刻 印―望美編―


「それじゃあ、おやすみなさい」
玄関で景時と別れると、望美はすぐに二階の自分の部屋に駆け上がる。通りに面した窓を開けて、景時に向かって手を振る。もう通りは暗くて、望美から景時の様子ははっきりとは見えないけれど、多分、景時から望美の姿は見えているはずだ。そうしてしばらくしてから、今度は携帯のメールを打つ。
自分の部屋なのに、何処かよそよそしく感じてしまうのは、きっと傍に景時がいないからだ。逆に言えば、景時が傍にいてくれたら、どんな場所でも望美にとって、そこが一番居心地の良い場所になる。
皆を助けたくて、誰よりも景時を助けたくて、異世界の戦を終わらせたかった。その後荼吉尼天を追ってこちらの世界に戻ってきて、迷宮の謎を解いた。自分の心の欠片が結界として作り上げていた迷宮。その謎を解いていくことは、同時に失っていた記憶を取り戻すことでもあった。何故、忘れていたのだろう、何故、忘れることができたのだろう、という痛みに満ちた記憶。何故、自分は何度も逆鱗を用いて時を遡ったのか、その記憶。取り戻す度に、愛しさと痛みを与えられた。
燃える京で口伝にその最期を聞いた。もう駄目かもしれない、ひとり戦場で死ぬのかもしれない、と思ったとき、たった一人で助けに来てくれた。……皆を生かすために、たった一人、戦場に残って還ってこなかった。小さくなっていく背中を何も出来ずにただ見ていた。雪空に自分も融けてしまいたいと思った。時空を遡ってもう一度運命を紡ぎなおしたのに……本当の心に触れることはできなかった。彼は生き延びたけれど、敵になった。寒い寒い平泉で、それでも彼が生きているなら、たとえ敵になってもそれでいいと思って……思い込もうとして、できなかった。戦がある限り彼と共にあることが出来ないというのなら、戦を終わらせてみせると三度時空を遡って。そしてやっと手にした和議だった。
こちらの世界に来てからの景時は、楽しそうで嬉しそうで、そんな彼を見ている望美も嬉しかった。迷宮の謎を解くにつれて戻ってくる記憶に、けれど時折不安にもなった。また、彼は何かを隠し一人で背負おうとしている、と。でもそれが望美のためだったと知ったときは嬉しかった。嬉しくて、そして、でも。全てが終われば彼はまた帰ってしまうのかと不安で……だから、景時がこちらの世界に留まると言ってくれたとき、やっと本当に全て終わったのだと思うことができた。けれど。

■■■

寒い寒い冬だった。京も鎌倉も遠い土地だった。雪が何もかもを覆い尽くすように降り続く土地で、それでも人々は優しかった。仲間も共にあって、皆で助け合っていて、きっと、こんなことを思う自分は間違っているのだと思った。皆だってきっと辛い気持ちを抱えていて、それでも何も言わないのだとわかっている。なのに、ふとした折に思い出してしまうのだ。何を見ても思ってしまうのだ。何故、ここに景時がいないのか。何故、彼のものであったはずの宝玉が自分の手に戻っているのか。自分と彼を繋ぐ絆が、何故なくなってしまったのか。
勝利のために、と景時は死んでいった。そして今度は鎌倉のために、皆の敵となった。心を通わせたと何度も思った。彼が死を選ぶ前も、彼が違う道を選ぶ前も。けれど彼は望美のためには生きてくれない。彼はあまりに多くのものを背負っていて、望美を選んではくれない。彼が生きていてくれるだけでいいと思ったはずなのに、身勝手な心は、それだけでは嫌だと叫んでいる。彼が傍にいてくれる運命を手にしたいと叫んでいる。

■■■

記憶を取り戻すことは、自分の罪を思い出すことだった。そしてそれは同時に不安を呼び起こすことでもあった。景時が好きで、好きで、やっとたどり着いた運命だけれど。それまでずっと彼の中の唯一で一番になれなかった自分は、戦もなく梶原党もないこの世界なら、彼の唯一になれるのだろうか。いつかまた彼は、大切なものを守るために自分の元から去って行くことがあるのではないだろうか。
(……すごく嫌な子だな、私)
それでも怖いのだ。敵になった景時の冷たい表情と声。自分はずっと景時が好きだったけれど、違う運命では景時は望美を好きでいてくれたという自信がない。今、景時が傍にいてくれる幸せを感じながらも、過去、彼に愛されなかったという想いが望美を弱くする。

「景時さん、なんだかお疲れですね、お仕事、忙しいんですか?」
土曜日。いつものように景時の部屋を訪れた望美は、景時に緩く拘束されていた。いつもなら何処かへ出かけようか、と言う景時が、今日はゆっくりしようよ、と言ってその腕から望美を離してくれない。嬉しく思いながらも心配になって望美は景時に問いかける。
「そんなことないよ〜」
思ったとおり、景時からの返事は否定の言葉だったけれど、彼が何かあるときに「何かある」と正直に答えたことなど一度としてないことを知っている望美は強く問いかけた。
「……嘘ばっかり。私、別に責めてるわけじゃないですよ?
 忙しいのは仕方ないってわかってます。ただ、無理して欲しくない、って思うだけで。
 疲れているんだったら、休んでください。私、景時さんの寝顔見てるのだって好きですよ?」
景時に本当のことを言ってもらえないと、ひどく不安になる。彼が意味のない隠し事をする人だとは思えないから、余計に、だ。もう何も起こり得ないと思っていても。もう、頼朝も荼吉尼天も遠い世界のことになったとわかっていても。
「本当だよ、別に忙しいわけでも疲れているわけでもないんだ。
 でも、そうだな〜望美ちゃんにずっとくっついていたい気分かな」
「もう! そんなこと言ってごまかそうと思ってるでしょう。」
「本当だって、ごまかそうなんて思ってないよ」
見上げる景時の瞳は優しくて、大丈夫だよ、と望美に言い聞かせるようだった。自分がこんな風に思いつめていることが馬鹿馬鹿しいように思えて、望美は力を抜いて景時に身体を預けた。信じられないのは景時のことではなくて、きっと自分のことだ。罪深い自分がこんな風に景時に思われる価値があるのかが信じられない。ずっとあちらの世界にいたなら、景時は自分とこんな風に過ごしてくれることがあっただろうか。一人死んでいった景時に、あるいは敵となった景時に、少しでも私のことを好きでいてくれましたか、と――そう問うて答えが得られたなら……けれどきっと、今となってはその答えが否でも応でも後悔するに違いはないだろう。だから、もう考えることを止めたほうがいいのだ。自分の罪を背負って、それでも望んだ、今ここにいる彼との幸せを積み上げていけばいい。
「……私も、景時さんにくっついていたい気分ですから、丁度いいですよね。
 なんだかあったかいし、このままお昼寝したい気分になっちゃいそう。
 ね、一緒にお昼寝しちゃいましょうか」
景時の温もりに触れていたくて、望美はそう言った。傍にいたいのは自分の方で。彼の傍からひと時たりとも離れたくないのも自分の方で、そして、心が弱いのも自分の方だ。
「そうだね〜、望美ちゃんと一緒だったらオレも久しぶりに良く眠れそう」
「……景時さん?」
何気なく言った言葉に応じた景時の台詞に、望美はひっかかりを覚えて顔を上げた。途端に景時の慌てた様子が伝わってくる。やっぱり、何か、ある。
「いや、なんかさあ、ちょっとこのところ、夢見が良くないっていうかさ。
 きっと、急に一人暮らしになったり、望美ちゃんともっとずっと一緒にいたいなんていう
 オレの密かな願望が見せる夢だと思うんだよね〜
 いい年した大人になって見る夢じゃないって思うんだけどさあ、それでなんっていうの?
 あ〜望美ちゃんに会いたい、触れたい、なんて、ま、つまりほら、
 オレの望美ちゃんを思う愛が見せる夢っていうかさあ〜だから気にしないで」
夢と聞いて望美は景時を見上げた。望美もまた、自分だけが知っている『なかったはずの過去』を夢に見るからだ。けれど、それは『なかったはず』のもので、そして、望美しか、知るはずのないもので……
「どんな夢なんですか。教えてください」
「いや、そんな大した内容じゃないよ、ほんと」
「どーんーなー夢なんですかー!」
ただの夢だよ、と言いながら景時が話した言葉に、望美は声を失った。
「や、いや、だからね、みんな居なくなっちゃってる夢なんだ。
 急に一人暮らしになったりしたせいだよね。ほら、向こうじゃ京邸も鎌倉の梶原邸でもさ
 朔はいたし、弁慶はほとんど居候だったし、譲くんや望美ちゃんや白龍や敦盛くんや
 みんないて賑やかだったじゃない?
 こっちに来てからも、ほら、将臣くんや譲くんのおうちにお邪魔して皆一緒だったでしょ。
 だからだと思うんだよね〜
 なんか、オレが広い邸で一人でいてさ、みんなは元気かなー、なんて考えてんの。
 望美ちゃんに会いたいなあ、でも、オレはもう傍には行けないな〜、
 それでも望美ちゃんが生きててくれるなら、それでもいいや〜、なんてさ…思ってたりして
 あははは、なんか変な夢だよねえ〜〜そうだ、迷宮での戦いとか影響してるのかもね?」
それは、夢ではない。『あったこと』だ。あったけれど、なかったことになった時間。きっと、そうだ。皆が平泉で暮らしていたとき、景時は一人で邸で仲間を想っていたのだろうか。敵として、追い詰める対象としてではなく、無事を祈り生きていてくれることを願う相手として想っていてくれたのだろうか。
黙りこんでしまった望美に心配そうに景時が問いかける。
「……えーと、望美ちゃん?」
「……冬でしたか」
「え?」
「それは、冬の夢でしたか」
「あーっと……そうかな、うん、雪がちらついたりして寒かったかも。迷宮解いたのも冬だったしね、そのせいかな?」
きっと、そうだ。そして望美は泣きたくなる。冷たい表情と言葉に隠されていた彼の本当の心を、今、こんな形で知ることに。彼は望美を生かすために、敵となる道を選んだというのか。もし、あのまま未来を紡いでいたなら、彼の本意を知ることがあっただろうか。彼の心を知ることなく身勝手に時空を遡った自分はなんて愚かなのだろう。彼はいつだって、望美のことを考えていてくれたのだ。堪らなくて望美は身体ごとぶつかるように景時に抱きついた。何度でも景時に謝りたかった。償うことすら許されない罪を自分は彼に対して犯している。そんな望美の様子を誤解したのか景時がそっと望美の髪を宥めるように撫でながら言う。
「あー、いやー、うん。なんだかオレってば寂しん坊みたいだよねえ、ごめんね。
 でも、夢で良かったよ〜。望美ちゃんと離れ離れなんて、きっとオレ、寂しくて死んじゃうかも。
 夢の中でもほんと、寂しくて死にそうだったし、な〜んてね!」
笑いに誤魔化しているけれど、きっとそれは本当だっただろう。彼は一人孤独の中でそれでも仲間や望美のことを想っていたのだろう。償うことすら許されない罪だと思うけれど。ずっと自分のことを想っていてくれた彼に自分ができることがあるとするなら。
「そういうときは、平日だってなんだって良いから、私のこと呼んでください。
 すぐに駆けつけて、そんな夢、見たことも忘れちゃうくらい、ずっと一緒にいますから!
 私がいないとそういう夢見ちゃうっていうなら、毎日だってこの部屋に来るし、
 それでも間に合わないなら、ここに引っ越してきちゃいますから!」
「え、えぇぇぇええ〜!! 引っ越しまでしてくれちゃうの? 
 いや、ちょっと、望美ちゃん、それはどうかなあ〜〜」
「何か困りますか」
「いや、いやいやいやいや、オレは困らないけど望美ちゃんは困るんじゃ……」
「私だって、何も困りませんけど! 何が困るんですか?」
「いや、だって、ほら……学校とかさあ」
「もうすぐ卒業しますし。大学に行くようになったら下宿するなり好きに、と親からも言われてますから」
「あ、そう……っていうか、ええええ、本気、………なんだよ、ねえ?」
彼を幸せにしよう。自分が消してしまった時の代わりに。彼が選び取った未来を変えてしまった代わりに。
「……なんだかさあ〜、望美ちゃんってば、どうしてそんなオレのこと甘やかしてくれるかなあ。
 望美ちゃんこそ、オレのために無理しちゃだめだよ?」
自分のために孤独を選んだ彼が、その時間の代わりに望美が選んだ今のこの時間を幸せだと想ってくれるなら、その想いに応えたい。たとえ自己満足にすぎなくても、彼にとってもこの未来を選んだことが幸せだったと思えるように。その思いは本当で、そして望美にとっての誓いにもなるだろう。
「……無理してません。私が、景時さんの、傍に、いたいんです。
 私が寂しい夢を見たときには、景時さんに傍に居て欲しいから」
「望美ちゃんも、寂しい夢、見るの?」
景時を失くした記憶はもう二度と消えたりしないだろう。罪の記憶はきっと消えない。けれどそれは甘い罰だ。それは苦しい記憶であり、自分の罪の記憶であり、そして、ずっと景時も望美を想ってくれていたという記憶にもなったのだから。
「……そうだよね、仲間が懐かしくて見る夢だって、どうせだったら楽しい夢の方がいいもんね。
 望美ちゃんとオレと一緒だったらきっと2人揃ってそういう楽しい夢ばかり見れるんじゃないかな」
そうだといい。自分はこれから景時に優しい夢だけを与えることができますように。望美はそう願って景時に抱きついたまま目を閉じた。





望美側からの話を考えてみたら、えらいことダークになりました(汗)
この望美は、無印ルートで景時を失った後やり直して十六夜ルートに入っちゃって
平泉で景時と再会した後、辛抱たまらなくてまたやり直しちゃって大団円ルート。
そんな道を辿ってきたって感じで。ゲームでは全員クリアしないと大団円にはいけませんけど
全員と恋愛体験済な神子ってちょっと嫌なのでそういうことで。
今回はこんなネタですけど、基本的に迷宮ED後は
明るい設定でお送りしたいと想っております、はい。
なので、以前アップした迷宮SSとは特につながりはないということで(^^;)


■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■