君がため





「友雅さん、一緒に神泉苑へ行っていただけませんか?」
言いにくそうにそう言われたのは、とある日の朝。青龍の二人とともに、今は札を探していると聞いている。ときどき屋敷に顔を出すと、いつも明るく嬉しそうな顔で迎えてくれるので、今日のように言いにくそうに切り出されるのは珍しくて、ついその顔を見返す。
「神子殿のお望みのままに。どこへなりとも参りましょう」
そう言うと、いつもなら少し怒ったような顔をして『また、そんなことばかり言って』と言いそうなものを、今日に限ってほっとしたように、『ありがとう』と答えた。
「どうしたの、今日は随分とおとなしいんだね、神子殿。
 そういう君もいいけれど、ね」
そういうと、頬を赤く染めてやっと、いつものように拗ねたような顔で
「友雅さんって、いっつもそうなんですね!」
と唇を尖らせた。その顔に自然と頬が緩む。神子の都の姫君にはない自然で豊かな表情。それが友雅の心に柔らかく、暖かいものをもたらしてくれる。それが何であるのか、わかっているような気がするが、まだ形にはしない。まだ、言葉にはしない。その心地よさだけを楽しんでいる。
やっといつものような勢いの戻った神子とともに、友雅は神泉苑へ向かった。
天上の庭を模したという神泉苑。その広い敷地は今は広く人々に解放され、美しい景色を楽しむことができる。今上帝の英断である。神子はしかし、その美しい景色を目にとめることなく、まばらに見える人々の姿を熱心に見つめていた。
「誰かをお探しかな?」
そう声をかけると同時に、神子が声をあげた。
「あっ!! いた!」
神子の視線の先には、友雅も見知った男がいた。その男の顔を見るとつい、苦笑が深くなる。友雅に対していつも対抗心を露にする男。会うたびに吠え噛み付いてくる様が、まるで犬のようで彼のきんきんとした声音もまた、痩せ犬の遠ぼえのようで、友雅には不快というより哀れを催すものだった。それゆえに、つい、苦笑も深くなる。
「すみません! あの・・」
神子がその男に向かって声をかける。気付いた男は、見るからに厭そうな顔をしてみせた。その男が神子に見せたその表情に、初めて友雅は『哀れ』以外の感情をその男に対して抱いた。そう、『不快』さを。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」
見兼ねて声をかける。友雅を見た男の顔に、見るからに嘲りの表情が見えた。
「橘少将殿が頭を下げて頼むというのなら、考えてやってもよいぞ」
勝ち誇ったようなその声。友雅が頭を下げて彼に物事を頼む、その程度のことで、簡単に勝ち誇ることのできる男。その程度のことで、自分を慰めることのできる男。なんと哀れで矮小なことであろう。
頭を下げることなど、なんでもない。必要とあらば、たとえどんな身分の低い人間に対してであろうとも頭を下げることが自分にはできる。この目の前にいる男には、できないだろうが。自分にはできないことだから、それを他人にさせて喜んでいるのだ。だから、今も友雅に頭を下げさせて勝ち誇ったような男の顔を見ても、何の屈辱も感じない。ただ、哀れな男だと思うだけだ。だが、神子に対しては。友雅は、自分がそしられ、あざけられることには、さして何の感慨も抱かなかったが、神子が邪険に扱われるのには、不快な思いが先にたった。
「人に物事を頼むにあたって手土産もないとは、なんと無礼な!」
神子の質問に答えることのできない男が声を荒げてそう怒鳴る。自分の無知をそうやって取り繕うとしているのだ。それが神子に対してでなければ、あるいは自分もいつもと同じく、この男を哀れであると思えたかもしれないと、そうぼんやりと考えつつも、それでもこの男に対する不快な思いが強くなっていくのをどうすることもできなかった。
「そうまで言うなら、さぞや凄いことを御存じなのだろうね?」
つい、自分でも意地が悪い声だと思うがいたしかたない。
「よもや、何も知らない、などということなどないだろうね?」
わかっていながらそう突き詰める。何も知らないからこそ、居丈高に出る。弱い犬が強く吠えるがごとく。それがわかるから、何も言わずにいたのだが、可憐な花の蕾を毟りとるような犬なら仕置きも必要だということだ。捨て台詞ともとれる言葉を最後に男がかけていくのを、友雅は苦笑とともに見送った。いじめすぎたかもしれないな、とそう思う。だが、今、友雅の傍らにいるこの姫君を邪険に扱われるのには、いささか我慢ができない。不快だ。
そういう感情でさえも、久しぶりなもののような気がするのだが。自嘲気味に笑って神子を振り返ると、聞きたいこともわかったというのに、随分と浮かない顔をしていた。
「? どうしたの? 大文字山に行くのだろう?」
そう声をかけると、深く強く頷いた。だが、友雅の顔を見上げるその瞳が少し泣きそうだったので、力づけるように、優しく笑いかける。すると、神子はすまなそうに顔を伏せた。
「・・・友雅さん、ごめんなさい・・・」
突然に謝られて、その言葉の意味するところがつかめずにしばし考えこむ。それから、思い当たってふと微笑みをもらす。
---この姫君は・・・本当に優しすぎるのだね
「私は神子殿から謝られるような覚えはないよ?」
そう優しく言うと、神子は顔を伏せたまま、答えた。
「・・・友雅さんに、あんなふうに頭を下げてもらってごめんなさい。
 本当は、昨日もあの人にお願いしたんです。でも、頼久さんや天真くんの話は全然聞いてもらえなくて。
 貴族の人の話しか聞いてもらえないって感じだったから、友雅さんにお願いしたんです。
 でも、でも、友雅さんにあんなふうに頭を下げてもらうなんて思ってもいなくて。
 ごめんなさい・・・!!」
あまりに思いつめたようなその声音に、友雅はふと笑みを漏らすと、神子の柔らかな髪に触れた。驚いたように神子が顔をあげる。
「神子殿がそんなふうに恐縮することではない。
 頭を下げることなど、なんでもないよ? そんなこと容易いことだ。」
「でも・・・もし、永泉さんにお願いしていたら・・・」
「かわりに、彼が平伏していたとでも思うかい?
 八葉のかわりに、相手を平伏させるのは、なんとも思わない?」
その友雅の言葉に神子の顔が朱に染まった。
「・・・ごめんなさい・・・そんなつもりじゃなかったです・・・。
 ただ・・・、必要なことかもしれないけど、でも、自分のために
 友雅さんがあんなふうに、言われるの、厭だったんです。
 あんなふうに、頭を下げさせられるのが厭だったんです。
 必要なことかもしれないってわかっていたけど・・・。」
「神子殿、八葉は神子殿の道具であり、手足でもある。
 神子殿の願いであれば、それを叶えるのは務め。苦痛も屈辱も何一つ関係のないこと。
 だから、気にやむ必要などないんだよ?
 むしろ、そんな甘い考えではこれからの闘いが心もとない。
 もし、八葉が傷つけられるとわかったら、神子殿はそれが必要なことであっても、
 厭だというのかい?」
その言葉に、神子はぶんぶんと頭を横にふる。それから、鼻をすすりあげた。
「・・・ごめんなさい・・・。きっと、これからも、こういうことってあるのかもしれないけど
 そしたら、また八葉の皆さんにいろいろお願いしちゃうし
 きっと厭なこともさせちゃうかもしれないけど、でも・・・」
一生懸命に語るその頭を友雅の手がもう一度優しく撫でる。その手がふと神子の頬をまるで涙をすくうかのように撫でたのに、神子の顔が真っ赤に染まった。口をぱくぱくとするばかりで、次の言葉が出てこない。
「神子、君が八葉を気づかう必要はないんだよ?
 八葉の務めは君を守ることなのだから
 だから、この程度のことで、謝るのはおよしなさい」
「・・・ごめんなさい・・」
まるで口癖のようになったその台詞にとうとう友雅が笑いだす。それに気付いて神子が慌てて口を手で覆う。
「神子殿、今日のような出来事を、あなたが気に病む必要はない。
 けれど、今日感じたようなことを、心の片隅にでもしまっておいていだだけるのは、とても嬉しい。
 私は、頭を下げることなど、なんでもないことだと言ったけれど、それはね、
 そうやって優しく気づかってくれるあなたのためだからこそ、なんでもないことなのだよ。」
みるみる項まで赤く染まっていく神子を、見つめながら友雅は、自分のその言葉に偽りがないことに少し自分でも驚いていた。考えることなく自然に唇から漏れたその言葉は、友雅の心の一つの真実を語っていた。
この神子姫だからこそ。
この優しい姫君だからこそ。
友雅が何も言わず、ただじっと見つめているだけだったので、真っ赤になった神子がふいに気付いたようにぷうっと頬を膨らませる。
「・・・友雅さん、また、からかいましたね!」
さっきまでのしおらしさはどこへやら、途端にむくれるその顔に、友雅の微笑みが深くなる。
「おやおや、本心からの言葉なのに、つれないねえ、神子殿は」
つい、おもしろがってからかう響きが強くなる言葉に、神子は『もう、知りません!』と拗ねたように背を向けて歩きだす。
「大文字山に、行きます!」
そう言ってずんずんと歩く神子の後を、友雅は楽し気に笑いながら続いて歩きだす。
「何ごとも、仰せのままに、神子殿。
 あなたのおっしゃることならば、喜んで従いましょう?」
軽く、まるで冗談であるかのように語られる言葉の真実は、まだ、友雅しか知らない。


END





久しぶりのわりには、どうもノリの悪いお話ですみません(^_^;;)
これは青龍のお札を探すときのエピソードなのですが
  鷹通や永泉さん相手だと、あの貴族のおぢさんはどんな態度なのだろうかと
ちょっと思う今日このごろ。いや、永泉さんや鷹通で会ったことないのよ(爆)
なぜなら、いつも少将を連れ歩いているから(^_^;)
ちなみに、この貴族の人に罵られる少将が屈辱的で痛いけど好きだったりする私(爆)




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