刻 印―景時編―


「ただ〜いま、っと」
玄関で靴を脱ぎながら景時はそう独り言を言った。家の中から答えてくれる声は返ってこない。一人暮らしなので、当たり前といえば当たり前なのだけれど、日曜の夜は少し寂しいものだ。だって、昨日の夜は望美がここに居てくれたのだから。
望美を家まで送っていって戻ってくる日曜の夜は、いつもよりも家の中が余所余所しい気がする。それが気のせいだとはわかっていても。なんとなく寂しさを感じている自分をごまかすように鼻歌を歌いながらリビングのソファに腰掛けて、携帯のメールを見る。望美からお休みのメールが入っているからだ。それを嬉しそうに眺めて、返事を短く打って、そして後はさっさと自分もベッドに入るに限る。明日になれば、一人の部屋に帰るのも慣れて、そしてそれを幾日か繰り返せば、また、望美が自分をこの部屋で迎えてくれる日がやってくる。

荼吉尼天を追ってこちらの世界にやってきた後、迷宮の謎を解いて五行の流れを整え、そして元の世界に戻るはずを、我が儘を言ってこちらの世界に残った。母の事は気になったし、九郎や弁慶のこと、頼朝のこと、自分があちらの世界に残してきたもののことを、全て気にならないと言えば嘘になるけれど、迷宮の謎を解く中で望美を守るためなら元の世界に帰れなくとも構わない、と思った気持ちは本当で、変わることがなかった。母のことは妹の朔に託し、九郎や弁慶に鎌倉のことは頼んだ。自分が知りうることは全て話して聞かせたし、今後の考えられる懸念についても伝えたから、弁慶が上手くやってくれるだろう。東国から始まる武家の世がどうなるのかを、この目で見たかった気もしたが、およそそれがどうなっていくのかは、こちらの世界の歴史でわかった。もちろん、こちらの世界とは似て非なる世界なのだから同じようにはならないだろうけれど。できれば頼朝と九郎と互いに協力して、こちらの世では三代で終わったという源氏の世がその後も続けば良いと思う。頼朝は非情な人間だと思われているけれど、おそらくは、それは裏を返せば情が強い人だということでもあるだろう。いつか分かり合う日がくれば、またとなく強い絆を九郎と頼朝は築くこともできるはずだ。
「見るべきものは見つ……って心境には遠いけど、ま、それに近い感じかな」
そんな風に自分の元の世界への心境をつぶやいて、その独り言に答える人間がいないことに気づいて後悔する。何をワケのわからないことを呟いているんです、と小言を言う朔もいないし、随分と悟った心境ですね、などと意味ありげに微笑む弁慶もいないし、それは一体どういう意味だ、と訝しげに問い返してくる九郎もいない。柄にもなく郷愁に浸ってしまっているのかなあ、と考えて、なんだか、こんなことが前にもあったような気がする、と感じた。そんなはずはないのに、あちらでは京邸でも梶原邸でも、いつも誰か仲間がいてにぎやかな雰囲気が溢れていたというのに、誰もいない邸でこんな風に夜に一人、何か考えていたような気がするのは何故だろう。しんとした部屋に立ちつくした景時は、それは自分の思い過ごしだと無理矢理に納得して、寝室のベッドに潜り込んだ。眠ってしまえばきっと忘れる。

■■■

寒い寒い日だった。
吐く息が白くなっていた。鎌倉の邸には誰もおらず……朔が邸を離れたと知った母も尼寺へ身を寄せた。自分の足手まといになりたくはないと呟いていた。誰もいない邸は寒々としていて、けれどこれも自分が選んだ結果だと潰れそうな心にただそう言い聞かせていた。
逃げ出したい、皆の元へ行きたい、けれどそうすることは、皆を殺すことになるのだ。裏切り者とののしられても、軽蔑されても、二度と会うことがなくても、それでも皆が生きていてくれるほうがいい。月に手が届くはずがないのはとっくにわかっていることだから、自分が幸せになれるはずなんかないこともわかっていることだから、けれどせめて自分の大切な人は生きて幸せになってほしい。そのために、ちっぽけな自分にできることがあって、それが彼らを裏切ることなのだとしたら、自分は喜んで裏切り者になろう。

■■■

「景時さん、なんだかお疲れですね、お仕事、忙しいんですか?」
望美を背後からゆるく抱きしめ、その頭に顎を乗せている景時が何処か疲れた様子なのを気にしてか、望美が少し頭を上げてそう尋ねた。クッションを背もたれに床に座り込み、足の間に望美を座らせてその温もりを確かめていた景時は、
「そんなことないよ〜」
と言いつつも、自分が今日は望美にやたらと触れたがっていることを自覚していた。要するに、確かめたいのだ、望美がここにいるということを。勘のいい望美はそんな景時の微妙な変化を察しているのだろう。それを、「疲れ」からくるものだと考えたというだけで。その証拠に、途端にぷうっと膨れた顔をして景時をふり返る。
「……嘘ばっかり。私、別に責めてるわけじゃないですよ?
 忙しいのは仕方ないってわかってます。ただ、無理して欲しくない、って思うだけで。
 疲れているんだったら、休んでください。私、景時さんの寝顔見てるのだって好きですよ?」
こういうときに、景時は本当に望美を好きだなあ、と思う。ひどく安心して、自分の方が随分と年上だというのに、無性に甘えたくなってしまうのだ。もちろん、彼女のことを守りたいと思うし、彼女のことを何処までも甘やかしたいなんてことも思うのだけれど、でも、彼女の強さにそれこそもう骨抜きになってしまいたいと自分から思ってしまうのだ。
「本当だよ、別に忙しいわけでも疲れているわけでもないんだ。
 でも、そうだな〜望美ちゃんにずっとくっついていたい気分かな」
そんな風に言って、少し腕に力を込めると、望美の頬が赤くなって、照れ隠しのように更に頬が膨れた。
「もう! そんなこと言ってごまかそうと思ってるでしょう。」
「本当だって、ごまかそうなんて思ってないよ」
重ねてそう言うと、疑わしげに上目遣いに見上げられた。けれど、そのままぽすん、と望美は景時に自分の身体を預けてくる。
「……私も、景時さんにくっついていたい気分ですから、丁度いいですよね。
 なんだかあったかいし、このままお昼寝したい気分になっちゃいそう。
 ね、一緒にお昼寝しちゃいましょうか」
「そうだね〜、望美ちゃんと一緒だったらオレも久しぶりに良く眠れそう」
「……景時さん?」
「って、いや、ほんっと、気持ちよく眠れそうじゃない?」
「景時さんっ!」
つい、口が滑ってしまった景時はどうにかごまかそうと試みてみたが、望美はどうにも聞き逃してはくれなかったし、ごまかされるつもりもなかったらしい。ぐるりと身体の向きをかえて、景時と向かい合う。その目がとても真剣だったので、景時は困った表情になって、なんでもないことだというように両手を広げて軽く説明した。
「いや、なんかさあ、ちょっとこのところ、夢見が良くないっていうかさ。
 きっと、急に一人暮らしになったり、望美ちゃんともっとずっと一緒にいたいなんていう
 オレの密かな願望が見せる夢だと思うんだよね〜
 いい年した大人になって見る夢じゃないって思うんだけどさあ、それでなんっていうの?
 あ〜望美ちゃんに会いたい、触れたい、なんて、ま、つまりほら、
 オレの望美ちゃんを思う愛が見せる夢っていうかさあ〜だから気にしないで」
そう早口で言い切って望美を見下ろすが、全然納得していません、という顔で見つめ返されてますます困った顔になる。
「どんな夢なんですか。教えてください」
「いや、そんな大した内容じゃないよ、ほんと」
「どーんーなー夢なんですかー!」
景時を押し倒さんばかりに詰め寄る望美に、景時は降参するように望美を宥めにかかる。
「や、いや、だからね、みんな居なくなっちゃってる夢なんだ。
 急に一人暮らしになったりしたせいだよね。ほら、向こうじゃ京邸も鎌倉の梶原邸でもさ
 朔はいたし、弁慶はほとんど居候だったし、譲くんや望美ちゃんや白龍や敦盛くんや
 みんないて賑やかだったじゃない?
 こっちに来てからも、ほら、将臣くんや譲くんのおうちにお邪魔して皆一緒だったでしょ。
 だからだと思うんだよね〜
 なんか、オレが広い邸で一人でいてさ、みんなは元気かなー、なんて考えてんの。
 望美ちゃんに会いたいなあ、でも、オレはもう傍には行けないな〜、
 それでも望美ちゃんが生きててくれるなら、それでもいいや〜、なんてさ…思ってたりして
 あははは、なんか変な夢だよねえ〜〜そうだ、迷宮での戦いとか影響してるのかもね?」
やっぱり早口で言い切って、おそるおそる望美の様子を見やる。笑い飛ばしてくれるかと思った望美は妙に神妙な顔になっていた。
「……えーと、望美ちゃん?」
「……冬でしたか」
「え?」
「それは、冬の夢でしたか」
「あーっと……そうかな、うん、雪がちらついたりして寒かったかも。迷宮解いたのも冬だったしね、そのせいかな?」
あれ、でもどうしてそんなことわかったの? と景時は望美に尋ねようとしたけれど、一瞬望美の顔が泣きそうに見えて口を噤んだ。けれどすぐに望美は怒ったような顔になって、力一杯景時にぶつかるように抱きついてくる。なんとかその勢いに負けず、支えて抱きとめると、景時は言い訳するように言った。
「あー、いやー、うん。なんだかオレってば寂しん坊みたいだよねえ、ごめんね。
 でも、夢で良かったよ〜。望美ちゃんと離れ離れなんて、きっとオレ、寂しくて死んじゃうかも。
 夢の中でもほんと、寂しくて死にそうだったし、な〜んてね!」
なんだかいつか経験したことのような気がして、そんなことがあるはずないのに不思議と現実感のある夢で、だからやっぱりあれは夢だったと望美に触れて安心したのだ。ぎゅっと景時に抱きつく望美の手に力が込められる。
「そういうときは、平日だってなんだって良いから、私のこと呼んでください。
 すぐに駆けつけて、そんな夢、見たことも忘れちゃうくらい、ずっと一緒にいますから!
 私がいないとそういう夢見ちゃうっていうなら、毎日だってこの部屋に来るし、
 それでも間に合わないなら、ここに引っ越してきちゃいますから!」
「え、えぇぇぇええ〜!! 引っ越しまでしてくれちゃうの? 
 いや、ちょっと、望美ちゃん、それはどうかなあ〜〜」
「何か困りますか」
「いや、いやいやいやいや、オレは困らないけど望美ちゃんは困るんじゃ……」
「私だって、何も困りませんけど! 何が困るんですか?」
「いや、だって、ほら……学校とかさあ」
「もうすぐ卒業しますし。大学に行くようになったら下宿するなり好きに、と親からも言われてますから」
「あ、そう……っていうか、ええええ、本気、………なんだよ、ねえ?」
突然の展開についていけない景時が望美を見下ろすと、またまたぎっと怒ったような望美が顔を上げて見上げてくる。けれど、その瞳の底にあるのは景時を心配する想いだということは十分に伝わった。困ったように、けれど、諦めたように、もちろん、でもそれはとても嬉しいことなのだけれど、景時は肩の力を抜いた。
「……なんだかさあ〜、望美ちゃんってば、どうしてそんなオレのこと甘やかしてくれるかなあ。
 望美ちゃんこそ、オレのために無理しちゃだめだよ?」
「……無理してません。私が、景時さんの、傍に、いたいんです。
 私が寂しい夢を見たときには、景時さんに傍に居て欲しいから」
「望美ちゃんも、寂しい夢、見るの?」
景時の問いには黙ってしまって自分のことは語らない望美だったけれど、きっと彼女も懐かしい仲間を思い出して寂しくて目を覚ますこともあるのだろうと景時なりに察する。朔とは本当の姉妹のように仲も良かったし、白龍も望美をとても慕っていたのだから。
「……そうだよね、仲間が懐かしくて見る夢だって、どうせだったら楽しい夢の方がいいもんね。
 望美ちゃんとオレと一緒だったらきっと2人揃ってそういう楽しい夢ばかり見れるんじゃないかな」
自分をこんなに甘やかしてくれる望美に存分に甘やかされてしまおうかと景時は考える。その代わりに、望美を思う存分甘やかしてしまえばちょうどいいんじゃないだろうか。
「じゃあ〜、ええと、一緒に暮らす方向でいろいろ考えるとしても。
 まずはさ、二人で一緒に楽しい夢でも見ようか? ほら、お昼寝してね?」





もし、逆鱗で時空を遡るのがビデオ巻き戻し方式だったら
選ばなかった過去の記憶をデジャヴのように感じることもあるかな?
などということを考えてできたお話です。
このSSだけだったら、切な目でもほのぼのと言い切れたかもしれませんが……


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