神子




景時が龍神の神子について調べてみる気になったのは、この世界に来て間もないという彼らのために、協力してやりたいということもあるし、龍神の神子が源氏方につくにあたって、知っておいたほうが良いことは多くあるだろうということもある。しかし何より一番は、おそらく自分自身が龍神の神子について興味を持ったせいだろう。それが『白龍の神子』という存在に対しての興味なのか、白龍の神子である『春日望美』への興味なのかは判別しがたいところだが。実際には、これまでも景時は龍神の神子について少しばかり調べたことがある。調べた、というか、かつて自身が修行に出向いていた安倍家へ資料を問い合わせたことがある。それは朔が黒龍の神子に選ばれたときのことだ。そのときに、黒龍の神子だけでなく、白龍の神子が同時期に選ばれるものだということを知り、いつかは出会うこともあるかとは思っていたのだが。
(まさか、自分自身が八葉に選ばれるとは、思ってもいなかったけどね)
京邸に残された古い倉の鍵を開けながら、そう一人ごちた。元は京の貴族の邸だったという京邸には、古い倉が残されていて、その中に物が残されているという。100年ほど昔だったという、前の龍神の神子について記述された書でも残っているかもしれない。安倍家の方には式神を送った。景時自身が赴いても良いのだが、今はまだ安倍家に源氏の軍奉行が堂々と出入りするのも安倍家に差しさわりがあるかもしれないので、ひと目を避けたのだ。龍神の神子は異世界から召還されたというが、京にはその神子に仕える星の一族がいたという。この戦乱の最中、その一族が何処にいるのか定かではなかったが、安倍の一族であれば消息を知るかもしれない。伝わるところによれば、かつて安倍の一族の陰陽師から八葉に選ばれた者もいたということだ。
(まあ、オレとは違ってかなり優秀だったんだろうな〜)
倉の中は埃っぽく、昼というのに薄暗かった。思わず手で埃っぽい空気をはたき、外の空気との換気を図る。薄暗い中に目がなれてくると、木箱に収められた陶器や巻物、積み上げられた書物が目に入る。
「うわ、この中から探すのか〜ちょっと骨が折れるかも」
こういうときは、人型の式を出せると便利なのになあと思わずにはいられない。まあそれは自身の修行不足がいけないのだが。
「景時さん!」
そこへ声がかかった。振り返ると、龍神の神子である望美と同じ世界から来た少年、譲が立っている。面白いことに、異世界からやってきた少年と少女はそれぞれ、朔と景時と対なのだという。黒龍の神子の朔の対は白龍の神子の望美。そして、地の白虎の景時に対して、天の白虎の譲。異世界の人間と縁があるというのも不思議なものだ。しかしながら、弁慶や九郎と対と言われるよりは、景時としてはやりやすい。
「どうしたのー? 譲くん」
「あ、いえ。何か手伝えることはないかと思って」
生真面目なこの少年は、ただで世話になるわけにはいかないと、京邸の厨房を手伝うようになった。本音としては、慣れない食事よりも自分たちの世界の食事を食べられるようにということだろう。話に聞けば彼らの世界の食事はかなり豊かだったようだ。京邸に部屋を提供して以来振舞われる料理は、十分そのことを証明していた。景時としてはどうせ空いている部屋だし、源氏に協力してもらうのだし、特に遠慮はいらないと言ったのだが、純粋に珍しい料理は美味しかったし彼が厨房で腕を振るってくれるのは歓迎した。望美の方はといえば、家事は壊滅的な腕なのだと本人も譲も笑いながら言っていたが、洗濯くらいならなんとか、と言ってよく手伝ってくれる。二人とも、随分と前向きな頑張りやだと思う。自分ならどうだろう。自分なら見も知らない土地に放り出されたら、身動きも取れなくなってしまうのではないだろうか。いや、それとも、どんな世界でも今のこの状態に比べれば開放感に溢れるだろうか?
「何をしていたんですか?」
譲は景時の後ろの倉の中を覗き込むようにして言う。景時は身体をずらして譲にも中がよく見えるようにする。途端に譲の顔が驚いたような表情になった。
「元々古い貴族の邸だったからね、いろんな書や巻物が残っていてさ。中に龍神の神子について書いたものがないかと思ってね」
「俺も手伝います」
そう言うと、譲も倉の中へ足を踏み入れる。
「読めるの?」
望美の方は、こちらの文字が全く読めないといった様子だったので意外そうに景時が言うと、譲が肩を竦めて言う。
「祖母が達筆な人で。草書も行書も全部仕込まれたんですよ。とはいえ、すらすら読めるほどではないですけどね」
そう言いながら、手近な書物を何冊か手に取る。
「龍神という文字があれば良いんですよね」
「ああ、うん。お願い〜」
景時もそう答えると、譲と同様、倉の中の書物を手にとった。古い書や巻物は京の歴史を物語るものだったり、仮名手の手本だったり、絵物語だったり。とりどりだったが龍神の神子についてのものはなかなかない。
「考えてみれば、あの小さな白龍が神様で、100年200年生きていたなんていわれてもぴんときませんね」
景時に背中を向けて倉の中の書物を探していた譲がそう言う。景時もその言葉に思わず笑いを洩らした。確かに、あの愛らしい少年が齢100年を越す龍神といわれても俄かには信じがたい。
「五行の力を失っているから子どもの姿なんだそうだよ。黒龍は大人の姿だったし、白龍も本来はそうなのかもしれないね」
「……というかまあ、俺としては龍神とか八葉とか神子とか、そういうこと自体が信じがたいことなんですけど
 それを言い出すと、異世界にやってきたってことが一番信じられない出来事ですからね。
 いまだに朝起きたら元の世界の朝で、夢を見ていただけなんじゃないか、って考えてしまいます」
「……それは、わかるなあ」
「……景時さんにもわかるんですか? 異世界に呼び出されたことなんてないでしょう」
「いや〜、なんていうかねえ。戦なんて始まってなくて、鎌倉の領地で暮らしてたんじゃないかって思っちゃうね」
戦を望んだことなどない。できれば戦いなどないにこしたことはない。戦場に出ることは、昔から今に至ってまで平気だったことはない。殺すことも、斬られることも、考えたら怖ろしくて仕方ない。だから戦場に出る間は考えることを止める。投げ出したくても投げ出すことができない現実をそうやってやり過ごしてきた。
「……そうですよね。戦乱の世だからって、それが平気なわけないですよね。すみません」
「ええっ? なんで謝るの〜むしろ、だから、オレたちの方が譲くんや望美ちゃんにごめんね〜って言うとこだと思うんだけど。
 だってさあ、100年前みたいに、戦のない世だったら、せめてもっと危険も少なかったのにさあ」
「……ええと、それはそうですけど、それも景時さんや九郎さんのせいじゃないでしょう。
 だからそれを謝ってもらうのもちょっと違うような気がします」
そう言うと、お互いになんだか変な気がしてどちらからともなく笑い出した。そこで譲が一つ、溜息をつく。
「どうしたの?」
おそらくは、譲もこの世界にきてずっと緊張しているのだろう。知らない世界に放り出され、怨霊だの戦だのに取り囲まれ、普通で居られるほうがおかしいのだ。そう、おかしい。
「……ときとき、わからなくなるんです」
ぱさ、ぱさ、と譲と景時が書物を手にとり中を確かめては脇へと置く、そんな音だけがしばらく響いた。何がわからなくなるの、とは景時は尋ねなかった。今のこの世界が現実なのかどうかということや、神子や八葉という伝承が本当なのかどうかということや、多分、そういいたくなることなんてそれこそ山ほどあるだろうと思ったからだ。けれど、譲の答えは少し違うものだった。
「先輩が、本当に俺の知っている先輩なのかどうかということが、わからなくなるんです」
「…え? ええと、それって、望美ちゃんのこと?」
それに返事はなかったが、どうやらそういうことらしかった。
「でも、望美ちゃんは普通でしょ。普通の女の子だし、君のことも良く知ってるみたいだし…」
「ええ。俺の知ってる先輩のままです」
さっき言ってたことと矛盾するんだけどなあ、と景時はつい首を捻ってしまう。
「人が変わったとか、何かに取り付かれてるとか、そういう意味じゃないですよ。
 先輩は、先輩のままなんですけど、でも…」
譲と望美と、行方がわからないという譲の兄とは幼馴染なのだという。幼い頃からずっと一緒で、学び舎も同じ、何処かへ遊びに行くのも一緒、今に至るまで共にあったという。『俺だけ一つ年下でしたから、いつも二人より一歩後ろを歩いてた気がしますけどね。それがちょっと悔しくて、でもずっと後ろにいたから、誰よりも良く見てたんですよね』少しほろ苦い表情でそう言った譲は、だからこそ、今の望美が自分の知る望美と何処か違うと感じるのだという。
「先輩は、剣道なんて習ったこともなかった、普通の高校生だったんです。
 なのに、初めて握ったはずの剣で怨霊と戦い、怖れる様子もなかった」
まるで、知っているかのように、と譲が呟いた。景時も手を止めて考える。初めて会ったはずの望美が、まるで景時のことを良く知っていたかのような様子だったこと。
『景時さんは、私を助けてくれたんです』
そう言ったときの、まるで今にも泣きそうに見えた笑顔を思い出して、ぎゅっと胸を掴まれたような気がした。慌てて顔を伏せて目の前の書に意識を戻す。あのときの望美の顔がちらつくと駄目だ。どうして、君は、そんな顔でオレを見るのかと、問いたくなってしまう。多分、問うたところで望美の答えは同じだろう。『景時さんは、私を助けてくれた』―いつ、どこで。
初めて会ったはずなのに、彼女は自分を知っている。そして、譲はずっと彼女と一緒だったはずなのに、彼女の知らない面を見せ付けられる。
「……神子の力、なのかなあ」
景時は呟いた。
「そうなんですかね。でも、それってつまり、白龍が先輩にそんな力を与えたってことなんですか。
 予備知識を与えたとか、剣の技術を与えたとか…?
 白龍に聞いてもわからないんだろうなあ、どうも、考え方まで子どもに戻ってるみたいだし」
半ば諦めたような調子で譲が言った。白龍が与えた神子の力。そうだといえばそうなのかもしれない。景時が思ったのは、神子は何かを見通す力を持っているのかということなのだった。違う時間? 例えば遠い先。それなら、まだ起こっていないことをそう予言することもあるだろう。景時は神子を助けていない、が、神子は景時に助けられたと言う。なら、これからそうなることがある、ということではないのか?
(…まさかねえ)
荒唐無稽な想像に自嘲気味な笑みを洩らして景時は首を振った。それでも、多分、自分や譲の知らないことを望美は知っているのだろう。それこそが神子の力なのか。見た目は普通の少女で、話をしても何ら変わったところもなくて、ただ本当に、可愛い可憐な年相応の少女だと思うのに、ときどき、ひどく遠くを見ていたり、景時を通して何か違うものを見ているようだったり、そんなときは落ち着かない気持ちになる。それも神子だからなのか。神子とは、いったい、何なのか。
結局、白龍の神子というものについて知りたいのは、自分のためなのかもしれない、と当初の考えに景時は至る。白龍の神子について知ることは、つまりは、望美について知ることになるからだ。ということは、やはり、自分は、春日望美という少女に興味があるということなのだろう。改めてその結論に至ると、変に自分が恥ずかしいような気がした。
「こ、こんなにたくさん書物があるのに、なかなか龍神について書いたものってないねえ」
話を変えるようにそう声に出して言うと、譲も手を止めて答えた。
「そうですね。やはり、100年前の出来事というのは伝承が残ってないんでしょうか。
 だって、九郎さんたちは御伽噺だと思っていたくらいですしね」
「そうなのかなあ〜それにまあ、ここ数十年の混乱で資料が失われたってこともあるだろうねえ」
お手あげというように、景時が立ち上がると、それを譲が見上げる。そのとき、チイ、と鳴く声がした。
「ネズミ?!」
譲が慌てたように立ち上がり、あたりを見回す。見ると、倉の入り口に白いネズミが何か紙をくわえて立ち上がっていた。
「わっ、こいつ、本を破ったな!」
譲がネズミを捕まえようとするのを景時が制した。
「あっ、待って待って、それ、ネズミだけどネズミじゃないんだ」
「えっ」
譲が動きを止めた瞬間に、ネズミは駆け出し、景時の足を駆け上って肩に止まった。
「ごめんごめん、これ、オレの式なんだ。どうやら安倍家から返事をもらってきたみたい」
「安倍家って…」
「うん、オレが修行していた陰陽師の師匠の邸。朝廷の陰陽寮とも関わりが深いし、
 龍神の神子についての資料もいくらか残ってたみたいでね」
ネズミの口から紙切れを景時が取り上げると、ネズミは一声「ちい」と高く鳴いて姿を消した。それを譲は目を丸くして見つめる。それから、景時が手にした紙を読むのに気付いて景時の横に立つ。
「星の一族の居場所がわかったよ」
景時は顔を上げて譲に告げた。
「星の一族って?」
「代々、龍神の神子に仕えていた一族なんだ。きっと、龍神の神子について詳しい人もいるはずだよ」
「じゃあ、話を聞きにいけますね!」
譲の声が途端に明るくなった。何か確かなことがわかるというのは、拠り所となるものができるということでほっとしたのだろう。
「それじゃあ、ことは早いほうがいいかな。まあ、この倉の中も、追々整理するとして。」
景時がそう言うと、譲も頷いた。そして
「じゃあ、俺、先輩に言ってきます。今からなら出かけられるところですか?」
そう言いながら駆け出すように倉の外に出る。
「そうだね、馬を使えば夕方には戻ってこれるかな」
「わかりました、じゃあ、すぐに準備するように言ってきます!」
そのまま、駆け出す譲の背を見送り、景時は倉から出てその扉を閉めた。龍神の神子とはどんな存在なのか。それを知ることが出来るかもしれないことに、期待しているのは案外自分の方かもしれないと景時は思う。
そして、譲の後を追うように歩き出した。






白虎コンビ。譲はちょっと切ないですかね。
というか、本当はここもっと短くてさっさと星の一族の所へ
行く予定だったんですけども。おや。


■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■