなことなら昨年から飴細工の職人にでも弟子入りをして、これ以上ないくらいに綺麗な花細工の飴でも作れるようになっていれば良かった、などと妄想まで初めてしまう始末。そういったわけで、今日も景時はクッキーとキャンディとマシュマロの前を行ったり来たりウロウロしてきたのだった。
「兄上、14日はお休みですの?」
朔がカレンダーを眺めてそう尋ねてきたので、景時は大きくかぶりを振って応えた。
「そうだよ。なんたってホワイトデーだからね! 
 クリスマスもバレンタインも仕事があって大失敗だったから、
 絶対にその日は仕事入れない、って心に決めて頑張ったんだ」
「……でも、望美は学校がありましてよ? どちらにしても夕方しか会えないと思いますけど」
ごくごく当然のことを朔に言われて、景時は、はた、と気付いたが、すぐにいやいや、と首を横に振った。
「や、いいんだよ、そう思って午前だけ、とか仕事入れちゃうとさ、
 絶対に押して押して押しまくって、間に合わなくなっちゃうんだ!
 だから、いいの、望美ちゃんが学校あったって、オレが待っていたらいいんだし」
そう、それに、いつも望美ちゃんがオレのことを待っていてくれるんだから、その日くらいはオレが望美ちゃんを待っていたいんだ。そう呟く景時に、朔は思わず微笑みを漏らした。

 結局、当日までにクッキーとキャンディとマシュマロを選べなかった景時は、やはり仕事を入れなくて正解だったと内心頷きながら、朝から家を出た。平日昼間、しかもホワイトデー当日に、色とりどりの売場をウロウロする自分は、かなり困っているように見えることだろうと内心冷や汗をかく。
(望美ちゃん、お菓子好きだよね。紅茶も好きだし、紅茶ならクッキーかなあ
 でもキャンディなら口寂しいときに食べたり、持ち運びもできそうだよなあ。
 マシュマロも自分ではあまり買わなさそうだから、こういうときにはいいかもしれないし)
いざというときに、女の子の好きなものが良くわからない自分が情けないと半分落ち込みかけてしまう。もう売場を回遊魚のようにうろうろと廻ってどれくらいの時間が過ぎたことか。店員の視線がさすがに痛くなってきたところで、景時は心を決めることにした。開店時間から昼過ぎまで居座ってしまった売り場で、なんとか買い物を済ませた景時は遅めの昼食を摂ってついでに望美が学校終わるのを待つために場所を移動することにした。
 思えばこちらの世界へ来た当初、白龍の力で知識は得たものの実際に目でみて体験するのは初めてのことばかりで。望美にはいろいろと世話をかけてしまったものだ。食べ物ひとつにしてもそうだ。どんなものかは知っていても食べたことのないものばかりだったのだから。望美の帰り道途中にある喫茶店に入り、通りに面した席に座って景時はそんなことを思い出していた。
『私が作って食べさせてあげられるといいんだけど、お料理苦手だし……』
申し訳なさそうにそう言いながら、望美が連れてきてくれたのがこの喫茶店だった。
『美味しくて、落ち着いた雰囲気で、わりとベーシックなメニューが揃ってるから』
そんな風に言って、景時のためにオーダーもしてくれた。望美が、初めてならこれが飲みやすいかも、と言って頼んでくれたのはカフェオレ。コーヒーの苦い味は馴染みのないもので、それがミルクで随分と和らいでいたけれど初めて飲んだときは随分と驚いた。今は普通にブラックでも飲めるけれど、時々思い出と重ねてカフェオレが飲みたくなる。初めてパスタを食べたのもこの喫茶店。
『ナポリタンって喫茶店で食べてもおうちの味って感じが好きなんですよね〜
 景時さんは始めてだから和風パスタが食べやすいかなーって思って』
そういって、望美はナポリタン、景時には茸の和風パスタを注文してくれた。結局、二人で半分こして食べあった。初めての味が、全て望美との思い出の味になるのがとても嬉しかった。そんなわけで今日の昼食は和風パスタにカフェオレ。今だにフォークの使い方はおぼつかないが、一人でもなんとかパスタを注文して食べるくらいは出来るようになった。今でも箸で食べる料理の方が外食のときには安心ではあるけれど。
つるつると少しお行儀悪くパスタを頬張りながら、景時は望美の学校のある方向をじっと眺める。まだ授業が終わるには時間がありそうで、学生の姿は見当たらない。そういえば、こんな風に望美の帰りを待つのは初めてかもしれない。この世界に景時が慣れるまでは望美はずっと傍についていてくれたし、慣れた頃には景時は仕事を始めたので慌しい日が始まってしまった。それからは、望美が景時を待ってくれる日が続くばかりで。
(……望美ちゃんに見合う男になりたくて。仕事を始めたんだけどなあ)
ときどき、どこかでボタンを掛け違えてしまったのかな、と自信がなくなることがある。本当にやりたいことや、したいことは何だろうかと考えるけれど、一番は何を置いても望美を幸せにすること。それから自分の発明が何かの役に立てば嬉しいと思う。今の仕事は、少しばかり理想とずれてはいるけれど、そういう点では間違ってはいない。だから折り合いをつけて何とか続けていこうと思うのだ。望美がきっかけを作ってくれたものでもあるのだから。とはいえ、やはり望美との時間が少なくなるのは問題で、そこはきちんと自分が仕事をコントロールしなくては、と改めて思うのだった。
(いつも望美ちゃんを待たせてばかりじゃ、いけないよね)
朔は何も言わないけれど、景時を待っている望美はいろいろ思い悩んでいることもあるようだ。バレンタインのときの焼き餅も、可愛いと思ったけれど、一方ではあんな風に望美に思わせてしまっていることが申し訳なかった。いつだってどんなときだって一番は望美だと、感じさせてあげたいのに。
(オレが望美ちゃんに愛想をつかされることはあっても
 オレの中で望美ちゃんが、何かの次になることなんてないのにね)
何時だって、会っているときはそう伝えたいと思っているのに、自分ときたら上手にそれを伝えきれないのだ。そう思うと、彼女の想いに応えて自分の想いを伝えるという今日は、良いチャンスなのかもしれないと思う。先ほど買ったお菓子を思い浮かべて、それにしては少し締まらないかもしれないと冷や汗をかいた。格好良く気持ちを上手に彼女に伝えられたらいいのに。カフェオレを口に含みながら、まだ現れない望美の姿を通りの向こうに捜して、景時はほう、と息を吐いた。

■□■

 今日は景時の仕事は休みだと朔から聞いていた望美は終礼が終わった途端、教室から飛び出した。帰りに寄り道していこう、という友人に、また今度ね、と両手を合わせて謝る。校門へ向かって走っているとき、上から口笛が聞こえたと思ったが、多分将臣だろう。走って帰る理由がわかってからかっているのに違いない。振り向いて何か一言、言おうかと思ったものの、その時間も勿体ないとばかりに校門を走り抜ける。脇目も振らずに駅へ向かって走ろうとして、歩道に植えられた街路樹の影から慌てたように声をかけられた。
「のっ、望美ちゃん!」
「え……景時さん?!」
 聞き間違えるはずもなく、それは景時の声で、顔を上げれば確かに景時が木の影から顔を出していた。大きな体はもちろん、細い街路樹に隠れるはずもないのだが、どうやら怪しまれないようにと思って木陰に忍んでいた(つもり)らしい。まさか迎えにまで来てくれるとは思っていなかった望美は嬉しさと恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。一番に駆けてきた望美だが、背後の校門から帰宅する学生たちの声が近づいてきたのを聞き取り、慌てて景時の腕を取ると
「行きましょう、景時さん!」
と言い、駆け出した。手を繋いで駆けていく二人の姿は、後から出てきた生徒たちにも見えただろうけれど、嬉しさの方が勝る。駆け出したのは二人の時間を邪魔されたくないからで、本当なら見せつけたって全然構わない気分の望美なのだ。
 しかし、勢いのまま景時の手を握って走り出した後、駅についたものの自分のその行為が不意に恥ずかしく、かといって今更手を離すのもおかしな気がしてしまって、望美はぎゅっと景時の手を握ったまま、話かけることもできずに一緒に電車に乗り込んだのだった。そのまま駅を降りて、決まりきったように景時の家へ向かう。途中の公園にさしかかったときに、それまで黙って望美についてきていた景時が
「ね、望美ちゃん、公園寄ろうよ」
と声をかけてきた。その声でやっとほっとしたように望美は景時を見上げる。すると景時の頬もいつもより少しばかり上気していて、彼も何か緊張していて声を自分に声をかけられなかったのだとわかった。夕方の公園は、まだ花の季節には早くて、子どもたちの姿も見えない。ベンチに腰を降ろしたものの、隣を見上げても景時は話を切り出さず、望美は自分から話しかけた。
「景時さん、えと……今日は迎えに来てくれて、すごく嬉しかったの。
 でも、冷やかされて邪魔されたくなかったから走り出しちゃって……」
「ああ、いや、うん、あの、オレこそ突然行っちゃってごめんね。
 その、少しでも早く、望美ちゃんに会いたくて……」
照れ臭そうに景時がそう言い、望美はその言葉に頬を染めた。どうしてこういうことを躊躇いもなく言えてしまうのか、この人は、と思ってしまって、次の言葉が出てこない。そんな望美を見ていた景時は、やがて大きく深呼吸してから、望美の手をきゅっと握って話し出した。
「今日ね、オレ、朝からずっと望美ちゃんのこと考えてたんだ。
 それで、昼からずっと学校終わるの待ってて……望美ちゃんのこと考えている間は
 全然退屈なんかしないけど、会いたいなあって気持ちはどんどん大きくなるばかりでさ
 オレ、いつもこんな気持ちを望美ちゃんにさせてるんだなあ、って反省した」
「そっ、そんなの、反省しなくても、あの、景時さんはお仕事なんだしっ……」
慌ててそう言った望美だが、景時が優しい瞳で自分を見つめてくれているのを見て、口ごもると小さな声で呟いた。
「……景時さんが、そうやって私のこと、わかってくれてるだけで、いいんです。
 それだけで、嬉しいの」
そっと景時の手が望美の髪を撫でた。そういえば、この公園のこのベンチはバレンタインの日の夜に、景時が自分を探しに来てくれたところだ、と思い出す。
「今日はね、望美ちゃんがくれた思いに自分の気持ちを返す日だっていうから。
 いつも望美ちゃんがオレのこと、こんな風に待っていてくれたんだなって思ったら
 望美ちゃんがオレにくれている思いは、なんて大きいんだろうって。
 オレ、望美ちゃんに足りない思いしか返せてないんじゃないかなあって思ってさ」
「……そんなこと、ないですよ? 私も、いつも感じてます、景時さんの思い」
むしろ、景時がいつも大きな思いで自分を包んでくれているから、わがままを言ったり甘えたりできるのだと思う。
「だから今日はさ〜オレの気持ちを望美ちゃんにちゃんといっぱい伝えようって思ったんだけど
 オレってダメでさ、全然、言葉が出てこなくて……」
情けなさそうな顔で景時は小さく笑うと、こつん、と額を望美の額にくっつけた。
「……望美ちゃん、好きだよ」
低くそう囁かれて望美はぴくりと震えた。
「どれだけ考えても、オレの気持ちにぴったりなのはこんな短い言葉しかなくて。
 望美ちゃんが好き。好きだよ」
その短い言葉だけで、望美の心拍数は跳ね上がっていた。こんなに短い言葉でこんなに心が震えるなんて、他に知らない。
「かっ……景時、さんっ」
これ以上、そう言い続けられては倒れそうだとばかりに、望美は景時の言葉を遮った。耳まで熱くて景時を見上げた自分の目が潤んでいるのさえわかる。そんな望美に景時は自分も照れくさそうに笑いかけた。
「ホワイトデーはさ、お菓子を贈るんでしょ。すっごく迷っちゃってさ」
そう言って取り出したのは3つの包み。
「……3つ?」
不思議そうに呟いた望美に景時が応える。
「クッキーとキャンディとマシュマロ……どれがいいか決められなくて」
景時らしいその言葉に望美は思わず笑ってしまう。ところが
「クッキーは望美ちゃんみたいに甘くていい匂いがするし。
 キャンディは望美ちゃんみたいにキラキラして可愛いし。
 マシュマロは望美ちゃんみたいにふわふわ柔らかいし」
という景時が続けた言葉に途端にまたも赤面させられてしまった。望美は3つの包みを手に持ったまま、景時の胸に顔を埋める。すっかり気分は降参だった。
「望美ちゃん?」
呼びかける景時の声にも顔が上げられない。髪の間から覗く耳は今もやっぱり真っ赤なことだろう。そんな望美を知ってか知らずか、景時は楽しげに望美の髪をさらさらと梳きながらその耳元で繰り返し囁く。
「望美ちゃん、大好きだよ」
――甘い匂いのクッキーよりも、甘い甘いキャンディよりも、甘いふわふわのマシュマロよりも、あなたの言葉が一番甘くて一番私を幸せにしてくれる。






ということでホワイトデー編でした。
ちなみに景時は朔の分のお返しを買い忘れていて
この後、望美に言われて思い出し、二人で買いに行くのでありました。
兄上ったら……と朔は呆れつつも許してくれるでしょう。


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